2018
02.25

防火水槽(その5)

Category: その他
久しぶりに八尾で「防火水槽」を見かけました。

この防火水槽に関して詳しい事は分かりませんが、何故か裏返しにしてあります。

苔が生えていますので、長らくこの状態で置かれていたのだろうと思いますが、道路上に無造作に置かれている感じです。

それで、私がこれが防火水槽と言う事を知ったのは、ネット上で長年お付き合いさせて頂いております、山本龍造氏のブログを拝見したのがその始まりです。

ですので、今回氏のブログを拝見させて頂きますと、やはり取り上げられていましたので、この防火水槽に関しては「こちら」を是非御覧頂きたいと思います。

私は氏の様な気の利いたコメントは出来ませんので(-_-;)

尚、了承無く勝手にリンクさせて頂きました。

防火水槽5-1

防火水槽5-2

防火水槽5-3

すっかり忘れていましたがコメントさせて頂いてました(於 八尾市)
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2018
02.04

八尾の史跡

Category: その他
恩智にある野外活動センター近くに「八尾の史跡」の案内板が設置されています。

これ結構大きなものでして、八尾東部を主に史跡や寺社等が案内されています。

それで、私もかれこれ中河内探索を始めて15年程になり、案内されている史跡等は全て訪れていますと言いたいところですが、唯一1カ所だけ訪れていない場所があります。

それは大窪にある「ドルメン古墳」なのですが、過去数回(10回近く?)訪れようと足を運びましたが、これまで一度も辿り着けた事がありません…

現地に案内板等が設置されていますので、いつも「行けるやろ」と思っているのですが、何故か一度も辿り着けないでいます。

訪れた方がブログ等で取り上げられていますので、きちんと調べて行けば良い話しなのですが、いつも近くを通りがかった際に「ドルメンってこの辺やろ」って感じで、思い付いた様に訪れてみようと思うのが、辿り着けない理由だと思います。

しかし、この辺りは全く土地勘が無いと言う訳でも無く、逆に農免道路周辺は神立の茶屋辻から神光寺辺りまで、単車で頻繁に訪れていますし、高安山や信貴山歩きの帰路にも通る事が多い場所です。

まあ、その内辿り着く事が出来るでしょう(^^)

でも、私有地にあると聞いた事もあるのでどうなんでしょうか?

八尾の史跡

ですのでドルメン古墳の写真はありません(於 八尾市)
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2017
11.12

三角屋根の家

Category: その他
東大阪市の西部に特徴のある、三角屋根の住宅が建ち並んでいます。

詳しい事は分りませんでしたが、外壁が板張りですので、昭和初期以降の建築では?と私は思いました。

私が幼少の頃にあった小学校の木造校舎も外壁が板張りでしたが、鎧板等の木製の外壁はこの頃の学校建築と共通するものだそうです。

それで、この三角屋根の住宅はこの場所以外に、高井田と私の地元である稲田にもありました。

住宅の写真は「暗越奈良街道」の記事に掲載しておりますので、御参照して頂きたいと思いますが、殆んど同様の造りとなっていますので、三ヵ所の住宅は同時期に建築された公営住宅的なものであったのかも知れません。

かつて、東大阪市域には木造平屋建ての公営住宅が多くありましたが、この住宅は一軒家となっています。

一軒家の公営住宅では「小阪町営団地住宅」がありますが、こちらは分譲住宅で都市計画事業として、昭和十一年(1936)に入居が開始されています。

この町営住宅団地は、大阪の東に位置する翠の園と言う意味で「東翠園」と名付けられていますが、現在その殆どが建て替えられている様で、僅かに当時建てられた住宅が残されていると言う事です。

東大阪市内にある府営住宅等の公営住宅は建て替えが進み、高層化した結果、周辺の風景が一変してしまった場所が多くなりました。

平屋建ての公営住宅が懐かしいものに思えます。

三角屋根の家1

三角屋根の家2

最近行ってませんがまだあるのでしょうか?(於 東大阪市)

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2017
10.15

新東洋

Category: その他
6年程前に高安山の麓を歩いていますと、赤錆びた看板がありました。

その看板には「ホテル 新東洋」とあり、私が幼少の頃にテレビ等でコマーシャルが放送されていたと思います。

あと、同時期に放送されていた(?)と思いますが「箕面温泉スパーガーデン」や「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」のコマーシャルも懐かしいです(^^)

実際に新東洋や箕面温泉スパーガーデンを訪れた事はありませんでしたが(びわ湖温泉 紅葉パラダイスは前を通った事があります…)かつて新東洋は堺にあり、現在は廃業されているとの事でした(知りませんでした…)

それで、新東洋は私のブログの趣旨である「中河内」と直接関係ありませんが、実は手持ち資料の中に新東洋の広告がありましたので、今回取り上げた次第です。

写真の広告は、昭和三十八年(1963)のもので、確かコマーシャル中にも「一万坪の名園 国際観光旅館」や「南海本園羽衣駅すぐ」等のフレーズがあった様に思います。

あと、布施市(現東大阪市)に申込所の「布施ハート」があり、電話番号が記載されていますが、布施ハートについて詳しい事は分りませんでした。

申込とは何の申込だったんでしょうか?

現在はスーパー銭湯なるものが普及し、気軽に温泉気分(?)が味わえる時代になりましたけど。

新東洋1

新東洋2

結婚式の申し込みだったんでしょうね(於 八尾市)
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2017
10.15

水車

Category: その他
ある休日、柏原の長瀬川沿いを自転車で通っていると、水車がありました。

柏原はもう十年以上通っていますが、これまで水車がある事に全く気が付きませんでしたが、いつ頃からあるのでしょうか?

当然の事ながら気になりましたので、インターネットで調べてみますと、長瀬川沿いにある製油会社が設置したとの事でした。

その昔、水車を利用して綿実由を製造していたのだそうです。

それで、水車と言えば生駒山でも水車を利用した、伸線・製粉業が知られていますが、生駒七谷の中では「鳴川谷」において、綿実・菜種の絞油が製造されていました。

あと、水車の駆動方法がこちら長瀬川にあるものが、水路の流れで直接回転させていますが、生駒山で使用されていた水車は、辻子谷に復元されている水車の様に、水を引き込み上部から水を流して回転させるものだった事が分ります。

これは単純に平野部と山間部との環境の違いかと思われますが、辻子谷に復元されている水車はかなり大きなものです。

唐臼を同時に数台駆動させるには、かなりの動力が必要だった事でしょう?

それで、長瀬川沿いに「ここ何屋さんやろ?」と、ちょっとだけ気になる店があったのですが、ここは製油会社の直売所だそうですが、土日祝実は定休日だそうです。

それで、いつも私が訪れる週末は営業していなかったんですね。

詳しくは製油会社のホームページを御覧頂きたいと思います。

長瀬川の水車1

長瀬川の水車2

長瀬川の水車3

長瀬川の水車4

辻子谷の水車1

食用油って色々あるんですね(於 柏原市・東大阪市)

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2017
06.11

電化防犯モデル

Category: その他
東大阪市の旧布施市域某所に「電化防犯モデル」と書かれた標柱がありました。

それで「電化モデルとは何や?」と言う事になりますが、調べてみましたが全く分かりませんでした(>_<)

付近を探索してみましたところ「電化防犯設置の家」と表示されたプレートを掲げているお宅がありましたが。

現在、防犯と言えば電化は勿論(?)の事、インターネットや、はたまたスマホまで利用するえらい時代となってしまいました。

私の家の電化防犯装置と言えば、カメラ機能なしのピンポンのみですが…

手書きの標柱から察すると、私の幼少期である昭和30年代後半から40年代の頃かと思いますが、その頃に近隣住宅同士を防犯ベルで接続し、何かあった場合に各家庭にすぐ分かる様なシステムがあった様な気もしますが、私の記憶違いかも知れません。

あと、話は違いますが、家の鍵も昔の様なちゃっちい鍵ではなく、何やようわからん形状のものがあります。

以前、合鍵をつくりに行ったところ「うちでは出来ません」と言われて、仕方がないので別の店を探してつくったところ「そないすんのん?」と言う値段で、少々驚いた事があります。

形状も昔の鍵に比べると、複雑と言いますか、全く違うものにも見えます。

最近、物騒な事が多いので防犯には気いつけなあきません(-_-;)

電化防犯モデル1

電化防犯モデル2

電化防犯モデル3

電化防犯モデル4

電化防犯モデル5

ほんまは電化防犯モデル地区って書いてあるかも知れませんけど(於 東大阪市)

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2017
05.21

黒谷地すべり

Category: その他
高安山麓、黒谷に「市民の森」があります。

園内からは河内平野が一望する事が出来、見晴らしも良く多くの木々が植樹され、遊具等も設置されています。

それで、園内には「地すべり」の説明板が設置され、対策工事等について記されています。

この地区の地すべりについて詳しい事は分りませんが「亀の瀬」ほど規模の大きいものではなかった様で、深礎工等の工事は行われていない様です(未確認ですが…)

あと、園内には亀の瀬の地すべり対策と同様の「集水井」や「伸縮計」が設置され、現在も観測が続けられていますが、近年この地区で地すべりが発生したと言う話は耳にしていませんので、対策工事により現在は小康状態にあるのかも知れません。

私はこの地区を訪れる事が多く、市民の森周辺は近鉄信貴山口駅から近く、多くの住宅が建ち並ぶ住宅街となっています。

それと、園内の北側に「高安信貴山道」が通っていたそうで、この周辺区間は公園整備の際に大部分が消失したそうですが、一部が残されています。

殆んど人が通る事は無い様ですが、丁石一基が残され、東側を通る道路には八尾市が説明碑を設置しています。

こもままこの道は山に帰って行くのでしょう。

黒谷地すべり1

黒谷地すべり2

黒谷地すべり3

黒谷地すべり4

黒谷地すべり5

黒谷地すべり6

黒谷地すべり7

黒谷地すべり8

黒谷地すべり9

黒谷地すべり10

黒谷地すべり11

黒谷地すべり12

黒谷地すべり13

黒谷地すべり14

黒谷地すべり15

黒谷地すべり16

黒谷地すべり17

黒谷地すべり18

黒谷地すべり19

近くまで民家が建っています(於 八尾市)


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2017
01.04

稲田

Category: その他
私は東大阪市の西部にある「稲田」で生まれ育ちました。

正確には稲田で生まれ、実家は旧菱江川跡である「菱屋東」にありましたが、現在は行政区画の町名変更により「稲田新町」となっています。

それで、私の生まれ育った稲田について簡単に記したいと思いますが、本来稲田村は現在より東にある「七軒家」付近にあったそうですが、文禄年間に旧菱江川西岸へと村移りし、東に向けて村が開かれていったのだそうです。

その後、宝永年間の大和川付替えにより、隣接して菱屋東新田や菱屋中新田(旧楠根川跡、後の藤戸新田)等の新しい土地も開墾され、かつては「稲田桃」の産地として有名でした。

あと、私の卒業した小学校は稲田観音禅寺において、明治五年に開校され140年以上の歴史があります。

以上ごくごく簡単に稲田村について記しましたが、私が幼少の頃には古い家屋が並び旧村の佇まいも見せていましたが、現在は古い家屋も殆んど無くなり、新築の家が建ち並んでいます。

現在、東部で暮らす様になって20年以上経ちましたが、時折里帰りしますと道を間違えてしまう程、その景観は変わってしまいました。

1枚目の写真は4年程前に撮影したもので、モノクロの写真は昭和40年代にほぼ同じ場所で撮影したものです。

この道は地元では「中道」と呼ばれる、旧村部の南北を通る道で、この道沿いにはこれまで取り上げました、稲田八幡宮道標、あと菱江川に架けられていた石橋の親柱、楠根川に架けられていた橋の親柱等が残されています。

私には所謂「田舎」と言うものがありませんが、ほんといつでもすぐ帰る事の出来る「生まれ育った場所」が近くにある事は、ある意味幸せな事なのかも知れません。

今年も中河内を見にゆきます。

中道1

中道2

ほんまだいぶ変わりました(於 東大阪市)
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2016
12.25

塚山古墳

Category: その他
西石切町に「塚山古墳」があります。

自宅から最も近い場所にある古墳ですが、手持ち資料中にもこの古墳に関しての記述が見当たりませんでしたので、詳しい事は分りませんでした。

それで、民家が古墳を取り囲む様に建ち並び、その全景を望む事は出来ない(?)かと思いますが、私は「辻子谷」等の石切周辺から生駒山を歩く際や帰路には必ず側を通ります。

時折、帰り際に古墳に上り夕暮を眺める事がありますが、それなりの景色を眺める事が出来ます(-_-;)

東大阪東部には多くの古墳が存在しますが、平野部にある古墳は珍しく、少々不思議な感じがします。

山麓や山中にある古墳は原形をとどめないものも多くありますが、この古墳はほぼ原形をとどめているかと思われます。

尚、石室等の内部は公開されていない様ですので、調査等は行われていないのでしょうか?

しかし、実際に古墳なのか?と言う疑問も残りますが…

塚山古墳1

塚山古墳2

塚山古墳3

塚山古墳4

塚山古墳5

塚山古墳6

塚山古墳7

塚山古墳8

塚山古墳9

塚山古墳10

塚山古墳11

やっぱり古墳でしょうね(於 東大阪市) 

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2016
11.06

献牛舎

Category: その他
「献牛舎」は石切参道商店街の途中にありましたが、現在は取り壊されています。

取り壊し前に設置されていた説明板によりますと、神事で使用する牛車が展示されていたそうですが、その神事である「献牛祭」について詳しい事を私は知りませんでした。

それで、建物が取り壊されている事には気が付いていましたが、それが献牛舎だと気が付いたのは、かなり経ってからの事でした。

しかし、今思い出すと献牛舎にあったベンチで、時折休憩していたんですけど…

現在、跡地は更地のままですので、牛舎の建て替えは無い様に思いますが、展示されていた牛車は何処にあるのでしょうか?

今日、石切参道商店街を通りましたが、やはり更地のままでした。

献牛舎1

献牛舎2

献牛舎3

献牛舎4

献牛舎5

献牛舎6

何か牛の顔怖かったです(於 東大阪市)
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2016
10.16

生駒山の山

Category: その他
生駒山歩きは私の楽しみの一つですが、以前いつもコメント頂きております、はむわんさんが「ちょっとでも突き出た場所を、山と呼べるのであれば、大変なことになるぞ」と仰っていました(>_<)

それで、私は生駒山地を「生駒山」「高安山」あと、出身地が片町沿線沿いですので「飯盛山」と大別しておりますが、東大阪市域の生駒山中にある小起伏には「○○山」と名付けられている場所があります。

山中に消防署が設置した警告板に山名が表示されていますので、その場所が○○山と呼ばれている事が分りますが、これまで撮影した写真を確認しますと、結構○○山がある事に気が付きました(あまり意識していませんでしたので…)

その中には「神津嶽」「宮山」「日下山」等の名の知れた場所もありますが、殆んどがその名を知られていない、起伏?かと思います。

どの位の「○○山」があるのか、確認はしておりませんが、今回写真の掲載はありませんが「大龍寺」の裏山は「観音山」と呼ばれているそうです。

各山の名の由来が分かると、面白いかも知れません。

生駒山の山1

生駒山の山2

生駒山の山3

生駒山の山4

生駒山の山5

生駒山の山6

生駒山の山7

生駒山の山8

生駒山の山9

生駒山の山10

生駒山の山11

生駒山の山12

生駒山の山13

生駒山の山14

生駒山の山15

生駒山の山16

生駒山の山17

生駒山の山18

生駒山の山19

生駒山の山20

山を大切に山を美しく

生駒山を大切に生駒山を美しく(於 生駒山)
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2016
10.10

玉手橋

Category: その他
「玉手橋」は石川に架かる吊橋で、昭和三年(1928)に架けられています。

柏原の方なら御存知の橋かと思います。

橋の詳細についてはインターネット等で調べる事が出来ますので、その説明は省略させて頂きますが、国内に現存する吊橋の中で、日本最多の五径間となっており、吊橋としては全国初の登録文化財に指定されています。

それで、この橋は道明寺から対岸にある「玉手山遊園地」への連絡橋として、大軌(現近鉄)によって架けられたものですが、私も幼少の頃に玉手山遊園地へ遊びに行った事があります。

只、遊園地へ行く為にこの橋を渡った記憶はありませんので、おそらく私は国分駅から遊園地へ行ったのだと思います。

玉手山遊園地は調べますと、明治時代の開園だそうですが(知りませんでした…)閉園後、市立公園に整備されてからは一度も訪れた事がありません。

是非、訪れてみたいとは思っていますが…

あと、以前地元の方にこの橋の下で、オイカワ等の魚が良く釣れると教えて頂き、一時期通っていた事がありました。

その当時、この橋が文化財に指定されている橋とはつゆ知らず「変わった橋やなぁ」としか思っていませんでした(>_<)

尚、橋は写真撮影した際に一度だけ渡っただけですが、微妙に揺れていました。

私、橋とか横断歩道苦手です。

高所恐怖症ですので。

玉手橋1

玉手橋2

玉手橋3

玉手橋4

玉手橋5

玉手橋6

玉手橋7

玉手橋8

古い橋やったんですね(於 柏原市)


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2016
08.12

旧軍人恩給相談所

Category: その他
昨年、十三峠へと歩きに行く途中「旧軍人恩給相談所」と書かれた表示板がありました。

全く調べずに記事を書いておりますので、詳しい事は分りませんが、このお宅が相談窓口をされているのでしょうか?

現在も恩給を受給されている方もいらっしゃるかと思いますが、相談される方はいらっしゃるのでしょうか?

私の祖父は従軍していないので、恩給を受給していたと言う話は聞いていませんが、祖父が大阪砲兵工廠に勤務していたので、民間人扱いとなるのか?それとも軍属扱いになるのか?少々気になりました。

祖父は既に亡くなっていますので話は聞けませんが…

祖父は終戦前日の大空襲を砲兵工廠での就労中には免れたと聞いています。

旧軍人恩給相談所1

神立にありました(於 八尾市)
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2016
08.11

暗峠の道路標識

Category: その他
最近、インターネットのとあるサイトで「暗峠にある道路標識」が紹介されていました。

実はその時点でその道路標識は撤去されていましたが、通行車両の最大幅が1.3m制限の道路標識との事でした。

それで早速、私がこれまで暗峠を訪れた際に撮影した写真を確認しますと、確かに道路標識が写っていました。

興味のある方はインターネットでお調べ頂きたいと思いますが、実際には幅1.3m以下の車は現在、存在しないそうで(?)何故この標識が設置されたのか?その理由もそのサイトで説明されていました。

幼少の頃、祖父に連れられ訪れて以来40年以上、ここ数年は度々訪れております暗峠ですが、これまで全くこの標識がある事に気が付かなかった訳です(>_<)

と言いますか、幅1.3m制限の標識が存在する事自体が、思いもよりませんでしたが…

あと、気が付かなかったと言えば、すぐ近くに「水準点」が設置されています。

この水準点について、詳しい事は分かりませんが、こちらは数年前に設置されている事に気が付きました。

年間を通して度々訪れている場所ですが「気が付かんかったら、こんなもんやねんなぁ」と思った次第です。

繰り返しますが、道路標識は撤去されましたので念の為。

暗峠の道路標識1

暗峠の道路標識2

暗峠の水準点1

暗峠の水準点2

先週通ったんですけど(於 暗峠
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2016
06.26

桜屋クリーニング

Category: その他
これまで、トタン張りのお宅を取り上げさせて頂いておりますが、その中で私が勝手に「桜屋クリーニング工場」と呼ぶ一軒のお宅があります。

その「桜屋クリーニング」の方も気にはなっていましたが、別に調べると言う事もしませんでした。

それで、ある日歩いていますと「デラックス 桜屋 クリーニング」と書かれた看板を見付けました。

かなり古い看板の様に見受けましたが、桜屋さんは現在も営業されているのでしょうか?

まだ調べておりませんが…

桜屋クリーニング1

桜屋クリーニング工場1

同じ東大阪市内にありました(於 東大阪市)
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2016
06.12

柏原ワイン

Category: その他
柏原と言えばブドウ栽培とワインの醸造ですが、地場産業としての歴史等の説明は今回省略させて頂き、ちょっとあれこれ書いてみたいと思います。

尚、詳しくは「カタシモワインフード」に説明板がありましたので、そちらを御覧頂きたいと思います。

それで二十年位前、柏原にある釣堀に休日よく釣行していたのですが、その際「関電道路」を通っていました。

旧外環状線からも見えていますが、周辺にはブドウ畑が広がり「柏原ってぶどう作ってるんやなぁ」といつも思いながら関電道路を通っていたのですが、その後中河内を探索する様になり、柏原で「ワイン」を醸造している事を知りました。

実は私、お酒が弱く普段殆んど飲まないのですが、ここ最近家族のお土産に柏原ワインの直売所でワインを購入しております。

家族にはワインを購入していすが、私はいつも「ブドウジュース」や「冷やしあめ」あと、何故か販売しています「ステーキソース」をいつも購入しております。

それで、店員の女性がワインについて、いつも親切丁寧に説明して下さるので、私の様にワインの事を全く知らない者でも迷う事無く安心してワインを購入する事が出来ます。

ほんと、店員の方は愛想も良く親切です。

あと、イベントも開催されていまして、私は一度も参加した事はありませんが、地図を片手にカタシモワインフードのある太平寺界隈を散策する企画等もある様です。

イベントの開催されている日の太平寺周辺は多くの人で賑わっています。

私も一度、定員さんに参加を勧められた事がありますが、楽しそうなのでいつも一緒に歩くメンバーを誘って参加してみようかな?と思っています。

また機会があれば。

カタシモワインフード1

カタシモワインフード2

カタシモワインフード3

カタシモワインフード4

カタシモワインフード5

カタシモワインフード6

カタシモワインフード7

カタシモワインフード8

カタシモワインフード9

カタシモワインフード10

昨日行きました(於 柏原市)

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2016
06.05

掘り上げ田

Category: その他
東大阪市宝町の大阪外環状線沿いに溜池とも水路ともつかない水溜りがあります。

地図を御覧頂きますと、はっきり確認する事が出来るのですが、これは「掘り上げ田」と呼ばれるこの地域特有の耕地形態で、かつては現在の弥生町から新町の恩智川西側を中心として南北に分布していたそうです。

それで、水溜りの形態は様々だったそうですが、その殆どが一本の水路を中心として両側に枝状に分れるものや櫛状のものが多く、細い水溜りが等間隔である事からして全体的には統一性を持っていたとの事です。

この水溜りは灌漑用と水田面を高くする目的で掘られたもので、かつて恩智川沿いの低湿地は一毛稲作の卓越地帯だったそうですが、大和川付替え以前は恩智川の流れ込み先である「深野池」「新開池」の土砂の堆積によって、度々氾濫が起こり、この地域の低湿地化が進んだそうです。

しかし、大和川付替えにより両池の新田開発が行われた結果、恩智川の水は一層滞留する様になり、あと生駒山から流れる谷川が運ぶ土砂により川床が高くなり天井川と化する中で、川床が水田面よりも高いこの地域では、掘り上げ田を造成する以外に有効な排水処理の手段を持ち得なかったのだそうです。

それで、日下地区以北と池島地区以南は掘り上げ田の分布が見られなかったそうですが、日下地区以北では深野池の新田開発後、それまで開発されていた本田は悪水(農業廃水)を新田の悪水井路(農業用排水路)に排水する事が出来、池島地区以南では恩智川が生駒山麓から距離があった事で川の氾濫による水害が少なかった事から、耕地面積の減少する不経済な掘り上げ田の様な耕地形態は生じなかったそうです。

尚、この地区は以前取り上げました「掻き揚げ田」と呼ばれる異なった耕地形態が生じ、旧大和川流域と同様の土地利用が展開される事となったそうです。

掘り上げ田は大和川付替え後、恩智川の逆流現象が強まった時期から水田の湛水化に対応して設けられたもので、この地域において稲を湛水から守るには、広域に水路を設け排水するか、掘り上げ田を造成するかのいずれかを選択しなけらばならず、耕地面積を犠牲にしても技術面と費用を考えると、掘り上げ田の耕地形態をとる方が安定した収穫を得る最も合理的な土地利用だった事になります。

以上、簡単に「掘り上げ田」に関して記しましたが、私かなり以前から「これ何やろ?」と関心を持っていました。

現在、掘り上げ田はこの場所にのみ現存していますが、先の掻き揚げ田(半田)は消滅したと考えられますので、文化財的に貴重な農業遺構と言えるのかも知れません。

しかし、埋立て前の水路等で見かけるマンホールが設置されていますので、後に埋立てられる予定があるのでしょうか?

現在、水溜りは全く必要性が無い様ですので。

掘り上げ田1

掘り上げ田2

掘り上げ田3

掘り上げ田4

掘り上げ田5

掘り上げ田6

掘り上げ田7

掘り上げ田8

掘り上げ田9

掘り上げ田10

掘り上げ田11

掘り上げ田12

掘り上げ田13

掘り上げ田14

掘り上げ田15

外環から見えてます(於 東大阪市)
Comment:4
2016
03.19

長者大橋

Category: その他
「河内街道」が「五箇井路」を渡る場所に「長者大橋」が架けられていました。

「藤五郎樋」から下流側が暗渠化され、それに伴い長者大橋は撤去されましたが、現在暗渠部分は遊歩道として整備され、長者大橋の親柱が二基保存されています。

それで「長者」と言うのは「鴻池新田」を開発した「鴻池家」の事だそうで、明治四十三年(1910)に施行された行政区画の変更まで、この場所は鴻池新田の東端だったそうです。

あと、この場所から北に「従是鴻池新田」と刻まれた標石が現在も残されています。

尚、長者大橋について詳しい事は分かりませんが、僅かに撮影していた写真を今回掲載させて頂く事にします。

長者大橋1

長者大橋2

長者大橋3

長者大橋4

長者大橋5

長者大橋6

長者大橋7

長者大橋8

長者大橋9

長者大橋10

普段から普通に渡っていた橋でした(於 東大阪市)
Comment:4
2016
03.06

エネルギー

Category: その他
私いつも生駒山歩きで石切以北から上る際には必ず「水走橋」を渡って行くのですが、その水走橋の擁壁に何とも不思議な絵が描かれています。

この絵は「MOT8」さんと言う方が描かれたそうで、詳しくはインターネット等でお調べになって頂きたいと思います。

それで、その一部をここで御紹介したいと思いますが、実際の絵はかなり大きなものとなっています。

あと、私が気に入っている絵は、おそらくブタ(?)だと思いますが、天国に行った次男犬とそっくりで、この子の絵を見ると、いつも次男犬の事を想い出してしまいます…

今月、命日です。

二年経ちました。

エネルギー1

エネルギー2

エネルギー3

エネルギー4

エネルギー5

エネルギー6

エネルギー7

エネルギー8

エネルギー9

エネルギー10

エネルギー11

エネルギー12

エネルギー13

エネルギー14

エネルギー15

エネルギー16

エネルギー17

エネルギー18

エネルギー19

今日見ました(於 東大阪市)
Comment:0
2016
02.14

すぎこだちのみち

Category: その他
ある日、生駒山頂からの下山時にハイキングコース途中で道案内板を見つけました。

案内板には「すぎこだちのみち 日下 あけびのみち 自転車道路」とあります。

今回、全く調べずにこの記事を書いていますが、私が以前聞いた話ではかつて生駒山にはサイクリング道があり、ハイカーと自転車が事故を起こした為、その後廃止されたとの事でした。

現在、生駒山は自転車乗り入れ全面禁止となっていますが、残念ながら時折ハイキング道で自転車のタイヤ跡を見かける事があります。

それで、この道案内板は何処にあったのか?と言う事になりますが、実は標高約300mにある廃屋にありました。

実はこの廃屋、山小屋的なものではなく、普通の住宅として使用されていた様で、雨戸やガラス戸、屋内には浴槽等設備、あと足踏み式ミシンや空瓶、あと電気配線もありました。

これらから、かつてこの家に住んでいた人は普通に生活していた事が分ります(?)

別荘か?とも思いましたが、仮に仕事上でこの場所に家を建て住む必要があったとすれば、石の切り出しくらいしか思いつきません。

しかし、生駒石の切り出しがいつ頃まで行われていたのかは分かりません(調べていません)

私の感覚ではこの場所に家がある事自体、かなり不思議な事なんですが、この場所に家を建て人が住んでいたその真相は不明です…

道案内板

生駒山中の廃屋

コースから外れた林の中にありました(於 東大阪市)
Comment:2
2016
01.24

土砂留

Category: その他
生駒山には幾つかの谷があり、谷川が流れています。

江戸時代中期以降、その谷川では水車を利用した製粉、伸線等の「水車稼ぎ」が行われていた事は御承知かと思います。

現在、生駒山の谷川は水車を回せる程の水量があるのか?生駒山を歩く度にそう思いますが、その谷川に関して以前より一つ気になる事がありました。

それは、谷川の途中に川幅が広げられ池の様になっている場所があります。

調べますと、これは「土砂留」と呼ばれるそうで、東大阪東部では何か所か見られます。

詳しくは書籍やインターネット等でお調べ頂きたいと思いますが、江戸時代には現在の東大阪東部に於いて、谷川が運ぶ土砂は下流の田畑を埋め、最終的な流れ込み先である「恩智川」の川床を上げる事で水害の危険を増大させる原因となったそうです。

当時幕府も新田開発や森林の乱伐が理由で洪水等の水害が頻発するのを鑑みて、鋭意山林保護(土砂方取締り)にあたり、役人を廻在させたそうです。

植樹、新たな山畑開き、無断の水車小屋建設等は厳しく規制され、土砂崩れ等の異変は直ちに届出る事となっていたそうですが、無断で修復する事は禁じられていたのだそうです。

それで、当時の状況についてはこれ位にしまして、現在も土砂留は当時と同じ機能を残し、残されていると思われるものがあります。

私が初めて気付いたのが日下町にある土砂留で、御覧の様に土砂が堆積し雑草が生い茂っていますが、構造を簡単に説明しますと、谷川の川幅を広げその川床を掘り込む事でそこに土砂が堆積し、水だけが下流に流れて行くと言うものです。

その堆積した土砂が定期的に浚渫されているかどうかは分かりませんが、一見すると私と同じく「何でここだけ川幅が広いんやろ?」と思われるかと思います。

あと、中石切町と善根寺町にもありますが、中石切町にあるものは日下町にあるものより規模が大きく、おそらく浚渫する為のスロープ等が整備されています。

ここは自宅からそれ程遠くありませんし、ここから眺める夕暮時の生駒山の風景はとても綺麗ですので、度々立ち寄っていましたが、やはり長い間土砂留とは知らずに池だと思っていました。

ここは恩智川との合流点のすぐ近くとなります。

善根寺町にあるものは先の二ヵ所に比べると標高の高い場所にありますが、ここは定期的に浚渫が行われている様で、以前あった土砂は撤去されていました。

あと、この場所には「善根寺春日神社」で行われる、酒造神事で使用する酒米を収穫する「宮田」があったそうです。

以上、生駒西麓に残る土砂留を取り上げましたが、これは現在で言うところの「砂防ダム」に相当するかと思いますが、生駒山中には至る所にコンクリート製の砂防ダムが建設されています。

考えると、当時の土木技術で山中に砂防ダムの様な大規模な構造物を谷を跨いで建設する事は難しい事だった事かも知れませんで、それで工事の容易い下流にこの様な土砂の流出を食い止める場所を建設したのだと思います。

ほんと、昔の人の知恵は凄いものだと、この土砂留を見て思った次第です。

土砂留1

土砂留2

土砂留3

土砂留4

土砂留5

土砂留6

土砂留7

土砂留8

土砂留9

土砂留10

土砂留11

土砂留12

土砂留13

土砂留14

土砂留15

土砂留16

土砂留17

土砂留18

土砂留19

江戸時代は溜まった土砂をどう処分していたのでしょうか?(於 東大阪市)
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2015
12.31

平成27年の生駒山

Category: その他
今年も一年を通して生駒山を歩きましたが、いやほんまに山道歩くのは楽しいもんです。

それで、月毎の生駒の風景と言いましょうか、まあ総集編みたいな感じで私の選んだ写真を載せまして、ちょこっとコメントを入れてみたいと思います。

写真はそれ程大したもんやおませんが…

それでは1月ですが、年の初めの登り初めは嬉しい事に雪の生駒山を歩く事になりました。

平成27年の生駒山1

平成27年の生駒山2

雪の生駒山を登るのは小学校の遠足以来(?)でしたが、何でか雪が降りますと気持ちが高揚するとでも言いましょうか、嬉しなってしまうのは子供時分からでして、やっぱり雪の少ない土地で育ったからやと思います。

しかし、翌週に「日下直越道」を歩きますと、雪はすっかり無くなり、いっつもの雪無しの生駒山に戻っていました。

しかし、この道はいつ歩いてもジャングルみたいですわ、ほんまに。

次は2月です。

平成27年の生駒山3

平成27年の生駒山4

私実は階段が苦手でして、写真は客坊の途中にある階段なんですけど、見ただけで戦意喪失気味になってしまいます。

そやけど、歩かな先へは進めませんので歩きますが、ぼちぼちゆっくり歩いてます。

あと、2月も雪が降ってちょっと積もりました。

次は3月です。

平成27年の生駒山5

平成27年の生駒山6

3月は梅が咲いていましたが、枚岡梅林やのうてハイキングコースの途中に咲いている梅の方が見ててええ感じがします。

また、年が明けて3月もあっと言うまに来るんでしょうが、ほんま歳取ると1年早いなぁとよう思います。

あと、3月と関係ないですが、苦手の階段沿いにお馴染のキノコの避難場所(?)ですけど、これもあちこちに残ってます。

次は4月です。

平成27年の生駒山7

平成27年の生駒山8

4月と言えば桜ですが、生駒山では何故か違う木々の中にポツンと桜の木がある事があります。

平地より長く花見が楽しめますが、何で一本だけあるんでしょうかね?

あと、写真は宮川谷ですが、ここは生駒山では多く植林されているスギの木が整然と並んでいますが、現在このコースは通行遺禁止となっています。

次は5月です。

平成27年の生駒山9

平成27年の生駒山10

今年はつつじ広場でつつじを見ましたが、広場はほんまえらい人でした。

しかし、ここのつつじは見る値打ちあると思います。

あとこの時期、藤の花も綺麗に咲いてました。

次は6月です。

平成27年の生駒山11

平成27年の生駒山12

基本6月は歩きませんが、アジサイだけ見ようと言う事でいつものメンバーとあじさい園地まで弾丸登山(?)しました。

行ってすぐ帰って来ましたけど、曇天で風が強かったので多少涼しく、天気の良い日に比べると大分ましでした。

帰りは豊浦谷に涼みに行きました。

ここのアジサイもほんま値打ちありますので、来年も行こかと言う事になってます。

それで、7・8・9月は歩きませんが、今年から乗り始めました単車ではちょこっと行きました。

平成27年の生駒山13

平成27年の生駒山14

平成27年の生駒山15

夜の写真は家から撮ったもんですが、山上遊園地のナイター営業もこの時期から始まります。

あと、今年は奈良側にも行きましたが、写真は千光寺へ行く途中に立ち寄ってみた神社なんですけど、たまに中河内以外の神社にも寄ってみる事もあります。

他所の土地にある神社も興味深いものがありますので、中河内の神社巡りと同じく石造物等は確認しています。

記事にはしませんが。

それで、近場にある神社にも暑い時期は単車で行きます(笑)

写真は「市杵島神社跡」ですが、夏に行くと木が生い茂って鬱蒼って感じがしますけど、冬は葉っぱが落ちてスカスカですので見た感じがちょっと違います。

冬の方が日が当たって明るいので社殿が良く見えますので。

次は10月です。

平成27年の生駒山16

平成27年の生駒山17

10月になると生駒山歩きの後半再開となりますが、3カ月のブランクがありますので、無難な道を歩きます。

写真は「辻子谷」ですが、実は階段と同じく石畳も私苦手でして、石の無い端っこを歩きます。

石の上を長い事歩きますと、足が痛くなりますんで。

あと、とある風景にも書いてます、警察の黄色いリボン(?)はこの六万寺池にありました。

次は11月です。

平成27年の生駒山18

平成27年の生駒山19

冬になると花を見る事が少ななってきますけど、ツバキの花はこの時期綺麗に咲いています。

生駒山のツバキは大きな木ですので、沢山の花が咲きます。

あと、これも11月と関係ありませんけど、写真は私の良く歩く長尾谷で途中には長尾の滝等の史跡があります。

しかし、御存知の方もいてはるかと思いますが、長尾の滝より上流は殆んど谷が枯れていまして、上流の砂防ダム辺りからゴムホースで長尾の滝まで水を引いています…

生駒山の静寂の中、ゴムホースの中を水が流れる音だけが妙に聞こえてきます。

次は12月です。

平成27年の生駒山20

平成27年の生駒山21

生駒の紅葉は12月が見頃で、写真は「イシダタミのみち」で撮りましたが、こんな感じです(笑)

あと、今年は12月もわりと温かったので、ハイカーの方も多かったのですが、摂河泉や神津嶽はハイカーや家族連れの方も多く人気コースです。

写真は神津嶽ですが、私は滅多に2つのコースは歩きませんけど、ごくたまに歩く事があります。

まあ、人気コースはちゃんと整備もされ道幅も広いので、非常に歩きやすいです。

それが人気の理由やとは思いますが。

それで、今年最後の登り納めは昨日山頂まで行って来ました。

平成27年の生駒山22

写真はいつも私が山頂に行くと休憩する場所である、お化け屋敷の前です。

当然、いつも休園期間の間だけこの場所で休憩するんですけど、何でここへ来るんかと言いますと、昔じいちゃんに夏の夜、山上遊園地へ連れて来てもろてお化け屋敷に入った事を今でも覚えているからです。

場所はここやなかったと思いますけど、今も妙に覚えています。

生駒山はじいちゃんに連れられて小さい時分から歩いていますし、山上遊園地はじいちゃんとの思い出の場所でもあります。

当時あったもんで今もあるんは飛行塔くらいやと思いますが、この歳になっても覚えてるんは、ほんま楽しかったからやと思います。

また来年も生駒山歩きます。

ぼちぼちと。

平成27年の生駒山23

来年もブログやります(於 生駒山)
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2015
12.23

あぜ道テーリング

Category: その他
池島・福万寺周辺には今では見る事が少ない広い田畑を生駒山を背景に今も見る事が出来ます。

私、そんなこの地区の田畑が広がる風景が好きで、休日に訪れる事が多いのですが、ある農家の倉庫に「あぜ道テーリング」と書かれた看板がありました。

内容は写真を御覧頂きたいと思いますが、第4ポイントとありますので、数か所に設置されているのでしょう?

それで、説明にもありますハウス栽培では温度調整の為に暖房を入れているとの事ですが、以前「あぜ道」を歩いた際にビニールハウスに大きなファンが取付けられているのを見かけました。

これを見た時、野菜も生き物で育てると言う事は大変な事なんだと思いましたが、現在主に栽培されている野菜は「軟弱野菜」と呼ばれるものだそうです。

以前、農協発行の刊行物を頂いたのでそれを参考にさせて頂きますと「綿」と言う特産物を失った河内地域では、大都市のそばでありながら遠隔地の稲作農家へ逆戻りの様な形となったそうですが、その間旧大和川筋の新田では桃、養蚕、茶等の試みがなされたそうです。

しかし、成功するには至らなかったそうで、大正期に入ってようやく野菜栽培に活路を見い出す様にとなったそうです。

大正初期には「天満ダイコン」「カンショ」「聖護院ダイコン」等が栽培されたそうですが、昭和30以降はホウレンソウやシュンギク等の所謂「青物」が主に栽培されているとの事です。

私、野菜大好きなんですけどあまり詳しくありませんので、天満ダイコンとはどんな大根なのか分かりませんが、カンショ(甘藷)とはサツマイモの別称だそうで、これも全く知りませんでした(>_<)

以上、刊行物を参考に記しましたが、あぜ道テーリングのポイントは何か所くらいあるのでしょうか?

また、休日天気の良い日に探してみようかと思ってます。

あぜ道テーリング1

池島の畑1

池島の畑2

池島の畑3

ほんまのんびりした風景が楽しめます(於 東大阪市・八尾市)
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2015
12.20

産業戦士像

Category: その他
豊浦町に「産業戦士像」があるのですが、手持ち資料にも記述がありませんでしたので、インターネットで調べますと、詳しく紹介されているサイトがありました。

詳細はそちらのサイトを御覧頂きたいと思いますが、私初めてこの像を見た際、漁師の人が網を修理している姿に見えました(?)

実際は全く違うのですが、今回「産業戦士」という言葉を初めて耳にしました。

あと、サイトでは伸線業についても紹介されていますが、私の叔父が伸線業(線屋さん)に携わっていましたが、私も同じ製造業に携わっていますので、かなり以前「線屋さんはどないなん?」と尋ねると「もう線屋もあかんわ…」と言う話をしていました。

実際、私生駒山歩きの際に豊浦町や南荘町や立花町周辺を通りますが、廃業した伸線工場も多数あり、工場跡には建売住宅が建設される事が多いです。

伸線業が盛んだった頃はこの地区も賑やかで、商店街もあったとサイトで説明されていますが、このお話しはいつもコメントを頂いています、地元出身の方にも伺っていましたので、かつてこの辺りに商店街があったであろう雰囲気は今も残っている様に思います。

あと、この像がある場所は昔小学校があったそうで、おそらく現在の「枚岡東小学校」ではないかと思います。

先日、いつも一緒に生駒山を歩くメンバーと郷土博物館に観覧に行った際、東大阪市内の小学校の創立年代の一覧があり、私(楠根小学校)と彼(小阪小学校)の卒業した小学校は共に明治時代の創立でした。

枚岡東小学校も同時期の創立で私達の卒業した小学校と同じく100年以上の歴史があります。

因みに私の記憶で一番創立年が新しい小学校は「藤戸小学校」だったので、見てみますとやはり藤戸小学校でした(笑)

藤戸小学校はかつて流れていた楠根川沿いありますが、以前その場所には養豚場があり、近鉄の路線バスから見えていたのを思い出します。

かなり臭いがしていましたが、今となってはそれもいい思い出(?)なのかも知れません。

懐かしいですね。

産業戦士像1

産業戦士像2

産業戦士像3

産業戦士像4

小学校跡1

小学校跡2

小学校跡3

小学校跡4

置いてある穴のあいた石柱は何でしょう?(於 東大阪市)
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2015
11.08

法善寺の小墓

Category: その他
法善寺に墓石や石仏が並ぶ場所があり、地区の所有地と明示されています。

以前からこの場所の存在は知っていましたので調べてみる事にしましたが、結論を言いますと、それ程詳しい事は分かりませんでした…

それで、写真を御覧頂くと分かりますが、中央付近に地蔵堂があり地蔵菩薩立像がまつられ、その周囲には舟形光背を持つ石仏や六字名号板碑、墓石、一石五輪塔等の石造物があります。

現在は地元町会の方々が整備されているそうですが、かつては荒廃していたそうで、あと墓石については所有者が不明のものが多く調査されているのだそうです。

この小墓がある場所は小字「塔ノ本」と呼ばれ、隣接して同じく「地蔵前」「寺前小路」の小字名が残っているそうで、付近から平安時代から鎌倉時代の古瓦や土師器、瓦器の破片が出土しているそうです。

「法善寺」は御承知の様に寺号地名であり、かつてこの場所には「法禅寺」と呼ばれた古代寺院があったとされ、この小墓のある場所は廃法禅寺の一角と推定されるそうです。

ですので、先に記した塔ノ本等の寺院に因む小字名が残っているのは、その為であろうかと思いますが、地籍図を見ますと、かなりの寺域を持つ寺院だと推測されるそうです。

今回、小墓についてはそれ程詳しい事は分かりませんでしたが、この地にかつて古代寺院があった事と結び付けて調べてみました。

尚、出土品は法禅寺に関係するものかどうかは不明だそうです(参考にした手持ち資料による)

法善寺の小墓1

法善寺の小墓2

法善寺の小墓3

法善寺の小墓4

法善寺の小墓5

法善寺の小墓6

法善寺の小墓7

実は墓地内にまだ一度も入っていません(於 柏原市)
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2015
10.10

亀の瀬地すべり(その5)

Category: その他
「亀の瀬地すべり」も長らく更新していませんでしたが(…)今回で最終回にしたいと思います。

ですが、これと言って別に書く事もありませんので(笑)雑記程度に今回は記したいと思いますが、私が亀の瀬と言う場所へ初めて一人で訪れたのは今から約十年前の事で、自転車で法隆寺へと向かう途中、国道25号線を通るのが怖くて(交通量が多く歩道がありませんので…)右岸沿いの道を通ったのがその理由でした。

結局、法隆寺へは訪れませんましたが(体力不足と悪天候の為)周辺の雰囲気が少々気になりましたので、探索する事にしました。

この場所について何の知識もありませんでしたが、川沿いの道を東へ行くと何かは知りませんがコンクリート製の構造物等があり、何か廃墟的な雰囲気がありました。

更に川沿いの道を東へ進むと鉄橋をくぐり、その先に民家が建ち並んでいた事にびっくりした記憶があります。

後日調べますと、民家の建ち並んでいた場所は関西線の旧路線跡だそうで、くぐった鉄橋も特徴があったので同じく調べますと、この鉄橋は「大和川第四鉄橋」との事で、近年にトンネル(亀瀬隧道)が80年ぶりに発見された事が報じられました。

その後、非常に興味を持ち、地すべり地帯へと定期的に訪れる様になり、調べてから現地へ行くと言う事を繰り返していました。

あと、ここ最近「信貴山」へお参りに訪れる事がありますが、いつも必ずこの川沿いの道を通り「竜田越え」の道を経て、信貴山へと向かいます。

今も25号線を通るのが苦手ですので(>_<)

それで、今年入手した手持ち資料によりますと、地すべり発生後に研究者や技術者が災害阻止に奮闘する一方、物珍しさに一目見ようと多くの見物人が訪れたのだそうです。

関西本線は分断され不通となっていたそうですが、崩壊したトンネルの両側に仮駅が設置され、そこから徒歩で一日あたり最高2万人の人が訪れたそうで、その見物人目当てに飲食店も出現し、さながら観光地の様であったそうです。

その際、土産物や記念品と同質の扱いで「絵葉書」が発行販売され、それを見ると当時の災害の状況が非常にリアルに見て取れます。

災害地の絵葉書と言うのも考えると不謹慎かと思いますが、今となっては当時の状況を記録した貴重な資料となるのでしょう?

「災害は忘れた頃にやってくる」ではありませんが、私の住む東大阪市はほんと災害らしい災害が殆んど起こっていない安全(?)な場所だとつくづく思います。

だた私、地震にだけいまだ恐怖心があり、阪神大震災発生後、食料等を準備して服を着たまま夜3カ月間寝てました(恐怖)

亀の瀬地すべり64

亀の瀬地すべり65

亀の瀬地すべり66

亀の瀬地すべり67

亀の瀬地すべり68

亀の瀬地すべり69

亀の瀬地すべり70

亀の瀬地すべり71

亀の瀬地すべり72

亀の瀬地すべり73

亀の瀬地すべり74

亀の瀬地すべり75

亀の瀬地すべり76

亀の瀬地すべり77

亀の瀬地すべり78

対策工事はかなり進んでいるそうですが…(於 柏原市)
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2015
08.13

土石流警報テレメータ装置

Category: その他
生駒山中に「土石流警報テレメータ装置」と表示された設備がありました。

生駒山には様々なものがあり、いつもそれらを見付ける度に「これ何やろ?」って思うのですが、この装置についてインターネットで知らべてみました。

その結果をそのまま引用させて頂きますと「遠隔測定のための装置(テレメーターtelemeter)は、測定量を検出して伝送に適した信号に変換する装置、その信号を遠隔場所へ伝送する伝送路、伝送された信号を指示、記録などに適した信号に変換して指示、記録などを行う」とありました。

この装置の場合は土石流を監視する為に設置されたものかと思いますが、はっきり言って私もどないどうなってるんかよう分かりません。

この装置は登山道ではない場所に設置され、装置全景を撮影する事が出来ませんでしたので、上部と下部を分けて撮影しましたが、おそらくこちらが通信装置(?)でもう一つある装置が観測装置かと思います。

それで、生駒山を歩いていますと、土砂崩れや落石の跡を見かける事が度々ありますが、数年前に善根寺町で土砂崩れがあり、阪奈道路が通行止めになった事を覚えていらっしゃる方も多いと思います。

現在は復旧工事も完了して、阪奈走路も通常通り通行出来ますが、その土砂崩れの爪痕は今も残っています。

あと、最近では鳴川谷でも土砂崩れがありましたが、春以降歩いていませんので土砂崩れの現場は現在どの様な状況なのか分かりませんが、通行止めにはなっていない様です。

それと、落石の跡も度々目撃していますが、あるハイキングコース上に屋根のある休憩所があり、そこに落石が突っ込んで止まっています。

私あまり休憩しない方なんですが、たまたま休憩していて後ろから突然落石があったら、ほんと洒落にもなりません。

命に関わりますので…

いつも、休日の生駒山歩きが楽しくなる様に心掛けていますが、ほんと怪我や事故だけには会いたくありません。

私的には、土砂崩れ、落石、イノシシ、あと最近はサルに注意しております。

私の超苦手な爬虫類、マムシ ヤマカガシは最も注意しなければなりませんが、基本夏は歩きませんので大丈夫だとは思いますが、春と秋にはごくたまに遭遇する事がありますので、気を付けなければなりません!!

しかし、蛇にかまれたらほんまに死ぬんでしょうか?そない思うとびびりますわ。

土石流警報テレメータ装置1

土石流警報テレメータ装置2

土石流警報テレメータ装置3

土石流警報テレメータ装置4

土石流警報テレメータ装置5

土石流警報テレメータ装置6

土砂崩れ1

土砂崩れ2

土砂崩れ3

土砂崩れ4

落石1

落石2

マムシに注意1

マムシに注意2

ヘビ1

写真のヘビはシマヘビですけど(於 東大阪市)
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2015
08.12

電話番号札

Category: その他
ある日、生駒山へ歩きに向かう途中、立派な門構えのお宅に「電話 参00番」と書かれた札が掲げられていました。

私、これが全く何なのか全く分かりませんでしたので、インターネットで調べてみますと、電話番号だと言う事でしたが、昔の電話番号ってこんな番号だったんですね。

知りませんでした(!)

あと、写真では見辛いのですが、札の下にあるプレートには同じく「300」とあり、電電公社の社章がありました。

それで、この番号札があるお宅は東大阪東部、旧枚岡市域なんですが、手持ち資料で調べてみますと、この地区で電話業務が開始されたのが、大正二年(1913)だそうで、当時の電話加入軒数は41軒だったそうです。

ですので、この札はそれ以降の更に電話が普及した時代のものだと思われますが(?)当時の電話業務は郵便局の管轄で、現在東大阪市内にある俗に言う3つの本局(枚岡・河内・布施)が電報電話局の前身となります。

電話業務は郵便局から独立して現在に至っていますが、電電公社もNTTへと民営化されたのは皆さんご承知の通りです。

あと、因みに私の地元である稲田では、大正六年(1917)から御厨と共に電話業務が開始されたそうです。

今や電話も持ち歩く時代となりましたが。

電話番号札1

はずさんとそのまま付けてはるんですね(於 東大阪市)
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2015
07.24

小鞍の嶺

Category: その他
今年の梅雨前に雁多尾畑の清水谷周辺でぶらぶらしていますと、たまたま「小鞍の嶺」とある場所へ辿り着きました。

取りあえず行ってみようかと思いましたが、ふと見ると「聖域へ登る階段」とありましたので、一先ずそちらへ行ってみる事にしました。

5分程行くと平坦な場所に出ましたが、別に何もありませんでしたので元の場所に戻り、あらためて「小鞍の嶺 万葉へ」と指す方向へ歩いて行きました。

こちらも5分程歩いたでしょうか?やはり平坦な場所に出ましたが、先程よりかなり広く、小鞍の嶺についての説明板がありました。

詳しくはそちらを御覧頂きたいと思います。

それで、少し周辺を探索してみる事にしましたが、思ったより広くはなく、御覧の様に「桜」や「合歓木」と書かれた立札に和歌の一節が記されていました。

私、殆んど何の事か分かりませんので「あぁ 和歌やねんなぁ~」と思いつつ、取りあえず立札を一枚、一枚順番に見て回りました(見て回っただけです)

あと、この季節になると生き物達の活動が活発になりますが、何故かこの場所には大量の「クマンバチ」が飛び交い、ブンブンと大きな音を立てていました。

クマンバチはカナブンくらいの大きさがあり、かなり恐怖でしたが、スズメバチに比べると大人しい事は知っていましたので、しゃがんで数分間観察していました(やはり少々怖かったですが…)

生駒山でも度々スズメバチやクマンバチ、あとアブにも遭遇しておりますが、何故か先週職場にスズメバチが現れ、何とか撃退に成功しましたが、スズメバチは手で払ったり威嚇しない方がやはり無難です。

刺されると大変な事になりますので。

それで、何故ここへ来たのかと言いますと、この場所は地すべり防止地区の標高の高い場所で、定期的に地すべり地帯を訪れていますが、この辺りまで来ると地すべりの爪痕と言うものは殆んど見られないかと思います。

かつて、大災害が発生したこの周辺も桜の木等が植樹され、今では地元のお花見どころとなっているみたいです。

次回は桜の花が咲く頃に。

小鞍の嶺1

小鞍の嶺2

小鞍の嶺3

小鞍の嶺4

小鞍の嶺5

小鞍の嶺6

小鞍の嶺7

小鞍の嶺8

小鞍の嶺9

小鞍の嶺10

小鞍の嶺11

小鞍の嶺12

小鞍の嶺13

小鞍の嶺14

小鞍の嶺15

生駒山には万葉の路があります(於 柏原市)
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2015
06.26

生駒山上の建造物

Category: その他
テレビ塔が建ち並ぶ生駒山上の一角に朽ち果てかけた建物が一軒あります。

生駒山上には天文台等の使用されていない施設が今も残っていますが、この木造の建物は何なのか?かなり以前から疑問に思っていました。

それで最近、仕事でお付き合いさせて頂いている方と雑談していたところ生駒山の話になり、この方が「昔生駒の山の上にバンガローがおましてん」と仰ったので「それって、テレビ塔のあるとこらへんですか?」と尋ねると、昔(昭和10年から20年代頃)にバンガローがあったのだそうです。

ですが、写真の建物がそのバンガローなのかは確認出来ませんでしたが、それ以外に貸別荘があり、夏休みにはその別荘を借りて家族と一緒に過ごしたそうです。

また、現在遊園地の駐車場となっている場所は当時、クライダー場でしたが、そこでもキャンプ等をして楽しんだそうです。

この頃の生駒山上遊園地について手持ち資料で調べてみますと、昭和十五年頃にはかなり整備されていた様で、現在も現役である飛行塔が既に設置され、ローラースケート場やベビーゴルフ場(?)等もあり、望遠鏡や双眼鏡を備えて展望を楽しむサービスも整えられていたそうです。

園内には諸施設を結ぶ遊歩道が縦横に整備され、ケーブルカーの沿線や山上一体には桜の木が植樹されたそうで、後年には桜の名所とうたわれるまでに育成されています。

あと、宿泊施設としては林間学舎、テント村、山の家が開設され、浴場や売店、食堂も完備されていたそうで、大軌(現近鉄)は山上の消夏避暑の為の貸別荘を土地開発経営の一環として建築、賃貸する事とし、昭和九年(1934)に二十余戸が完成したそうです。

結局、写真の建物が貸別荘だったのか?林間学舎だったのか?山の家だったのか?または全く別の建物だったのか?確認は出来ませんでしたが、かつて生駒山上には宿泊施設があり、避暑地として利用されていた時代があった事を最近知る事となりました。

私、今は夏に山頂へ行く事は殆んどありませんが、幼少の頃は祖父に山上遊園地へ度々遊びにつれて行ってもらったものです。

生駒山上の建造物1

生駒山上

山を大切に

朽ち果てた家屋もありました(於 生駒山上)
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