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玉手町の地蔵尊(その3)

玉手町に地蔵尊があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。

石仏は摩耗と風化がある様ですので、古い時代のものかも知れませんが、蓮華台と台石は後補されたものかと思われ、総高は石仏の倍程となっています。

それで、この地蔵尊は旧玉手山遊園地入口手前にあります。

玉手山遊園地は幼少の頃に訪れた場所ですが、当時遊びに訪れた遊園地の内、現在も営業しているのは「生駒山上遊園地」と「枚方パーク」のみとなってしまいました。

でも、生駒山上遊園地は今も生駒歩きの際に訪れています(夏季以外ですけど…)

玉手町の地蔵尊3-1

玉手町の地蔵尊3-2

玉手町の地蔵尊3-3

昔からおまつりされていたのでしょうか?覚えていません(於 柏原市)

柏村町の顕彰碑

柏村町にある、児童公園内に顕彰碑が建てられています。

碑文によりますと、八尾市教育委員と委員長を務められた三好氏が、居宅跡を公園用地として寄贈されたとあります。

住宅街にある公園としては普通の規模かと思いますが、住宅の敷地としてはかなり広いと思います。

教育委員会に努められた方なので、地区の子供達への思いから公園用地として、寄贈されたかと思います。

あと、玉串川沿いにも個人の方が寄贈された敷地が、公園として整備されていますが、こちらは玉串川沿いにありますので、御存知の方も多いと思います。

柏村町の顕彰碑1

柏村町の顕彰碑2

柏村町の顕彰碑3

高井公園1

高井公園2

南北は家三軒分位の長さです(於 八尾市)

楠根川(その13)

長田にある民家の外塀に木が埋め込まれています。

長田の旧村は東西に細長く続き「長田神社」と「番ノ辻」付近を中心に開けたと考えられるそうですが、その旧村部の北側を通る道は「楠根川」の右岸堤防跡にあたり、この道を東へ行くと「新家堤」と呼ばれた、楠根川の副提跡へと続きます。

それで、民家の外塀に埋め込まれた木は椿の木だそうですが、椿の木は成長が遅いそうで、この木は樹齢約500年と言伝えられているそうです。

この事からも、この道が堤防上に出来た証となるかと思いますが、かつて長田は楠根川の氾濫による、水害に度々見舞われたそうです。

長田の旧家が石積の上に家が建てられているのは、昔からのならわしだそうで、それは水害に対する工夫だと思われますが、江戸時代の長田の記録を調べてみますと、楠根川についても記されており「村内楠根川 是ㇵ水上者赤川、下ㇵ楠根川与申、当村ゟ…」「是は当村添ニ御座候而」とあり、この川が赤川(悪水井路・農業用排水路)だった事が分ります。

あと、延享・天保・宝暦年間には「龍骨車」が21両あり「是ㇵ用水、悪水かき申候」と記されていますが、これは冠水が激しかった為、川俣にあった堰に龍骨車を並べ、楠根川に排水したと伝えられているそうです。

かつては水害に悩まされた長田ですが、かつて周辺にあった多くの水路は埋立てられ、道路等に整備されていますが、第二寝屋川開削等の治水対策の結果、現在は水害とは無縁の地区となっているかと思います。

長田は私の実家である稲田から自転車で5、6分の場所にあり、幼少期より土地勘がありますが、数年前まであった水路も埋立てられ、新たな家が建てられたりと、その風景も変わりつつあります。

同様の事は稲田周辺でも言える事なんですが…

楠根川13-1

楠根川13-2

楠根川13-3

楠根川13-4

楠根川13-5

楠根川13-6

確かに道は微高地になっています(於 東大阪市)

とある風景(その193)

今日は聖天さんへお参りに行って来ましたが、暑いので電車とケーブルカーで行って帰って来るつもりでした。

でも、久しぶりに山歩きがしたくなったので、意を決して(?)歩いて行きましたが、やっぱり暑かったです(-_-;)

冬に比べると、一時間程歩く時間が余計にかかりましたが、無事下山する事が出来ました。

もう秋まで生駒行きません(笑)

それで、冬に比べると木々の緑や鳥の鳴き声も多くなりますが、梅雨から夏の楽しみでもある「アジサイ」もつぼみを膨らませていました。

九州南部では梅雨入りしたそうですが、大阪も来月梅雨入りするのでしょう。

帰路は辻子谷で下山し、石切参道商店街でよもぎ団子を買って帰りましたが、よもぎ団子は厄除けの意味もあると聞きました。

単に私は美味しいので好きなだけですが。

あじさいのつぼみ

ほんま暑かったですわ(於 東大阪市)

下六万寺町の御堂

下六万寺町に御堂があります。

堂内を確認してませんが(無造作に扉を開けるのは少々気が引けますので…)お地蔵様、お大師様がまつられているのでしょうか?

屋根に宝珠があった痕跡(?)もあり「卍」が見当たりません。

それで、六万寺の廃寺について調べてみますと、かつて村の西端に「長善寺」と呼ばれる寺院があり、明治六年に廃寺となったそうですが、このお堂と関係があるのでしょうか?

児童公園の一角にあります。

下六万寺町の御堂1

下六万寺町の御堂2

下六万寺町の御堂3

カテゴリーは仏像とさせて頂きます(於 東大阪市)

静電誘導対策樹木

生駒山には多くの樹木が生い茂っていますが、その多くの樹木の中に「静電誘導対策樹木」と表示された木がありました。

木の種類等は私には分かりませんし、静電誘導対策樹木と言うものも、この表示を見て初めて知りました。

それで、静電誘導対策樹木とはどの様な木なのか?それもよく分かりせんが、表示板に「電源開発(株)管理」とあります。

インターネットで調べてみましたが、興味のある方は「電源開発株式会社」のホームページを御覧頂きたいと思いますが、ここ大阪で関西電力以外に電気事業を行っている会社がある事も初めて知りました(現在は電力自由化となっていますが)

日常の生活に欠かす事の出来ない「電気」ですが、その供給のシステムについて知らない事が結構あるものだと思います。

電気料金以外は普段それ程、気にもとめませんせんので…

尚、【2】の木は伐採された様です。

静電誘導対策樹木1

静電誘導対策樹木2

静電誘導対策樹木3

静電誘導対策樹木4

静電誘導対策樹木5

静電誘導対策樹木6

静電誘導対策樹木7

静電気が誘導される木なのでしょうか?(於 東大阪市)

とある風景(その192)

初夏を思わせる日が多くなり、好きな山歩きは暑いのでお休みしています。

この時期は自転車や単車で移動する事になりますが、今日は自転車でぶらぶらしてました。

適当に行きたい場所を決めて、あとは予定は立てずに思い付きで行くのが、最近のやり方ですが、今日はとりあえず恩智川を南下して恩智まで行き、そこから久しぶりに市内の平野から永和まで行き、帰り際に花園の商店街のはずれにある和菓子店で最近気に入っている「生チョコレート餅」を買って帰宅しました。

私、甘い物大好きですので。

それで、東大阪を流れていない「平野川」で休憩して一服していると、堰の落ち込みの所で丸いものがくるくる回転していました。

良く見るとサッカーボールで、それも2つ並んで回転しています。

何となく眺めていましたが、自然に下流へと流されて行きました。

しかし、堰で泡がたっているのが、市街地を流れる川って感じで、私の子供の頃の汚れていた川を思い出します。

まあ、平野川に限らず、長瀬川や玉串川も昔と比べるとかなり綺麗になったと思いますが。

その後、アジア系の外国人の方々が、流れているサッカーボールを発見し、平野川入って2個とも回収していました・・・・・

買うた事ないですが、サッカーボールって何ぼくらいするんでしょうか?

平野川にて1

平野川にて2

見た目はそんな汚い感じはしませんけど(於 八尾市)

郡川の地蔵尊

郡川に地蔵尊があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。

それで、以前この場所に地蔵堂はありませんでしたが、ある日訪れると地蔵堂がありました。

あと、石仏は状態から推測して古い時代のものと思いますが、私は観音様にも見えました。

小さな地蔵堂です。

郡川の地蔵尊1

郡川の地蔵尊2

郡川の地蔵尊3

何処かのお宅内でおまつりされていたのでしょうか?(於 八尾市)

唐臼の台

かなり久しぶりに「唐臼の台」の更新となりますが、今回は「ちょっとええ感じで置いてある」唐臼の台です。

殆んどのものが、道端に車の衝突防止用(?)に無造作(?)に置いてある唐臼の台ですが、軒先に草花と一緒に置いてあったり、中には置いてある横に自然に花が咲いたものもありますが、今回はそんな唐臼の台を取り上げてみました。

それで、当初珍しさから、見かけると必ず写真撮影していましたが、私が思っていた以上に何処にでもあるので(…)ここ数年は見かけても写真撮影していませんでした(-_-;)

まあ、それだけその昔は多く使われていた事となるのでしょう。

ほんま、休みの日に外に出ると必ず見かけます。

唐臼の台29

唐臼の台30

唐臼の台31

唐臼の台32

唐臼の台33

唐臼の台34

まだ写真あるんですが(於 東大阪市・八尾市)

曙川北土地区画整理事業竣工記念碑

八尾木北にある公園内に「曙川北土地区画整理事業竣工記念碑」が建てられています。

碑文によりますと、八尾市として最初の土地区画整理事業で、市域のほぼ中央に位置する62ヘクタールを昭和45年に着工し、昭和52年に竣工したそうです。

この地域の市街化の促進を図る為、総工費17億円を投じて「東大阪中央線」をはじめ、総延長15キロメートルの道路網及び公園が整備されたそうです。

尚、八尾市のホームページでこの事業について閲覧する事が出来ますので、そちらも御覧頂きたいと思いますが、私少し気になったのが「東大阪中央線」です。

この道路についてインターネットで調べてみますと、基本的には廃止となった様ですが、東大阪市域では本庄から横枕春日神社の横まで幅広の道路が通っています。

これが「名残」だそうですが、言われてみますと八尾にも同様の名残があります。

以前から「何でここにこない広い道路通ってんやろ?」と思っていましたが、理由はそれだったんですね(-_-;)

それで、記念碑はコンクリート製(?)の台石に、子供のブロンズ像が座っている珍しいものです。

プレートが無ければ、公園内にあるモニュメントの様です。

ブロンズ像と碑の組み合わせは『後の世代に』との思いでしょうか?

曙川北土地区画整理事業竣工記念碑1

曙川北土地区画整理事業竣工記念碑2

耕地整理記念碑としては珍しいです(於 八尾市)

北亀井町の一願地蔵尊

北亀井町に「一願地蔵尊」があります。

地蔵堂内は小さな厨子が納められていましたが、仏像のお姿は見えませんでしたので、詳しい事は分りませんでした。

それで、以前からこの辺りでおまつりされていたかどうかは分かりませんが、JR八尾駅周辺の開発で道路等が新たに整備されたと思われますので、現在おまつりている場所も以前はどの様な場所だったのでしょうか?

私は地元の人間ではありませんので、その事については分かりませんが、閉鎖された龍華操車場があった頃の風景は"何となく"記憶があります。

子供の頃は鉄道少年で操車場に機関車を見に来ていた事がありましたので。

あと、地蔵尊にマッチが置いてあるのですが、そのマッチには女性の写真が印刷されています。

モデルの女性の髪形や化粧、服装から察すると、私がここへ機関車を見に来ていた時代の昭和40年代後半から昭和50年代頃のものでしょうか?

マッチについて詳しい事は分りませんが、当時の女性ってこんな感じだったと思います(?)

こんなマッチ箱初めて見ましたが…

北亀井町の一願地蔵尊1

北亀井町の一願地蔵尊2

北亀井町の一願地蔵尊3

北亀井町の一願地蔵尊4

北亀井町の一願地蔵尊5

ほんまこのマッチ箱エエ感じですわ 何や知らんけど(於 八尾市)

太田尋常小学校跡地

前回「三木本尋常小学校跡地」を取り上げましたが、その三木本尋常小学校は大正時代に「太田尋常小学校」と統合され「大正尋常高等小学校」となりました。

現在、太田の学校跡地には「太田尋常小学校跡地」の石碑が建てられています。

碑文には、明治七年(1874)に太田尋常小学校が設立され、大正十一年(1922)に三木本尋常小学校と合併し移転したとあります。

それで、手持ち資料によりますと、明治七年十月(一説では十一月)に第百五十一番小学として設立とあり、当時学区は番号により呼称されていたそうですが、明治八年(1875)に所在地の町村名で呼称される事となり、第百五十一番小学は太田小学と改称されたそうです。

あと、当初校舎は寺院が借用され、生徒数は男子85名、女子34名で教員は二名だったそうです。

前回から続けての小学校跡地を取り上げました。

太田尋常小学校跡地1

八尾菊花ライオンズクラブの寄贈となっていました(於 八尾市)

とある風景(その191)

先週、かなり久しぶりに淀川まで釣りに行ったのですが、八雲わんどは工事や漂着したゴミで適当な釣り場がなく、仕方なく城北わんどへ移動しました。

しかし、多くの釣り人でこちらも殆んど釣り場がなく、結局淀川河川敷をサイクリングした事になり、そのまま帰宅しました(殆んど誰も釣れていませんでしたけど…)

それで、今日は自宅近くの以前釣りをした事のある某所へ釣りに行ってみましたが、無事に魚を釣る事が出来ました。

今日は小ブナ等の小さな魚狙いでしたが、それ以上に小さな魚が多く、餌だけ取られてその後は釣りになりませんでした。

一旦竿を納め、一服しているとコイ釣の方が来られたのですが、その方とその他の顔馴染の方々と2時間程世間話して、コイが釣れるのを見ていました(結局釣れませんでした)

その後、池島まで魚がいそうな場所を捜しに行きましたが、農繁期前で水路等は水深が浅く、魚影も見えませんでしたので、また田植えの時期の前に再度『偵察』しに行く予定です。

次回は仕掛けと餌を工夫して、ちっちゃな魚を沢山ってやろうと思ってますが…

それで、家に帰る途中に花園中央公園を通って帰りましたが、現在ラグビー場は改装工事中です。

その理由は御承知だと思いますが、ラグビーのワールドカップが開催されるからです。

「ほんまにここでやるん?」と思いつつ、ラグビー場を後にしました。

東花園の駅前もえらい綺麗になってました。

ラグビー場工事中

高校ラグビーでもたいがいえらい人ですのでもっとえらい人になるんやろな(於 東大阪市)

長堂の延命地蔵尊(その2)

長堂に「延命地蔵尊」があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。

個人でおまつりされているのでしょうか?

商店街沿いにあります。

長堂の延命地蔵尊2-1

長堂の延命地蔵尊2-2

長堂の延命地蔵尊2-3

布施の商店街は食物屋さんは今も結構ありますね(於 東大阪市)

三木本尋常小学校跡地

木の本に「三木本尋常小学校跡地」の石碑が建てられています。

碑文によりますと、明治六年(1873)に三木本尋常小学校が設立され、後の大正十一年(1922)に太田尋常小学校と合併し、大正尋常小学校(現大正小学校)と改称、移転したとあります。

それで、手持ち資料で調べてみますと、明治六年六月に第九十五番小学設立とありました。

あまり詳しい事は分かりませんでしたが、この地域の行政区画の変遷はやや複雑(?)で、三木本村が成立したのが明治二十二年(1889)ですので、明治六年創立の小学校名に使用されていたと言う事は、以前から三木本は木の本三村の総称だったのでしょうか?

現在、跡地には住宅が建ち当時の名残は全くありませんが、跡碑のすぐ近くを水路が流れ、小さな橋が架けられています。

東方に水路を辿ると、明治の年号が刻まれた石の樋門がありますので、この水路も明治以前から流れていた事になりますが、当時の子供達はこの水路を見ながら登下校していたのかも知れません。

その水路も一部を除いて、暗渠となっています。

三木本尋常小学校跡地1

ネタが少なくなりましたので石造物の記事が多くなります(於 八尾市)

茅葺の家(その18)

八尾に茅葺のお宅があります。

建築年代等の詳しい事は分りませんが、方入母屋造りの立派なお宅です。

街道沿いにありますので、インターネットのサイト等でも写真が掲載されていましたが、今回は方入母屋造りが分かる方向から撮影した写真を掲載させて頂きました。

街道沿いからは、切妻側に塗られた白の漆喰が見えています。

茅葺の家18-1

茅葺部分が広いです(於 八尾市)

とある風景(その190)

これまで中河内では行った事が無い場所は、ほぼ無いと自負していた(?)私ですが、実は八尾南駅の北側へは行った事がありませんでした…

ここ最近は山歩きを一旦お休みして、自転車に乗る事が多いのですが、昨日八尾空港に飛行機を見に行った際、初めて(?)駅の北側へ行ってみました。

それで、この地区には八尾飛行場跡地がある事は知ってはいましたが、予想していた以上に広い敷地で、あと駅の側に地下鉄の車庫がある事も今回初めて知りました(木の本や太田周辺には定期的に足を運んでいますが…)

その飛行場跡地内にコンクリート製の建造物がありましたが、何なのか?分かりませんので、インターネットで調べてみても良く分かりませんでしたが、戦時中の遺構と言う事でした。

あと、インターネットで大阪の戦争遺跡を調べていると、星田に戦時中日本軍の戦闘機が墜落した場所があるとの事でした。

実は今日、たまたま星田にある墓地にお参りにく予定でしたので、墓参りを済ませた後にその場所へと行ってみましたが、その場所には鎮魂碑が建てられています。

場所はJR星田駅からすぐの場所にありました。

その後はウォーキング(?)で、野崎さんにお参りに行き、帰路の途中にある善根寺の老舗和菓子店(創業100年との事です)でおはぎを買って帰りました。

顔が真っ黒になりました。

八尾飛行場跡地

星田の鎮魂碑

航空関連の戦争遺跡でした(於 八尾市・交野市)

恩智中町の出世地蔵尊

「出世地蔵尊」は恩智中町にあります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。

丸彫りの小さなお地蔵様ですが、新しい時代のものかと思います。

電話ボックスの横に地蔵堂があります。

恩智中町の出世地蔵尊1

恩智中町の出世地蔵尊2

恩智中町の出世地蔵尊3

いつもよく通る恩智川沿いにあります(於 八尾市)

菫橋の親柱

府立高校の校門前に「菫橋」の親柱が一基保存されています。

現在も府立高校の南角に菫橋は架けられているのですが、交差点の一部となり殆んど橋と言う感じではありません。

暗渠と言った感じでしょうか?

それで、手持ち資料にたまたま昭和57年頃の菫橋の写真がありましたが、現在と殆んど変わりませんでした(-_-;)

「菫」と言う綺麗な名の橋ですが、いつも見ても下部が汚れているのがちょっと…

菫橋の親柱1

校門前にありますが目立つ事なく建っています(於 八尾市)

中高安小学校発祥之地

「光明寺」の境内に「中高安小学校発祥之地」と刻まれた石碑が建てられています。

以前「中高安小学校跡」の石碑を取り上げましたが、残念ながらこの長い歴史のある小学校は現在閉校となっています。

この石碑は跡碑と同様に創立百周年を記念して、昭和四十七年(1972)に建てられたもので、碑文には創立時の「堺縣服部川百三十六番小学校」とあり、インターネットにて詳しい沿革を知る事が出来ます。

あと、手持ち資料によりますと、明治十四年(1881)に堺県の廃止後、服部川は大阪府の管轄となり、校名は「服部川小学校」と改称され、明治十一年(1878)の時点で生徒数男子72人、女子が18人、就学率が34%だったそうですが、女子に限っては14%と学齢人口が124人に対して低い就学率となっています。

八尾市では学制の歴史を伝える、多くの石碑が建てられていますが、近年の少子化等で児童数が減少し、歴史ある学校が廃校となるのも仕方がない事なのでしょうか?

自分が卒業した学校が無くなってしまう事は、やはり淋しい事です。

中高安小学校発祥之地1

因みに私の卒業した小学校は創立146年だそうです(於 八尾市)

とある風景(その189)

今日は自転車に乗って柏原へ行く予定でしたので、昨晩簡単なメンテナンスをしておきましたが、目的地は決めずに取りあえず自宅を出発しました。

それで、恩智川沿いを南下しながら、ふと「玉手山へ行こう」思い、取りあえず「玉手山遊園跡」を目指しました。

現在、山手山遊園地は「玉手山公園」となっていますが、私が幼少の頃は「あやめ池遊園地」「生駒山上遊園地」と並び、定番の遊園地で、祖父や祖母、また子供会等で遊びに行ったものです。

しかし、無事到着しましたが、汗ばむ程の気温でしたので、少しだけ思い出にふけってから、公園を後にしました。

その後、平野川、長瀬川界隈をぶらぶらしていましたが、偶然にも今日は文化財指定である「三田家住宅」「寺田家住宅」が公開されていました(本当にに今日公開の件は知りませんでしたのでラッキーでした…)

今回、初めて住宅内へ立入り、当主の方が多くの見学者の方に説明され大変そうでしたが、次から次へと見学者が訪れていました。

築100年以上の家って、ほんま重みがありますね。

見学後、八尾空港に行ってヘリコプターを見てから、何処をどう通ったか分からないのですが、最後自宅から程近い「稲葉神社」へ立ち寄り帰宅しました。

今日は柏原ではイベントが開催されていた様で、詩吟大会も行われていましたが、時折大和川の河川敷で詩吟の練習(?)をされているのは、それが理由だったんでしょうか?

あと「植田家住宅」まで行きましたが、観覧はせず周辺をぶらぶらしていると、歩こう会の女性2人が道に迷っている様でしたので、声を掛けると偶然にも一人の方は、私の地元である「稲田」から来られたと言う事でした。

安中で偶然にも稲田の人間同士が出会うのも何かの縁(?)でしょうか(-_-;)

それで、写真は柏原に来るとほぼ必ず訪れる「築留二番樋」で、桜の花が散った後は大和川の堤防のツツジが咲き始めます。

築留二番樋にて

親柱は見当たりませんでした(^^)(於 柏原市)

相生町の地蔵尊(その3)

相生町に地蔵尊があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。

石仏、地蔵堂共に新しいものかと思います。

奈良街道から植松の墓地の向こうに地蔵堂の屋根が見えてます。

相生町の地蔵尊3-1

相生町の地蔵尊3-2

地蔵堂の裏がお墓です(於 八尾市)

山本新田の境界石

山本町に「山本新田」の境界石が建てられています。

境界石は二基あり、それぞれに「天保五甲午 再 六」「天保五」と刻まれ、天保五年(1834)に建てられた事が分ります。

江戸時代、大和川付替後に山本新田が開墾され、宝永五年(1708)と享保六年(1721)に検地を受けたそうですので、最初の検地から120以上経った後に、境界石が設置された事になります。

現在、山本は八尾市内では高級住宅街のイメージがありますが、当初は新田に営まれた三十軒余りの寒村だったそうです。

それで、今回の境界石は旧玉串川の左岸に建てられていたものですが、以前取り上げました「福万寺町の標石」は、おそらくこの境界石同様、山本新田の境界石だと思われます。

福万寺町のものは右岸側にあり、年号等は確認出来ませんでしたが、刻まれた文字は「山木」ではなく「山本」だと思われます(多分…)

二基の境界石は、約200年近く人知れず建っている事も少々驚きですが、山本と言う土地の歴史を伝える、小さな貴重な石造物でもあります。

山本新田の境界石1

山本新田の境界石2

山本新田の境界石3

山本新田の境界石4

山本新田の境界石5

山本新田の境界石6

文字が刻まれていなかったら普通の置石にしか見えません(於 八尾市)

とある風景(その188)

昨日、久しぶりに「布施のえべっさん」へお参りに行きました。

あと、布施の商店街へも行くのも楽しみなんですが、昔の賑わいが懐かしくなる程、人通りも少なく、閉店している商店が殆んどではないでしょうか?

私が小学生の頃は土曜日の放課後に「マクド」までハンバーガーを食べ行った事もええ思い出です。

当時、多分東大阪には布施にしかマクドがなかったと思いますので、わざわざ布施まで食べに行ったのですが、京橋の「ドムドムバーガー」も好きでした(^^)

それで、すっかり淋しくなった商店街を後にして、近くにある「三ノ瀬公園」で休憩しました。

山だと鮮やかな新緑を見て季節の移り変わりを感じますが、結構公園の緑もええ感じです。

しばし、新緑鮮やかな大きな木を眺めていました。

あれ、何の木やろ?

三ノ瀬公園にて

私公園でよく一休みします(於 東大阪市)

渋川町の地蔵尊(その2)

渋川町に地蔵尊があります。

石の地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分かりませんでした。

石仏は新しい時代のものの様で、個人の方がおまつりされているのでしょうか?

交通量の多い道路沿いにあります。

渋川町の地蔵尊2-1

渋川町の地蔵尊2-2

渋川町の地蔵尊2-3

交通安全祈願の為におまつりされているのでしょうか?(於 東大阪市)

田植宮

「田植宮」は郡川にあります。

由緒等の詳しい事は分りませんでしたが、自然石に「田植宮」と刻まれた社標と石造の駒狐があります。

それで、この場所は旧大阪外環状線沿いになりますが、私が単車で柏原方面へ移動する際は通る機会が多く、また以前から自転車でも移動の際にも通っていましたので、ある事自体は分かっていました。

しかし、よく企業等でおまつりされているお社だと思っていました。

詳しい事は分りませんが、郡川に知り合いがいますので、お話しを伺おうと思っていたのですが、なかなかその機会がありません。

お社の前には田畑が広がっています。

田植宮1

田植宮2

田植宮3

田植宮4

田植宮5

田植宮6

田植宮7

何故こんこんさんなのか気になりますが(於 八尾市)

龍華寺跡

陽光園にある公立小学校の角地に「古蹟 龍華寺址」と刻まれた石碑が建てられています。

「龍華寺」については、現地に八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、寺跡地は小学校及びその西側周辺と推定されているそうで、その南側が旧大和川の堤防跡となっています。

天文二年(1533)に大和川が決壊した際、龍華寺は既に所在不明であったそうですが、氏神である「渋川神社」が流失し、家々の流出材や流木は、東大阪の花園まで流れ着いたのだそうです。

その後、龍華寺は渋川神社が現鎮座地に再建された後、天正年間に神社南側に神宮寺として再建されたそうですが、明治時代の神仏分離令により神社から分離し、その後小さな観音堂となったそうです。

それで、確認はしておりませんが「植松観音堂」に「元神宮寺」とありますので、御本尊の観音様は現在この場所でおまつりされているのでしょうか?

あと、石碑は昭和五年(1930)に当時の龍華町によって建てられたもので、当初は西方の道傍に建てられたそうですが、その後小学校の校内に移設され、更に現所在地へと移設されています。

龍華寺跡1

龍華寺跡2

龍華寺跡3

写真で石碑は見た事がありましたが(於 八尾市)

とある風景(その187)

先月は家の事情でブログの更新と山歩きを少しお休みしていましたが、今週から休日に自分の時間をとれる様になりましたので、久しぶりに山に行ってきました。

それで、本日は高安山から十三峠まで歩いてきましたが、気温は低めで台風並み(?)の強風が吹く中、取りあえず「鳴川峠」を目指します。

実は鳴川峠(または客坊谷)で下山する予定でしたが、あまりにも風が強かったので、十三峠で下山する事にしました(-_-;)

途中、ハイカーの方とも殆んどすれ違いませんでしたが、十三峠まで来ると多くのハイカーの方が歩かれ、十三峠は地元の方がお参りや散歩で歩かれる事も多い道の様ですので、手軽で人気コースなんでしょう(^^)

道も歩き易いですが、以前地元の方にイノシシの目撃情報と、ここではちょっと書けない恐い話(…)を伺いましたので、なるべく日中の人が多く歩かれる時間帯に歩く様にしています(?)

無事、麓まで辿り着きましたが、今年初めてれんげの花が咲いているのを見かけました。

先週、近くの緩衝緑地公園や恩智川沿いは、桜の花が綺麗に咲いていましたが、季節の移りかわりもこれからは週毎となっていくのでしょう。

次は生駒山のつつじが楽しみです。

れんげ

今はあまり季節感の無い時代ですが花を見ると季節を感じます(於 八尾市)

老原の地蔵尊(その2)

老原に地蔵尊があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、地蔵堂前には線香立と花立がありますが、線香立には「観世音講」とありましたが、観音様もまつられていたのでしょうか?

すぐ近くにお寺があります。

老原の地蔵尊2-1

老原の地蔵尊2-2

老原の地蔵尊2-3

地蔵講はあるのでしょうか?(於 八尾市)

玉串町西の八代龍王

玉串川と第二寝屋川の交差する場所の近くに「八代龍王」の社があります。

詳しい事は全く分かりませんが、この辺りは足を運ぶ事が多い場所で土地勘もありますので、20年位前にはお社があった様に思います。

それで、石造物の年号を確認しますと、昭和五十五年(1980)となっていました。

周囲の住宅に隣接して、取り囲まれる様におまつりされていますが、この場所におまつりされている理由は不明です。

あと、お社の建つ向きも気になりました。

玉垣、燈籠、手水鉢の石造物も立派なもので、社地は一戸建て住宅一軒分の敷地程はあるでしょうか?

玉串町西の八代龍王1

玉串町西の八代龍王2

玉串町西の八代龍王3

玉串町西の八代龍王4

玉串町西の八代龍王5

玉串町西の八代龍王6

何の知識も無い頃は地蔵堂と思っていました(於 東大阪市)