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とある風景(その2)

ここ数年、年の始めは初詣を兼ねて、生まれ育った土地を歩く事にしています。

神社に参拝した後、久しぶりに通っていた小学校を訪れてみました。

当然、当時とは様子が変わっていますし、今のご時勢いくら卒業生と言えども無断で校内に立ち入る事は出来ません。

仕方ないので、学校のそばを流れる第二寝屋川の堤防から眺める事にしました。

昔はコンクリート製の塀がありましたが、今は撤去され校内が良く見えます。

そのあと、橋の上から川を眺めますと、この寒いのにおっちゃんが釣りしてるのが見えます。

ぼんやりその様子を眺めながら、卒業後30年以上が経ち、自分が大人になって橋の上から学校と川を眺めるなんて、子供の頃にはほんま想像すらしなかったやろうなと、ふと思いました。

考えたら不思議ですけど、まあたまにはこんなひと時、時間の過ごし方もあってええんやないかと思います。

だいにねやがわ

これ、市内とかでこの川見てもこうは思わんかったかも知れませんね(於 東大阪市)

Comment

  • 難波のやっちゃん
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 ナムダーさん こんばんは
私 昨年11月に楠根川の源流を求めて八尾木辺りを歩きました。
その帰りに偶然出合ったのが河内大社・弓削神社でした。
そこでお尋ねしたいのですが、昔 楠根川はナムダーさんの母校の
前を流れ、最終は新喜多大橋付近で寝屋川に注いでいたのでしょうか。
 早く稲田の桃の花を観たいものです。

  • ナムダー
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難波のやっちゃんさんへ

コメントありがとうございます。
それで「楠根川」ですね。今年から川の事を書く予定なのであまり詳しく言いますと、ネタが減るんですけど少しだけお答えさせて頂きます(笑)

楠根川は中世に掘られた人口河川で、悪水井路(農業用排水路)です。江戸時代の絵図を見ますと、現在の八尾木周辺の幾本の排水路が一本になり、楠根川になっているのが分ります。
ですので、源流と言うか起点がいまいち分かり難いですね、長瀬川の様に取水口も無いですし。
あとこれ肝心な事なんですが、中世から大和川付替え期までを仮に「古楠根川」としますと、大和川付替え後から大正時代、第二寝屋川開削期までを「旧楠根川」その後は現在の「楠根川」となっています。
新喜多橋まで流れたいたのは「旧楠根川」となります。

それで稲田の桃の花きれいですよ。
実は小さいんですけど、最近勝手に持って帰る人が多いそうです。
去年は木の下にいっぱい落ちてました。地元でジャムにして販売しているそうですよ。

長文にて失礼しました。

  • 山本龍造
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やっぱり…ナムダーさんは“石もの”同様、“川ネタ”もええ感じですよね。写真だけでもそれが感じられますもんねー。
とっても楽しみです。

  • 難波のやっちゃん
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 ナムダーさん こんばんは
簡にして要を得たご回答有難うございます。

で 何故お尋ねしたかですが、以前に新喜多東を歩いていて楠根川跡緑陰
歩道に出合いました。
その時の大阪市による説明板が「楠根川はかって平野川分水路と寝屋川を
結んでいた延長約1kmの川です」でした。
これに違和感を持ち、部分的な説明になっても川の歴史を無視した説明やな
と思い、字数に制限があっても何とも不親切な案内だなと(怒り)。
 今回 古楠根川、旧楠根川そして現在の楠根川の説明を訊き胸にストンと
落ちました。

ますます川と歴史・道と歴史に興味が湧いてきました。有難う御座いました。

  • ナムダー
  • URL

龍造さんへ

ほんまは書きとうてしょうなかったんですよ(笑)

私、川ほんま好きでね、色々書きたいんですよ。
川の生もんとか、ちょっと昔とかね。

川沿いで生まれて、育ちましたから。

コメントありがとうございました。

  • ナムダー
  • URL

難波のやっちゃんさんへ

ちょっと講釈たれたみたいで失礼致しました。
少しでも私の説明で分って頂けたのなら嬉しい限りです。

それで大阪市の説明ですよね。
あれ、龍造さんも同じ様な事仰ってましたね。不親切やと。
あの説明だと「千間川」みたいにとってしまいますよね。

大阪市域の「楠根川」と言う解釈なんでしょうか?
私も最初「えっ?」って思いました。

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