河内彷徨 ~郷土を見にゆく~
ナムダー

私の故郷「中河内」を見に行きます

松原宿跡

2012年12月09日
名所旧跡 0
自宅近くから程近い場所に「暗越奈良街道」の宿場であった「松原宿跡」があります。

明暦年間に旅人や荷物、通信の便宜の為に設けられた交通集落でしたが、明治以降駅制の廃止や鉄道の開通等により、その必要性は街道と共に薄らぎ、松原は宿場町から農村へと移り変わりました。

しかし、暗越奈良街道は新しい交通機関の発達により、昭和時代になってから拡張、直線化する事で、新たに府道大阪枚岡奈良線(産業道路)として、東大阪市域を東西に走る主要道路となっています。

それで、松原宿跡に南北に通る旧街道の中程に、市の設置した説明板があるだけでしたが、今年「松原宿跡」の碑と説明板が設置されました。

この松原宿は、東大阪市域にあった唯一の宿場町であり、以前から興味を持って調べていましたが、その中で私が非常に意外に感じた事があります。

それは、松原宿にあった宿屋には「飯盛女」茶店には「茶汲女」と呼ばれる女性が各店に二名ずついたそうですが、実際には七、八名いて遊女の様な振る舞いがあったのだそうです。

明治時代には、十二軒の店に五十二人の女性が雇われていた記録があるそうです。

この事から宿場と言う場所は、この様な一面もあるのだと初めて知りましたが、在郷の遊所として旅人や近郷の遊客も集めたのだそうです。

この場所は普段から通る、私の生活道路となっていますが、現在は宿場町の名残らしい名残も殆どありません。

ここで以前取り上げました「茅葺の家」は、この松原宿で宿屋を営んでおられたそうですが、残念ながら取り壊されてしまいました。

唯一、宿場町の名残でありましたが。

松原宿跡1

松原宿跡2

これまで顕彰碑的なものが無かったのも考えると不思議とは思いますけど(於 東大阪市)
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ナムダー
この記事を書いた人: ナムダー
地元にこだわる生粋の「中河内人」です

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