Category水路跡 1/1

岩田井路(その3)

これまで「岩田井路」について、二回に分けて記事としましたが、この水路は岩田地区から北西に流れ、新家地区で暗越奈良街道と並行して西へ流れていました。それで、説明の為の地図を作製しませんので、既出の「楠根川」や「暗越奈良街道」の記事を参照して頂きたいと思いますが、第二寝屋川の東側に五差路があり、そこから北の方向、以前取り上げた楠根川の副提跡である「新家堤」の西側を並行して岩田井路は北へと続いていました...

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岩田井路(その2)

東大阪市内を「暗越奈良街道」が東西に通っています。自宅近くには「松原宿跡」があり、休日に地図を片手に街道歩きをされる方を見かけける事が度々ありますが、以前街道からそれてしまい、迷っていた方を案内した事もあります。それで、前回の続きとなりますが、新家の旧村の南側を旧街道が通り、南から流れて来る「岩田井路」が、かつて街道に沿って西へ流れていた事を御存知の方は少ないかと思います。地元の方は当然御存知かと...

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岩田井路(その1)

「暗越奈良街道」の記事中、かつて新家から御厨の街道沿いを流れていた水路について少しふれています。現在、水路は埋立てられその痕跡は殆んど認められませんが「新家菅原神社」には東大阪市が設置した説明板があり、そこに掲載されている写真には街道沿いを流れる水路を確認する事が出来ます。この写真は「新堀川跡」の記事に掲載している写真と同じもので、同じ写真を「楠根川」の記事で説明していますので、そちらを参照して頂...

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新堀川跡

「新家菅原神社」に東大阪市の設置した説明板があり、そこに昭和十七年頃に撮影された航空写真が掲載されています。この写真を見て頂きますと、御厨の旧村の東側を流れる「旧楠根川」とここで以前取り上げました「新家堤」との間にある、藤戸新田(旧菱屋中新田)の中央を南北に水路が流れているのが分かります。この水路(井路)は「新堀川」と呼ばれていました。新堀川は明治二年(1869)に灌漑用に掘られた水路で、水源は現...

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用水路の移りかわり(その6)

今回で最終回となります「用水路の移りかわり」は「夜、田に水をあてる図」です。説明板には「晴天が続いて水不足になったときは作付面積に応じ、昼夜を通して取入口に張り番しながら時間割により水をあてる」とあります。それで今回、写真が用意出来ませんでしたが、これには「香盤」と呼ばれるものが使用されていました。香盤とは田に水を入れる時間を「香」を焚いて計る道具で、20センチ程の方形の箱に灰を入れ、灰ならしの道...

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用水路の移りかわり(その5)

「はねつるべ」とは御存知の方もいらっしゃると思いますが、畑などにある井戸から水を汲む為のもので、私がまだ子供の頃にはごく普通に見かけたものでした。それで子供の頃、このはねつるべはのつぼから肥えをすくうものだと思っていました(勿論子供の頃の話ですが…)「何ちゅう事を言うとんねん」と怒られてしまいそうですが、そのはねつるべも何か知らない間に見かけなくなったと言いますか、時代の流れで田畑が工場や住宅に変...

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用水路の移りかわり(その4)

今回の「用水路の移りかわり」は「昔の用水路の姿」と題したものです。説明には当時、用水路の行き交った川船について説明があり「井路川船」または「剣先船」とあります。「剣先船」とは御存知の様に近世の新旧大和川筋で活躍した川船の事で、詳しく説明しますと長くなりますので、大幅に省略しごく簡単に説明したいと思います。それで、一口に剣先船と言っても四種あったそうで「古剣先船」「新剣先船」「在郷剣先船」「井路川剣...

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水路の跡(その7)

学校も夏休みに入りましたが、私は子供の頃(今もですが…)虫や魚を捕りに行くのが好きで、夏休みになると網を片手に近所の友達と原っぱや水路へ良く行ったものでした。その中で「ザリガニ釣り」は、夏休みになるとほんと良く行ったものでしたが、どなたも幼少期にはザリガニを釣りをする、定番の「釣り場」があったと思います。私の場合、家から程近い七軒家にある小さな池でしたが、現在その池の水は枯れてしまいましたが、池跡...

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水路の跡(その6後編)

ある休日、久しぶりに実家周辺をぶらぶら歩いていますと遊歩道がありました。この遊歩道は他の地区でも見かける事がある、水路跡に整備された遊歩道です。この遊歩道を見た時「昔ここ川流れてたなぁ」と思い出したのですが、とりあえず「前編」で記しております、この水路が「菱江川」と合流していた場所へ行ってみたのが事の始まりでした。前回、民家と民家の間を流れていた、この水路跡の現在を御覧頂きましたが、今回「後編」は...

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水路の跡(その6前編)

私の地元に地区の「住居表示案内図」が設置されています。少し説明しますと、水色で表記された箇所が河川や水路で、案内図の上側を流れているのが「五箇井路」と「六郷井路」です。そして、左下を流れているのが「第二寝屋川」で、中央を左右に流れているのが「菱江川」となっており、右側にあるのが名も無い、以前はゴルフ練習場で現在商業施設になっている付近を流れてい水路で、子供の頃メダカをとって遊んだ事もあります。それ...

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用水路の移りかわり(その3)

今回は「加納地区の昔を再現したもの」です。再現と言っても、昔の加納の町並みを地図で表したもので、寺社の他に商店が何処にあった等、詳しく記されています。この町並みの時代は分りませんが、そこには「米屋」「豆腐屋」「酒屋」「駄菓子屋」「乾物屋」「魚屋」等の食料品店に加え「石鹸屋」もあった事が記されています。石鹸が日本で普及し始めた時期を調べると明治時代後半だそうですので、それだとこの地図は明治時代後半以...

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水路の跡(その5)

「鴻池井路」は江戸時代に鴻池新田内に掘られた灌漑用の基幹水路で、水路としての役目を終えた現在は埋立てられ、遊歩道に整備されています。水路跡は「川田ふれあい通り」「鴻池四季彩々とおり」「徳庵希望通り」と名付けられた遊歩道となりましたが、鴻池四季彩々とおりと徳庵希望通りの間は遊歩道が整備されていません。具体的に言いますと、鴻池四季彩々とおりを西へ大阪中央環状線を越えてすぐのところで、水路は90度北に向...

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用水路の移りかわり(その2)

今回は「脱穀」と題した説明板です。現在、脱穀は機械で行われていますが、その昔稲穂から籾をはずす際「穂扱き箸」と言うものを使用していたそうです。その後、江戸時代の中期以降は絵にある様な「千歯扱き」が使用される様になりました。これは稲束を歯にかけて引く事により、多くの籾を取る事が出来たそうで、その為「後家倒し」と呼ばれたそうです。私、こんな言い回しが非常に好きなんですが、何故「後家倒し」と呼ばれたのか...

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もじり樋

江戸時代「新開池」を新田開発して「鴻池新田」となりましたが、新田開発する以前より新開池内には灌漑用や排水用に水路(井路)が掘られていました。新田開発後、さらに水路を新設しなければなりませんがその際、既存の水路と合流しない様に水路の下に暗渠を設置して立体交差させている場所があります。その暗渠の事を「もじり樋」と言います。この場所は新設の「鴻池井路」と既存の「加納井路」が交差している場所で、写真の様な...

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用水路の移りかわり(その1)

これまで「水路跡遊歩道」を取り上げてきましたが、その遊歩道に「用水路の移りかわり」と題した水路の事に関して記されている説明板が設置されています。全ての遊歩道に設置されている訳ではありませんが、各遊歩道の内で設置されているものを取り上げてみたいと思います。先ず始めに「用水」と題した説明板ですが、かつて水田より低い位置にある用水路や池から、田に水を入れる為に「踏車」と呼ばれる人力の揚水機が使用されてい...

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水路の跡(その4)

古箕輪周辺の水路跡を辿り始めた頃「西昇遊歩道」の南の出入り口前で、水路の埋立て工事が行われていました。この場所は古箕輪、吉原、角田が境界を接する場所で、水路は暗渠となり南へと続いています。私がこの場所を初めて訪れた時点で、埋立て工事はほぼ完了していた様でしたが、その後この水路跡がどの様に整備されるのか興味があり、定期的に足を運んでいました。その後、水路跡は遊歩道と道路に整備されましたが、道路につい...

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水路の跡(その3)

いつもこのブログにコメントを頂く方から「鴻池の商店が取壊された跡に水路がある」と教えて頂き、早速確認しに行く事にしました。現地を訪れますと、幼少の頃より見覚えのあった商店の一画が更地となり、そこに暗渠化されている水路がありました。その際、初めて知ったのですが、この場所にあった商店は現在ある商店も含めて、水路上にあった事になります。建物内部はどうなっていたんでしょうか?ちょっと興味のあるところです。...

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水路の跡(その2)

現在も水路が残る古箕輪とその周辺ですが、埋立てられてしまった水路もあります。そんな水路跡の中には、長らくも更地となっていた場所がありましたが、そこに住宅が建設され道路が整備されています。近頃の住宅建設は工期が短期間の様で、道路が整備され住宅が完成する迄、非常に短い期間でした。「人の手で掘られた水路が、今度は再び人の手によって埋立てられ、また違う用途に使われる」普段見る風景の一部かも知れませんが、時...

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水路の跡(その1)

昔から身近にあった水路がその役目を終え、その多くが埋立てられています。埋立て後は遊歩道に整備されたりと、かつてそこが水路だった名残を残す所もありますが、殆どは道路に整備されたり、あるいはそのまま埋立てられた状態で帯状の更地となっている場所もあります。私は自宅周辺の水路跡を中心に数年前から探索していますが、水路が無くなると言う事は同時にその周辺の風景も変わってしまう事にもなります。かつてそこに水路が...

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