2012
02.12

玉串川(その7)

Category: 旧大和川
現在、町名に「山本」と付く場所はその殆どが江戸時代の大和川付替え後、旧玉串川跡を新田開発した「山本新田」と呼ばれていた開墾地です。

詳しくはインターネット等で調べる事が出来ますので、ここでは簡単に説明させて頂きますが「山本新田」の由来は、この地の新田開発権を落札した泉州の山中善兵衛とその子庄兵衛、平野の本山弥衛門重英(加賀屋)の名字より一字ずつとって名付けられたと言われています。

その後、享保十三年(1728年)に長堀の泉屋吉衛門(泉屋は住友の屋号、住友財閥)に譲渡され、昭和十五年(1940年)までの212年間、住友の所有地でしたが「山本八幡宮」を経て八尾市に寄贈され、住宅開発による分譲によって現在に至っています。

それで、新田を経営管理する為に「山本新田住友会所」が建てられましたが、現在会所建物は現存せず、その跡地に石碑が建てられています。

あと、明治六年(1873)に山本小学校の前身である「河内第41番小学校」もこの場所に創設されたそうです。

跡碑の碑文にも記されていますが、この場所は常に河内山本発展の中心であったとの事です。

尚、碑文中に享保八年(1723)とあるのは誤りで、約220年ではなく約212年間、住友の所有となっていました。

改訂されずにそのままとなっています。

山本新田住友会所跡1

山本新田住友会所跡2

山本新田住友会所跡3

山本は八尾の高級住宅街ってイメージがあります(於 八尾市)
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