飯田忠彦旧棲地址

本町にある「聞成坊」の北側の隅に「飯田忠彦旧棲地碑」が建てられています。

碑には「飯田忠彦先生旧○○」と刻まれ下部が埋もれていますが、御覧の通り折損しており、アングルで補強されています。

それで、飯田忠彦については碑と並んで八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、忠彦の没後の明治二年(1869)に有栖川宮が生前の功績を称え、遺著である野史を宮家蔵版として刊行する事となったそうです。

しかし、太政官より国史編集参考の為にその野史の献納の儀があり、宮家へ五百円、忠彦へ追賞として百円が下賜されので、宮家の刊行は差し止められたそうですが、後の明治十四年(1881)に忠彦の養子である文彦により、宮家の序文を得て刊行されたのだそうです。

以上、手持ち資料を参考に補足しました。

あと、本題と全く関係ありませんが、私はこの本町周辺には足を運ぶ事が多く、石碑の向こうに看板が見えています「や○○く」で子供達のベッドを購入した事があります。

子供達は既に独立しましたが、最近は家具を購入する事も少なくなり、家具店に行く事も殆んどありません。

しかし、八尾・東大阪の住民の皆さんにはお馴染である、飛行機での宣伝は耳にする事があります。

そやけど、最近あんまり聞かんようになったかも知れませんが…

今もやってはるんでしょうか?

飯田忠彦旧棲地址1

飯田忠彦旧棲地址2

飯田忠彦旧棲地址3

最初は車の衝突防止に置いてある石柱かと思いました(於 八尾市)

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