FC2ブログ

とある風景(その203)

毎年この時期になると、生駒山へ歩きに行くのですが、実は今月単車を買い替えまして、今週の土日は単車でプチツーリング(?)へと行ってきました。

と言っても、いつも行く柏原南部、亀の瀬周辺ですが、今日は奈良の三郷町にあるお寺まで石造物を見に行って来ました。

ブログでは殆んど取り上げませんが、中河内以外にある石造物も時折、参考に見に行く事があります。

その後、八尾空港へ自衛隊のヘリコプターを見に行き帰宅しました。

それで、昨日は以前勤めていた市内ある会社近くまで行ってみました、その会社は淀川の河口にあり、昔は護岸にテトラ

ポットが積まれていましたが、現在は撤去され(?)昔の風景とは一変していました。

その後、以前から一度訪れてみようと思っていた「旧鴻池本店」へ行ってみました。

尚、東大阪ではお馴染の「鴻池家」とは全く無関係だそうです。

以上、週末の休日に単車でぶらぶらしましたが、ほんま男って何ぼになっても、車や単車買うと何や嬉しなってしまうもんです。

これで、人生最後の単車購入やと思います(-_-;)

新亀の瀬橋より

澪標

久しぶりに市内を走って怖かったです。田舎もんですわ(於 柏原市・大阪市)

北川大社

「北川大社」は黒谷に鎮座しています。

由緒等の詳しい事は分りませんが、地元の方に伺ったところ、個人の方が建立されたとの事でした。

以前、通りがかった際は確か畑(?)だった様に思いますが、鎮座地は住宅が建ち並ぶ高安山麓にあります。

それで、境内の石造物の年号を確認しますと、平成二十八年とありしたのでその頃に造営されたと思われ、伊勢神宮遥拝所、手水舎、弁財天等がまつられています。

あと「磐座への道」「福徳への道」の立札がありましたが、境内の隅にイノシシの罠(!)がありましたので、その道へ入るのはマムシ等が活動しなくなる秋以降、高安山歩きの下山時にでも入ってみようと思っています。

しかし、苦手なイノシシは冬でも活動していますが…

私が初めてイノシシと遭遇したのは高安山でした(-_-;)

北川大社1

北川大社2

北川大社3

北川大社4

北川大社5

北川大社6

北川大社7

北川大社8

北川大社9

北川大社10

北川大社11

北川大社12

イノシシの罠

社殿がありませんので磐座が御神体なのでしょうか?(於 八尾市)

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑

  • Day:2018.11.11 21:50
  • Cat:石碑
教興寺の児童公園内に「八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑」が建てられています。

詳しい事業内容は分りませんでしたが、八尾市のサイトに区画整理地区の範囲が示され、現地には住宅が建設され、また道路等も整備されています。

記念碑の建つ児童公園も区画整理事業に伴い整備されたと思われ、周辺は新興住宅地化としていますが、畑等もまだ残っています。

八尾東部、南部ではこの地区同様、区画整理事業が行われた地区が数カ所ある様です。

それで、ここ最近ネタ不足でこの類の石碑を多く取り上げていますが、ネタの尽きるまでブログを更新する所存でございます(-.-)

文章も短くなってきてますが。

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑1

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑2

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑3

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑4

植え込みに隠れてしまってます(於 八尾市)

割竹形石棺蓋

玉手町にある「安福寺」に「割竹形石棺蓋」が保存されています。

詳しくは、柏原市が設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、その説明にもあります様に「玉手山三号墳」から出土したそうで、玉手山三号墳は江戸時代から安福寺の寺領だったそうです。

それで、覆屋内に保存された割竹形石棺蓋には盃状穴(?)が見られます。

あと、安福寺の参道には「安福寺横穴群」があり、府の史跡に指定されています。

現地の説明板によりますと、これら横穴は古墳時代後期のお墓だそうですが、大阪では柏原市にしか見られない珍しいものだそうです。

安福寺と隣接して鎮座する「伯太彦神社」へは、これまで度々訪れていますが、特に安福寺の池を配した山の斜面に広がる庭園を私気に入っていますので、一年を通して訪れています。

静かな場所です。

割竹形石棺蓋1

割竹形石棺蓋2

割竹形石棺蓋3

割竹形石棺蓋4

割竹形石棺蓋5

割竹形石棺蓋6

割竹形石棺蓋7

安福寺

安福寺横穴群1

玉手山横穴

高井田にも横穴があり公園になってます(於 柏原市)

とある風景(その202)

我が家の息子である、長男犬と次男犬が天国に逝って数年経ちましたが、時間があれば出来る限りお墓参りに行く様にしています。

それで、今日もバスに乗ってお墓参りに行って来ましたが、帰りはいつも歩いて自宅まで帰っています。

今日もぶらぶら歩きながら帰りましたが、その途中の善根寺で数年前から道路工事が行われていました。

それで、今年の夏頃に気が付いたのですが、実は道路工事ではなく、河川の開削工事だったようで、生駒山の車谷から流れて来る「大川」をどうも付替える様です。

川の流路変更は、最近の東大阪では珍しいかと思いますが「善根寺浜」と呼ばれた、旧大阪外環状線(東高野街道)より東(山側)で改修工事が行われています。

現在、大川は「津之元地蔵尊」の横を流れていますが、付替え後は埋立てられるのでしょうか?

詳しい事は分らないのですが、また見慣れた風景が無くなってしまうのでしょうか?

大川の改修工事

一部暗渠になっている様ですが(於 東大阪市)

常髙大明神

「常髙大明神」は足代北にあります。

由緒等の詳しい事は分りませんでしたが、稲荷神がまつられています。

それで、木製の燈籠が破損しており、何処の地区や個人の方がお世話されているかは分かりません。

あと、周囲をコンクリートのブロック塀とフェンスで囲まれていますが、ブロック塀に鳥居が描かれていたので、おまつりされている事に気が付きました。

布施の繁華街に近いので、最初は例の「小便するな!」かと思いましたが、この場所にお社があると言う意味でした。

でもやはり、小便するなと言う意味もあるんでしょう?

常髙大明神1

常髙大明神2

常髙大明神3

常髙大明神4

常髙大明神5

常髙大明神6

常髙大明神7

個人でおまつりされているかと思うのですが?(於 東大阪市)

竹渕東の歌碑

  • Day:2018.10.14 19:42
  • Cat:石碑
「平野川」沿いに歌碑が建てられています。

碑には「紅葉ばのながるゝ時は たけ河のふちのみどりも いろかはるらんと」刻まれ、私には歌の内容が分りませんが(…)碑文によりすと、往時の「竹渕川」の清流をここを訪れた事のある「凡河内躬恒」によって詠まれたのがこの和歌で「拾遺和歌集」に残されているとあります。

それで、凡河内躬恒は平安時代前期の歌人だそうですので、歌碑にもある様に千年以上前の平野川の様子を詠んだ歌と言う事になります。

その時代、平野川の流路が固定され、現在の流路とほぼ同様であったかのか?私には分かりませんが、清流と歌われています。

現在、平野川は鋼矢板やコンクリートによって護岸が整備されていますが、清流と歌われた当時の平野川は現状からは全く想像する事は出来ません。

あと、平野川が竹渕川と呼ばれていた事をこの歌碑によって初めて知りましたが、これ以外にも「了意川」と呼ばれていました。

これは御承知の様に、平野川に船運を運行しようとした「安井了意」に因んだものです。

それで、平野川は私の暮らす東大阪市域を流れていませんが、放出駅の西側を流れている、城東運河(平野川分水路)は、幼少期の頃から身近であったかも知れません。

私は片町沿線沿いで生まれ育ちましたので、平野川分水路に架けられている片町線の鉄橋から、いつもこの川を見ていましたので。

清流ではありませんでしたが(-_-;)

竹渕東の歌碑1

平野川の流れ1

平野川の流れ2

平野川分水路の流れ

城東運河も昔はやっぱりドブ川でした(於 八尾市・大阪市)

とある風景(201)

本日は「体育の日」でお休みでしたので、今年後半最初の生駒山歩きに行ってきました。

先ず、安全を祈願する為に聖天さんへお参りに行き、いつもの様にお参り後は歩いて自宅まで帰ります。

6月以来歩いていませんでしたので、結構きつかったのですが、何とか家まで辿り着きました。

それで、やはり先月の台風の影響で倒木や土砂崩れがありましたが、落石も多くありました。

この石が自分を直撃したらと思うと洒落になりません(-_-;)

当分、道を選んで歩く様にしようと思ってます。

帰りはこれもいつもの様に、石切商店街にある馴染みの店(飲食店ではありませんが…)で1時間程、喋りながら休憩させて貰い、体力が回復したので帰宅しました。

営業妨害になるかと思いましたが、お客さんはいつもより多かった(?)様に思います。

あと、今日は何故かマップ片手に歩く若い女の子が多かったのですが、聞くと石切神社で配布しているとの事でした。

石切は普段の休日でも占い等で来る女の子が多い場所ですが、基本じっちゃん、ばっちゃんの来る場所やと思ってます。

当然、私もじっちゃんになりつつある、おっさんですけど。

落石

各ハイキングコースは現在復旧中だそうです(於 奈良県)

長栄寺の地蔵尊

  • Day:2018.10.08 20:11
  • Cat:石仏
長栄寺に地蔵尊があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、よく見ますとお地蔵様では無い様で、錫杖は持たれていますが、槌(?)も持たれて牧師さんの様な衣裳を身に付けておられます。

実はそんな理由もあり、記事として更新するのを保留にしていたのですが、最近ネタ切れ状態気味ですので、今回取り上げました。

それで、石仏の詳細は不明ですが、このお宅の方が個人的におまつりされているかと思われます。

長栄寺の地蔵尊1

長栄寺の地蔵尊2

卍とありますが地蔵堂もちょと変わってます(於 東大阪市)

北高安小学校跡地(その2)

  • Day:2018.10.08 20:00
  • Cat:石碑
水越にある「薗光寺」の境内に「北高安小学校地」と刻まれた石碑が建てられています。

それで、同様の跡碑が大竹の児童公園内に建てられていますが、手持ち資料と八尾市のサイトによりますと、堺県第95番小学校として、水越の薗光寺の本堂を仮校舎に開校されたとあります。

明治六年(1873)から、明治十三年(1880)までこの地にありましたが、その後大竹に移転したのだそうです。

北高安小学校跡(その1)も御参照して頂きたいと思います。

北高安小学校跡地2-1

私の通った小学校もお寺が仮校舎だったそうです(於 八尾市)

とある風景(その200)

10月になり、かなり過ごし易くなりましたので、久しぶりに「東高野街道」から「龍田越え奈良街道」を通り、柏原へと行ってきました。

勿論、単車で行きましたが(?)久しぶりの柏原探索でした。

それで、いつもは高井田から青谷へと向かいますが、今日は少し寄り道して「玉手山」へ行ってみました。

玉手山周辺をぐるぐるしていたところ、公園があったので休憩して一服したのですが、この場所からの眺めが結構良くて、しばしその風景を眺めていました。

この場所に来たのは初めてでしたが、西名阪道路の向こう側に古墳が見えています。

羽曳野方面にも古墳が多く見えていましたが、写真に写る古墳はおそらく「応神天皇陵」だと思います。

応神天皇陵へは小学生の頃、遠足か何かで行ったと思いますが、10年前位に自転車でも行った事があります。

その数年前から、中河内探索を始めました。

今日は、峠から地すべり地帯を通り、雁多尾畑から青谷の山越えで安堂へと抜けました。

先月の台風による、小規模の土砂崩れ等が多くの場所で起こっていましたが、無事帰宅する事が出来ました。

中小企業団地4号公園の眺め

企業団地内にある公園でした(於 柏原市)

清水庵跡

大蓮東に「清水庵跡」があります。

詳しくは説明板がありましたので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、かつて大蓮村には三寺と六庵があったそうで、清水庵はその内の一庵だったと言う事です。

因みに大蓮の廃寺と言えば「大蓮寺」が知られています。

それで、手持ち資料で調べてみますと、宝暦年間には大蓮村内に寺と庵を合わせて十箇所あり、清水庵は摂州(摂津国)大坂天満「寒山寺」の末寺(檀那)であったそうです。

あと、明治二年(1869)には、無住となっていたそうで、その後廃寺となった事になります。

それと、説明にもあります、庵号の由来となっている「清水井」については、寛政から明治初期まで惣村持とありました。

現在、跡地は「清水山観音堂 大念寺」となっています。

清水庵跡1

清水庵跡2

清水庵跡3

清水庵跡4

説明板がありましたのでこの場所が寺跡だと分かりました(於 東大阪市)

とある風景(その199)

先月から今月は家の事情でバタバタして、ブログの更新もお休みしていましたが、当然ながらその間全く何処へも行けませんでした(-_-;)

先週はお彼岸でしたので、お墓参りには行きましたが、3ヵ所あるお墓全てにお参り出来ませんでしたので、本日はその内の1ヵ所である、客坊へお墓参りに行ってきました。

台風が接近していますので、当然天気は雨だと思っていましたが、朝起きると薄日がさしていましたので、素早く準備し、自宅を出ました。

その後、お墓参りを済ませ、いつも客坊から旧外環を下り、自宅方面へと帰ります。

それで、今回の写真は何処の工事現場かといいますと、旧枚岡市庁舎のあった場所です。

旧庁舎は旧外環沿いにありましたが、ものの見事に取り壊されてしまいました。

以前、何処かの記事に書いたと思いますが、東大阪にあったお馴染の建物が次々に取り壊されています。

跡地には何が建つんでしょうか?

旧枚岡市庁舎跡

駐車場の端にあった小さな築山も取り崩されたみたいです(於 東大阪市)

高井田駅開業記念碑

  • Day:2018.09.30 21:09
  • Cat:石碑
JR高井田駅前ロータリーの南側に「高井田駅開業記念碑」が建てられています。

この記念碑は昭和六十年(1985)に建てられたもので、碑文には建設に至った経緯等が刻まれています。

それで、高井田駅は年に一度か二度利用していますが、確かに柏原から河内堅上の駅間はかなり長いので、地域住民の方々にとっては念願の駅開設だったのでしょう。

以前、私の知人が駅の近くまで通勤していた頃は高井田駅は無く、近鉄国分駅で下車して豊国橋を渡り通勤していたそうで、当時駅の周辺には何もなかったとの事です。

現在はコンビニ等も開店し便利になりましたが、青谷方面へ行く際は殆んどコンビニ店前の大和川沿いの道を通りますので、時折利用しています(青谷方面は商店がほぼありませんので…)

あと、思い出した事がありますが、駅より東へ行った場所に以前病院がありました。

その病院は一度だけその前を通った事がありましたが、当時既に閉院していました。

関心のある方はインターネットでお調べ頂きたいと思います。

高井田駅開業記念碑1

高井田駅開業記念碑2

ここは柏原南部探索の拠点ですので度々行ってます(於 柏原市)

高井田耕地竣工記念碑

  • Day:2018.09.30 19:10
  • Cat:石碑
高井田本通にある児童公園内に「高井田耕地竣工記念碑」が建てられています。

この記念碑は皇紀二千六百年(昭和十五年)に建てられてもので、大きく立派な自然石が使われています。

それで、事業内容について詳しい事は分かりませんでしたが、手持ち資料には「高井田村耕地整理組合」とあり、高井田小学校で起工式が行われ、奈良街道から森河内に至る125ヘクタールが耕地整理事業の対象となったそうです。

高井田は大阪市と当時の布施町に接する事から、将来の発展と近郊の集約農業を生かす為の事実上の区画整理として、耕地整が行われたとの事ですが、高井田地区は農村からその後、東大阪でも有数の製造業を行う企業が集まる地区となり、現在は廃業等によりその企業の数も減少し、その跡地に住宅建設が進んだ事による「住工混在」と言う、新たな問題も発生しています。

高井田周辺、特に中央大通り周辺は駅を中心とし、かなり開発された感がありますが、私が幼少の頃(昭和40~50年代)には
まだ田畑も多くあり、長瀬川も重要な灌漑用水の取水元として使用されていた様に思いますが、水はかなり汚れていました。

それで、この記念碑のある児童公園は、いつの時代に設置されたものか分かりませんが、園内にあるベンチ等の設備は雰囲気から(?)私の幼少期頃に整備されたものの様に見受けられます。

あの頃は、この様な公園があちこちにあった様に思います。

高井田はいとこの家があり、土地勘のある場所で、田畑は減りましたが、やはり町工場等の製造業の工場は現在でも多くあります。

高井田を通ると、今でも「工場の匂い」がします。

ある意味、幼少の事を思い出す懐かしい匂いなのかも知れません。

高井田耕地竣工記念碑1


高井田耕地竣工記念碑2

この時代の石碑は立派なものが多いです(於 東大阪市)

とある風景(その198)

今日、久しぶりに「日下新池」に行ってみました。

実は先週から行く予定にしていたのですが、行ってみると平野部とは違い、かなり涼しく感じました。

その後は「大龍寺」「水神宮」にも行きましたが、水神宮のある「車谷」はほんと涼しかったです。

それで、この時期は山歩きは暑さの為、一時お休みしていますが、また秋以降再開するのを楽しみにしています。

因みに、今日は単車で行きました。

暑いですから。

日下新池にて

山の日って何で8月なんやろ?(於 東大阪市)

竹渕東の平和地蔵尊

  • Day:2018.08.19 19:27
  • Cat:石仏
竹渕東に「平和地蔵尊」があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、線香立てと花立てには「小鍋町」とあり、少々調べてみますと、かつて「竹渕小鍋町」があった様ですが、正式な町名なのか?自治会名なのか?詳しい事は分りませんでした。

古くからおまつりされているのでしょうか?

竹渕東の平和地蔵尊1

竹渕東の平和地蔵尊2

竹渕東の平和地蔵尊3

竹渕東の平和地蔵尊4

石仏は新しい時代のものに見えますが(於 八尾市)

六万寺町の道標

  • Day:2018.08.19 19:24
  • Cat:道標
六万寺町に道標があります。

この道標は「往生院」を案内する為に建てられたもので「是より東四丁 往生院道 厄除 觀世音菩薩 并ニ 親鸞聖人自作像」と刻まれていますが、年号等は確認出来ませんでした。

それで、東高野街道(旧大阪外環状線)には「小楠公銅像案内碑」が建てられていますが、その後ろの植え込みの中に建てられています。

この場所は度々通る場所ですが、先週たまたま往生院から西へ下った際、この道標(案内碑)がある事に気が付きました。

以前は植え込みに埋もれた状態ですし(?)東高野街道側から見ると、小楠公銅像案内碑に隠れる様にありましたので、長らくある事に気が付きませんでした(-_-;)

自然石に彫り込みで縁取りされた立派なものですが、おそらく明治以降、大正時代にかけて建てられたのもかと思われます。

六万寺町の道標1

六万寺町の道標2

往生院は普段参拝出来ませんので(於 東大阪市)

とある風景(その197)

今回の「とある風景」は数年に撮った生駒山からの眺めです。

標高の低い場所から撮影したので、建物等がはっきり写っていますが、この中に東大阪では皆さんご存知の建物があります。

中央に「東大阪市役所本庁舎」その左下に「花園ラグビー場」のメインスタンド、あと右下に「旧枚岡市庁舎」があります。

それで、今回この写真を取り上げたのは、残念ながら旧枚岡市庁舎が取り壊されてしまったのがその理由です。

これで、合併前の3市の市庁舎(布施、河内、枚岡)が全て取り壊された事になります。

あと以前、某政党の掲示に「公共施設の再整備計画がスタート」とありました。

このポスターも数年前に撮影したものですが、現在その殆んどが取り壊し、または改修されているかと思います。

「市民会館」「西消防署」あと「旧中央病院」もそうです。

東大阪で育った私としては、この様な公共施設が建替えられるのは、仕方がない事だとは思いますが、それ程長年東大阪で暮らしている証なのでしょうか?

これ以外に「八戸ノ里プール」や「中野プール」もありましたね。

若い人はよう知らん話ですけど。

生駒山から市役所望む

ポスター1

ポスター2

市民会館

でもやはり新しい建物の方がええですけど(於 東大阪市)

本堂の社

本堂にお社があります。

それで、これまでこのお社のある場所は、奈良県の三郷町だと思っていましたので「保留」としていましたが、最近確認しますと、ぎりぎり柏原市本堂でした(-_-;)

ですので、鳥居の奥に祠がある様でしたが、鳥居の写真しか撮影していませんので、今回は鳥居の写真のみとなります。

また、年内に信貴山を訪れますので、その際に祠の写真を撮影しようと思います。

あと、赤い鳥居に「布施 奴鮓」とありましたので、少し調べてみましたが、詳しくは分かりませんでした…

東大阪には「奴寿司」が多くあり(?)私が知っているだけでも数軒あります。

ですので、次回訪れた際に奉納年代等を確認しようと思いますが、さすがに信仰圏の広い信貴山のお膝元ですので、東大阪のお寿司屋さんが鳥居を奉納している事も、何とく納得してしまいます。

詳しくは秋以降、次回訪れた際に確認してからと言う事で。

それでも詳しい事は分らんと思いますが…

本堂の社1

《追記》
写真を追加しました。
詳しい事はやはり分りませんでした。

本堂の社2

本堂の社3

本堂の社4

本堂の社5

本堂の社6

何故ここにおまつりされているのでしょうか?(於 柏原市)

境界石(その4)

日下町に境界石があります。

境界石には「井上」と刻まれていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、これまで取り上げました境界石は、その殆どが生駒山中にありましたが、この境界石は山中ではなく、少し下った住宅街に建てられています。

生駒山中にある境界石とは、違う類のものかも知れませんが、石柱に文字(所有者)が刻まれた境界石を山間部と平野部以外で見たのは、初めてだった思います。

それこそ、現在は生駒山の麓まで住宅が建ち並ぶ様になりましたが、この境界石が建てられた当時は集落以外には殆んど住宅も無く、ごく普通の農村地域だったのでしょう。

それで、この境界石は今後、住宅建設等の理由で撤去される可能性もありますが、道標等の石造物とは違い、所有者がはっきりしていますので(?)仮に撤去されてしまいますと、処分されるかも知れません。

平野部にある石造物は、先述した住宅建設や交通事情により、撤去される事もあり、実際に私のブログで取り上げた石造物の中には、所在不明のものもあります。

重要な文化財ではないかと思いますが、その土地の歴史や変遷を知る手掛かりになる、これら石造物を出来れば保存して頂きたいと思うのは、私だけではないと思います。

どうにかならないものでしょうか?

境界石23

境界石24

今年の春はまだありました(於 東大阪市)

とある風景(その196)

今日は私より先に天国に行ってしまった、長男犬と次男犬のお墓参りに行ってきました。

お墓参りの後、いつも一緒に散歩に行ってた公園にも立ち寄りましたが、やはり当時の事を思い出すと、悲しい気持ちになってしまいます。

それで、このところ休日は殆んど家にいましたので、久しぶりにぶらっとしますと、稲に穂が出ていました。

見た目は殆んど緑に見えますが、ほんのり黄みを帯びていました。

家にいると殆んど季節感を感じる事がありませんが、久しぶりに外でぶらりとしますと、季節が変わっていく気配を感じ取る事が出来ます。

しかし、この暑さはいつまで続くのでしょうか?

今年の夏はほんま暑いです。

たんぼ

はやく秋になって山に行きたいです(於 東大阪市)

日時計

「玉祖神社」の境内に日時計があります。

私、当初これが何なのか全く分かりませんで、神事(?)か何かに使用するものかと、勝手に思っていました。

その後、調べてみますと「日時計」だそうで、御覧頂くと分かります様に、現在と時刻表示が全く違うものとなっています。

それで、いつの時代につくられたものなのか?確認は出来ませんでしたが、私がイメージする日時計と違い、石造で文字が刻まれています。

あと、中央に孔があけられていますが、ここに何か(?)を差し込んで、時間が分かる様になっていたかと思われます。

しかし、当時の時刻表示について調べてましたが、余りよく分かりませんでした。

草木も眠る「丑みつどき」は、怪談話等で耳にする事もありますが…

写真は奈良にある「千光寺」の境内にある、日時計です。

普通、日時計と言うとこんな感じで。

日時計1

日時計2

江戸時代のものでしょうか?(於 八尾市)

あけぼの橋

  • Day:2018.08.13 17:46
  • Cat:石碑
曙町を流れる長瀬川に「あけぼの橋」が架けられています。

その橋の袂には「あけぼの橋」と刻まれた、昭和五十五年年(1980)に竣工を記念して、石碑が建てられています。

おそらく、この小さな橋がそうかと思われますが、この辺りを長瀬川には小さな橋がいくつも架けられてています。

しかし、橋名が表示されている橋は殆んどなく、あけぼの橋以外で橋名が確認出来るのは「れんごうはし」だけでした。

それで、この様にほぼ人しか通れない様な小さな橋は、行政ではなく自治会等の負担で架橋するのでしょうか?

勿論、許可は必要かと思いますが、そのあたりはどうなっているのでしょうか?

時折、個人宅専用に架けたと思われる橋を見かける事もありますが。

あけぼの橋1

あけぼの橋2

石碑もそれなりの値段でしょうが(於 八尾市)

とある風景(その195)

今年は例年より早くお盆休みに入りましたが、何せこの暑さですので、屋外活動(?)は全くしておりません。

しかし、このところ朝夕は若干過ごし易くなりしたので、朝早起きして久しぶりに釣りに行ってきました。

写真は風景ではありませんが、本日の釣果はこの二匹でした。

魚種は「ギンブナ」「カダヤシ」ですが、カダヤシは普通釣る魚ではなく、網等ですくう様な小さな魚で「グッピー」程の大きさです。

しかし、何故か今日は釣れてしまいまして、実のところ私も「よう釣れたなぁ」と驚いています。

勿論、釣ったのは初めてです。

それで、今回釣りあげたフナはギンブナですが、中河内の郷土料理に「河内ぶなの昆布巻き」と言うものがあったそうです。

因みに、河内ぶなとは所謂「ヘラブナ」の事で、現在は釣り用に養殖され、東大阪はその産地となっていますが、かつては食用にもされていました。

昆布巻きを「こんまき」と呼ぶのが河内訛風ですが、ふな一匹を丸ごとを昆布で巻き煮いた料理で、長く煮いても煮崩れする事もなく、硬い骨も一緒に食べられたそうです。

この料理は中河内の農家で、10月の秋祭りに他の料理と共に供される「ハレ食」だったそうで、稲作農家が灌漑用の溜池で育った河内ぶなを食材に利用した、郷土食だと言う事です。

私、何度かフナを食した事がありあすが、美味しく頂くのは、やはり料理の仕方次第でしょうか?

こぶな

釣ったカダヤシ

魚も水温の低い木陰に集まっていました(於 東大阪市)

衣摺の子育て地蔵尊

  • Day:2018.08.10 20:49
  • Cat:石仏
衣摺に「子育て地蔵尊」があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、地蔵堂も石仏も新しいものですが、平成四年に建立されたとありました。

平野区との境界近くにあります。

衣摺の子育て地蔵尊1

衣摺の子育て地蔵尊2

衣摺の子育て地蔵尊3

この場所におまつりされた経緯が少々気になりましたが(於 東大阪市)

東大阪都市計画西部土地区画整理事業竣工記念碑

  • Day:2018.08.10 20:42
  • Cat:石碑
布施公園内に「東大阪都市計画西部土地区画整理事業竣工記念碑」が建てられています。

建立年は確認出来ませんでしたが、市長として「伏見さん」の名が記されていましたので、在任期間(昭和45年~57年)に建てられた事になります(私の世代では東大阪の市長と言えば、伏見さんでしょうか?)

事業内容の詳細は分かりませんでしたが、東大阪市のホームページによりますと、昭和40年(1965)から昭和48年(1973)まで整理事業が行われ、115ヘクタールが区画整理されたとの事でした。

おそらく、布施公園は土地区画整理事業の際に整備されたかと思われますが、現在改修工事が行われ、再整備される様です(?)

それで、昭和40年代と言えば、私の幼少期にあたりますが、吹田で万博が開催されて以降、私の出身地域である東大阪西部はこの時期から、都市として大きく変わって行ったのだと思います。

中央大通り、阪神高速東大阪線、機械団地、文具団地、金物団地等もこの頃に建設されたものですが、当時これ等道路、施設周辺にはまだ田畑も多く残り、新しい時代と古い時代が混在していた時期なのかも知れません。

これまで、東大阪全体の移りかわりをそれ程気にする事無く、暮らして来ましたが(-_-;)

東大阪都市計画西部土地区画整理事業竣工記念碑1

東大阪都市計画西部土地区画整理事業竣工記念碑2

東大阪都市計画西部土地区画整理事業竣工記念碑3

高井田周辺も店舗等が増えて賑やかになりました(於 東大阪市)

とある風景(その194)

本日は父の日でしたので、久しぶりに実家へと帰りましたが、ついでに生まれ育った稲田周辺もぶらぶらしてみました。

最近、帰る度に「ふるさと」の風景は変わって行くのですが、徳庵の商店街は人出も少なく、私が幼少の頃と比べると、ほんと淋しい限りです。

稲田の宮さんにお参りし、今日は「徳庵神社」へもお参りに行きましたが、その後近隣地区の「川俣」「西堤」「長田」「森河内」にも立ち寄りました。

それで、かつて稲田には「菱江川」が流れていましたが、現在遊歩道に整備されています。

記事を書く都合上、菱江川と記していますが、実は今でも「風呂屋の裏のドブ川」と呼び、当時は周辺の汚水が普通に流され、子供の頃は立小便するわと何でもあり状態で、時折動物の死骸も流れて来る事もありました。

そんな菱江川も今は無く、今この歳になり川跡の遊歩道を歩いています。

かつて川だった場所を歩く事は不思議な感覚ですが(勿論、川だった頃は川を歩いたりしませんでしたが…)川沿いの風景もすっかり変わり、新しい住宅が建ち並んでいます。

だだ、お風呂屋さんの煙突だけが当時のまま建っています。

昔は川沿いに数軒の銭湯がありましたが、今は一軒だけとなってしまいました。

昔とすっかり変わってしまった地元稲田界隈ですが、考え方を変えると、自宅から近い場所に生まれ育った場所があるのも、幸せな事なのかも知れません。

子供の頃、田舎のある友達が羨ましかったですけど。

父の日に菱江川跡にて

子供の頃この辺で遊んだなぁ(於 東大阪市)

永和の北向延命地蔵尊

  • Day:2018.06.17 21:16
  • Cat:石仏
永和に「北向延命地蔵尊」があります。

地蔵堂内には、丸彫りの地蔵菩薩立像一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

石仏は新しい時代のものだと思いますし、民家の前に地蔵堂が建てられていますので、個人の方や自治会でおまつりされているのでしょうか?

永和の北向延命地蔵尊1

永和の北向延命地蔵尊2

テレビで映っていました(於 東大阪市)

船板塀(その6)

八尾に船板塀がありました。

これまで取り上げた船板塀と同様、蔵の一面に施されています。

それで、この船板塀には多くの「船釘」が残されていますが、釘の打ち方が良く分かるかと思います。

私以前より、釘だけで繋ぎ合わせた木造船が、何故浸水しないのか?今でも不思議に思っています。

それは、長く受け継がれきた先人の知恵でしょうが、またその部材を外壁として再利用する発想にも驚いてしまいます。

かつて水路に浮かんでいた木船を見る事は出来ませんが、建物の外壁として今も木船は残されている事になるのではないかと思います。

船板塀6-1

船板塀6-2

船板塀6-3

船板塀6-4

船板塀6-5

船板塀6-6

船板塀6-7

船板塀6-8

八尾は船板塀多いです(於 八尾市)