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新庄のおかげ燈籠

新庄に二基のおかげ燈籠が建てられています。

旧村部の南にあるものには、天保二年(1831)の年号があり、中台に「おかげ をど里」竿に「五穀成就」基壇に「南若中」と刻まれ、文政十二年(1829)が、伊勢神宮の遷宮(式年)にあたります。

北にあるものも同様に、天保二年(1831)の年号があり、竿に「お加げ」「をど里」基壇に「北若中」と刻まれています。

それで、をど里(おどり)とは、時同じくして流行した「おかげ踊り」の事かと思われますが、おかげ参りとは別に、村をあげて三日三晩踊り通したのだそうです。

当時の社会現象と言えるこの「おかげ踊り」は、現在も受け継がれている「住吉踊り」に似た踊りだったそうです。

本庄のおかげ燈籠には「をど里」と刻まれていますが、他の地区にあるものには「踊子中」と刻まれている事もあり、また狛犬の台座等にも刻まれている事もあります。

新庄のおかげ燈籠1

新庄のおかげ燈籠2

新庄のおかげ燈籠3

新庄のおかげ燈籠4

新庄のおかげ燈籠5

新庄のおかげ燈籠6

新庄のおかげ燈籠7

新庄のおかげ燈籠8

新庄には神社がありませんね(於 東大阪市)

Comment

  • 難波のやっちゃん
  • URL
ええじゃないか

 こんにちは ナムダーさん
東大阪には「おかげ燈籠」が多数残っていますね

式年遷宮でも特に1830年に設置したものが多いのでしょうか。
おかげ参りのピークだったんですね。
これが幕末の「ええじゃないか」に繋がるのでしょうか。

ところで 「こんぴら燈籠」を中河内で見掛けられた事はありますか

  • ナムダー
  • URL

難波のやっちゃんさんへ

コメントありがとうございます。
中河内では東大阪が一番多いですね。東大阪のおかげ燈籠はほぼ全て見て回りました。
それで文政十三年(1830)~天保二年(1831)のものが多いです。

それで幕末の民衆運動「ええじゃないか」なんですが、結論を言うと繋がっているのだと思います。
ここで少し触れようと思ったのですが、記事が長くなるのでこれに関してはまた後の機会にと言う事でお願いしたいと思います。

あと金比羅燈籠は勿論、中河内にもあります。写真撮影もしていますので、周辺の歴史などを交えて記事する予定ですので(と言うか草稿はある程度出来上がっているのですが)これもまた後の機会と言うことでお願いしたいと思います。

実は私、ブログを始める前に相当量(一年分くらいでしょうか?)の記事を準備してから開設しましたが、どのタイミングでどの記事でブログを更新するかは、その日の気分とかで決めてます。
ですので、御質問頂いた事をここで詳しくお答え出来ない事もあろうかと思いますが、そのあたりは御了承願いたいと思います。

中河内に興味を持って頂いて有難う御座います。

  • 難波のやっちゃん
  • URL
十二分に理解しております

 ナムダーさん 早速のお返事ありがとう

大河小説が書ける程の大量の素材を基に、日々吟味し紀行・随筆風に
更新されている事、十二分に理解しております。
先走らない様に、お邪魔をしない様に心掛けている心算ですが、ついつい
興味が(汗)…

愉しみにしています

  • ナムダー
  • URL
申し訳御座いません

申し訳御座いません。

別に出し惜しみしている訳では御座いませんが、いやちょっとしてるかも(笑)
それに、私の書く文章なんて大した事御座いませんので、これまで通り気軽にコメントの方、宜しくお願い致します。
地元民の書く、地元の事と言うことで、面白い文章が書ければと思っています。
ですが、中々上手く書けないものなんですよ。私の文章力では。

いつもコメント有難う御座います。

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