Category神社仏閣跡 1/2

中野の廃祠

中野に廃祠があります。大きな銀杏の木の下に祠がまつられていますが、詳しい事は分りません。以前、お祓いをしたので廃棄しますと張り紙がしてありましたが、現在は剥がれてしまっています。それで、祠の横を通る道は「旧河内街道」で、私の通勤路でもあります。張り紙に気が付き、もう数年経ちますが、祠はそのままにされています。銀杏の木の神様でしょうか?(於 東大阪市)...

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額田神社跡

「額田神社」は額田大仲日子命を祭神とし「額田大明神」とも呼ばれていたそうですが、明治五年(1872)に「枚岡神社」の境内末社である「天神地祇社」に合祀されています。鎮座地は額田寺の東側、額田会館のある場所が跡地だそうですが、神社だった名残は現在全くありません。それで、額田には額田神社以外に応神天皇の妃であり、額田大仲日子命の母である「高木之入日姫命」をまつる「高木社」あと「棟高大明神」「高佐美社」...

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橋本神社跡

私の地元である「稲田」の鎮守は「稲田八幡宮」ですが、かつて稲田には「橋本神社」があったそうです。これは、私が地元で聞いた話を後日、手持ち資料で確認したのですが、橋本神社は明治五年(1872)に「稲田八幡宮」に合祀されています(大正六年との記述もあり)それで、稲田には「橋本」と呼ばれる地区があり、稲田本町にある道標には「橋本丁中」とあり、稲田村の橋本町の人々によって建てられた事が分ります。鎮座地につ...

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道生寺跡

木の本に「道生寺跡」と刻まれた石碑が建てられています。跡碑の銘文によりますと、慶長年間より大正時代末期まで浄土宗の寺院として存在したそうです。それで、手持ち資料中の大正時代の記録には廃寺ではなく、浄土宗の寺院として記載がありましたので、銘文にもあります様に大正時代末期に廃寺になったと推測出来ます。山号その他の詳しい事は分かりませんでしたが「樟本神社」に隣接する場所に跡碑が建てられていますので、樟本...

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河内国分寺塔跡

「河内国分寺塔跡」は国分東条町の大和川を見下ろす丘陵にあります。柏原市内にある廃寺跡については、ここ数年訪れる事が多く、資料を収集をしてあれこれ調べておりますが、今回は現地に説明板が設置されていますので、そちらを御覧頂きたいと思います。それで、実際にどれ位の規模の塔が建てられていたのか?と言う事になりますが、資料によりますと約50m以上の高さだったと推定出来るそうです。50mとはかなりの高さだと思...

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東山神社跡

髪切にある「慈光寺」の境内には、かつて鎮守社として「東山神社」がありました。由緒等の詳しい事は分かりませんでしたが、明治五年(1872)に「枚岡神社」に合祀され、明治十二年(1879)に復社したそうです。しかし、その後の明治四十年(1907)に再び、枚岡神社の「天神地祗社」に合祀され、境内は東西四十間、南北十九間二尺、七百七十四坪あったそうです。それで、この神社に関して以前より調べていましたが、私...

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大蓮寺跡

「大蓮寺」とはその名の通り大蓮にあった寺院で、明治六年(1873)に廃寺となりました。大蓮寺は京都妙心寺末禅宗の寺院だったそうで、本堂、庫裏、薬医門等の建造物と四方を瓦葺の土塀で囲まれ、境内に鎮守として牛頭天皇、天満宮、稲荷宮の小宮、あと門前には知足庵、桃林庵もあった、かなり規模の大きな寺院だった様です。大蓮にはかつて大蓮寺を含めて三つの寺と六つの庵があったそうですが「大蓮寺」と「真福寺」は安政の...

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西善寺旧跡

中野の「旧河内街道」沿いに「西善寺旧跡」の石碑が建てられています。「西善寺」について手持ち資料で調べてみますと、山号を「龍沼山」と称し、寺地が御徐地(年貢免除の土地)となっており、二十一歩あったそうです。それで、これ以上の詳しい事は分かりませんでしたが、この寺跡は現在自治会の施設となっており、現在の施設は昨年建替られたのですが、以前の施設が使用されているまで、敷地内には梵鐘はありませんでしたが、鐘...

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往生院金堂跡

六万寺町にある「往生院」境内の北東山中に「字九輪塔」と呼ばれる場所があります。往生院に関しては説明を省かせて頂きますが、その字九輪塔は狭い平坦地となっており、この場所にかつて仏堂(金堂)が建立されたと推測されています。金堂跡地には東西15m、南北20mの土壇と礎石が残り、周辺からは梵字が入った鎌倉時代の軒丸瓦が出土し、金堂には阿弥陀如来がまつられていたと推定されているそうです。あと、室町時代の瓦も...

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意足庵跡

衣摺に「善久法師 意足庵跡」と刻まれた石碑が建てられています。「善久法師」とは大和の人で、江戸時代後期に他の三人の僧と共にこの地に来てこの碑の建つ場所を買い取り庵を構え、付近を托鉢していたそうです。その後、他の三人は大和に帰りましたが、善久法師だけがこの地で没し、その庵地は村に寄進されたそうです。その後、この地に四基の墓碑が建てられ、墓碑の総称として「善久さん」と呼ばれていたそうですが、現在この四...

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法通寺址

「法通寺」とは白鳳時代から室町時代頃まで存在した古代寺院で「石切剣箭神社」本殿北側にある「穂積殿」周辺が寺域の中心だったそうです。地域には小字名「法通寺」が残り、文献によると平安時代後半にはその存在が確認出来るそうですが、享和元年(1801)版行の「河内名所図会」には掲載されていないので、江戸時代には廃寺になったと推測されているそうです。あと、石切神社北にある「光養寺」は、江戸時代初期まで荒廃して...

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片山廃寺跡

「片山薬師堂」のある場所には古代寺院である「片山廃寺」の塔が建てられていたのだそうです。詳しくは柏原市の設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、薬師堂の庭はほぼ正方形に近く、塔跡として符合する平面形なのだそうです。あと、説明板に「片山廃寺塔跡」とありますが、薬師堂前に塔心礎、四天柱礎、側柱礎石が並び実物を見る事が出来、以前(大正期以前)は旧状のままの配列が見られたそうで、地...

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杜本神社

国分東条町に「杜本神社跡」があります。由緒等の詳しい事は分かりませんでしたが、杜本神社は明治四十年(1907)に「国分神社」に合祀されています。その後、昭和四十七年(1972)に旧鎮座地である現地に社殿が再興されましたが、国分神社に合祀されていますので、神社跡もしくは元神社と言う事になります。現在、社殿は造営されていますが、鳥居、狛犬、燈籠等の石造物はありませんで、境内と参道階段そばに石碑などの石...

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五条宮址

私、八尾は「~塚」と名の付いたところが多いなと以前より思っていまして、ここでも「大塚」などの塚を幾つか取り上げていますし、これ以降他の「塚」も記事を更新する予定でいます。今回取り上げます「五条宮址」も塚状の史跡で「五条宮址」の標石が建てられています。それで、この場所は割と通る場所なんですが、標石が交番の前に建てられていますので、いつも素通りしていました(これと言った理由はありませんが…)ですので当...

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西高井田八幡神社跡

高井田西に児童公園があり、かつてここには西高井田村の氏神であった「八幡神社」が鎮座していました。手持ち資料で調べてみますと「品陀別命社」ともあり、明治五年(1872)に「鴨高田神社」に合祀されました。破損して少々見辛くなっていますが、詳しくは市の設置した説明板がありますので、そちらを見て頂きたいと思います。現在の跡地は先にも記した様に遊具等が設置され、あと地区の集会場(?)が建てられ、神社の名残で...

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釈迦寺山

「釈迦寺山」は高さ1m、周囲6m四方の土壇状の地だったそうで、現在は周囲を建物に囲まれ、あたかも中庭の様になっています。詳しくは市の設置した説明碑を御覧頂きたいと思いますが、かつては榎木の大木が茂り、朱色に塗られた木の玉垣が張り巡らされていたそうです。それで、説明にもあります様に「千光寺」の遺址であるこの場所には、現在「白髪大神」「釈迦丸大神」がまつられ、一石二尊仏と一石五輪塔が残されています。石...

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淳慶寺跡

玉串元町の「北之辻」と呼ばれる地域に「淳慶寺跡」と刻まれた石碑が、目立つ事なく建てられています。この石碑の建つ場所は旧玉串川跡の東側縁辺を南北に通ずる道沿いにあり、私が八尾方面へ行く際には必ずと言っていいほど通る道です。それで、以前より気になっていたこの石碑についてですが、実は建立年月日を確認するのを忘れてしまいましたので、いつ建てられたのか確認出来ていません。まあ、ここは良く通る場所でもあります...

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松原神社跡

松原村には村の氏神であった「松原神社」がありました。松原神社には「春日神」と「八幡神」がまつられ「春日神社」と呼ばれていた様で、明治五年(1872)に枚岡神社に合祀され、複社する事なく現在に至り、松原地区は現在枚岡神社の氏子となっています。それで、手持ち資料にもこの神社に関しての記述は殆どありませんで、これ以上の詳しい事は分かりませんでしたが、この神社がかつて松原村に鎮座していた事実は知っていまし...

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四条春日神社跡

ここで以前取り上げました「旧四条春日神社」は、明治時代に枚岡神社に合祀後、元の鎮座地から現在地へ本殿と燈籠、狛犬などの石造物が移されました。本殿等が移設されている場所は四条村の方の所有地だったそうで、その関係なのか?詳しい事は分かりませんが、当時建造物、石造物等はこの方の個人の所有となったそうです。尚、本殿は覆屋を被せて保存されています。それで、この四条春日神社は何処にあったのか?と言う事になりま...

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長楽寺跡

岸田堂北町に「長楽寺跡」があります。詳しくは市の設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、明治25年(1892)に廃寺となった「長楽寺」は疱瘡に御利益のある観音様として有名だったそうです。それで説明文にもあります様に、明治以降は西洋医術が入ってきた為に帰依する人も少なくなり、衰運に傾いていったのだそうです。現在、寺跡にはクスノキの古木と寛政年間の長楽寺住職の墓碑一基と祠、鳥居...

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花草神社跡

「花草神社」は旧四条村の山畑の集落にあった氏神で、明治五年(1873)に枚岡神社に合祀されましたが、明治十三年(1880)に復社した後、明治四十年(1907)に「瓢箪山稲荷神社」に遍座する事になり、社殿が移されたそうですが、社殿は台風で破損した為に現在は境内社に合祀されています。それで、四条村は二つの氏神がまつられていた珍しい地区で、一社がこの「花草神社」で、もう一社が「四条春日神社」でした。この...

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太子田太子堂

太子田に「聖徳太子堂」があります。元の聖徳太子像は約600年前に彫られたものだったそうですが、その後火災により焼失し、現在まつられているものはその後に新彫した、約250年前のものだそうです。それで「聖徳太子堂」と刻まれた標石には、小さく「善根寺旧址」と刻まれていますが、かつてこの場所には「善根寺」と呼ばれる寺院があったそうで、明治六年(1873)に廃寺となったそうです。その標石の台座に反花座が使用...

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横沼子守神社跡

「横沼子守神社」は明治五年(1872)に荒川の「鹿島神社」に合祀されました。その後、一時複社したそうですが、大正十三年(1924)に再び合祀され、現在その跡地には「子守神社跡」と刻まれた石碑と寛保二年(1742)の年号が刻まれた燈籠一基が残されています。「横沼子守神社」が、一時期複社した経緯は詳しく分かりせんでしたが、村民にとって氏神は信仰の対象であり、古くから結びついていたものであった為に合祀は...

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智識寺跡

かつて太平寺に「智識寺」と呼ばれる古代寺院があったそうです。周辺には「智識寺」についての説明板が設置されていますので、詳しくはそちらを御覧頂きたいと思いますが、私が少々驚いたのは奈良の東大寺と大仏はこの智識寺を手本に創建されたのだそうです。この場所にかつてこれだけの規模の寺院があった事も驚きですが、智識寺の大仏は東大寺の大仏が造立されるまで、最大の仏像だったと推定されているそうです。「扶桑略記」に...

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賀茂神社跡

「賀茂神社」は大竹の氏神で、現在の西高安町に鎮座していましたが、鎮座地は旧大竹村領の西端となり、大竹の集落からはかなり離れています。現在は大阪外環状線が建設され、更に西側にある事から参拝者は殆んどいないと思われます(現在、大竹は玉祖神社の氏子域)「賀茂神社」は明治四十年(1907)に「玉祖神社」に合祀され、跡地には「式内 賀茂神社跡」「大竹氏子中」と刻まれた、昭和十三年(1938)に建てられた石碑...

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八木寺跡

「八木寺」は枚岡神社北側にあった禅宗の寺院で、明治六年(1873)に廃寺となり、跡地には河内郷土研究会により「史跡 八木寺址」と刻まれた石碑が建てられています。かつて、寺地は約75坪あったそうですが、現在跡地には天正五年(1577)造立の十三仏板碑と、その他石仏数体がまつられています。あと、八木寺の本尊であった「木造薬師如来立像」は、現在この場所から西側にある「浄国寺」にまつられており、保存修理の...

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都留弥神社跡

足代に「都留弥神社跡」があります。旧布施村に鎮座していた「荒川の鹿島神社」「長堂の大歳神社」「三ノ瀬の産土神社」「永和の子守神社」「太平寺の子守神社」「岸田堂の天神社」「菱屋西の稲荷神社」が、村内唯一の式内社であった「都留弥神社」に合祀されていますが、旧鎮座地が布施村の西端に位置していた為、町の発展と地勢を考慮し、大正三年(1914)村の中央に鎮座していた、荒川の鹿島神社の旧社地に遷座されました。...

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若宮八幡宮跡

額田町に「若宮八幡宮跡」があります。若宮八幡宮は、明治五年(1872)に「枚岡神社」に合祀され、末社の「天神地祇社」に合祀されている、神社一覧の掲示に記されています。尚、かつて額田村にあり、合祀された神社は「額田明神社」「若宮八幡社」「恵比寿社」「山上社」「高城社」となっていました。由緒等の詳しい事は分りませんでしたが、境内は南北二十二間、東西二十間あったそうで、現在児童公園となっている跡地は西側に...

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市杵島姫神社

客坊町に「市杵島姫神社」があります。元の鎮座地は客坊公民館のある場所だったそうで、明治五年(1872)に「枚岡神社」に合祀されました。その後、昭和十二年(1937)に社殿と石造物等が現在地に移設されたそうですが、正確には合祀によって廃社となっていますので「旧市杵島神社」となるのかも知れません。これは、上四条町にある「旧四条春日神社」と同様に元の鎮座地ではなく、別地にてまつられているものです。奈良時...

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長柄神社跡

No image

東本町に「長柄神社跡」があります。「長柄神社」は明治四十年(1908)に「矢作神社」に合祀されましたが、詳しくは市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思います。それで、跡地には東郷、庄之内の氏子の方達によって、昭和七年(1932)に建てられた「式内長柄神社址」と刻まれた石碑が、おそらく社殿のあった場所に建てられています。あと、石造物も残されていますが、燈籠は二対あり、跡碑前のもの...

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