Category名所旧跡 1/3

平野屋新田会所跡(その13)

今回は平野屋新田会所跡周辺に残る石樋を取り上げてみたいと思います。会所跡東側には「銭屋川」が流れていますが、その途中で繋がる水路との合流点に樋門が残されています。この樋門は「三反物の樋」と呼ばれるそうで、笠石に弘化二年(1845)の年号が刻まれていますが、現在水路は埋立てられています。しかし、埋立てに伴い樋門は撤去されず、そのまま埋め込まれてしまい樋門は遮水シートの下にあります。地区の歴史を伝える...

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平野屋新田会所跡(その12)

久しぶりに「平野屋新田会所跡」へ行ってみました。毎回同じ事を記しますが、状況は以前として変わらずそのままとなっています(-_-;)写真の方も毎回、同じ様な写真となっていますが、今の季節は雑草が生い茂り「草ぼうぼう状態」となっています。周濠も底が見えない程、雑草が生い茂げり「農民感謝碑」周辺は鬱蒼とした感じです。それで、現地のフェンスに「スタンプラリー実施中」の貼り紙がありますが、スタンプを押印する「大坂...

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第一万葉植物園

「恩智城址」の東側、隣接して「第一万葉植物園」があります。第一万葉植物園は昭和五十九年(1984)に開園し、万葉集に詠まれた草花や樹木を集めて、展示植物毎に歌と作者が記された説明碑が設置されています。八尾市によると、市民に万葉の心とロマンを偲びながら、植物に親しむと言う趣旨で建設され、約80種500本が植えられているそうです。園内はそれ程広くはありませんが、池や築山等が配置されています。あと、大竹...

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平野屋新田会所跡(その11)

久しぶりに平野屋新田会所の記事の更新となりますが、相も変わらず遺構はそのままの状態で保存(?)されています。それで、いつ設置したのか分かりませんが、ごくごく簡素な説明板と遺構に表示がしてあります。個人的には「今さら」と言う感が否めないのですが…それで、最近になり明確に分かった事があるのですが、大東市はこの平野屋新田会所跡を現状のまま保存する意向だと言う事と保存整備の為の予算が無いと言う事です。これ...

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大師清の瀧

「大師清の瀧」は鳴川谷にあります。写真では水が枯れている様に見えますが、御堂の後ろにあるのが大師清の瀧だと思います(?)それで、堂内はお大師様がまつられているかと思いますが、確認はしておりません。あと、水は飲まない様にとの事です。鳴川谷は下山の際に歩く事が多いので、また後の機会に堂内のお大師様を確認しようと思います。尚、瀧の由来等、詳しい事は全く分かりませんでした。何か御利益があるのでしょうか?(...

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山口重信の墓

若江南墓地の一角に「山口重信の墓」があります。私、この時代に関して殆んど知識が御座いませんので、詳しくは現地に設置されています、説明板を御覧頂きたいと思います。それで、第二寝屋川を挟んだ八尾側には「木村重成の墓」があり、説明板にも掲載されています「河内名所図会」にも、両武将の墓が描かれていますが、山口重信の墓は玉垣に囲まれ立派に見えます。それに対し、木村重成の墓は墓石があるだけで簡素に見えますが、...

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森本七郎兵衛旧宅跡

本町に「森本七郎兵衛旧宅跡」があります。現在この場所には銀行がありますが、そこに八尾市が説明板を設置しています。それで「八尾寺内町」については、中河内の歴史に関心のある方なら、当然御承知だと思いますので、今更説明する必要もないかと思います。森元七郎兵衛が旧長瀬川の洪水敷である、荒蕪地に移り住み開拓した寺内町は、現在の八尾の基礎をなすものですが、森元七郎兵衛はその後凋落し、妻を離縁して行方不明になっ...

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恩智左近の墓

旧大阪外環状線(東高野街道)沿いに「恩地左近之舊跡」と刻まれた石碑が建てられています。以前からこの碑が建てられているのは知ってはいましたが、墓に行くには自転車や単車を旧外の道路上に置いて行く事になるので(駐車違反?)これまで一度も訪れた事はありませんでした。しかし昨年、上から(東側)から行く事が出来ると知りまして、初めて訪れました。詳しくは八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたい...

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飯島三郎右衛門の墓

岩田町の河内街道沿いに「飯島三郎右衛門の墓」があります。この辺りの河内街道は自宅から程近く、私的には「岩田の商店街」なんですが、その商店街沿いの一角に墓石があり、東大阪市が説明板を設置しています。私、この時代(戦国時代)について殆んど知識がありませんので、飯島三郎右衛門については説明板を御覧頂きたいと思いますが、その説明文の中に気になった記述があります。それは、飯島三郎右衛門が没したこの地は、かつ...

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平野屋新田会所跡(その10)

2014年の6月8日以来の更新となりますが、会所跡はその後何の動きもありません。初めてこの記事を御覧になった方は、何のこっちゃ分からないかと思いますが、その経緯については過去の記事を御参照頂きたいと思います(>_...

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木村重成陣屋跡

私、基本「戦国時代」と呼ばれる時代に関して殆んど知識がありませんで、実はそれ程興味もありません(…)東大阪市内にはそんな戦国時代の史跡名跡がありますが、その中で日常生活する上でも普段から通っています、河内街道沿いに「木村重成陣屋跡」があります。手持ち資料によれば、木村重成は豊臣方の武将で大阪夏の陣の際、この場所に陣屋を構えたとの事です。重成はこの地で戦死したそうですが、現在陣屋跡地には銅像と石碑が...

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高松信重の墓

今から7、8年前の事なんですが、休日に自転車でぶらぶらしていますと、公園の一角にお墓がありました。その時は「何でここにお墓があるんやろ?」としか思いませんでした。それから数年経ち今年の春、同じ様にぶらぶらしていますと、たまたま同じ場所を通りがかりましたが、そこには八尾市の設置した説明板があり、このお墓は「高松信重」のお墓と言う事でした。詳しくは説明板を御覧頂きたいと思いますが、帰宅後手持ち資料で調...

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孝養の井戸跡

大窪にある「来迎寺」に「孝養の井戸跡」があります。詳しくは八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、立札の周囲を見回しましても、それらしいものはありませんでした。側には石塔が建てられていますが、その下に井戸があったのでしょうか?それで、説明にもあります様に来迎寺の寺号はこの井戸からきているそうですが、ここ来迎寺には今年も度々訪れています。境内には幾つかの石造物があり、...

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神宮寺子太郎塚

神宮寺の字石塚と呼ばれる場所に「神宮寺子太郎塚」があります。神宮寺小太郎については現地に説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、その説明にもあります様に塚のある場所は元古墳で、明治末期に発掘後に破壊されたとあります。塚は玉垣で囲まれ「神宮寺子太郎之塚」と刻まれた石碑があり、その石碑の下の石積には「南高安村 在郷軍人會 青年団…」とあり、昭和二年(1927)の建立とあります。あと、石...

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鏑矢塚

以前、八尾の市立病院のあった場所の西側に「鏑矢塚」の碑が建てられています。詳しくは市の設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、以前は塚状だったそうです。しかし、現在は石碑と木が一本あるだけで、石碑は昭和五年(1930)に当時の龍華町によって建てられています。それで、石碑は「史蹟」と刻まれた立派な物なんですが、以前は飲食店の看板は石碑の前に置かれていましたので、国道側からは非...

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お初徳兵衛墓

教興寺にある「大通寺」の境内に「お初徳兵衛墓」があります。先週、大通寺にお邪魔させて頂いた際、私御住職から御説明を頂きましたが、門前にある説明碑にはこの墓の事について記されています。それで、少々説明させて頂きますが、教興寺村の宗二の娘である「お初」は、大坂曾根崎の廓の遊女で「徳兵衛」は大阪内本町の木綿問屋「平野屋」の養子であったそうで、その家主には「おきた」と言う娘があったそうですが、いつの頃から...

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長曽我部物見松遺址

「今口地蔵尊」の境内地に「長曽我部物見松遺址」があります。この場所はこれまで度々訪れているのですが、詳しい事はあまり知りませんので、現地にある説明板を御覧頂きたいと思います。あと「慶春五輪塔」があり、こちらは八尾市の設置した説明碑があります。それで、他の石造物に関しては顔の部分と右側が欠損した石仏一体があり、並んで「南無地蔵尊」「久新田」と刻まれた花立があります。この石仏は以前、地蔵堂でまつられ、...

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俊徳丸鏡塚

「俊徳丸鏡塚」は現地に設置されています説明板にもあります様に、謡曲「弱法師」浄瑠璃「摂州合邦辻」の主人公である「俊徳丸」の塚(墓)と伝えられているものです。実は私も殆んど詳しい事は知りませんでしたが、山畑には「俊徳丸屋敷跡」と呼ばれる一角があり、近年まで屋敷林の一部と思われる小さな竹藪と石垣が残っていたのだそうです。あと、鏡塚の近くにはかつて「箸塚」と言う名の塚もあり、これは信吉長者(山畑長者)が...

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安岡正篤旧宅

善根寺町に「安岡正篤旧宅」があります。詳しくは現地に説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、人物に関しては、私がここで説明するよりもインターネットでお調べ頂いた方が、より詳しく知る事が出来るかと思います。と言っても、私も殆んどこの方について知りませんでしたが、平成の年号の発案者と言う事でした(これも数年前まで知りませんでした)それで、旧宅は茅葺を銅板で覆った入母屋造りで、敷地内には...

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帝国キネマ小阪撮影所跡

菱屋西にある児童公園内に「帝国キネマ小阪撮影所跡」の説明板が設置されています。詳しくは説明板を御覧頂きたいと思いますが、大阪の「東洋商会」と言う活動写真制作、配給する会社を経営していた山川吉太郎らが、イギリスの天然色映画の独占配給権を取得して「天然色活動写真株式会社」を設立し、菱屋西(当時は意岐部村御厨)に撮影所を建設しました。当時、大阪近郊の田園風景が広がる小阪の地に映画の撮影所が建設されたのは...

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八尾の戦争遺跡

いつも私と生駒山を歩くサークルのメンバーであるS氏からある日「八尾枚は昔、軍事物資輸送用の道路やったそうですよ」との御教示を頂きました。それで、手持ち資料にその記述がありませんでしたので、インターネットで調べてみますと、八尾の穴太付近を通る「府道八尾枚方線」は戦時中、大正飛行場(現八尾空港)の予備滑走路として建設されたとの事でした。インターネットで調べましたので、説明は省略させて頂きますが、現地に...

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弓代塚

数年前のある日、自転車で八尾をぶらぶらしてますと「史跡 弓代塚」と刻まれた石碑が建てられていました。それで、写真を見て頂くと分かります様に「ほんまにそんなんあんのん?」って感じの細い地道をとりあえず行ってみる事にしました。地道を行きますと、送電線の下のフェンスに囲まれた真ん中に石碑が一基建てられていました。「塚ちゃうやん!」と思いましたが、石碑には「弓代」と刻まれていました(納得)それで帰宅後、手...

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日下健康道場跡

以前更新しました「日下新池」の記事に書いていますが、この場所には昭和の初めまで娯楽施設である「日下遊園地」がありました。池の北側と東側には温泉や旅館が建ち、催し物等が行われて多くの人で賑わったそうです。その後、菖蒲池遊園地や生駒山上遊園地の開園により、日下遊園地は閉園しましたが、その後の昭和十二年頃に北側にあった日下温泉と旅館銀水が「日下健康道場」となったそうです。健康道場では剣道家の方が、心身鍛...

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航空灯台

ある日夕方のニュースを見ていますと、見慣れた生駒山頂の風景が放映されていました。これはニュース番組内の特集で、かつて生駒山頂に航空灯台があったとの事でしたが、その航空灯台とは以前ここでも取り上げました「生駒山天文博物館」の事だそうです。インターネットで調べてみますと、かなり詳しい事が分りますが、今回は私が最近入手した資料を基に記事を書かせて頂きたいと思います。現在山頂にあります、旧天文博物館の建物...

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平野屋新田会所跡(その9)

本日、平野屋新田会所跡へ行ってきました。記事は長らく更新していませんでしたが、今も季節毎に必ず訪れています。それで、記事を長らく更新していなかったのは「書く事が無かった」為で、大東市が遺構の残る区画購入後は殆んど現状維持と言いますか、説明板を設置する事も無く、そのままの状態で放置されています(あえて放置と言わせて頂きます)ですので、前回の記事掲載の写真と然程変わっていないかと思います。市の方も金銭...

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弁財天塚

都塚にある田畑の中に「弁財天塚」と呼ばれる塚があります。手持ち資料で調べてみましたが、八尾市のホームページと手持ち資料が同じ記述となっていましたので、詳しくは市のホームページを御覧頂きたいと思います。それで以前、文化財調査委員会の設置した説明板をたまたま見かけ、この辺りには古代「弓削遺跡」「西の京」があった事を知りました。この弁財天塚は「弓削廃寺」の遺構、または関連のある遺構だと言う事でしたが、こ...

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味岡新田

かつて中河内を流れていた旧大和川は、江戸時代の付替えにより、その川池床は「新田」と呼ばれる耕地に開墾されました。私の住む東大阪市域にも旧長瀬川跡の「新喜多新田」私の育った場所である旧菱江川跡の「菱屋東新田」旧吉田川跡の「川中新田」は、現在私が暮らす場所から程近い場所にあります。あと、旧楠根川跡の「菱屋中新田」後の「藤戸新田」それで東大阪では多くの方が御存知かと思います、新開池跡の「鴻池新田」があり...

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宇宙科学館

「生駒山天文博物館」の記事を書いた後、ふと子供の頃一度だけプラネタリウムを見に行った事を思い出しました。私、これまでずっとプラネタリウムは閉園した「あやめ池遊園地」で見たものと思っていましたが、良く考えると当時あやめ池遊園地にはプラネタリウムがあったかどうかは確認していませんでした。それで、インターネットで調べましたところ、生駒山頂にあった「宇宙科学館」でプラネタリウムが投影されていたとの事でした...

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生駒山天文博物館

「生駒山天文台」の跡と向かい合い「生駒山天文博物館」の跡があります。昭和二十六年(1951)に開館したこの天文博物館は現在、潜水艦の艦橋の様な建物のみが現存していますが、当時の写真を見ますと、縦に大きく「生駒山天文博物館」と看板が掲げられています。周囲にあった館内施設は、大反射望遠鏡を設置する為の直径9mの銀白色のドームがあり、日中以外でも特別の天文現象があれば一般観覧者にも公開されていたそうで、...

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生駒山天文台

テレビ塔が建ち並ぶ生駒山の山頂、暗峠や慈光寺から続く道を歩いて行きますと、円筒状の建造物が建っています。私、これは牧場等にあるサイロの跡か何かと思い、昔ここに牧場でもあったのか?と思いましたが、これまでそんな話は聞いた事がありませんでした。その後、最近になって手持ち資料にこの建造物についての記述があり、それによるとこの建造物は「天文台」だったそうで、京都大学所属の観測施設で主に太陽観測に使用され、...

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