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平野屋新田会所跡(その1)

「平野屋新田会所」は江戸時代に「深野池」を新田開発した「深野南新田」「河内屋南新田」を管理する為に建てられた施設です。

「深野南新田」は三つに分割された深野新田(北・中・南)の内の一つで、開発は東本願寺難波別院、その後宝永六年(1709)に所有者が大坂今橋の両替商、平野屋又右衛門となり、それに伴い平野屋新田会所が建てられました。

その後、新田は譲渡され所有者が変わり、文政七年(1824)に大坂九太郎町、高松長左衛門の所有となり、会所西側を流れる「銭屋川」は高松家の屋号「銭屋」から出たもので、橋にもその名が付けられています。

「河内屋南新田」は大坂の河内屋源七が新田開発し、享保六年(1721)に平野屋又右衛門が所有者となり、深野南新田と同様にその後譲渡され、文政七年(1824)に高松長左衛門の所有となりました。

平野屋新田会所は東大阪市にある「鴻池新田会所」と共に江戸時代に建てられた会所施設で、ほぼ当時のまま現存する貴重な文化財でしたが、競売に掛けられ民間業者によって落札されました。

落札後、会所を保存すべく地元住民の方々を中心とした保存運動が行われましたが、結局全て取り壊され、現在は住宅が建てられています。

当時、大東市と業者の間で交渉が行われましたが決裂し、大東市議が当時の文部科学副大臣、松浪健四郎氏に陳情した事によって、国の文化財指定を受けるべく動きがあり、省庁の方も平野屋新田会所が貴重な文化遺産との認識を示したのですが、大東市が業者から買収する事が出来ず、非常に残念な結果に終わりました。

松浪氏は夫人を伴い、非公式に会所を訪れたそうですが、取り壊された会所を見て「悪夢そのもの」と仰っています。

松浪氏によると大東市からは何の要請もなかったそうです。

私は平野屋新田会所の動向を数年に渡って見守り続けましたが、この場所を知った経緯や初めて訪れた時から住宅が建つまでの推移を数回に分けて更新しようと思います。

しかし、私もただ見守るだけで何も出来なかった事については今も非常に悔いが残りますし、一市民の力では何の助力にもならない事を思い知らされる事となりました。

それで、かつて大東市に新田開発に因む貴重な建造物があった事を多くの人に知って頂きたいとの思いで、今回「平野屋新田会所」の記事を更新する事にしました。

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取壊されて数年経ちましたが、今も定期的に訪れています(於 大東市)

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