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銅鐸出土之山

  • Day:2015.02.08 22:29
  • Cat:石碑
旧外環状線(東高野街道)沿いある「恩智神社」の鳥居を通り、参道途中を北に行きますと「安養寺」があります。

その安養寺の裏山の「垣内山」で大正十年(1912)その垣内山の東側に続く「都塚山」で昭和二十四年(1949)に「銅鐸」が出土しています。

詳しくは現地に石碑と安養寺と八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思います。

それで私、銅鐸は実際に見た事はあるのですが、この時代と銅鐸については殆んど知識が御座いませんで、この出土地を訪れたのを機に銅鐸について少々調べた次第です。

銅鐸は簡単に説明しますと「偏円の筒形で両側に鰭の付いた身と上部に薄い半円形をした把手状の紐を持った釣鐘形の青銅器」だそうで、鋳造によってつくられています。

正確には何の為につくられ使用されたのか?分からないとの事ですが、ものづくりを生業とする私にはこの時代にこれだけのもの作る鋳造技術があったのは非常に驚くべき事です。

それで、出土した銅鐸についての説明は省略させて頂きますが、垣内山出土時の状況は安養寺大師堂の東方約22メートルの松山で標高100メートルの傾斜地で、説明碑にもあります様に地元村民が築竈用の粘土を採掘しに行った際、先頃の風雨の為に松の木が倒れて付近8メートルが赤土を露出して崩壊しており、この崩壊部に土を採土すると約90センチメートルの土中より銅鐸が現れたそうです。

あと、都塚山の出土時の状況は先の出土地より東方40メートル、標高約110の地点で同じく地元村民が葡萄を栽培する為に山林を開墾中に鍬先に銅鐸があたり発掘されたそうです。

出土した銅鐸は現在、垣内山のものが東京国立博物館の所蔵、都塚山のものが「来恩寺」の什物となっています。

銅鐸出土之山1

銅鐸出土之山2

銅鐸出土之山3

銅鐸出土之山4

ちょっとした山の散策が出来ます(於 八尾市)

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