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龍田山伝承の地

雁多尾畑に「龍田山伝承の地」の碑が建てられています。この碑の建つ場所は「御座峰」の標石が建つ場所でもあるのですが、現在は神域につき立入禁止の立札が建てられています。この碑は、平成二十八年(2016)に、三郷町制施行五十周年記念として「龍田大社」と三郷町観光協会によって建てられたものですが、何故か奈良県の三郷町によって建てられています。それで、私が今回この場所を訪れた際、NPO法人である 「奈良 龍田・...

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抜塚

大窪にある「来迎寺」の墓地内に「抜塚」があります。御覧の通り、本来は古墳だそうで「大窪・山畑7号墳」と名付けられていますが、完全な状態ではありませんで、通り抜ける事が出来る様になっています。それが、抜塚の名の由来だそうですが、寺地にあるので通り抜ける事で御利益がある等、地元信仰の対象となっているのかと思い調べてみましたが、詳しい事は分りませんでした。それで、私のブログでは古墳や遺跡を取り上げる事は...

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長栄寺

高井田元町にある「長栄寺」には度々お参りに訪れていますが、長栄寺の境内は大阪府の文化財保護条例により史跡に指定されています。詳しくは境内に説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思います。それで、境内には多くの石造物がありますが、今回その説明は省略し写真での御紹介とさせて頂きますが、以前取り上げました「後生車」は、ここ長栄寺の境内にあります。あと、境内には「禅那台」があり、こちらも説明板を御覧...

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慈雲尊者座禅石

額田谷の中腹に「慈雲尊者座禅石」があります。この場所には「天龍院」があり、寺地内には東大阪市の史跡名勝指定を受けている「長尾の滝」があります。この座禅石は高井田にある「長栄寺」を再興させた「慈雲尊者」が、この地に「雙龍庵」を建て、十五間隠棲し修行を行った所で、その傍らには昭和二十五年(1950)に建てられた「慈雲尊者住山雙龍庵遺址」と刻まれた石碑が建てられています。尚、雙龍庵の遺構である「禅那台」...

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鬼虎川遺跡

「鬼虎川遺跡」は大阪外環状線と中央大通りが公差する付近に広がる、縄文時代から江戸時代にわたる複合遺跡で、特に弥生時代中期の大集落(拠点集落)としては近畿地方有数の集落遺跡として知られています。詳しくはインターネット、または発掘調査概要の刊行物等が多くありますので、図書館等で閲覧出来るかと思います。それで、ここでは殆ど取り上げる事の少ない「遺跡」ですが、何故今回取り上げたかと申しますと、実は私先週末...

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生駒山人・貞靖森先生墓

生駒山の「来照山」と呼ばれる場所に「生駒山人・貞靖森先生墓」があります。ここは森家の墓地となっており、入り口階段脇に市の設置した説明板がありますので、詳しくはそちらを見て頂きたいと思いますが、ごく簡単に説明しますと「生駒山人」は正徳二年(1712)に日下村で生まれた江戸時代の漢詩人で本名を森文雄と言い、宝暦二年(1752)に四十一歳の若さで亡くなったのだそうです。その生駒山人の墓に並んで、父の「森...

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山畑古墳群

私、これまで古墳についてはそれ程興味がありませんで、その時代も自分の興味のある時代ではありませんでしたので、あえて休日に古墳を見に行くと言う事もありませんでした。ですので、いつも通りがかりに古墳があっても「ああ、古墳あるなぁ」って感じでほぼ素通りしていました。しかし、最近古墳を「石造物」と捉えてみると、重機など無い時代に「こんな大きい石どうやって運んだんやろか?」「ほんま上手い事石積んどんなぁ」と...

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十三塚

私以前「十三塚」は八尾市にあると思っていましたが、現地にある説明板はお隣の奈良県平群町の設置したものとなっています。「十三峠」や「水呑みさん」は、私達大阪に住む者にとってもお馴染ですので、今回取り上げさせて頂く事にしました。詳しくは説明板を見て頂く事にしまして、補足的に少々説明しますと、十三塚は「大塚」と呼ばれる中央の塚の両側に六個の小さな塚が並んでおり、大塚の前には上部に石仏が彫られた嘉永三年(...

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経塚

「経塚」は生駒山の中腹にある「花草山古墳群」の中にある古墳の一基(花草山15号墳)で「経塚古墳」とも呼ばれています。この経塚は横穴式石室の古墳で墳丘も残っており、その石室を利用し経塚としてまつられているものです。石室の前には祠堂が建立され、石室内の床中央に置かれた一枚石のその上に台座を据え、その上に石塔が建てられています。石塔には宝暦十三年(1763)の年号があり「如来蔵 書寫願主沙門實通無恭建」...

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心合寺山古墳

私のブログでは、古墳やその時代のものを取り上げる事が少ないのですが、今回八尾にある「心合寺山古墳」を取り上げたいと思います。心合寺山古墳は中河内最大の環濠式前方後円墳であり、八尾市内で最大の古墳でもあります。詳しくは市の設置した説明板がありますので、そちらを見て頂きたいと思います。私も詳しくこの古墳の事は知らなかったので手持ち資料で調べてみますと、昭和41年(1966)に国の史跡に指定され、この場...

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環山楼

「環山楼」は江戸時代中期、八尾の豪商であった「石田利清」の設けた学舎(郷塾)で、河内の中心地である八尾にあった唯一の郷塾でした。享保十二年(1723)京都堀川塾の儒学者「伊藤東涯」が、平野郷の町人によって開かれた「含翠堂」に遊説に来た際、石田家へ招かれて別荘で講義した後、小楼に登り生駒、高安、金剛山までの山々が連なっている風景を見て「環山楼」と命名したそうです。「環山楼」は創建時、旧八尾町の通称「...

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お手洗い

「お手洗い」とは御承知の通り「便所」「トイレ」の事ですが、今回記事を書くにあたり、タイトルをどうしようか迷った挙句「お手洗い」とさせて頂きました。これが最も差し障りが無い様な気がしましたもので(笑)それで、このタイトルで「何を書くねん?」って事となりますが、私少々「お手洗い」に興味がありして、古民家を見かけますと、その位置等をすぐ確認してしまいます(あくまでも外観からです)因みに私の世代だと、和式...

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長尾の滝

生駒山にある、長尾谷の上流に「天龍院」があり、その寺地内に「長尾の滝」が流れています。詳しくは説明板がありましたので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、その説明にもあります様に「長尾の滝」は、上方の雄滝(白竜王)と雌滝(黒竜王)の二条からなります。寺地内には、慈雲尊者が建てた「雙龍庵」の跡地に「慈雲尊者住山雙龍庵遺址」と刻まれた石碑が建てられ「慈雲尊者座禅石」と呼ばれる自然石があります。あと「東南...

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清浄泉

太平寺に「清浄泉」があります。「清浄泉」は「石神社」の北側にある井戸の事で、詳しくは保存会と柏原市の設置した説明板を御覧頂きたいと思います。あと、並んで建てられている御堂には弘法大師の石像がまつられています。それで、私がここを訪れた際、殆んど予定を立てていなかったので、この後は何処へ行こうか思案していたところ、通りがかりの地元の方が話しかけてこられました。地元、太平寺の事について御教示して頂き、非...

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旧河澄家

日下の「河澄家」は江戸時代に庄屋を務めた旧家で、東大阪市の条例による文化財指定を受けています。あと、敷地内にある「日下のかや」も同様に、条例により天然記念物に指定されています。詳しくは「旧河澄家」のホームページを御覧頂きたいと思います。それで、私が日下周辺を探索した際、帰路にこの河澄家の前を通って自宅へと帰る事が多かったのですが、長らく家屋の改修工事が行われていました。それが、昨年末のある日、いつ...

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垣内の一里塚跡

垣内の東高野街道沿いに「一里塚の跡」があります。一里塚とは、街道の道程と安全の為に一里毎に設けられた塚状の築造物と説明されています。かつて、この東高野街道には「善根寺」「四条」「楽音寺」にも一里塚があったそうですが、現在この垣内だけがその名残をとどめています。その一里塚から街道を挟んで反対側にも「西塚跡」があり、文化七年(1810)に建てられた「法華塔」と刻まれた石碑があります。それで、現在ある塚...

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木村重成の墓

「木村重成の墓」は幸町の第二寝屋川沿いにあります。私、この時代の事に関して殆んど知識がありませんが「木村重成」は大坂夏の陣の若江の戦いで戦士した豊臣方の武将だそうで、現地に八尾市の設置した説明碑があります。それで、墓石の角が取れて丸くなっているのですが、これは削って飲むと「勇気が出て勝負事に強くなる」と言う俗信仰があるからだそうです。また、墓前の松の葉を布団の下に敷いて寝ると、子供の寝小便や夫の浮...

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鴻池新田会所

「鴻池新田会所」は国の重要文化財に指定されいている史跡です。詳しくは鴻池新田会所のホームページ等を御覧頂くとして、ここではごく簡単に説明させて頂きたいと思います。江戸時代、旧大和川付替え後にその川池床跡は「新田」と呼ばれる農地に開墾されました。その中で最大のものが、新開池床跡を大坂今橋の両替商、鴻池善右衛門宗利が新田開発した「鴻池新田」で、会所とはその新田を管理、運営する為に設けられた施設の事を言...

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河内県庁跡

明治二年(1869)に「河内県」が設置された際、現在の八尾市に県庁(仮役所)が設置されました。しかし、同年「堺県」の設置に伴い、河内県は堺県に統合され廃止となり、その後複雑な統廃合を経て「大阪府」が設置されました。私、河内県は知りませんでしたが、堺県がかつて存在した事は、東大阪市立郷土博物館に堺県の制札が展示してあるのを見て知っていました。それまでは当初から大阪府だったと思っていましたが…しかし、...