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茅葺の家(その18)

東大阪市内に茅葺のお宅があります。

大和棟造り立派なお宅で、建築年代等の詳しい事は分りませんでしたが、東大阪市内では著名な方のお宅だそうです。

この宅の前はこれまで度々通っていますが、門から主屋へと通ずる通路には多くの木々や庭石が置かれ、一見郊外にある古民家の様にも見えます。

写真の柿木が何ともい雰囲気です。

それで、市街地にある茅葺のお宅は最近見かける事が少なくなってきましたが、取り壊しや建替えではなく、周囲にマンションや住宅が隣接、密集して建てられた事により、目立たなくなったのかも知れません。

ほんと、最近殆んど見かける事がなくなりました。

茅葺の家18-1

敷地が広いお宅です(於 東大阪市)

船板塀

八尾市内に船板塀の蔵があります。

この蔵の前は以前から度々通っていましたが、船板が使用されている事に気が付いたのは二年程前です(15年前位から通っていましたが…)

このお宅は大和棟造りの立派なお宅で、現在は喫茶店(今風で言うとカフェですか…)を商店を営業されています。

カフェをされていると言いますと「あぁ」とお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、先週高安山から下って来た際、何かの良い匂い?がしたので、ちょっと休憩して行こうかと思いましたが、入らずに別の店でビールで一杯やりながら昼食をとり帰宅しました(アルコール類はなさそうだったので)

それで、船板塀について詳しい事は分りませんが、この宅の船板塀には「船釘」が残されています。

今年、ほぼ毎週このお宅の前を通っています。

船板塀7-1

船板塀7-2

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船板塀7-5

船板塀7-6

船板塀7-7

今度は一度カフェに(於 八尾市)

茅葺の家(その18)

八尾に茅葺のお宅があります。

建築年代等の詳しい事は分りませんが、方入母屋造りの立派なお宅です。

街道沿いにありますので、インターネットのサイト等でも写真が掲載されていましたが、今回は方入母屋造りが分かる方向から撮影した写真を掲載させて頂きました。

街道沿いからは、切妻側に塗られた白の漆喰が見えています。

茅葺の家18-1

茅葺部分が広いです(於 八尾市)

茅葺の家(その17)

東大阪市内に切妻造りの立派なお宅があります。

棟上と妻側屋根が瓦葺きで、その他の大屋根が茅葺の高塀造りとなっており、建築年代は分からないそうですが、江戸時代中期以降の建築と推定されているそうです。

それで、このお宅近くを通る事が多いのですが、白の漆喰が非常に綺麗で、よく見ますと窓が設けられていますので、屋根裏にも部屋があるのでしょうか?

かなり大きなお宅なので、屋根裏と言えどもかなり大きな広さがあるかと思います。

敷地の方もかなり広いお宅で、長屋門があり蔵も建てられています。

この地区では最も大きなお宅ではないでしょうか?

茅葺の家20

茅葺の家21

三階建て位の高さがあるでしょうか?(於 東大阪市)

茅葺の家(その16)

八尾に茅葺の家があります。

建築年代等、詳しい事は分りませんが、屋根の中央が茅葺の「大和棟造り」のお宅です。

それで、屋根は複雑な形状をしていますが、瓦も違う形状のものが複数使用されています。

私、瓦について殆んど知識はありませんが、瓦を葺き直すのもさぞ大変な事でしょう?

時代の流れに伴い、生活条件に応じた改築等が行われ原形をとどめていない古民家も多くありますが、このお宅は比較的原形をとどめているかと思います。

内部に関しても非常に興味のある所ですが、個人の所有物で一般公開されている訳ではありませんので、拝見出来ない事が少々残念に思います。

郷土博物館等で昔の生活道具は展示されていますが。

茅葺の家18

茅葺の家19

このお宅の前はよう通ります(於 八尾市)

船板塀(その5)

柏原に船板塀の蔵がありました。

ある日、いつもの様に柏原をぶらぶらしていますと、路地の奥に船板塀が見えましたので行ってみますと、そこには船板塀の蔵がり、壁の一面だのみに船材が使用されている様でした(他面は敷地内ですので確認出来ませんでしたので…)

それで、何気なしに船板塀を見ていましたが、何故か端の部分だけが焦げていました。

船板の焼板(?)かと思いましたが、船板塀に続く板塀が新しいものに見えましたので、もしかすると火災等によって部分的に船板塀が焦げてしまったのでしょうか?

もし、違うのなら失礼になってしまいますが、地元の方に「この宅で火事があったのですか?」と聞く訳にもいかず、この焦げた部分については詳細不明です。

この船板塀は何隻分の船板が使用されているのでしょうか?

船板塀18

船板塀19

船板塀20

船板塀21

船板塀22

船板塀23

船板塀24

舟釘以外に普通の釘も沢山打ってありました(於 柏原市)

茅葺の家(その15)

八尾の東部に茅葺のお宅があります。

このお宅について詳しい事は分りませんが、越屋根が設けられた大和棟造りのお宅です。

それで、このお宅の前を時折通る事があるのですが、ある日茅葺が葺き替えられている事に気が付きました。

御覧の通り、別のお宅と見間違える程の仕上がりですが、庄屋屋敷や豪農の家屋では屋根材料として「茅」が使用され、三十年から四十年はもつのだそうです。

それに対し、農家等の小規模な家屋では容易に得られる「稲わら」や「麦わら」が使用され、十年程で葺き替えなければならないのだそうです。

茅葺は費用も工期もそれなりに必要かと思われますが、トタン張りや瓦葺きにされているお宅が多い中、茅葺を維持されている事は、何か「家」に対する思いが伝わる様に思います。

手入れ等は大変だと思いますが…

茅葺の家16

茅葺の家17

私が最近見た茅葺のお宅で一番手入れが行き届いたお宅です(於 八尾市)

茅葺の家(その14)

私が度々通ります、東大阪市内の道路沿いに茅葺のお宅があります。

大和棟造りのこの宅は、江戸時代後期から明治時代に建築されたそうですが、詳しい事は分からないそうです。

敷地内には蔵が建ち並び、そちらの方も古い時代の建築かと思われますが、残念ながら個人のお宅ですので簡単に拝見する事は出来ません。

しかし、東大阪には「鴻池新田会所」「旧河澄家」が一般公開されていますので、興味のある方は足を運んで頂きたいと思います。

因みに鴻池新田会所は観覧料は無料、旧河澄家は無料となっています。

茅葺の家15

白壁が綺麗でした(於 東大阪市)

水の家(その8)

今回は八尾市内にある「水の家」を取り上げたいと思いますが、このお宅で一旦「水の家」の記事は終了とさせて頂きます。

と言うのも、この宅が写真撮影した最後のお宅でして、これ以降は見かけ次第更新とさせて頂きます。

それで、詳しい事は分かりませんが、現在このお宅は住居としては使用されていない様で、倉庫として使用されているかと思います。

私、この宅の前を度々通っているのですが、いつも農機具を収納されているのを見かけるからです。

この場所は標高があり、周囲には灌漑用の溜池が点在していますが、昔はいざ火災となっても手の施しようがなかったのかも知れません。

現在も同じかとは思いますが、当時も家と言うものは財産であり、後の代まで受け継いで行く事から、この様に災難除けに「水」と掲げられたのだと、これまで多くの古民家を見て行くうちに思う様になりました。

今でも多くの古民家が残っているのは、そんな理由もあるのかも知れません。

まあ、昔と今ではかなり住宅事情や家族事情は変わってしまったとは思いますが。

水の家39

水の家40

「水」もいろんな字体で書かれて?います(於 八尾市)

トタン張りの家(その5)

今回の「トタン張りの家」は東大阪市内にあるお宅を取り上げますが、一軒目のお宅は「この家古い家やなぁ~」と思い、その後トタン張りの家に興味を持ったお宅であります。

このお宅は築100年以上経つそうで、50年ほど前に茅葺をトタンで覆われたそうです。

今も時折通りがかる事がありますが、当時としてはこの位が一般的な庶民(?)の住宅のサイズだったのでしょうか?

二軒目のお宅は築150年以上だそうで、かなり以前(幼少期)から知っていました。

それで、私の自宅周辺には市の文化財に指定されているお宅があります。

一軒は江戸時代末期に建てられた市内幕末期の典型的住宅だそうで、このお宅は庄屋を務められていたそうです。

現地に東大阪市が説明板を設置しています。

あと一軒は今回、建物の写真は撮影出来ませんでしたが、先のお宅と同じく説明板が設置されています。

その説明には18世紀中頃以降に建築されたとあります。

以上、四軒のお宅について記しましたが、これまで東大阪市内で撮影しました「トタン張りの家」の写真の一部を一緒に掲載させて頂く事にします。

古民家は一般に公開されている施設ではありませんで、お住まいの方が建物を維持管理されています。

その維持管理はさぞ大変であろうとは思いますが、時代を伝える建造物がいつまでも残されるよう、願いたいものです。

トタン張りの家24

トタン張りの家25

トタン張りの家26

トタン張りの家27

トタン張りの家28

トタン張りの家29

トタン張りの家30

トタン張りの家31

トタン張りの家32

トタン張りの家33

トタン張りの家34

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トタン張りの家39

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トタン張りの家42

トタン張りの家43

トタン張りの家44

トタン張りの家45

トタン張りの家46

トタン張りの家47

トタン張りの家48

今回は東大阪編でした(於 東大阪市)

船板塀(その4)

自宅から然程遠くない場所に船板塀の蔵があります。

これまで取り上げました船板塀の建造物と同様、道に面した壁面に腰板の建材として船材が使用されています。

それで、船材が使用される理由についてですが、風雨による土塀の損傷を防ぐ為だそうで、釘跡も規則的に残り、それが模様の様な形となっています。

あと中河内に関して、船板は所謂「川舟」の船材だと思っていたのですが、海で使用された船の船材も使用されているそうで、塩分を含んだ厚板で覆うので虫害や盗難を防ぐのにも役立ったのだそうです。

そこで、船材のどの部分が建材として再利用されているのか気になり、以前「鴻池新田会所」に保存されている「川舟」を確認しに訪れてみました。

主に船底の船材が使用されている様で、私の推測ですので一概には言えませんが、確かに同じ模様がありました。

しかし、実際には全ての部材が使用されているのだと思われます(船釘も再利用されている場合もありました)

船板塀も最近は見る機会が非常に少なくなりました。

船板塀13

船板塀14

船板塀15

船板塀16

船板塀17

川舟1

川舟2

川舟3

川舟4

しかし誰が思いついたんでしょうかね(於 東大阪市)

茅葺の家(その13)

今回取り上げますのは東大阪市内に残る茅葺のお宅で、中央部が茅葺の「大和棟」と呼ばれる造りとなっています。

建築年代等は分かりませんでしたが、40年以上前に滋賀の茅葺職人によって葺き替えられたそうです。

この写真は昨年に撮影したものですが、茅葺も状態もかなり良いかと思われますが、この状態で葺き替え40年以上経っていると考えると、茅葺と言うのはいったいどの位もつのでしょうか?

その辺りは私よく知りませんが。

これ以降、茅葺のお宅はもう少し御紹介出来るかと思います。

茅葺の家14

増築部は農家型の主屋と違う意匠による建築だそうです(於 東大阪市)

茅葺の家(その12)

今回取り上げますお宅は屋根が特徴的で、入母屋造の屋根が十字に交差した様な造りです。

この宅の詳しい事は分かりませんが、私この様な茅葺屋根はここ以外では一度も見た事がありません。

それで、この宅は柏原市で初めて取り上げます「茅葺の家」となりますが、私このお宅の前は定期的に通っていまして、今月も三度程通りました。

今のところ私が写真撮影した「柏原の茅葺の家」では唯一、一軒のお宅となります。

柏原もほぼ全域にわたって探索したと思いますが、このお宅以外にも茅葺の家はあるんでしょうか?

結構、柏原うろちょろしてるんですが…

茅葺の家13

ほんま珍しい造りの屋根です(於 柏原市)

水の家(その7)

今回の「水の家」はこれまで東大阪市内で撮影したお宅を全て見て頂きたいと思いますが、最近は東大阪市内でも見かける事が少なくなってきました。

「トタン張りの家」もそうなんですが、以前あったお宅が次に訪れると建替えられていたり、完全に取り壊されて建売住宅となっている事も多くなりました。

ですので、これまで御紹介しました「古民家」にも既に取り壊され、現在は存在しないお宅もあります。

やはり古民家には今の住宅には無い「風情」と言うものがある様に思いますので、これからもそんなお宅に出会う事がありましたら、ここで御紹介し続けて行きたいと思っています。

尚、今回御紹介します各お宅について、詳しい事は分かりませんので御了承願います。

水の家28

水の家29

水の家30

水の家31

水の家32

水の家33

水の家34

水の家35

水の家36

水の家37

水の家38

東大阪の「水の家」は今回で終了です(於 東大阪市)

船板塀(その3)

今回取り上げます、船板塀の蔵は私が初めて見た「船板塀」です。

まあ、これまで知らず知らずの間には見ていたかと思いますが、これが船板塀だと分かった上で見たのがこの蔵になります。

この蔵の建つ場所は現在も玉串川に沿った田畑の広がる地区で、その昔は農作物の輸送等に舟が使用された事は容易に想像出来るかと思います。

それで、建築資材として船材が使用される理由は良く分からないのですが、一見水と関わりの無いと思われる場所でも、船板塀の蔵があると言う事で調べてみますと、その昔は水(水路)と関わりのある場所だったと言う事が時折あります。

それだけ現代において水路の必要性もなくなり、埋立てや暗渠化された水路が数多くあると言う事になるのでしょうが、水路が交通手段として使用された時代の名残である船板塀も最近見る機会が少なくなってきました。

船板塀8

船板塀9

船板塀10

船板塀11

船板塀12

ここは度々通る場所です(於 八尾市)

長屋住宅

東大阪市内に木造二階建ての長屋住宅があります。

この長屋住宅のある場所周辺は、私の自宅からそれ程遠い場所ではありませんで、休日には近くを通る事も多く(今年も幾度となく通っています)以前から建物自体、ある事は知っていました。

それで、以前は住人の方がお住まいでしたので、ここで取り上げるのをひかえていましたが、最近地元の方にお話しを伺う機会があり、現在お住みの方はいらっしゃらないとの事でしたので、今回取り上げる事にしました。

そのお話を伺った高齢の女性によりますと、その方がこの土地に嫁がれた時には既に建設されていたそうで、築70年程ではないかと仰っていまして、所有者(大家さん)は御近所にお住まいとの事でした。

あと私が調べたところによると、この長屋住宅は「永楽荘」と言うそうで、昭和十六年(1941)に建てられたものだそうです。

外壁が木製の鎧壁の同じ住宅が二棟あり、一階と二階が通しで台所とあと部屋が三間の間取りだそうで、各戸に浴室が設置されているそうですが、建築当初はかつて北側に存在した別棟に共同の炊事場と浴場があったそうです。

尚、この長屋住宅は保存状態の良いものとしては、東大阪市内では最も古いものだそうです。

私が幼少の頃はまだこの様な木造の長屋住宅も結構ありましたが、二階建てではなく平屋が多かった様に思います。

しかし当時、賃貸住宅としては「文化」の方が多かったかと思います。

長屋住宅1

長屋住宅2

長屋住宅3

長屋住宅4

長屋住宅5

長屋住宅6

長屋住宅7

長屋住宅8

長屋住宅9

《追記》
残念ながら取り壊されてしまいました。

長屋住宅10

長屋住宅11

長屋住宅12

長屋住宅13

長屋住宅14

長屋住宅15

長屋住宅16

長屋住宅17

臭気筒とパラボナアンテナがご愛嬌です(於 東大阪市)

茅葺の家(その11)

「茅葺の家」も最近殆ど見る機会が少なくなってきましたが、あと数軒はここで御紹介する予定でいます。

そんな茅葺の家の中で今回は八尾市内で一番有名なお宅を御紹介したいと思います。

八尾の方なら御存知だと思いますので説明は省略させて頂きますが、少しだけ説明しますと、この宅は八尾市内最古の町屋で建築年代は江戸時代の18世紀前半と推定されているそうです。

大きく立派なお宅です。

茅葺の家11

茅葺の家12

素晴らしく手入れされた茅葺です(於 八尾市)

船板塀(その2)

今回は以前にも取り上げました「船板塀」の二回目です。

今回も白壁に船板を使用した蔵で、良く見ますと船釘も使われていました。

このお宅はかなり立派なお宅でしたので、建築年もそれなりの時代のものと思われ、このお宅の建つ場所から推測して「剣先船」の船材を利用しているのではないか?と思いました。

私、基本的に旧村を繋いで探索しますので、古民家を見る機会が多いとは思いますが、それでも二回目、三回目に訪れた際には取り壊され、残念に思う事が多々あります。

最近は「茅葺のお宅」も見る機会がかなり少なくなってきましたが「トタン張り」「水の家」を含めてこれからもここで取り上げていきたいと思っています。

でも最近は「古民家」の記事の更新がおろそかになっておりましたが…

船板塀4

船板塀5

船板塀6

船板塀7

船釘は鍛冶屋さんで一本一本作るので手間がかかります(於 八尾市)

トタン張りの家(その4)

昨日に引き続き本日も古民家の「トタン張りの家」を更新しようと思います。

詳しい説明は今回も省略させて頂きますが、最近は同じ古民家である「茅葺の家」「水の家」は見かける機会が少なくなってきましたが「トタン張りの家」は探索の際に必ずと言っていいほど見かける事が多いです。

しかし、老朽化などで建て替える為に取り壊される事もあり、ある日突然建物が無くなっていると言った事も時折あります。

一枚目の写真のお宅も取り壊されて現在はありません。

そんな「トタン張り家」を今回もまとめて見て頂こうと思います。

トタン張りの家14

トタン張りの家15

トタン張りの家16

トタン張りの家17

トタン張りの家18

トタン張りの家19

トタン張りの家20

トタン張りの家21

トタン張りの家22

トタン張りの家23

こうやって見るといろんなトタン張りがあるもんです(於 東大阪市・八尾市・柏原市・大東市)

水の家(その6)

久しぶりの「水の家」の更新ですが、詳細等の解説は省略させて頂きます。

以後の更新もそうなると思いますが…

今回はまとめて御覧頂きますが、所在地は全て東大阪市内となっています。

水の家19

水の家20

水の家21

水の家22

水の家23

水の家24

水の家25

水の家26

水の家27

「水」にもいろいろあります(於 東大阪市)

水の家(その5)

久しぶりの「水の家」の更新となりますが、今回も私が見かけた「水の家」を御覧頂きたいと思います。

先ずは「水」と書かれた水の家です。

水の家9

水の家10

文字通り「水」と書かれているお宅で、多くのお宅は「水」の字が切り抜き文字ですが、このお宅以外に水と書かれているお宅を見た事がありません。

人通りの多い場所にありますので、御存知の方もいらっしゃるのではないかと思います?

次は赤いトタン張りの水の家です。

水の家11

水の家12

トタン張りの家では赤い屋根のお宅も見かける事がありますが、水の家ではあまり見かける事はありません。

純和風建築(?)ですが、何故か洋風に見えてしまうのは屋根が鮮やかな色だからでしょうか?

水の家13

水の家14

次のお宅は格調高そうな「水」が施されていまして、これ程になると装飾とも言えるのではないでしょうか?

屋根は銅張で築200年程だそうです。

こちらのお宅も屋根が一部銅張の様で、先のお宅同様、装飾品的な「水」が施されています。

控え目な「水」が、なかなか品の良さそうな印象を受けます。

水の家15

水の家16

こちらのお宅は珍しく「瓦葺」のお宅です。

水の家17

「水」の「瓦葺」のお宅はこのお宅以外に見た事がありませんが、良く見ますと本物の瓦でない様にも見えます(?)

でも見た目は瓦葺に見えるんですけど、どうなんでしょうか?

最後に中河内ではなく、北河内の寝屋川で見かけたお宅ですが、屋根から松の木が突き抜けていました。

松の木をかわして屋根を改築している様でしたが、さぞ手間のかかった事でしょう。

水の家18

本日は六軒のお宅を御覧頂きました(於 東大阪市・寝屋川市)

船板塀(その1)

中河内にある旧村部で「船板塀」を見かける事があります。

今回取り上げます船板塀は、蔵の外壁に船材が使用されているもので、私が初めて写真撮影した船板塀でもあります。

数多くある船釘を打った跡が、この木材がかつて船であった事を物語っていますが、かつて中河内を流れる諸川を木造の川船が行き交った往時を忍ばせるこの古材は、現在も建物の一部材として残されています。

私は当初、この木材がかつて船だったとは全く気が付きませんでした。

船板塀1

船板塀2

船板塀3

そこそこ大きな船だったみたいです(於 八尾市)

トタン張りの家(その3)

今回は「白いトタン張りの家」を取り上げたいと思います。

「水の家」同様、白いトタン張りの屋根も度々見かけますが、見た目が鮮やかと言う理由で白にしている様な事を知り合いの方に伺いました。

まあ、それだけが理由ではないかも知れませんが、見た目は確かに鮮やかに見えます。

ただ瓦葺の屋根と違い、色褪せたり錆が浮いてくると塗装しなくてはならない様で、自宅近くのあるトタン屋根のお宅が屋根を塗装し直している様子を見ますと、かなり大掛かりな作業に見えました。

古いお宅を生活する事が出来る状態に保つのも大変な事です。

それが故、新たに家を建て直し、古いお宅が取壊される事が多くなっている様に思えます。

トタン張りの家4

トタン張りの家5

トタン張りの家6

トタン張りの家7

トタン張りの家8

トタン張りの家9

トタン張りの家10

トタン張りの家11

トタン張りの家12

トタン張りの家13

「水の家」と違いさまざまなお宅があります(於 東大阪市・大東市)

水の家(その4)

今回は東大阪市東部で見かける事の多い、白い屋根の「水の家」を取り上げたいと思います。

それで、屋根を白く塗装する理由について、この地区に住む知人に訪ねた事がありましたが、はっきりとした理由は分らないと言う事でした。

その知人のお宅も築100年以上の古民家なのですが、屋根は瓦葺ですので、その件については分らないらしく「何でやろうな?」と言っていました。

しかし、白く塗られた屋根は外観が綺麗に見えますので、案外そのお宅の好みなのかも?と思いましたが、どうなんでしょうか?

黒く塗られているお宅もありますが。

水の家4

水の家5

水の家6

水の家7

水の家8

しかし五軒ともそっくりです(於 東大阪市)

茅葺の家(その10)

街道沿いにあるこのお宅は、御存知の方も多いかと思いますが、総茅葺ではなく屋根の中央部のみが茅葺となっています。

江戸時代中期の享保元年(1716)に建てられたそうで、築300年近くになります。

あと、茅葺屋根の瓦棟上の妻側に瓦製の猿二匹が腰掛ける格好で据付られていますが、これを「猿棟」と言います。

この猿は享保十三年(1728)の申年に据付られたそうで、岩田村と御厨村が井路川の排水の事で争った際、住吉大社に祈願し、その結果争いが有利に終わった事に感謝する為、紀州の瓦屋に注文して作らせたものだそうです。

それで、これは悪魔が「去る」と言う意味があるそうで、二匹の猿は住吉大社の方向に向けられています。

詳しくは現地に説明板が設置されています。

茅葺の家10

猿棟1

猿棟2

猿棟3

扇と御幣を持っています(於 東大阪市)

茅葺の家(その9)

この宅は江戸時代中期頃に建てられたそうで、築200年位となります。

寺社等では築200年以上の建造物は多くありますが、民家でそれも東大阪市内だと、それ程多くは無いと思われますので、このお宅は貴重な古民家となります。

それで、一軒の家に何代も続いて暮らし続ける事は、現在は普通の家庭において殆ど無い事で、二代位までが一般的ではないでしょうか?

それだけ長く暮らし続けると言う事は、やはり「家を守る」と言う意識も、私の様なごく一般的な住宅に住む人間より強いものがあるのでしょう?

後世まで残して頂きたい貴重な建造物です。

茅葺の家9

昔、借家ってあったんでしょうか?(於 東大阪市)

茅葺の家(その8)

このお宅の建築年代は分りませんが、周囲に現代の家が建ち並ぶ中「その1」のお宅と同様に、周囲とのギャップが感じられるかと思います。

それで、平野部の市街地でこんなお宅に出会いますと、いつも「おぉー」って感じで見入ってしまいます。

今の時代まで残されている事は素晴らしい事だと思いますが、それ以上に現在もこの家屋で生活されている方がいると言う事も、やはり凄と思います。

昔の家ってどんな住み心地なんでしょうか?

茅葺の家8

でもやはり内部は改築されているでしょう(於 東大阪市)

茅葺の家(その7)

このお宅は大正時代初期以前に建てられたそうです。

明治、大正時代と言いますと、私は「レンガ造り」の建造物を思い浮かべますが、この宅はレンガ造りの煙突を据付られています。

和洋折衷ではありませんが、別に違和感も無く、茅葺とレンガ製の煙突は共存している様にも見えます。

「古い時代の終わり」と「新しい時代の始まり」が、このお宅には存在していると言う事になるんでしょうか?

茅葺の家7

多分、煙突だと思いますが?(於 東大阪市)

茅葺の家(その6)

土塀が残るこのお宅は、明治時代前半に建てられたのだそうです。

私、茅葺と言えば何軒かのお宅が思い浮かぶのですが、このお宅もその中の一軒になります。

それで、このお宅はかつて水車による「油絞り」を営われていたそうです。

茅葺の家6

茅葺と松の木って何かよう合いますわ(於 東大阪市)

茅葺の家(その5)

旧村部にあるこのお宅は、明治四十年(1907)に建てられたそうです。

明治末期に建てられた家でも、築100年以上になります。

しかし、残念ながらこのお宅は取壊されてしまいました。

市街地に残る葺屋根のお宅も見る機会が少なくなってきました。

茅葺の家5

今年の初めはあったんですが(於 東大阪市)