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長瀬川(その5)

東大阪市と大阪市には市域を跨いで同じ「新喜多」と名の付く場所があります。

これは江戸時代、旧長瀬川が新田開発され「新喜多新田」と呼ばれる開墾地だった名残で、東大阪市内にはその名が付けられた中学校があります(同じ東大阪市内に住む私の従兄弟が通っていました)

その新喜多新田を二分割して、上流側を「上新田」下流側を「下新田」とし、それぞれを管理する為に会所が設けられました。

それで、上新田会所は現存しませんが、下新田会所はその建物の一部が現存し、大阪市によって跡碑が建てられています。

当時、会所内には鴻池新田会所の様に蔵や庭園があったそうです。

尚、先の東大阪市立中学校の敷地は新喜多新田最後の所有地だったそうで、昭和三十年代に布施市(現在の東大阪市)に売却された際、上新田会所は閉鎖されたそうです。

新喜多新田会所跡1

新喜多新田会所跡2

新喜多新田会所跡3

新喜多新田会所跡4

新喜多新田会所跡5

驚く事に今も所有する土地(新田)を管理しているそうです(於 大阪市)

Comment

  • 池田平太郎
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初めまして。

私は九州博多の人間でして、ご当地にはまったく土地勘も無いのですが、先般、訳あって大坂夏の陣の古戦場を訪れる機会に恵まれました。
ただ、哀しいかな土地勘がなく、帰宅後、改めて調べてみても、堤があったとことなどまったく想像が出来ず。
ただ、幸いなことに、玉串側、楠根川、恩智川などは概ね、往時の痕跡が見つけられ、大体、おおまかなところは推察できたのですが、長瀬川だけがさっぱりわかりません。
それで、色々調べているうちにこちらに辿り着き、興味深く拝見しました。(私もかつてあった私の地元の川などを調べたことが有りましたので、同好の士はいるもんだなあと)
ただ、哀しいかな何度も言いますように土地勘がまったくなく、もし、機会がありましたら、一帯の流域図を掲載していただけると、「あ、この辺か」とわかるので、助かります。

  • ナムダー
  • URL

お返事が遅れまして大変失礼しました。

それで、流域図の件につきましては、ご要望にお答えして記事の更新や写真の掲載は基本、対応させて頂かない事にしていますので、御理解頂きたいと思います。

私も旧大和川に関してかれこれ15年以上調べ、実際に現地に数え切れない程足を運んでいますが、まだまだ分からない事が多くあります。
流域図に関してはネット上に多くありますので、例えば鴻池新田会所のホームページ等を参照されたらいかがでしょうか?

お役に立てず申し訳御座いませんでした。

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