稲田

私は東大阪市の西部にある「稲田」で生まれ育ちました。

正確には稲田で生まれ、実家は旧菱江川跡である「菱屋東」にありましたが、現在は行政区画の町名変更により「稲田新町」となっています。

それで、私の生まれ育った稲田について簡単に記したいと思いますが、本来稲田村は現在より東にある「七軒家」付近にあったそうですが、文禄年間に旧菱江川西岸へと村移りし、東に向けて村が開かれていったのだそうです。

その後、宝永年間の大和川付替えにより、隣接して菱屋東新田や菱屋中新田(旧楠根川跡、後の藤戸新田)等の新しい土地も開墾され、かつては「稲田桃」の産地として有名でした。

あと、私の卒業した小学校は稲田観音禅寺において、明治五年に開校され140年以上の歴史があります。

以上ごくごく簡単に稲田村について記しましたが、私が幼少の頃には古い家屋が並び旧村の佇まいも見せていましたが、現在は古い家屋も殆んど無くなり、新築の家が建ち並んでいます。

現在、東部で暮らす様になって20年以上経ちましたが、時折里帰りしますと道を間違えてしまう程、その景観は変わってしまいました。

1枚目の写真は4年程前に撮影したもので、モノクロの写真は昭和40年代にほぼ同じ場所で撮影したものです。

この道は地元では「中道」と呼ばれる、旧村部の南北を通る道で、この道沿いにはこれまで取り上げました、稲田八幡宮道標、あと菱江川に架けられていた石橋の親柱、楠根川に架けられていた橋の親柱等が残されています。

私には所謂「田舎」と言うものがありませんが、ほんといつでもすぐ帰る事の出来る「生まれ育った場所」が近くにある事は、ある意味幸せな事なのかも知れません。

今年も中河内を見にゆきます。

中道1

中道2

ほんまだいぶ変わりました(於 東大阪市)

Comments 2

y&m

良いじゃありませんか!

2枚目の写真、良いですねぇ。道がゆったりと左にカープして、また右に。見ているだけで、懐かしさで嬉しくなります。落ち着きます。人が歩くには十分なのに車の通行の為に、道幅を広げて無理やり一直線にしてしまう現代。もちろん細くて曲がっている道は視界が悪く、車にも人にも危険であるけれど、機能重視で生活臭の無い道路もねぇ。私は我儘ですね。(笑)

2017-01-05 (Thu) 09:10 | EDIT | REPLY |   

ナムダー

y&mさんへ

コメントありがとうございます。

それで、私はこんな土地で育ちました。
この道は遠い車の無い時代から、そのままの道なんでしょうね。

私の住む地域は昔の大和川の下流域の諸河川の合流点でもありますので、複雑な地形そのままに道がつけられたんだと思います。
私も懐かしさで嬉しくなり落ち着きますねv-389

2017-01-05 (Thu) 21:19 | EDIT | REPLY |   

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