2011
02.06

吉田川(その1)

Category: 旧大和川
「大和川」は宝永元年(1704)の付替え(川違え)まで中河内を北流していました。

長瀬川(久宝寺川)と分岐した玉串川は、その下流で更に「吉田川」と「菱江川」に分岐していましたが、その分岐点は近鉄花園駅北側付近であったと思われます。

それで、吉田川は他の旧大和川筋とは違い、付替え後に用水路(井路川)を設けませんでした。

私が20数年前に購入した東大阪市の地図には、花園駅北側から現在の川中地区まで帯状の町割り(区画)が続き、町名は「川中」となっており、吉田川の流路跡となります。

吉田川は付替え後、新田開発され「川中新田」となりましたしたが、川中と言う地名はその名残と言う事になります。

分岐直後の左岸側(下流に向かって西側)周辺を歩いてみますと、帯状の微高地が続いている事が分り、元からあった土地(本田)と新田との高低差が、住宅の建つ位置からも確認する出来ます。

対岸の右岸側も同様で、花園商店街のアーケードを東側から見ると高低差が確認出来、商店街は旧大和川の右岸堤防跡だと言う事を御存知の方も多いかと思います。

それで、花園駅前は再開発され、写真の商店街入口は現在なく、商店街も以前より小規模になってしまいました。

かつては買い物客で大変賑わっていたこの商店街も閉店してしまった店舗が多く、人通りもすっかり少なくなってしまった事が、私は非常に寂しく思います。

実は私の従兄弟が花園に住んでいたので、幼少期の頃の商店街の事を覚えているのですが、その後この辺りで暮らす様になってからは、買い物等で利用していましたので、尚更そう思ってしまいます。

吉田川とは直接関係ない余談でしたが、最近実家辺りでも見慣れた風景が無くなっていく事は、やはり寂しく思いますもので…

吉田川1

吉田川2

吉田川3

吉田川4

吉田川5

吉田川6

吉田川7

吉田川8

会社帰りに商店街の立呑み屋に行ってたのが懐かしいなぁ(於 東大阪市)
コメント
こんばんは ナムダーさん

私が中河内とくに旧大和川流域に興味を持ち出したのは、漠然と
ネット地図(8000分の1)を視ていると二俣とこの稲葉の辺りで
Yの字に分岐した帯状の道と町割りに不自然さを感じた事が最初でした。
そんな時に偶然出遭ったのがナムダーさんの前ブログでした。
で 実際に歩いてみると平面図では解らない微高地や高低差、
神社やお墓のある場所に注目、各流域を歩く様になりました。
先日ラグビー場から河内花園への帰路、駅前再開発がほぼ終了
した一方、旧商店街の余りの寂れよう(実際には盛況時は知りませんが)
に言葉を失いました。

長々と失礼しました
難波のやっちゃんdot 2011.02.08 18:49 | 編集
難波のやっちゃんさんへ

コメントありがとうございます。
まあ地域の歴史に興味がある方なら、旧大和川跡って面白いかも知れませんが、住民からすると坂の多い場所で、通るにしても坂の緩やかな所を選んで通ったりしてる訳です。雨の日、傘を片手に自転車でこの段差を越えるのは慣れたと言え、やはり不便なものです。
それで、何故こんなに坂が多いのか?その理由を知っている住民は殆どいないと言うのが現実なんですね。私も以前まではその一人でしたから。

それで、商店街はほんと寂しい限りです。ここに限らず布施、小阪、そして地元徳庵も往時の面影は全くありませんね。唯一今も賑やかなのは瓢箪山くらいでしょうか?

で話変わりますが、八尾にも不自然な場所がありますね。地図を見ていたら気が付きました。ここは江戸時代よりもっと昔の話になるんでしょうね?実際に行ってみましたが、別にこれと言って何も分りませんでしたが。
ナムダーdot 2011.02.09 22:02 | 編集
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