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山本新田の境界石

山本町に「山本新田」の境界石が建てられています。

境界石は二基あり、それぞれに「天保五甲午 再 六」「天保五」と刻まれ、天保五年(1834)に建てられた事が分ります。

江戸時代、大和川付替後に山本新田が開墾され、宝永五年(1708)と享保六年(1721)に検地を受けたそうですので、最初の検地から120以上経った後に、境界石が設置された事になります。

現在、山本は八尾市内では高級住宅街のイメージがありますが、当初は新田に営まれた三十軒余りの寒村だったそうです。

それで、今回の境界石は旧玉串川の左岸に建てられていたものですが、以前取り上げました「福万寺町の標石」は、おそらくこの境界石同様、山本新田の境界石だと思われます。

福万寺町のものは右岸側にあり、年号等は確認出来ませんでしたが、刻まれた文字は「山木」ではなく「山本」だと思われます(多分…)

二基の境界石は、約200年近く人知れず建っている事も少々驚きですが、山本と言う土地の歴史を伝える、小さな貴重な石造物でもあります。

山本新田の境界石1

山本新田の境界石2

山本新田の境界石3

山本新田の境界石4

山本新田の境界石5

山本新田の境界石6

文字が刻まれていなかったら普通の置石にしか見えません(於 八尾市)

Comment

  • 山本龍造
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何となくそこにあるなぁと見て半世紀以上、そないに古い物件でそういうためのモノやったとは知りませんでした。確かにあの細い路地の西と東はニュアンスが違いますね。勉強になりました。

  • ナムダー
  • URL

龍造さんへ

引き続きのコメントありがとうございます。

で、この境界石はやはり御存知だったんですね。
昔はあの道も地道やったんでしょうか?子供がいかにも通りそうな道で。

私の地元には村中に道標があって、同じく半世紀以上見てきたんですけど、あの字の書いてある石の柱が『道標』と言うものだと知ったのは、人生半分ほど生きた歳になってからでした。
このあと、何十年、何百年(?)とあの場所に建ち続けるんでしょうね。

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