Post image

貫通石(その3)

上石切町に貫通石があります。これまで取り上げました貫通石と同様、生駒トンネル掘削の際に採取されたもので、安産の守り石としても珍重されているとあります。それで、この貫通石は石碑等の石材として利用されずに、おそらく採取時の状態のまま、お社の前でおまつりされています。尚、ここでおまつりされている経緯は分かりませんでした。引谷にあります(於 東大阪市)...

Post image

歯石

大蓮東の府道沿いに「歯石」があります。台石にある由来によると、かつて六万寺に「歯塚」があり、その内の一個と記されています。それで、現在の六万寺町一丁目付近にあった「歯塚」について手持ち資料で調べてみましたが、それに関する記述は見当たりませんでした。あと、六万寺町一丁目には「往生院」や「十二社権現寺」があり、歯石との関連性も不明ですが、六万寺には「六万寺古墳群」があり、塚はその古墳の一部では?とも思...

Post image

貫通石(その2)

ある休日に歩いていますと「貫通石」と刻まれた自然石がありました。それで、この石を見て生駒山にも同じものがあった事を思い出しました。そちらは「貫通石その1」として取り上げていますが、二つの貫通石は碑文が同じですので、同時期に作製されたのでしょう?只、何故この場所に同じものがあるのか?その理由は不明です。調べ様がありませんので…最初ここへ移したのかと思いましたが微妙に形状が違いました(於 東大阪市)...

Post image

神武帝蹴り上げ石

「石切神社」の末社である「神武社」の祭神は神武天皇(神倭磐余彦尊)ですが「神武帝蹴り上げ石」と呼ばれる自然石がまつられています。詳しくは由緒が説明されていましたので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、以前取り上げました「唐櫃石」「藤原業平腰掛石」と合わせて「石切三石」と呼ばれているそうです。東大阪には神武天皇東征に因む石造物が残され、ここでも取り上げていますが、東征が事実か否やと言うのも余計に興味...

Post image

亀石

「稲葉神社」の境内に「亀石」と呼ばれる自然石があります。掘り出すと恵みの雨を降らすと云う雨乞いの石とあり、詳しい事は分かりませんが、現在は掘り出されています(…)それで、稲葉神社の鎮座地は旧菱江川の右岸にあたりますが、稲葉村は古くから開けた村だったそうで、河内名所図会には、玉井新田(旧玉串川跡)と菱江の間にあり「稲葉里」と記されています。私、和歌に関して全く知識がありませんが「立別れ稲葉の里になか...

Post image

舟つなぎ石

旧村部等にある狭い道の傍らに石が置いてある事があります。おそらくこの石は家屋や塀に車の衝突を避ける為に置かれているものだと思いますが、それが「唐臼の台」や「碾臼」だったりする事もあります。これはかつて使用されていたものを再利用した(?)ものですが、殆んどが良く分からない普通の石(?)が置かれている事が多いです。そんな石の中で植松町にある安中新田会所跡のすぐ近くに、高さ1メートル7センチ、幅45セン...

Post image

在原業平公腰掛石

「千手寺」の門前に「在原業平公腰掛石」があります。詳しい事は分かりませんが、千手寺は業平所縁のお寺ですので、歴史に興味のある方やハイカーの方々が拝観されているのをよく見かけます。私も生駒山歩きの帰路に参道商店街を通る事が多いので(いつもあえてここへ下って来ているのですが…)お参りには度々行っております。それで、中河内地域では在原業平に所以のあるところが数か所あり、ほぼ訪れているかとは思いますが、私...

Post image

恐竜の卵

とある休日、生駒山にあるハイキングコースを歩いていますととありました。「うそやん!」と思いつつも、予定してたコースを離れ150m先を目指しました。しかし「布市」⇒「クジラの骨出土」と言う事実もありますので「ほんまにあるんや」と信じ、さらに山道を歩きました。歩き続けること数分、するととありました(笑)よくよく考えると昔こんな案内はありませんでしたので…そやけどほんま、卵や言われるとほんまにそう見えます...

Post image

神武天皇腰掛石

生駒山の谷を登ったその中腹に「神武天皇腰掛石」があります。腰掛石は三角形の自然石でそばに「神武大帝腰掛石」と刻まれた石碑が建てられています。言い伝えによりますと、神武天皇が東征の際に腰を掛けられた石だそうで、その神武天皇が日本を統一する為に石切の港から討伐に向かった際、その戦いが思うに任せずこの石に腰掛け、思案の末に東(太陽)に矢を放ってならぬとこの地を下り、東側に回られたのだそうです。それで、神...

Post image

おもかる石

「波牟許曽神社」に「おもかる石」と呼ばれる石があります。見ての通りごく普通の自然石ですが、説明されています様に持ち上げた時に軽いと感じれば願い事が叶うとの事です。私、父親から神社はお願い事をする場所ではないと聞いて以来(父親が若い頃、枚岡神社の宮司さんからそう聞いたそうです)願掛けはしていませんので、願いがかなう様にこのおもかる石を持ってみようかと思いましたが、これと言って願い事がありませんでした...

Post image

生駒石

近鉄八尾駅前に「生駒石」があります。何故この場所にあるのか?その理由は分かりませんが、何故か八尾にあります。私は石に関して殆ど知識がありませんが、生駒石と呼ばれる為の条件で最たるものは当然、生駒山から切り出された石であると言う事になります。ここで取り上げました「大坂城築城残石」や「刻印石」も生駒から切り出された石ですし、その他の東大阪周辺の道標等の石造物も、おそらくその殆どが生駒石が使用されている...

Post image

長瀬川沿いの石

森河内東の長瀬川沿いに大きな石があるのですが、いつ頃からあるのか記憶にありません。この辺りは小学生の頃から良く知った場所で、畑だったと思う(?)のですが、その頃からあったのか?あと何故ここにあるのか?その理由も不明です。どうのこうの言う訳ではありませんが、ここ数年気になっていましたので(-_-;)あと、私は「長瀬川」と言うと、この辺りの事を思い浮かべます。当時は中央が用水路、その両側が排水路だった三層構...

Post image

力石

神社等で「力石」と呼ばれる、丸形や俵形の石が置いてある事があります。その名の通り、持ち上げて力比べをする為に使用された石で、重量が100キロ前後ありそうなものばかりです。大小数個が組み合わされている事が多いので、小さいものから順番に持ち上げたのでしょうか?それで、休日にある神社を訪れますと、力石が置いてありました。一番小さいものは80キロ位に見えたので、持ってみようかと思いました。私、今でも80キ...

Post image

大西丹後守馬乗石

「神並小路地蔵尊」の傍に自然石が置かれています。この石は生駒石で以前は別の場所にあったそうですが、その昔この辺りに大西丹後守と言う豪族が住み、背が低かった為にこの石の上に立ってから馬に乗ったので、この名が付けられたと伝わるそうです。この石、標石が無ければ普段見かける、庭石としか思いませんけど(…)この石にはそんな言い伝えがあるんですね(於 東大阪市)...

Post image

貫通石(その1)

「白龍大神」の鳥居横に近鉄東大阪線(現けいはんな線)生駒トンネルの貫通石があります。この場所は旧生駒トンネルの西坑口となります。あと、私は知らなかったのですが、旧トンネルの一部が利用されているのだそうです。昭和60年ですか?この路線が出来てもうそんなにたつんですね(於 東大阪市)...

Post image

唐櫃石

中石切町に「唐櫃石」と呼ばれる自然石があります。傍らに石碑が建てられ「此の石は元辻子の路傍にあり、昔役の行者がこの石上にて座禅したと伝えられる。石切神社の神武帝蹴上げ石と千手寺の業平腰掛石と共に古来より石切の三名石と云う」と刻まれています。見た目は大きな庭石って感じなんですが、碑文を読みますと本当に(?)由緒ある石に見えてしまうのが不思議です。石の産地としても有名な生駒山には、この様な謂れのある石...

Post image

記念石

以前からあるのは知っていましたが…裏面を見ますと…だそうです。何でここにあるの?って思いましたが、やっぱりここかなぁ…と(於 東大阪市)...

Post image

大坂城築城残石

生駒山には豊臣時代の大坂城築城から徳川時代の修築時に石垣用として切り出された石が、使用されずにそのまま残されているものがあります。その石は「残石」や「残念石」と呼ばれ、善根寺町の車谷へと続く道にその一つが残されています。残石には切り出す際のくさびの痕や「刻印石」と同様に刻印が打たれていますが、詳しくは東大阪市の設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思います。それで、この石は徳川時代の...

Post image

刻印石

豊臣時代の大阪城の石垣に使用されたその石の殆どが、六甲山系の花崗岩だそうですが、生駒山系の花崗岩も石垣に使用されたそうです。善根寺、日下地区には切り出す準備の為、刻印が打たれた「刻印石」が現在も残されています。この刻印石は石垣に使用するのでは無く、採石場の境界や範囲を示す「牓示石」に使用された安山岩だそうで、元は暗越奈良街道の額田橋付近にあったものを大正時代に民家の庭石として使用していたそう...