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2016
12.11

黒谷の燈籠

Category: 燈籠
黒谷の「高安信貴山道」に解体された燈籠が放置されています。

この燈籠は麓から山越えの道を上がり「十丁坂」と呼ばれる坂を上がりつめた、二十年程前に山崩れにより開けた場所にあり「十丁目燈籠」と呼ばれているそうです。

竿の部分に「常夜燈」「大阪和讃講」「千手院」と刻まれ、文化十二年(1815)の年号があります。

かつては、麓からもよく見えていたそうで、戦前まで毎夜信貴山から灯りを入れに来ていたとの事ですが、昭和三十七年頃に北側の宅地造成の際に解体され、現在もそのままの状態で放置されています。

それで、燈籠付近に御堂があり、毘沙門天がまつられていたそうですが、現在堂はなく、毘沙門天像も小道具屋等を転々とした後、個人の方が買い受けて「意満寺」に寄進されたそうです。

あと、燈籠は各部材が残されているかと思われますが、基壇が折損していますので、修復は可能なのか?私には分かりませんが、可能ならば修復し立て直しされればと思います。

実は手持ち資料に中に、五十年程前に撮影されたと言う燈籠の写真がありましたが、かなり立派な燈籠だった事が分ります。

燈籠の点燈が時刻の目安となっていたそうです。

黒谷の燈籠1

黒谷の燈籠2

黒谷の燈籠3

黒谷の燈籠4

黒谷の燈籠5

黒谷の燈籠6

黒谷の燈籠7

黒谷の燈籠8

黒谷の燈籠9

笹に覆われてよく確認出来ません(於 八尾市)

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2016
04.03

玉祖神社の燈籠

Category: 燈籠
「玉祖神社」の社殿から少し離れた参道石段の南側に燈籠が一基建てられています。

この伊勢燈籠は文政四年(1821)に建てられたもので、中台に「太神宮」竿に「永代常夜燈」「郡川村願人元綿屋八兵衛」と刻まれています。

あと、御覧の通り横に建つ建物と比べても、その大きさが分かるかと思いますが、高さ約5m70cmあるそうで、八尾市内最大の石燈籠だそうです。

それで、その高さ故に基壇も普通の燈籠に比べると数も多く、そこに寄進者の名が連ねて刻まれ、私が確認した所では高安周辺の各村以外に大坂相撲の頭取、大坂市中の商人、横小路、池之島(池島)若江、雁多尾畑、六反等の各村、あと遠く京都、江州(近江)の寄進者の名が刻まれていました。

何故、高安各村以外の寄進者の名が刻まれているその理由は分かりませんでしたが、神社の北側を十三峠越えの道が通り、当時は人々の往来も多かった関係でこの様に寄進者が広範囲なのか?と思いましたが、詳細は不明です。

あと、玉祖神社の燈籠と言えば、豊臣秀頼寄進による慶長九年(1604)の燈籠が知られていますが、こちらは八尾市内最古の燈籠だそうです。

玉祖神社の燈籠1

玉祖神社の燈籠2

玉祖神社の燈籠3

玉祖神社の燈籠4

玉祖神社の燈籠5

玉祖神社の燈籠6

玉祖神社の燈籠7

玉祖神社の燈籠8

この燈籠だけが離れた所に建っています(於 八尾市)
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2015
11.21

東豊浦町の金比羅燈籠

Category: 燈籠
暗峠の地蔵堂前に金比羅燈籠が建てられています。

御存知の方も多いかと思いますが、竿の部分に「金比羅大権現」と刻まれ、弘化四年(1847)の年号に建てられたものです。

この場所に金比羅燈籠が建てられた経緯は分かりませんが、その金比羅燈籠が以前倒れていました。

何故倒れていたのかは不明ですが、燈籠の前に建つ道標は以前と同じでしたので、車等の衝突で倒れたのではない様でした(?)

それで普段、燈籠のつなぎ目(接合部)は滅多に見る事が出来ませんので、これは良い機会だと思いじっくり観察しましたが、石燈籠は単に部材を積み重ねているものだと言う事が非常に良く分かりました(笑)

普段見慣れた燈籠の分解された状態(?)は滅多に見る事はありませんので。

東豊浦町の金比羅燈籠1

東豊浦町の金比羅燈籠2

東豊浦町の金比羅燈籠3

東豊浦町の金比羅燈籠4

東豊浦町の金比羅燈籠5

東豊浦町の金比羅燈籠6

東豊浦町の金比羅燈籠7

東豊浦町の金比羅燈籠8

東豊浦町の金比羅燈籠9

東豊浦町の金比羅燈籠10

それで後日再び訪れますと、燈籠は元の状態に修復されていました。

以前は傾いて建っていましたが、修復の際にほぼ真っ直ぐに建て直された様で、同じく道標も以前は傾いて建っていましたが、ほぼ真っ直ぐに建て直された様でした。

私は道標と金比羅燈籠が建つこの地蔵堂まで来ると「峠まで来たな」と思います。

石畳の道も風情がありますけど…

東豊浦町の金比羅燈籠11

東豊浦町の金比羅燈籠12

少し破損したみたいですけど(於 東大阪市)
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2015
05.05

額田谷のキリシタン燈籠

Category: 燈籠
額田谷(長尾谷)に一基のキリシタン燈籠が建てられています。

建立年代等の詳しい事は全く分かりませんが、枚岡神社にあるキリシタン燈籠とよく似たものです。

キリシタン燈籠は「織部燈籠」とも呼ばれ、竿の部分に立像が刻まれているのが主な特徴で、以前取り上げました、鴻池新田会所と郷土博物館にあるものは共にこの特徴を持っています。

それで、今回取り上げました額田谷の燈籠には、私には判読出来ない文字が刻まれていまして、枚岡神社の燈籠も同じくこの様な文字が刻まれていますが、立像は刻まれていません。

この文字が何を意味しているのかも全く分かりませんが、手持ち資料にある個人で所有する、数基の燈籠の写真を見ても同じ(?)文字が刻まれています。

単にキリシタン燈籠と言っても、立像のみ、文字のみ、立像と文字が刻まれたもの等、様々な形式の燈籠がある様です。

それである休日、久しぶりに自転車の乗ってぶらぶらしていますと(最近自転車に乗ると腰が痛くなるのですが…)真っさらのキリシタン燈籠が建てられていました。

これはどう見ても近年に建てられたものにしか見えませんが、おそらくこのお宅の方がキリスト教の信者さんだと思います?

今は家の前に堂々とキリシタン燈籠建てる事が出来る時代ですが、かつてはそれすら出来ずに信者である事も他言出来ない、そんな時代もあったと思うと、ほんと「時代変われば」です。

額田谷のキリシタン燈籠1

額田谷のキリシタン燈籠2

額田谷のキリシタン燈籠3

八尾のキリシタン燈籠1

《追記》
少し移動しました

額田谷のキリシタン燈籠4

額田谷のキリシタン燈籠5

何でここに建っているんでしょうか?(於 東大阪市・八尾市)
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2015
04.26

池之端町の燈籠

Category: 燈籠
「池之端春日神社」の鳥居前に一基の燈籠があります。

それで、年号等も確認出来ませんで、詳しい事は全く分かりません。

竿に「太神宮」と刻まれていますので「伊勢燈籠」かと思われますが、十年程前に初めてこの燈籠を見た際、私「おかげ燈籠」だと思っていました。

その当時、それ程燈籠に関して知識はありませんでしたのでそう思ったのですが、この燈籠を見ますと「龍間神社のおかげ燈籠と似てるなぁ」といつも思います。

池之端には知り合いがいますので、その知人に地元の事に関して御教示頂いておりますが、この燈籠について伺ったところ「燈籠あるのは知ってるけど、あんまりよう知らんぁ」と言う返事でした。

燈籠のある場所は石材店の敷地(?)かも知れませんので、この燈籠は石材店の所有なのかも知れません。

この場所へは一年を通じて度々訪れる事が多いので、今回その都度撮影した写真の幾つかを掲載させて頂きます。

池之端町の燈籠1

池之端町の燈籠2

池之端町の燈籠3

池之端町の燈籠4

池之端町の燈籠5

明治大正時代のものでしょうか?(於 東大阪市)
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2015
03.07

古町の燈籠

Category: 燈籠
大和川の堤防に「光徳寺」への道標が建てられていますが、傍らに三基の燈籠があります。

それで、私高い所が大の苦手でして、その場所が大和川の堤防の斜面でしたので、長い間そこへ行く事はありませんでした(高さはそれ程でもないかと思いますが、私にとっては恐怖を感ずる程の高さです…)

しかし、非常にこの場所に建つ燈籠が気になっていましたので、意を決して道標(燈籠)の建つ場所へ行ってきました(怖)

写真撮影してすぐ(?)下りてきましたので、いつも石造物を調べる際よりは殆んどと言って良い程「さぁー」っと調べておりません。

それで、5分程で調べた結果ですが(…)下を通る国道25号線からも良く見えます燈籠は金比羅燈籠で竿の部分に「金比羅大権現」と刻まれ、明和八年(1771)の年号があり、現在の大和川に付替えられた後に建てられたものです(場所から考えると当然そうなりますが…)

二基目は竿の部分に「常夜燈」と刻まれ、上部に十字型の溝が彫られていますので、この部分に点燈設備である木製や金属製の火袋が設置されていたものと思われ、はっきり読み取る事は出来ませんでしたが、享保二十年(1735)もしくは享保二十一年(1736)の年号が刻まれている様でした。

最後、残りの一基は中台より上がありませんで、竿の部分に何か文字がありましたが読み取れず、年号等も確認出来ませんでした。

見た目は他の二基より時代の新しいものにも見えましたが、あくまでも私の推測ですのであてになりません。

以上、ごく短時間で調べた結果ですが、興味のある方は実際に現地を訪れて頂きたいと思います。

普通の方なら恐怖を感じない、全く問題ない高さの場所だと思いますので。

私は違いますが…

古町の燈籠1

古町の燈籠2

古町の燈籠3

古町の燈籠4

古町の燈籠5

もう行きません(於 柏原市)
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2015
01.25

西岩田のおかげ燈籠

Category: 燈籠
西岩田に「おかげ燈籠」があります。

このおかげ燈籠は、天保二年(1831)に建てられたもので、竿と台石にそれぞれ「太神宮」「おかげ」と刻まれています。

元は「三十八神社」に建てられていたものだそうですが、社殿新築の際にこの場所に移設されたそうです。

あと、側に記念碑等の石造物は石材が置かれており、おそらく新社殿造営以前にあった鳥居等の石材かと思われます。

それで、東大阪市内に残るおかげ燈籠は全てここで取り上げたと思い、大東市の栄和町にあるおかげ燈籠の記事を最後におけげ燈籠の記事は終了させて頂くと記しました。

しかし、最近偶然このおかげ燈籠を見かけまして、今回記事にした次第です。

おそらく、東大阪市内ではこれが最後のおかげ燈籠の御紹介かと思いますが、もしかしたらまだ私の知らないおかげ燈籠が存在しているかも知れません。

まだまだ知らない事ばかりです。

西岩田のおかげ燈籠1

西岩田のおかげ燈籠2

西岩田のおかげ燈籠3

西岩田のおかげ燈籠4

西岩田のおかげ燈籠5

西岩田のおかげ燈籠6

西岩田のおかげ燈籠7

西岩田のおかげ燈籠8

これで最後やと思いますが(於 東大阪市)
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2015
01.12

上石切町の燈籠

Category: 燈籠
辻子谷を上がって行くと「石切神社上之社」へと続く道との分岐点に燈籠が建てられています。

私、長い間この燈籠は一対だと思っていましたが、天保九年(1838)と弘化四年(1847)にそれぞれ建てられたものです。

形状も殆んど同じですので、長い間一対と思っていたのですが、中台には「歓喜天」基礎中段には「大坂」と同じく二基共刻まれています。

歓喜天と刻まれていますので「宝山寺」または「興法寺」の信仰者による建立だと思われますが、大坂市中の南堀江と刻まれている事からも、聖天さんは商売の神様でもありますので、市中の商人が施主かと思われます。

聖天さんや興法寺への参詣道として利用された辻子谷の道ですが、私的には単にハイキングコースと捉えていますので、感覚的には辻子谷ハイキングコースはここからスタートと言った感じです。

辻子谷は人気のハキングコースですが、江戸時代には鷲尾山と呼び、山桜の名所として大坂でも有名だったそうで、大坂の町人が毎年のように花見物に訪れていたそうです。

この燈籠も他の石造物同様、時代を越えて辻子谷を往来する人々を見守り続けています。

上石切町の燈籠1

上石切町の燈籠2

上石切町の燈籠3

ちょっとずれて建てられていますが(於 東大阪市)
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2014
07.19

谷崎潤一郎ゆかりの燈籠とつくばい

Category: 燈籠
日下リージョンセンターの玄関脇に谷崎潤一郎ゆかりの燈籠とつくばいがあります。

私、純文学に関しては殆んど知識が御座いませんで、谷崎潤一郎と言えば百恵ちゃんと三浦友和が出演していた映画「春琴抄」を見たくらいです(かなり昔ですが…)

その谷崎潤一郎が昭和6年9月から11月まで、現在の善根寺町にあった根津家の別荘に仮住まいしていました。

根津家(根津商店)については、後の機会に記事とさせて頂く事にしますが、当時根津家は別荘のあった生駒山麓の「稲荷山」に遊園地も所有しており、根津家の御寮人である松子夫人のはからいにより、この地に身を寄せる事になりました。

当時、別荘は無人で傷みもあったそうですが、築後十七、八年程度だったので、少し手を入れるだけで住む事が可能で、その後の数か月間、丁未子夫人と夫婦水入らずで過ごしたのだそうです。

その後、谷崎は夙川にあった同じく根津家の別荘の離れに転居する事になりましたが、根津商店は昭和初期の大恐慌のあおりを受けて経営が行き詰まり、昭和7年に倒産して以降、別荘(根津山荘)や遊園地、根津家が明治30年に伏見稲荷から勧請した稲荷神社は倒壊、荒廃し雑木雑草に覆われて、通じる道も分からなくなっていたそうです。

その後、昭和時代後期に荒廃した別荘跡地から燈籠とつくばいが発見され、日下リージョンセンターに移設保存されています。

あと、谷崎がこの地に移り住む事に意欲的になったのは、稲荷山の南側、日下に江戸時代「上田秋成」の暮らした住居跡があったからだそうで、谷崎の秋成への傾向は有名な話だそうです(私は知りませんでしたが…)

尚、動物霊園のホームページでもこの記事とほぼ同様の説明がなされていますので、御参照して頂きたいと思いますが、「稲荷山遊園地跡」「稲荷山神社」も取り上げていますので、合わせて御参照願いたいと思います。

谷崎潤一郎ゆかりの燈籠とつくばい1

谷崎潤一郎ゆかりの燈籠とつくばい2

谷崎潤一郎ゆかりの燈籠とつくばい3

谷崎潤一郎ゆかりの燈籠とつくばい4

上田秋成隠生の地1

上田秋成隠生の地2

上田秋成隠生の地3

燈籠とつくばいは自由に見学出来ます(於 東大阪市)
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2014
07.05

郡川の燈籠

Category: 燈籠
郡川に燈籠が二基建てられています。

集落の中程のそれぞれ別の場所に一基ずつ建てられており、北側に建つ燈籠には「愛宕山常夜燈」「郡川村」と刻まれ、延享元年(1744)の年号があります。

あと、南側に建つ燈籠には「愛宕山燈籠」と刻まれ、延享三年(1764)の年号があります。

それで、この二基の燈籠は所謂「愛宕燈籠」で、講の方々の持ち回りで毎日点灯されているそうですが、私は夜間にこの場所を訪れた事がありませんので、実際に火袋に火が灯されているのを見た事はありません。

しかし、実際に蝋燭に火を灯しているのは、他の場所でも滅多に見る事がありませんので、電球等で点灯しているかと思いましたが、周囲に配線等が見当たりませんでしたので、実際に蝋燭で点灯しているのでしょうか?

以前、知り合いの地車保存会の方に聞いた話では、地車に下げている提灯を蝋燭で点灯するのは消防法に関わるので、禁止されていると聞いた事がありますが、燈籠の様に石造で一定の場所に設置されているものは法の適用外なのでしょうか?

また機会があれば地元の方にお話しを聞こうかと思いますが、そう言った時に限ってなかなかその件について御存知の方にお話しを聞く事が出来ない事が多々あります。

私自身もその件について忘れてしまっている事もありますが。

~追記~
後日近くを通る事があったので確認しますと、ろうそくで点燈されている様でした。

郡川の燈籠1

郡川の燈籠2

郡川の燈籠3

郡川の燈籠4

郡川の燈籠5

郡川の燈籠6

村の災難除けの意味もあるのでしょうか?(於 八尾市)
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2013
03.05

栄和町のおかげ燈籠

Category: 燈籠
栄和町におかげ燈籠があります。

この燈籠は慶応三年(1867)に建てられたもので「おかげ」「太神宮」「村内安全」と刻まれています。

それで、この燈籠前の道は「河内街道」だそうで、恥ずかしながら最近まで知りませんでした。

「宇波神社」までは、旧河内街道が何処を通っているのかは把握していますが、神社より以北は何処を通っているのか?実は今もよく分かっていません。

自宅から住道への近道ではありましたが…

あと、新聞記事に「おかげ」の由来である、道中の「施し」について記されているものがありました。

その内容は奈良県の御所市の旧家で古文書が発見され、文政十三年(1830)年のおかげ参りの施しについて詳細に記されていたそうで「旧御所町」は江戸時代、木綿製品や菜種油などで繁栄した商人町だったとの事です。

この年のおかげ参りは3月頃から始まり、その後約半年間で9729人がこの町に宿泊したのだそうです。

拠出した食料等の記録、計1194件の中には米五石、酒十升等を納めた裕福な油商人、米三十合を共同で寄進した長屋住民、燃料の枝一束、白ウリ一個、漬物少々を差し出した庶民もいたそうです。

御所町では、全675世帯中の約七割にあたる455世帯が寄進し、町ぐるみで参拝者をもてなし、歓迎したのだそうです。

今年は伊勢神宮の式年遷宮にあたります。

栄和町のおかげ燈籠1

栄和町のおかげ燈籠2

栄和町のおかげ燈籠3

栄和町のおかげ燈籠4

この辺りは「押廻」と言うんですね(於 大東市)
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2013
01.30

吉田下島の燈籠

Category: 燈籠
吉田下島に燈籠が建てられています。

竿の部分に「常夜燈」と刻まれ、明治十年(1877)の年号があります。

それで、吉田下島は吉田村の枝郷だそうで、旧吉田村は古くから開けた大きな村だったそうですが、この燈籠の前を南北に通る道は当時、下島から暗越奈良街道へと続く唯一の道だった様です。

あと、以前ここで取り上げました「吉田の燈籠」は新家地区に建てられた燈籠となっています。

それと、地元の方ならお分かりになると思いますが、この燈籠の前の道を南へ行くと「イトー○○カドー」があります。

本題からそれますが、私はいつもこの燈籠の前を通って「イトー○○カドー」へ行きます。

その理由は、自宅周辺に本屋さんが無く、唯一ここに本屋さんがあるからです。

「BOOK…」や「古本市…」等の古書店は近くにあるのですが、普通の本屋さんはほんと、少なくなってしまいました。

これまで普通にあったものでも気が付くと無くなってしまう、ほんまそんな時代になってしもたんでしょうかね?

吉田下島の燈籠1

吉田下島の燈籠2

吉田下島の燈籠3

今年最初の月は全て東大阪ネタでした(於 東大阪市)
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2012
12.02

諸福のおかげ燈籠

Category: 燈籠
諸福におかげ燈籠が一基建っています。

天保二年(1831)に建てられたこの燈籠には「天照太神宮」「河州 諸福村」と刻まれ、諸福村の人達によって建てられた事が分かります。

それで、この辺りには学生時代の友人が住んでいましたので、昔からこの道は良く通っていましたが、この道が「古堤街道」だと言う事は、地元の歴史に興味を持つ様になってから初めて知りました。

今も鴻池から諸福へ抜ける時は、いつもこの道を通って行きます。

あと、この辺りから伊勢宮へ参拝するには、この「古堤街道」を通る「中垣内越え」の道が利用されたそうです。

また参拝後には京都見物に行く事もあったそうで、帰路には「東高野街道」を通ったそうです。

諸福のおかげ燈籠1

諸福のおかげ燈籠2

諸福のおかげ燈籠3

私この道が街道ってあまりピンとこないんです(於 大東市)
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2012
10.07

三住町のおかげ燈籠

Category: 燈籠
三住町にある、お寺の境内に「おかげ燈籠」が一基あります。

「太神宮」「御影踊中」と刻まれ、天保二年(1831)の年号があります。

元はお寺の前の道沿いにあったそうですが、いつごろ境内に移したのか?その他の詳しい事は分かりませんでした。

それで、このおかげ燈籠は三年程前に見に訪れたのですが、当時私はお寺に入るのが少々苦手だった時期でして、この時もかなり敷居が高い感じでしたが「こんにちわ」と挨拶して境内に入らせて貰いました。

その時はお寺の方から何の返事もありませんでしたが、やはり何となく他所の家に勝手に入った様でいい気はしませんでした。

その後、あるお寺に挨拶して入らせて頂きたい旨を伝えますと、快く境内に入れて頂いた事があり、それ以来お寺に入る事に対して、苦手意識がなくなった様な気がします。

でも、やはり誰かいらっしゃる時に承諾を得て入らせて貰う方が私としても気分の良いものです。

ですので、基本は誰もいらっしゃらない時はその場を後にする事にしているんですが…

三住町のおかげ燈籠1

大きなお寺だとそれ程苦手やないんですが(於 大東市)
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2012
09.10

阿遅速雄神社のおかげ燈籠

Category: 燈籠
鶴見区に鎮座する「阿遅速雄神社」の境内におかげ燈籠があります。

竿と基礎には「大神宮」「おかげ」と刻まれ、慶応四年(1868)の年号がありますが、意外にも大阪市内に残るおかげ燈籠はこの一基だそうで、更に意外だった事は、私が幼少の頃より「放出の神社」と呼んでいたこの「阿遅速雄神社」に市内唯一のおかげ燈籠があったと言う事です。

当然の事ながら、これまでそんな事は全く知りませんでした(-_-;)

それで、神社の前を通る道(これも旧街道だそうで数年前に知ったのですが…)を南に行き、駅の北側を通る道と交差する場所の角に、昔おもちゃ屋さんがありました。

現在は閉店されている様ですが、店舗は現在も残り、その前を通ると「おぉー懐かし」といつも思います(子供の頃、ちょこちょこ何かと買って貰いましたので)

あと、駅前の商店街にはかつて映画館があり、ゴジラの映画を見に行った思い出がありますが、近くにある「コノミヤ」にも母親や祖母と一緒に良く買い物に行きました。

それで、当時片町沿線でコノミヤがあったのは放出と鴫野だけでしたが(と思う?)今考えると、食料や日用品等の買い物をする場所が「市場」から「スーパー」へと徐々に移り変わり始めたのが、この頃からだったのかも知れません。

駅前には商店街があり、当時は共存という形で双方賑わっていたと思いますが、時代は過ぎ、現在はスーパー等の量販店が主な買い物をする場所となってしまいました。

おかげ燈籠そっちのけで、懐かしき放出界隈の思い出を語ってしまいましたが…

阿遅速雄神社のおかげ燈籠1

阿遅速雄神社のおかげ燈籠2

阿遅速雄神社

江戸時代の最後に建てられたものです(於 大阪市)
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2012
08.04

大谷神社のおかげ燈籠

Category: 燈籠
「大谷神社」におかげ燈籠があります。

「太神宮 南 かうや道 北 京のざき道」と刻まれ、文政二年(1819)の年号があります。

あと「竹」を〇で囲ったものも刻まれていましたが、これについて詳しい事は分かりませんでした(屋号でしょうか?)

それで「南 かうや道 北 京のざき道」と刻まれている事から、このおかげ燈籠は道標も兼ねていた事が分かりますが、現在神社の手水舎横に移設され、元は東高野街道沿いに建てられていたそうです。

大谷神社のおかげ燈籠1

大谷神社のおかげ燈籠2

大谷神社のおかげ燈籠3

大谷神社のおかげ燈籠4

大谷神社1

大谷神社2

大谷神社3

大谷神社4

大谷神社5

「燈籠」なのか「道標」なのか?やっぱり燈籠ですか?(於 大東市)
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2012
07.15

市杵島姫神社のおかげ燈籠

Category: 燈籠
「市杵島神社」の境内におかげ燈籠が一基あります。

それで、手持ち資料にこの燈籠をおかげ燈籠とする記述はありませんでしたが、今回この燈籠をおかげ燈籠として取り上げさせて頂く事にしました(…)

燈籠には竿と基礎の部分にそれぞれ「太神宮」「踊子中」と刻まれていますが、年号等は確認出来ませんでした。

あと、御覧の様に「火袋」が欠損していますが、欠損の理由は不明で、以前から境内にあったかも不明です。

市杵島神社が合祀後、元の鎮座地からこの場所へ移された際に、別の場所にあったこの燈籠も同じくこの場所へ移されたのかも知れません。

しかし、中河内各所で多くの燈籠を見てきましたが、火袋の無い燈籠と言うのは全く様になりませんね(笑)

火袋は何処にあるのでしょうか?

市杵島姫神社のおかげ燈籠1

市杵島姫神社のおかげ燈籠2

市杵島姫神社のおかげ燈籠3

火袋が無いと小さく見えます(於 東大阪市)
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2012
05.30

吉田の燈籠

Category: 燈籠
吉田に燈籠が建てられています。

元治二年(1865)に建てられたこの燈籠には「氏神 常夜燈」「吉田新家辻 氏子」あと世話人の名が刻まれています。

この燈籠が建てられている場所は旧吉田川跡の南側、旧吉田村の「新家」と呼ばれる地区で、吉田村は「六カ辻」と言い、本郷の「市場」「辻間」「小路」新家の「新家」あと、出郷の「下島」「艮」の集落に分かれていました。

燈籠には「吉田新家辻」と刻まれていますが「辻」は道と道とが交わる場所と言う意味ではなく、集落(地区)を表しているのだそうです。

あと、以前この辺りの事を調べていた際、この燈籠の西側(写真右)の道路はかつて水路(井路)だったと地元の方に伺ったのですが、近鉄東花園駅の南側にある恩智川へ続く道はこの水路跡で、かつては恩智川へ流入していたと思われる、現在は閉ざされた流入口(?)が護岸に残っています。

それで、この燈籠の少し東には道標が建てられていますが、道標の「大坂」を指す方向にこの燈籠がありますので、村内の常夜燈以外に、この道を往来する人達の目印としての意味合いもあったかと思われます。

以前、この「新家」で暮らしていましたので、夜間に点燈されているのを見た事がありますが、今も点燈されているのでしょうか?

吉田の燈籠1

吉田の燈籠2

吉田の燈籠3

流入口跡

今は無い恩智川改修記念碑が写っています(於 東大阪市)
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2012
05.26

龗神社のおかげ燈籠

Category: 燈籠
龗神社の境内におかげ燈籠が一基あります。

この燈籠は天保二年(1831)に建てられたもので、竿の部分に「太神宮」「お可け」と刻まれています。

それで、この付近はかつて「深野池」の堤防跡だったそうで「三年坂」と呼ばれているそうです。

三年坂とは「転ぶと三年で死ぬ」と俗信があるそうですが、深野池の堤防は然程高いものではなかったと思われますので、ここではその様な俗信は伝わっていないそうです。

大東市域は低平地で僅かな傾斜地でも坂と呼ぶ事もあり、戦国時代の古戦場の名残とする「産檸坂」との説もあるそうです。

龗神社のおかげ燈籠1

龗神社のおかげ燈籠2

龗神社1

龗神社2

龗神社3

龗神社4

龗神社5

今は堤防の名残は殆どないと思いますが(於 大東市)
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2012
05.06

八尾木の燈籠

Category: 燈籠
燈籠(常夜燈)は寺社以外でも見かける事がありますが、八尾木の旧村部に燈籠が建てられています。

この燈籠は弘化二年(1845)に建てられたもので、火袋に点燈する為に石段が据付られ、高さは3.7mあるそうです。

それで、基礎の部分に「大門 北小路」と刻まれていますが、この場所は「北小路」と呼ばれているのか?あと「大門」について調べてみましたが、かつて存在したと推定される「弓削(由義)寺」に因む字名なのか?その詳しい事は分りませんでした。

弓削廃寺は東弓削と八尾木の中間にある、字堂ノ前付近にあったと言われているそうで、これより北へ「由義神社」に続く道は「大門小路」と呼ばれていたそうです。

八尾木の燈籠1

八尾木の燈籠2

八尾木の燈籠3

八尾木の燈籠4

昔からここにあったのでしょう(於 八尾市)
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2012
04.24

須波麻神社のおかげ燈籠

Category: 燈籠
「須波麻神社」におかげ燈籠が一基あります。

文政十三年(1830)の年号が刻まれたこのおかげ燈籠は「東高野街道」と「古堤街道」との交差点の北東角に建てられていたそうで、道標も兼ねていたと思われます。

各面には「太神宮 東 なら 木津」「北 京 御影踊連中建之」「南 高野山 世話人若中…」「西 大坂」と刻まれています。

以前は基壇が少し見えていましたが、現在はコンクリートで塗り固められています。

何らかの理由があるのか?少し補修した跡があります。

須波麻神社のおかげ燈籠1

須波麻神社のおかげ燈籠2

須波麻神社のおかげ燈籠3

須波麻神社のおかげ燈籠4

須波麻神社のおかげ燈籠5

須波麻神社1

須波麻神社2

須波麻神社3

須波麻神社4

須波麻神社5

道標を兼ねたおかげ燈籠です(於 大東市)
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2012
03.31

東久宝寺の燈籠

Category: 燈籠
「本町の金比羅燈籠」の道路を挟んで南側、東久宝寺の本町橋の西詰に燈籠が建てられています。

竿の部分には「常夜燈」基礎の部分に「久新田」と刻まれ、幕末の慶応二年(1866)の年号があります。

それで、この場所にはかつて船着場があり、現在は船着場をイメージした親水施設が設置されています。

夜間は点燈されていませんが、小さな照明があり、ライトアップ(?)されています。

夜の写真はある夏の夜、通りがかりに川辺で涼んだ際に撮影したものです。

東久宝寺の燈籠1

東久宝寺の燈籠2

東久宝寺の燈籠3

東久宝寺の燈籠4

夜の長瀬川

ここはいつもゴミが捨ててあったり自転車が止めてあったりします(於 八尾市)
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2012
03.30

本町の金比羅燈籠

Category: 燈籠
本町の長瀬川沿いに金比羅燈籠が建てられています。

竿の部分に「金刀比羅宮」と刻まれ、明治十一年(1878)の年号があります。

それで、この場所は長瀬川の船着場があった場所で、八尾側を「八尾浜」久宝寺側を「船着場」と呼んだそうです。

詳しくは八尾市の設置した説明碑を御覧頂きたいと思いますが、その説明にもあります様に付替え後、井路川となった長瀬川では「剣先船」と呼ばれる川船が運行され、他の川筋で運行される剣先船と区別する為に「古大和川筋井路川剣先船」と称していたそうです。

この場所は度々訪れていますので、その都度撮影した写真の何枚かを掲載させて頂きます。

尚「剣先船」のミニチュアは柏原市立歴史資料館で展示されているものを資料館のご厚意で写真撮影させて頂きました。

本町の金比羅燈籠1

本町の金比羅燈籠2

八尾浜

剣先船1

本町の金比羅燈籠3

本町の金比羅燈籠4

本町の金比羅燈籠5

本町の金比羅燈籠6

現在は休憩場所となっています(於 八尾市)
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2012
03.19

大賀世神社の燈籠

Category: 燈籠
これまで「おかげ燈籠」を取り上げてきましたが、その燈籠がおかげ燈籠であるか否かは、手持ち資料を参考にしています。

燈籠に「おかげ」や「おどり」と刻まれていれば、その燈籠がおかげ燈籠であると判断出来るのですが、例えば「太神宮」とだけ刻まれているものもあり、年号等を考慮しても、その燈籠がおかげ燈籠であるか否か?私にはその判断が難しい場合があります。

今回取り上げます「大賀世神社の燈籠」には「おかげ」ではなく「伊勢講」と刻まれています。

「伊勢講」と「おかげ参り」は同義語とは言えませんが、東大阪市では「伊勢講」を伊勢信仰として「おかげ参り」に関連付けています。

それで、大賀世神社に二対の燈籠があります。

一対は安政二年(1855)の年号があり、もう一対は真新しいもので、平成十五年に再建され、並んで安永八年(1779)の年号が刻まれています。

因みに、明和八年(1771)におかげ参りが流行していますが、燈籠が建てられた時期とは少し間隔があります。

おかげ燈籠は、おかげ参りが流行したその年、またはその翌年に建てられたものが殆んどで、この大賀世神社の燈籠は伊勢信仰に関連したものと言う事になります。

それで、中河内の「伊勢講」について手持ち資料で調べてみますと、伊勢講とは村全体、或は村中の何軒かで毎年積立をし、くじ引きにより数人、または二、三十人の代表が団体で伊勢神宮に参拝する組織の事を言うそうです。

また、村によっては講が二つ、三つある所もあり「伊勢講地」「伊勢講田」と呼ばれる、講中所有の耕作地からの利益を積立し、参拝費用に充てる村もあったのだそうです。

講員(講中)は地区にもよるそうですが、十七歳から二十歳位までの若者で構成され、三十歳位のものが若衆頭となり、先達を務めたそうで、河内地方の伊勢参りの時期は三月から五月にかけて、八日から十五日の日程で実施されたそうです。

伊勢参りは一生に一回と言われたそうですが、二回、三回とお参りする人もいて、これを抜け参り(おけげ参り)と呼ぶそうです。

現在、中河内地区で講による伊勢参りが行われているのか?確認はしておりませんが、私の世代の小学校の修学旅行の定番が「伊勢」だったのは、ある意味「伊勢参り」の名残では?とも思います。

二階建ての「あおぞら号」に乗って行きました。

大賀世神社の燈籠1

大賀世神社の燈籠2

大賀世神社の燈籠3

大賀世神社の燈籠4

大賀世神社の燈籠5

大賀世神社の燈籠6

大賀世神社の燈籠7

伊勢講寄進の燈籠は神社等で見かけます(於 東大阪市)
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2012
03.07

稲葉の燈籠

Category: 燈籠
稲葉に燈籠が建てられています。

この燈籠、御覧の様に基礎が「コンクリート」竿が「石」火袋が「木」笠が「銅」で出来ています。

竿の部分に文字が刻まれていますが、文字が判読出来ませんので、造立年代等は不明です。

それで、夜間この場所を通りますと、燈籠は電気によって点燈されています。

自宅から程近い場所にある、ちょっと珍しい燈籠です。

稲葉の燈籠1

稲葉の燈籠2

稲葉の燈籠3

《追記》
「稲葉神社」に移設されました。

稲葉の燈籠01

ちょっと愛嬌ある感じの燈籠です?(於 東大阪市)
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2012
02.19

若江本町のおかげ燈籠

Category: 燈籠
若江本町におかげ燈籠があります。

このおかげ燈籠は明治三十九年(1906)に建てられたもので、竿の部分には「太神宮」基礎には「見郷所若中」と刻まれ、東大阪市内では唯一、明治三十九年の年号のあるおかげ燈籠となっています。

それで、このおかげ燈籠は以前お寺の境内にあったそうですが、ご住職のお話によりますと、数年前に寺の境内から現在の場所へ移設したと言う事でした。

あと、同じ年号のある「金比羅燈籠」も同じく移設され、少し間隔をあけて並んで建てられています。

こちらには「金比羅大権現」「見郷所町内」と刻まれています。

若江本町のおかげ燈籠1

若江本町のおかげ燈籠2

若江本町のおかげ燈籠3

若江本町の金比羅燈籠1

若江本町の金比羅燈籠2

おかげ燈籠と金比羅燈籠ですが燈籠自体は同じものみたいです(於 東大阪市)
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2012
01.13

善根寺町の金比羅燈籠

Category: 燈籠
善根寺町の東高野街道沿いに金比羅燈籠が一基建てられ、文化七年(1810)の年号があります。

生駒西麓の旧街道沿いに金比羅燈籠が建てられているのは、江戸時代この場所に「善根寺浜」と呼ばれる船着場があり、日下と善根寺の荷物や人を大坂へと運び大変賑わったそうです。

生駒山から流れる「大川」に架けられている橋に「浜の橋」等「浜」の付いた橋名があるのはその名残かと思われます。

それで、この場所から東にある生駒山には大阪城築城の際に石垣用として切り出された巨石が残されていますが、これらの石は、この善根寺浜から深野池、寝屋川を経て船で大坂まで運ばれていたのだそうです。

しかし、川舟でかなりの重量がある石をどの様に運んでいたのでしょうか?

大阪城には生駒産の石が使用されているそうですので、船で運んでいた事は間違いない事実で、かなりの重量だと思いますが。

善根寺町の金比羅燈籠1

善根寺町の金比羅燈籠2

善根寺町の金比羅燈籠3

善根寺町の金比羅燈籠4

浜の橋

大川1

「津之元」「浜」の地蔵尊の近くにあります(於 東大阪市)
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2011
11.27

稲田八幡宮のおかげ燈籠

Category: 燈籠
「稲田八幡宮」の鳥居横におかげ燈籠が一基あります。

このおかげ燈籠は慶応三年(1867)に建てられたもので、伊勢神宮への参拝記念として、稲田の村内に建てられたものをこの場所に移したのだそうです。

それで、この燈籠は東大阪市内の他地区に残るおかげ燈籠とは、異なった形式の燈籠で竿の部分に特徴があります。

あと「北之田丁 若中」と刻まれていますが、これは現在の自治会では北町会の地区にあたるのでしょうか?

やはり、私の地元の事なので非常に気になりましたが、稲田は五町(北、中、南、橋本、旭)が、それぞれ地車を所有
しています。

稲田八幡宮のおかげ燈籠1

稲田八幡宮のおかげ燈籠2

稲田八幡宮のおかげ燈籠3

稲田八幡宮のおかげ燈籠4

地元の歴史を伝える石造物です(於 東大阪市)
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2011
11.26

古箕輪八幡宮のおかげ燈籠

Category: 燈籠
「古箕輪八幡宮」の境内におかげ燈籠が一基あります。

このおかげ燈籠は天保二年(1831)に建てられたもので、竿の部分に「太神宮」と刻まれています。

東大阪市内では、この天保二年の年号があるおかげ燈籠が最も多く建てられています。

笠の部分が破損しています。

古箕輪八幡宮のおかげ燈籠1

古箕輪八幡宮のおかげ燈籠2

今も水路が流れる古箕輪界隈は足を運ぶ事が多い場所です(於 東大阪市)
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2011
11.25

善根寺春日神社のおかげ燈籠

Category: 燈籠
「善根寺春日神社」におかげ燈籠があります。

このおかげ燈籠は、文政十三年(1830)に建てられたもので、竿の部分に「天照皇太神宮」「御蔭」と刻まれています。

それで、神社の境内には多くの燈籠があり、おかげ燈籠もその数ある中の一基になります。

数基の燈籠が横一列に並び、紅葉の時期はとても良い雰囲気です。

善根寺春日神社のおかげ燈籠1

善根寺春日神社のおかげ燈籠2

善根寺春日神社のおかげ燈籠3

善根寺春日神社のおかげ燈籠4

善根寺春日神社のおかげ燈籠5

善根寺春日神社のおかげ燈籠6

そろそろ紅葉も見頃になります(於 東大阪市)
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