Post image

境界石(その4)

日下町に境界石があります。境界石には「井上」と刻まれていますが、詳しい事は分りませんでした。それで、これまで取り上げました境界石は、その殆どが生駒山中にありましたが、この境界石は山中ではなく、少し下った住宅街に建てられています。生駒山中にある境界石とは、違う類のものかも知れませんが、石柱に文字(所有者)が刻まれた境界石を山間部と平野部以外で見たのは、初めてだった思います。それこそ、現在は生駒山の麓...

Post image

日時計

「玉祖神社」の境内に日時計があります。私、当初これが何なのか全く分かりませんで、神事(?)か何かに使用するものかと、勝手に思っていました。その後、調べてみますと「日時計」だそうで、御覧頂くと分かります様に、現在と時刻表示が全く違うものとなっています。それで、いつの時代につくられたものなのか?確認は出来ませんでしたが、私がイメージする日時計と違い、石造で文字が刻まれています。あと、中央に孔があけられ...

Post image

唐臼の台

かなり久しぶりに「唐臼の台」の更新となりますが、今回は「ちょっとええ感じで置いてある」唐臼の台です。殆んどのものが、道端に車の衝突防止用(?)に無造作(?)に置いてある唐臼の台ですが、軒先に草花と一緒に置いてあったり、中には置いてある横に自然に花が咲いたものもありますが、今回はそんな唐臼の台を取り上げてみました。それで、当初珍しさから、見かけると必ず写真撮影していましたが、私が思っていた以上に何処...

Post image

山本新田の境界石

山本町に「山本新田」の境界石が建てられています。境界石は二基あり、それぞれに「天保五甲午 再 六」「天保五」と刻まれ、天保五年(1834)に建てられた事が分ります。江戸時代、大和川付替後に山本新田が開墾され、宝永五年(1708)と享保六年(1721)に検地を受けたそうですので、最初の検地から120以上経った後に、境界石が設置された事になります。現在、山本は八尾市内では高級住宅街のイメージがあります...

Post image

境界石(その3)

生駒山に境界石がありました。境界石には「清水」と刻まれていましたが、詳しい事は分りません。山の所有者の名が刻まれているのでしょうか?それで、この境界石はハイキングコース上に建てられていましたが、周辺はかつて個人の方が所有していた山かと思われます。これまで取り上げた境界石は人気のコースではなく、ハイカーの方も少ない不人気コース(?)にありましたので、東大阪市域のハイキングコースに限定しますと、山仕事...

Post image

唐臼の台(その4)

久しぶりに「唐臼の台」を更新しようと思いますが、今回は横倒しになっているものと、埋まっているものも取り上げてみたいと思います。それで、私がこの唐臼の台と言うものを知って以来、物珍しさから見かける度に写真撮影していましたが、これ結構街中に置いてある事が多くて、いつの間にか写真撮影するのをやめてしまいました(笑)まあそれだけ、かつてはこの石造物が普通に使われていた事になるのでしょうが、現在は車等の衝突...

Post image

旧恩智小学校手洗石

現在、児童公園となっている「恩智城址」に「手洗石」があります。表示には「旧恩智小学校 手洗石」とあり、恩智小学校の生徒達が手洗いの為に使用したものと分かります。それで、上水道が整備されていない時代のものと思われますので、手持ち資料で調べてみますと、この場所に恩智小学校(第142番小学・後に恩智尋常小学校)が創立されたのが、明治七年(1874)となっていました。ですので、この手洗石はその時代に設置さ...

Post image

慈光寺の六十六部供養塔

「慈光寺」の境内に六十六部供養塔があります。六十六部については「大窪の辻地蔵尊」等で簡単に記していますが、巡礼と言いますと「西国巡礼」や「四国遍路」が有名で「六十六部」「廻国行者」はあまり知られていないかと思います。それで、供養塔は文政八年(1825)に建てられたもので「天下泰平 房州平群 日月清明 行者逮境」と刻まれていますが、銘文に聞き慣れない「房州」とありましたのでインターネットで調べますと...

Post image

邪鬼(その2)

今回の邪鬼は前回の邪鬼より「鬼らしい」顔をしていますが、角は生えておりません(?)しかし、何故これを邪鬼と言うのか分かりませんが、鬼瓦と同じく厄除け、または災難除けの意味があるのでしょうか?それで、最期の二枚は別のお寺で見かけたもので、ちょっとデフォルメした様な感じですが、良く見ると怖そうな顔をしています。また、何処かのお寺で見かけましたら、ここで取り上げたいと思いますが、やはり神社には無いみたい...

Post image

後生車(番外編)

今日、せっかくのお盆休みなので「信貴山」へと行って来ました。早朝に出発したので、日中の暑さがうその様にほんと涼しく、旧外環(東高野街道)を南進し青谷へと行き、竜田越えの旧道で三郷まで行き、信貴山へ向かいました。それで、到着してもまだ早い時間でしたので、殆んど参拝者はいませんで、宿坊の宿泊客が散歩されている程度でした。お参りした後、石造物を見ていますと「後生車」がありましたが、二つある内の一つは破損...

Post image

客坊町の五輪塔

客坊に私のじいちゃんとばあちゃんの墓があるのですが、その墓地内に観音様がまつられ、その回りにある多くの石仏の中に一基の一石五輪塔があります。新たにつくられた台石には「その昔 この五輪塔は河内七墓に対して行基菩薩様が奉納されたものです」と刻まれています。五輪塔には年号等は確認出来ませんでしたが、行基は奈良時代の高僧ですので、その時代に造立されたものとなります(この五輪塔が本当に行基が奉納したものとい...

Post image

神輿台(その2)

今回は「神輿台」の二回目の記事更新となりますが、個々の神輿台について詳しい事は全く調べておりませんので…それで、形状的には似た様なものが多いのですが、写真の様に銘文の刻まれた珍しいものもありました。あと、この石造物の事を「神輿台」と知って以降、中河内で度々見る機会がありましたが、実際に御神輿が置かれているのは、私一度しか見た事がありません。太鼓台は大きいので、置く事は殆んどないかと思いますが、御神...

Post image

対話する石

吉田に「対話」と題したモニュメントがあります。詳しくは現地に制作の経緯が説明されていますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、その説明にもあります様に「ラグビーの町東大阪」に因み、ラグビー発祥の国であるイギリスの「ストーンヘンジ」をモチーフにしているとあります。それで、このモニュメントは御存知の様に花園ラグビー場のある花園中央公園にありますが、私以前すぐ近くと言いますか、中央公園の横に住んでいま...

Post image

境界石(その2)

生駒山の中腹に「ムカイ」と刻まれた境界石が数基設置されています。いつの時代に設置されたのか?詳しい事は分かりませんが、東大阪の文化財に興味のある方なら「ピン」ときた方もいらっしゃるかと思います。私も「ピン」ときましたが、それについては確認しておりませんで、上記の様に詳細は分かりません。それで、現在季節が変わりましたので、昨年の秋から続けていた生駒山歩きは先月で一旦お休みしておりますが(8か月間、悪...

Post image

後生車

「長栄寺」の境内に「後生車」と呼ばれる石造物が建てられています。石柱の中央部分に金属製の心棒を通して石造の車輪がはめ込まれているもので「地蔵車」「輪廻塔」とも呼ばれているそうで、詳しくはインターネット等で調べて頂きますと、より詳しく知る事が出来るかと思います。それで、手持ち資料によりますと、車輪を念仏を唱えながら手で回す事で死者の供養となると共に、自身の来世の安楽も得られるのだそうです。私初めて見...

Post image

盃状穴

今から十年程前の話なんですが、自宅近くにある神社の境内に手水鉢があり、その周囲に窪みがある事に気が付きました。よく川や海にある岩や石に窪みがある事があり、私そう言った箇所を石造物に利用しているものだと思っていましたが、それにしては窪みが整然と並んでいます。その後、この窪みを他の場所でも見かける様になり、あらためて調べますと、この窪みの事を「盃状穴」と言うのだそうです。詳しくは、私がここで説明するよ...

Post image

大字神立の石造物

十三峠越の道を上り「水呑みさん」の手前で道から外れ、しばらく歩くと写真の様な石造物があります。これは全く何なのか分かりませんが、とにかく殆んどハイカーの方も通らないであろう道の途中に忽然と現れると言った感じです。詳細は全く分かりませんが、観察していますと、どうも石積の上に何かが載せられていた(?)痕跡もある様な気もしました。例えば、石像や銅像と言ったものです。または石碑等かも知れませんが、何度も言...

Post image

境界抗

先週で一旦、今年前半の生駒山歩きは終了する事にしましたが、昨年の秋以降から今月まで天候の悪い日以外はほぼ毎週、生駒山へと足を運びました。それで、その間に数々の石造物等を見る事となりましたが、その多くの石造物の中で今回は境界抗を取り上げたいと思います。以前「大軌の境界抗」を取り上げましたが、今回のものも境界点を示す「十」と「サキ」が刻まれています。おそらく「サ」「キ」だと思われますが、それが何を意味...

Post image

仏足石

生駒の聖天さんへお参りに行った際、境内に「仏足石」がありました。仏足石と言っても私よく知りませんでしたので、後日調べてみますと、尊い存在のお釈迦様の姿を形で表すのをはばかり、足型を石に刻んで礼拝するものだそうです。私がここで説明するより、インターネットでお調べ頂いた方が、より詳しく知る事が出来ますので、その説明は省略させて頂きます。ですが、少々言わせて頂きますと(笑)足型にはいろいろと刻まれていま...

Post image

邪鬼(その1)

お寺や神社の本堂や拝殿前に雨水を貯める為の天水鉢が置いてある事があります。私これを何と呼ぶのか知りませんでしたので、インターネットで調べてみますと、金属製のものは「天水桶」と呼ぶそうです。その雨水を貯める天水鉢を背中で支える様に小さな石仏の様な石造物が置かれています。これは「顕証寺」で見かけたものですが、以前より気になっていましたので調べてみますと、この石造物の事を「邪鬼」と言うのだそうです。イン...

Post image

枚岡神社の石造物

河内国一之宮である「枚岡神社」には数多くの石造物があります。それら石造物をここで全て御紹介する訳にはいきませんので、その中で私が選びました幾つかの石造物を取り上げてみたいと思います。先ずは境内で一番多くあるのが燈籠かと思われますが(実際は玉垣が一番多いでしょうが…)斉館手前にお城の様に高く積まれた石垣の上に燈籠があります。参道を挟んで二基ありますので一対かと思われますが、実は建立年が違い写真の参道...

Post image

境界石(その1)

生駒山を歩いていますと「境界抗」が多く設置されていますが、現在よくある様なコンクリート製のものではなく、自然石の境界抗も時折設置されているのを見かけます。その自然石の境界抗を私が勝手に「境界石」と呼ぶ事にしましたが(笑)以前ここで取り上げた「境目石」は村が山林の所有を示す為に村名が示されていました。今回取り上げます私が見かけた境界石には「三木」「源」と刻まれていましたが、それが家名なのか?屋号なの...

Post image

楠木正成像

大県に「楠木正成」の石像があります。ある日、何気なくこの場所を通りがかったところ、石像がある事に気が付きましたが、誰の石像なのか全く分かりませんでした。石像のある場所は立ち入り禁止となっていますので、近くで見る事が出来ませんでしたが、カメラのズームを望遠鏡のかわりに使って見てみますと「菊水」の紋が刻まれていました。私「菊水」だけは分かりましたので、インターネットで調べてみますと、この石像は「楠木正...

Post image

教興寺の廻国塔

教興寺の境内に「廻国名簿塔」が建てられています。「廻国塔」については「大窪の辻地蔵尊」と「太子堂の地蔵尊」で説明していますので、詳しくはそちらを見て頂きたいと思いますが、教興寺の廻国塔は燈籠型の石塔で宝暦十二年(1762)に造立されたものです。「天下太平 梵字(キリーク) 日本回國名簿塔 日月清明」「修行者 奉供養教興密寺 禅心法師」と刻まれ、宝形造りの笠が付いていますが、元は請花も付いてあったで...

Post image

足代の国旗掲揚台

足代に国旗掲揚台があります。これまで、ここで取り上げた国旗掲揚台は全て石柱のもので、一基または二基一対に木製または金属製の旗竿を固定する為の貫通孔があけられています。それで、今回取り上げました国旗掲揚台は石柱形状のものでは無く旗台形状のもので、戦時中に建立されたものでは、私これ以外に見た事はありません。掲揚台には「国威宣揚」と刻まれ、紀元二千六百年記念に建てられたものですが、何故この足代の掲揚台は...

Post image

大軌の境界抗

以前取り上げました「近鉄の境界抗」は沿線等で見かける事が多いですが、今回は近鉄の前身である「大阪電気軌道」の境界抗を取り上げてみたいと思います。「大阪電気軌道」は略して「大軌」と称される事が多く、以前コメントを頂いた方に枚岡駅付近に大軌の境界抗が現在も残っていると教えて頂き、探してはみたものの未だに何処にあるのか?見付ける事が出来ません。それがある休日、生駒山を歩いていますと、ハイキング道に大軌の...

Post image

忠霊塔

これまで私のブログで多くの石碑を取り上げて来ましたが、戦争に関する石碑「忠魂碑」等の戦没者の慰霊の為に建立された石碑も多くあります。それら慰霊の為に建立された石造物の中に若江の「忠霊塔」があります。忠霊塔は昭和十八年(1943)に建てられたもので、終戦後名称を「舎利塔」とあらため、その後講和条約締結に際して旧名に復したのだそうです。この忠霊塔に関して手持ち資料に僅かな記述しかありませんでしたので、...

Post image

北河内にて

今日も非常に暑い日でしたが、北河内某所へとお盆のお墓参りに行きました。毎年、この墓参りの帰りには北河内を探索していまして、今日は東高野街道付近を探索してみました。中河内の東高野街道とはまた違った雰囲気のある、北河内の東高野街道を短い時間でしたが(暑いので1時間ほど)探索後、以前にも訪れた事のある「蔀屋浜」まで足を延ばしてみました。私この船着場跡って好きでして、中河内以外の船着場跡へも行く事がありま...

Post image

玉祖神社の陽石

「玉祖神社」のくすの木の根元に「陽石」がまつられています。私、玉祖神社へは毎月行ってますが、ごく最近この陽石がある事に気が付きました。同じく陽石のある「日下町の弁財天」記事更新時は、玉祖神社に陽石がある事を知りませんでした。それで陽石とは?御覧頂いた通り説明不要でございます。御存知でしょうが…この陽石の説明は省略させて頂きます(於 八尾市)...

Post image

川田の石柱

川田の「新河内街道」沿いに二基の石柱があります。地元の方なら御存知かも知れませんが、と思って川田の知人に尋ねると「そんなんあった?知らんわ」との事でした。南側に建つ石柱には「昭和六年三月 寄贈」と刻まれ、側面には孔が開いていますので、この石柱はおそらく国旗掲揚台だと思われます。北側に建つ石柱の表面は荒仕上げで、こちらは何かの石材だと思われます。それでこの二基の石柱は町中で良く見かけます、車の衝突防...