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北川大社

「北川大社」は黒谷に鎮座しています。

由緒等の詳しい事は分りませんが、地元の方に伺ったところ、個人の方が建立されたとの事でした。

以前、通りがかった際は確か畑(?)だった様に思いますが、鎮座地は住宅が建ち並ぶ高安山麓にあります。

それで、境内の石造物の年号を確認しますと、平成二十八年とありしたのでその頃に造営されたと思われ、伊勢神宮遥拝所、手水舎、弁財天等がまつられています。

あと「磐座への道」「福徳への道」の立札がありましたが、境内の隅にイノシシの罠(!)がありましたので、その道へ入るのはマムシ等が活動しなくなる秋以降、高安山歩きの下山時にでも入ってみようと思っています。

しかし、苦手なイノシシは冬でも活動していますが…

私が初めてイノシシと遭遇したのは高安山でした(-_-;)

北川大社1

北川大社2

北川大社3

北川大社4

北川大社5

北川大社6

北川大社7

北川大社8

北川大社9

北川大社10

北川大社11

北川大社12

イノシシの罠

社殿がありませんので磐座が御神体なのでしょうか?(於 八尾市)

常髙大明神

「常髙大明神」は足代北にあります。

由緒等の詳しい事は分りませんでしたが、稲荷神がまつられています。

それで、木製の燈籠が破損しており、何処の地区や個人の方がお世話されているかは分かりません。

あと、周囲をコンクリートのブロック塀とフェンスで囲まれていますが、ブロック塀に鳥居が描かれていたので、おまつりされている事に気が付きました。

布施の繁華街に近いので、最初は例の「小便するな!」かと思いましたが、この場所にお社があると言う意味でした。

でもやはり、小便するなと言う意味もあるんでしょう?

常髙大明神1

常髙大明神2

常髙大明神3

常髙大明神4

常髙大明神5

常髙大明神6

常髙大明神7

個人でおまつりされているかと思うのですが?(於 東大阪市)

本堂の社

本堂にお社があります。

それで、これまでこのお社のある場所は、奈良県の三郷町だと思っていましたので「保留」としていましたが、最近確認しますと、ぎりぎり柏原市本堂でした(-_-;)

ですので、鳥居の奥に祠がある様でしたが、鳥居の写真しか撮影していませんので、今回は鳥居の写真のみとなります。

また、年内に信貴山を訪れますので、その際に祠の写真を撮影しようと思います。

あと、赤い鳥居に「布施 奴鮓」とありましたので、少し調べてみましたが、詳しくは分かりませんでした…

東大阪には「奴寿司」が多くあり(?)私が知っているだけでも数軒あります。

ですので、次回訪れた際に奉納年代等を確認しようと思いますが、さすがに信仰圏の広い信貴山のお膝元ですので、東大阪のお寿司屋さんが鳥居を奉納している事も、何とく納得してしまいます。

詳しくは秋以降、次回訪れた際に確認してからと言う事で。

それでも詳しい事は分らんと思いますが…

本堂の社1

《追記》
写真を追加しました。
詳しい事はやはり分りませんでした。

本堂の社2

本堂の社3

本堂の社4

本堂の社5

本堂の社6

何故ここにおまつりされているのでしょうか?(於 柏原市)

瀧行場

生駒山では瀧行場が各所で見られます。

生駒山の西麓は傾斜が急で、谷を流れる谷川を利用した瀧行場を中心とした民間信仰が、明治以降盛んとなりました。

生駒山で民間信仰が盛んになった理由として、瀧行場をつくるだけの水量と深さのある谷がある事、宝山寺を中心とする信仰が江戸時代からあった事、あと信仰を支える信者の獲得に都合の良い、大阪と言う大都会をひかえている事が挙げられるそうです。

しかし、谷川の水量に関しては、トンネル開削等により現在は水量が減少し、史跡名勝に指定されている「長尾の瀧」も上流にある砂防ダム付近から、ホースで水を引いているのが現状です(ハイキングコース上ある涸れた谷川に沿ってホースが引かれています)

それで、殆んどの瀧行場は瀧が中心的な存在で「白瀧大○○」等と称していますが、主神仏として別に不動明王等が崇められている事が多く、あと施設等を伴った場所もあります。

法人化され、現在も信仰されている団体もありますが、中には信仰者の姿も無く、荒れ果て施設の建物が崩壊していある場所もあり、少々不気味な様相を呈している場所もあります。

この様に石造物や建物等の施設のある瀧行場が広まり始めたのは、明治時代も中期以降の事だそうで、お塚等の石造物に刻まれた江戸時代の年号は皆無で、明治以前の民間信仰的な行場の跡も発見されていないそうです。

以上、簡単に生駒山の瀧行場について記しましたが、東大阪市域を中心にかなりの民間信仰の場があったと思われます。

瀧行場1

瀧行場2

瀧行場3

瀧行場4

瀧行場5

巨石も信仰の対象となっている事もあります(於 東大阪市)

田植宮

「田植宮」は郡川にあります。

由緒等の詳しい事は分りませんでしたが、自然石に「田植宮」と刻まれた社標と石造の駒狐があります。

それで、この場所は旧大阪外環状線沿いになりますが、私が単車で柏原方面へ移動する際は通る機会が多く、また以前から自転車でも移動の際にも通っていましたので、ある事自体は分かっていました。

しかし、よく企業等でおまつりされているお社だと思っていました。

詳しい事は分りませんが、郡川に知り合いがいますので、お話しを伺おうと思っていたのですが、なかなかその機会がありません。

お社の前には田畑が広がっています。

田植宮1

田植宮2

田植宮3

田植宮4

田植宮5

田植宮6

田植宮7

何故こんこんさんなのか気になりますが(於 八尾市)

玉串町西の八代龍王

玉串川と第二寝屋川の交差する場所の近くに「八代龍王」の社があります。

詳しい事は全く分かりませんが、この辺りは足を運ぶ事が多い場所で土地勘もありますので、20年位前にはお社があった様に思います。

それで、石造物の年号を確認しますと、昭和五十五年(1980)となっていました。

周囲の住宅に隣接して、取り囲まれる様におまつりされていますが、この場所におまつりされている理由は不明です。

あと、お社の建つ向きも気になりました。

玉垣、燈籠、手水鉢の石造物も立派なもので、社地は一戸建て住宅一軒分の敷地程はあるでしょうか?

玉串町西の八代龍王1

玉串町西の八代龍王2

玉串町西の八代龍王3

玉串町西の八代龍王4

玉串町西の八代龍王5

玉串町西の八代龍王6

何の知識も無い頃は地蔵堂と思っていました(於 東大阪市)

吉田本町の社

吉田本町に社があります。

よくある企業でおまつりされているもので、扁額には「天照皇大神」「白高大神」「豊玉大神」とあります。

詳しい事は全く分かりませんが、燈籠、狛犬、手水鉢等の石造物があります。

それで、この場所は自宅から然程遠くない場所で、私がこの辺りで暮らす様になって20年以上経ちますが、その頃既にこの場所でおまつりされていたと思います。

あと、特徴ある白の鳥居ですが、かつて私の実家近くに鎮座している、七軒家の「山科神社」も白の鳥居でした。

現在は石鳥居となっています。

吉田本町の社1

吉田本町の社2

吉田本町の社3

吉田本町の社4

昨日も今日も横を通りました(於 東大阪市)

髙倉大神

「髙倉大神」は山手町にあります。

額田谷(長尾渓)沿いにある寺院にまつられていますが、詳しい事は分りません。

それで、石造物等の年号確認はしていませんが、鳥居は私の地元である、稲田の方が奉納されていました。

長尾谷は歩く機会が多く好きな道で、下山時にこの寺院の方(作務衣を着た僧侶の方)とすれ違うと、ご挨拶して下さいます。

寺院についても詳しい事は分りませんが、以前取り上げた地蔵尊もこの場所にあります。

髙倉大神1

髙倉大神2

髙倉大神3

髙倉大神4

八代龍王がまつられています(於 東大阪市)

天川神社

「天川神社」は恩智越え(中信貴街道)の途中にある尾根にその石碑が建てられています。

手持ち資料に記述が見当たりませんでしたので、インターネットで調べたところ、恩智神社の末社である「天川神社」の元鎮座地なのだそうです。

詳しくは関連サイトを御覧頂きたいと思いますが「枚岡神社」にも「神津嶽」と呼ばれる、神社上方の生駒山中腹に元鎮座地があり、社殿が造営され鳥居等の石造物が建立されています。

あと、かつて恩智神社の神宮寺であった「感応院」の山号が「天川山」であるのは、何か関連があるのでしょうか?

引き続き調べてみたいと思っています。

天川神社1

天川神社2

天川神社3

石碑と言うより社標と言った方がええかも知れませんが(於 八尾市)

足代の白龍大神

「白龍大神」は足代にあります。

由緒等の詳しい事は全く分かりませんが、木製の燈籠と陶製の狛犬があります。

おまつりされている場所は近鉄の高架下ですが、これまで全く気が付きませんでした。

確か「モモヤ」の近くに踏切があった様に記憶していますが、近鉄奈良線の高架前からおまつりされていたのでしょうか?

商店街が線路を横切っていますので、この場所にも踏切があった様に思いますが。

足代の白龍大神1

足代の白龍大神2

足代の白龍大神3

足代の白龍大神4

気が付き難いですね(於 東大阪市)

いづのめさま

生駒山の山中に「いづのめさま」がまつれれています。

詳しい事は全く分かりませんが、何方かがおまつりされたのでしょう?

祠には大黒天がまつられています。

この場所は登山道沿いにあり、私も度々歩くコースですが、いつ頃からこの場所に祠があったのかは不明です?

メインのコースから分岐する道にあります。

いづのめさま1

いづのめさま2

いづのめさま3

いづのめさま4

いづのめさま5

いづのめさま6

国定公園内なんですが…(於 東大阪市)

大岩大神・小岩大神

暗峠から南へと続く生駒縦走路沿いに「大岩大神・小岩大神」と刻まれたお塚がまつられています。

詳しい事は全く分かりませんが、この道はもう何十年も歩いている道であったにもかかわらず、今月初めてまつられている事に気が付きました(-_-;)

それで、所在地がもしかしたら奈良県かも知れない、微妙な場所にまつられていますが、もし奈良県側だった場合は御了承願いたいと思います(中河内を主としているブログですので…)

小さなお塚です。

大岩大神・小岩大神1

大岩大神・小岩大神2

大岩大神・小岩大神3

もしかしたら奈良かなぁ(於 東大阪市?)

稲田本町の祠

稲田本町に祠があります。

石造の祠内には五輪塔(?)が納められ、詳しい事は分りませんが、私の地元である稲田にあるこの祠は、幼少の頃既にこの場所にありました。

それで、最近ふと思い出して足を運んでみたのですが、やはり昔と変わらず、道の真ん中にまつられていました。

あと、十年程前に撮影した写真がありましたので見比べてみますと、周囲の風景が少々変わっています。

以前あった建物が取り壊され、新たに建物が建てられていますが、その際に道幅が広げられた様で、以前はやや建物寄りにあった事に気が付きました。

私が幼少の頃、すぐそばを水路が流れていましたが、現在は埋立てられています。

記憶するかつての風景も、遠い昔のものに思えてしまいます。

稲田本町の祠1

稲田本町の祠2

稲田本町の祠3

稲田本町の祠4

少し移動したのでしょうか?(於 東大阪市)

猿田彦大神

「猿田彦大神」は上石切町にあります。

詳しい事は全く分かりませんが、現在はお世話される方もいない様で荒れ果て、現地には神祠、仏堂を破損しない様にとの警告文がありました。

実際に石造物は散乱していますが、お塚以外では御百度石等の石造物の一部は破損も無く残されています。

それで、生駒山にはこの様なお塚がまつられている場所が多くありますが、その殆どが「生駒七谷」と呼ばれる、谷沿いにありますが、この猿田彦大神も「辻子谷」の引谷(支渓)にまつられています。

あと、石造物の年号確認等はしておりませんが、数年前に近くで大きな土砂崩れがあったので、もしかしてと思い、あまり長居は出来ずにいます(…)

この場所を御存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私が始めてこの谷を歩いた際、天気が急変し雨宿りしました事がありました。

雨宿りと言っても、木の下で雨をしのぐ程度でしたが、それ以上に「ゴォー」と吹く風が、恐怖にも思えました。

以前読んだものの本によると、この風の音を「鬼の泣き声」と呼ぶそうですが、確かに生き物の声の様に聞こえました。

この風の音を聞いたのはこの場所だけで、他の場所では例え強い風が吹いても「ビュー」としか聞こえません。

鬼の泣く声とはよく言ったものです。

猿田彦大神1

猿田彦大神2

猿田彦大神3

猿田彦大神4

猿田彦大神5

猿田彦大神6

猿田彦大神7

猿田彦大神8

猿田彦大神9

年に一度訪れています(於 東大阪市)

黒谷の妙見菩薩

黒谷に「妙見菩薩」があります。

由緒等の詳しい事は分りませんでしたが、境内に「妙見菩薩のいわれ」がありました。

それで、石造物について年号等を確認しますと、鳥居には天保四年(1833)竿の部分に「妙見宮」と刻まれた燈籠には文化二年(1805)狛犬の台座には嘉永四年(1851)あと、その書体から日蓮宗に関係があるかと思われる、題目が刻まれた石標(?)には天保十三年(1842)の年号がありました。

石造物の年号からは、江戸時代後期からまつられていると推測出来ますが、手持ち資料にもその記述が見当たりませんでしたので、確証はありません。

あと、これはあくまでも私見なのですが、近くには信貴山参りの道が通っています。

「岩戸神社」や「梅岩寺」が、信貴山参りの途中に参拝する寺社であった事からも、この妙見菩薩は同じく、同時期に信貴山参りの際に立ち寄り参拝する寺院であり、寄進者の名に屋号が見られましたので、大坂市中の商人達にも信仰されていたのかも知れません。

こちらも同様に私見ですので確証はありません。

現在はコンクリート製の御堂が建立されています。

黒谷の妙見菩薩1

黒谷の妙見菩薩2

黒谷の妙見菩薩3

黒谷の妙見菩薩4

黒谷の妙見菩薩5

黒谷の妙見菩薩6

黒谷の妙見菩薩7

黒谷の妙見菩薩8

黒谷の妙見菩薩9

黒谷の妙見菩薩10

黒谷の妙見菩薩11

黒谷の妙見菩薩12

三年前に初めて行きました(於 八尾市)

池島町の愛宕社

池島町にある「慈眼寺」の門前に「愛宕社」があります。

由緒等の詳しい事は全く分かりませんでしたので、今回「愛宕社」とさせて頂きましたが、正式な社名等は確認しておりません。

それで、お寺の山門等に地蔵堂がある事が多いので、私も地蔵堂かと思いましたが、祠内に「愛宕山」の扁額がありました。

あと、手持ち資料に記述があった様に思いましたが、どの資料に記述があったのか?失念してしまいましたので、また何か分かりましたら追記とさせて頂きたいと思います。

お寺でお話しを伺うのが一番かと思いますが(-_-;)

池島町の愛宕社1

池島町の愛宕社2

池島に愛宕信仰があったのでしょうか?(於 東大阪市)

国分本町の社

国分本町にお社があります。

詳しい事は全く分かりませんでしたが、お寺の山門横にあります。

山門横にありすので、地蔵堂かと思いましたが、お社でした。

門扉で閉ざされています。

国分本町の社1

社標や扁額はありませんでした(於 柏原市)

隆座大神

「隆座大神」は永和にあります。

由緒等の詳しい事は全く分かりませんでしたが、玉垣に囲まれた石の祠の前に一対の燈籠があります。

石造物の年号等は確認しておりませんが、祠には巳さんが彫られています。

それで、この辺りは西支所と市民会館が無くなり、すっかり風景が変わってしまいました。

私は布施市出身ですので、西支所で住民票の交付や私の世代では成人式も市民会館で行われていました。

少し離れていますが、西消防署も建て替えられました。

小学校の社会見学で火の見櫓に上がった思い出があります(^^)

隆座大神1

隆座大神2

隆座大神3

隆座大神4

郵便局の本局は昔のままですかね?(於 東大阪市)

客坊町のお塚

客坊町にお塚がまつられています。

すぐ近くに郷土博物館と山畑古墳群がありまので、御存知の方も多いかと思います。

この場所には多くのお塚がまつられ、滝行場、お社、石仏等もまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

石造物等の年号を確認しますと、昭和時代のものが多く、戦後昭和二十年代には信仰の場として開かれていた様です。

あと、かつては池があった様で、お塚にもそれに関した神名が刻まれています。

それで、生駒山西麓は滝行場を中心とした民間信仰が栄えた場所であったそうですが、これは明治中期以降の事だそうで、調査によると江戸時代の年号のある石造物と明治以前の民間信仰的な滝行場の跡は発見されていないとの事です。

私は生駒山を歩く機会が非常に多いのですが、確かに現在も多くの民間信仰の場が存在しますが、中には廃れてしまいその痕跡だけが残っている場所もあります。

民間信仰が栄えた理由の一つとして、生駒聖天を中心とする信仰が江戸時代からあり、生駒山がその信者の通り道となっていたと言う事もあげられるそうです。

客坊町のお塚1

客坊町のお塚2

客坊町のお塚3

客坊町のお塚4

客坊町のお塚5

客坊町のお塚6

客坊町のお塚7

客坊町のお塚8

客坊町のお塚9

客坊町のお塚10

客坊町のお塚11

客坊町のお塚12

客坊町のお塚13

客坊町のお塚14

客坊町のお塚15

客坊町のお塚16

客坊町のお塚17

客坊町のお塚18

客坊町のお塚19

客坊町のお塚20

横に古墳があります(於 東大阪市)

八代龍王

ある日、生駒山歩きの帰り際にある企業の敷地内に「八代龍王」がまつられていました。

石鳥居や燈籠等の石造物もあり、かなり立派なものでした。

それで、八代龍王についてはインターネット等でお調べ頂きたいと思いますが、生駒山には八代龍王が多くまつられているのでは?と以前から思っていました。

まつられているその理由は分かりませんが、古代寺院跡にある有名な寺院もそうですし、お塚にも八代龍王と刻まれている事があります。

しかし、平野部で見かける事は殆んどありませんで(私の場合ですが…)それも何か理由があるのでしょうか?

最近、利用する事の多い「生駒ケーブル」の守り神も八代龍王でした。

八代龍王1

八代龍王2

八代龍王3

八代龍王4

八代龍王5

神感寺はかなりの信徒さんがいらっしゃる様ですが(於 東大阪市・奈良県)

西向稲荷

「西向稲荷」は植松町にあります。

詳しい事は全く分かりませんが、社標には「高倉大明神」「於花大明神」とあります。

あと、お大師様とお不動様もまつられています。

生駒山ではこの様な場所は多くありますが、平野部では見かける事は余りありません(私はですが…)

玉垣等の石造物を確認しますと、多くの方が寄進されている様です。

参拝した事はありませんが、この辺りを訪れた際に時折立ち寄る事があります。

西向稲荷1

西向稲荷2

西向稲荷3

西向稲荷4

西向稲荷5

西向稲荷6

西向稲荷7

西向稲荷8

西向稲荷9

西向稲荷10

唐臼の台が置いてあります(於 八尾市)

水走の社

水走にお社があります。

よく企業等でおまつりいている祠です。

この場所は休日に通る事が多いですので。

水走の社

ご近所の方は御存知ですね(於 東大阪市)

白光大神

「白光大神」は上石切町にあります。

御覧の通り神道系の教会で、詳しい事は分りませんが、隣接して不動明王や水子地蔵をまつる御堂があります。

それで、境内の石造物の造立年代を確認しますと、殆んどが昭和時代のもでしたが、初期から後期までと造立年にも多少の開きがありました。

それと、鳥居は三基ありますが、中央の二基目の扁額には「熊繁大神」とあり、この場所から引谷にある谷道沿いには、同じ系列と思われる、御社やお塚等が連なってまつられています。

生駒山西麓にはこの様な民間信仰の教会等が点在しますが、石造物の寄進者からも広く信仰圏を持つものと思われます。

それで、前にも記しまたが、中河内地区の所謂「氏神様」は全て取り上げたかと思いますので、これから以降はお社や祠、あとお塚等を取り上げて行こうかと思います。

白光大神1

白光大神2

白光大神3

白光大神4

白光大神5

白光大神6

白光大神7

白光大神8

白光大神9

白光大神10

白光大神11

白光大神12

白光大神13

白光大神14

白光大神15

白光大神16

額田の大石神社と同じく神道系教会の神社です(於 東大阪市)

佐麻多度神社

「佐麻多度神社」は山畑に鎮座しています。

由緒等の詳しい事は境内に八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、説明にもあります様に旧鎮座地は高安山の中腹にあった「観音院」の寺地内だったそうです。

山号を白華山と称し、十一面観音を本尊とする黄檗宗の寺院だったそうですが、明治五年(1930)に廃寺となっています。

それで、境内の石造物は建立年代を確認すると、明治期のものが多いのですが、末社の「山畑神社」前にある燈籠には竿の部分に「太神宮」と刻まれ、天保二年(1831)の年号があり、前年に流行したおかげ参りに因むものかと思われます。

しかし、他のおかげ燈籠に見られる様な「おかげ」「おどり」等の文字が刻まれていませんので、八尾市ではこの燈籠をおかげ燈籠とはせず、伊勢燈籠としている様で、八尾市内で唯一のおかげ燈籠は大窪のおかげ燈籠となっています。

それと、末社の天満宮前にある燈籠は日露戦争記念に建立されたもので、同様に牛像の台石にも「戦捷記念」と刻まれ、あと本殿前にある一対の狛犬は大正時代のものだそうです。

以上、石造物について簡単に記しましたが、末社である「天満宮」の本殿は、明治40年(1907)に「都夫久美神社」が「玉祖神社」に合祀された際、社殿を移築したものだそうです。

それで、今回で中河内の「氏神様」は全て取り上げさせて頂きました(と思います…)

佐麻多度神社1

佐麻多度神社2

佐麻多度神社3

佐麻多度神社4

佐麻多度神社5

佐麻多度神社6

佐麻多度神社7

佐麻多度神社8

佐麻多度神社9

佐麻多度神社10

佐麻多度神社11

佐麻多度神社12

佐麻多度神社13

佐麻多度神社14

佐麻多度神社15

佐麻多度神社16

佐麻多度神社17

佐麻多度神社18

佐麻多度神社19

佐麻多度神社20

佐麻多度神社21

力石は三個あります(於 八尾市)

二宮神社

「二宮神社」は安堂町に鎮座しています。

手持ち資料によると「杵築神社」と「春日神社」を合祀し、二宮神社と称したとありましたが、詳しい事は分りませんでした。

更に資料を調べてみますと、大正時代までは杵築神社は村社として存在していた様で、大正十三年(1924)に二社が合祀されたとありました。

あと、安堂には無社格の「御剱神社」が鎮座していたと言う記述もありましたが、こちらに関して詳しい事は分りませんでした。

それで、境内の石造物に関して年号が確認出来たものは、拝殿前の一対の狛犬に文化四年(1807)の年号がありましたが、一対の燈籠は年号が確認出来ませんでした。

参道石段にある一対の燈籠には、享保四年(1719)の年号があり、狛犬と鳥居は明治時代の造立となっていました。

社殿は近年、屋根の葺き替えと改修が行われた様で、手摺は取り替え、塗装し直されています。

あと、境内には遊具が設置され児童公園となっており、標高の高い場所ですので見晴らしも良いかと思います。

二宮神社1

二宮神社2

二宮神社3

二宮神社4

二宮神社5

二宮神社6

二宮神社7

二宮神社8

二宮神社9

二宮神社10

二宮神社11

二宮神社12

二宮神社13

二宮神社14

二宮神社15

二宮神社16

二宮神社17

二宮神社18

二宮神社19

柏原の氏神様は今回で終わりです(於 柏原市)

弥栄神社

「弥栄神社」は中小阪に鎮座しています。

由緒等の詳しい事は東大阪市が設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、かつては「牛頭天王」と称し、御承知の様に明治期の神仏分離令により、仏語をもって社名としている神社は土地の名、または八阪、弥栄等の社名に改称しています。

それで、説明板にもあります様に、境内の石造物は灯籠を主に時代の新しいものが殆んどですが、拝殿前の一対の狛犬には文政十一年(1828)の年号が刻まれ、手水鉢には文化十二年(1805)の年号が刻まれ、手水舎前にある一基の燈籠には享保十三年(1728)の年号があり、竿の部分に「牛頭天王宮」と刻まれています。

あと、境内には「弥栄の紅葉 育成会」と刻まれた石碑が建てられ、紅葉の季節にはもみじの葉が鮮やかに色付きますが、季節毎に桜や紫陽花等の花も咲き、私もその季節に合わせてこれまで度々お参りに訪れています。

それと、鎮座地は溝と呼ばれた旧長瀬川の増水時の支流にあり、説明板にもあります様にその堤防上に生えていた木が残っています。

数年前に神社北側に参道が設けられ、鳥居、燈籠等が建てられていますが、その前に「馬立」があります。

近くに「司馬遼太郎記念館」がありますが、実は私一度も訪れた事がありません(>_<)

弥栄神社1

弥栄神社2

弥栄神社3

弥栄神社4

弥栄神社5

弥栄神社6

弥栄神社7

弥栄神社8

弥栄神社9

弥栄神社10

弥栄神社11

弥栄神社12

弥栄神社13

弥栄神社14

弥栄神社15

弥栄神社16

弥栄神社17

弥栄神社18

弥栄神社19

弥栄神社20

弥栄神社21

南北に広い境内です(於 東大阪市)

上四条町の弁財天

鳴川谷の途中に「弁財天」があります。

自然石に弁財天と刻まれていますが、詳しい事は全く分かりません。

これまで、数え切れない程歩いています鳴川谷ですが、峠から下りこの弁財天まで来ると「あぁ、下りてきたなぁ」といつも思います。

谷川の流れる音を聞きながら。

上四条町の弁財天1

鳴川谷は大阪からの千光寺への参詣道でもありました(於 東大阪市)

本郷の天満宮

本郷に「天満宮」があります。

由緒等の詳しい事は全く分かりませんが、調べてみますと「天幡宮」である事だけが分かりました。

社はお寺の山門脇にあり、その反対側には地蔵堂(大師堂)があります。

古くからおまつりされているのでしょうか?

本郷の天満宮1

本郷の天満宮2

縁結観音1

柏原にはよく行きますが本郷は行く事が少ないです(於 柏原市)

森高大神

「森高大神」は植松町にあります。

由緒等の詳しい事は全く分かりませんでしたが、鳥居の扁額には「森高大神 友黒大明神」とあります。

すぐ近くに「立江地蔵尊」がまつられていますが、関係は無いかと思われますが、付近を少々探索しますと「もしかして?」と思われる事がありました。

しかし、確証はありませんので、今回はその件について記さない事にします(-_-;)

森高大神1

森高大神2

何度も行ってますけど詳しい事は分りません(於 八尾市)

山本八幡宮

「山本八幡宮」は山本町に鎮座しています。

由緒等の詳しい事は省略させて頂きますが、享保年間に山本新田の鎮守として、石清水八幡宮から勧請されたそうです。

それで、境内には多くの石造物がありますが、拝殿前にある一対の燈籠は享保十八年(1733)の年号があり、施主に「住友氏」と刻まれています。

鳥居の後ろにある燈籠には寛政八年(1796)と安政五年(1858)の年号がそれぞれ刻まれ、鳥居横にある一基の燈籠は年号は確認出来ませんでしたが、基礎に「山本新田 住友会所」と世話人が連名で刻まれ、竿に「龍神」と刻まれているのは、雨乞い祈願に寄進された燈籠であるからだそうです。

あと、玉垣の柵内には五基の燈籠があり、一対のものには文政七年(1824)の年号があり、住友家当主である「住友友聞」の名が刻まれて、残り三基は年号等は確認出来ませんでしたが、山本新田開発者である「本山重英」「山中正永」「山中正英」の名がそれぞれ刻まれています。

それと、拝殿、末社前の狛犬は時代の新しいものですが、玉垣の柵内に三対の狛犬があり、大きなものには天保七年(1836)の年号と、小さなものには嘉永五年(1852)の年号が刻まれていますが、残りの一対は年号が確認出来ませんでした。

それで、社殿は昭和十五年(1940)に改築された、旧橿原神宮の門の古材を使用して、昭和三十一年(1956)に建てられたものだそうで、昭和三十七年(1962)に旧住友新田会所の長屋門、土蔵、屋敷の一部が移築され、社務所、集会所、本殿横にあった神楽殿に使用されたそうです。

しかし、その後それら建造物は取り壊され、現在は鉄筋コンクリートのビルが建てられています。

山本八幡宮は度々訪れる神社ですが、最近は山本駅が高安山歩きの中継点になっていますので、その際は必ずお参りしてから高安さんへと向かいます。

山本八幡宮1

山本八幡宮2

山本八幡宮3

山本八幡宮4

山本八幡宮5

山本八幡宮6

山本八幡宮7

山本八幡宮8

山本八幡宮9

山本八幡宮10

山本八幡宮11

山本八幡宮14

山本八幡宮13

山本八幡宮14

山本八幡宮15

山本八幡宮16

山本八幡宮17

山本八幡宮18

やっぱりビルは目立ちます(於 八尾市)