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竹渕東の歌碑

「平野川」沿いに歌碑が建てられています。碑には「紅葉ばのながるゝ時は たけ河のふちのみどりも いろかはるらんと」刻まれ、私には歌の内容が分りませんが(…)碑文によりすと、往時の「竹渕川」の清流をここを訪れた事のある「凡河内躬恒」によって詠まれたのがこの和歌で「拾遺和歌集」に残されているとあります。それで、凡河内躬恒は平安時代前期の歌人だそうですので、歌碑にもある様に千年以上前の平野川の様子を詠んだ...

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北高安小学校跡地(その2)

水越にある「薗光寺」の境内に「北高安小学校地」と刻まれた石碑が建てられています。それで、同様の跡碑が大竹の児童公園内に建てられていますが、手持ち資料と八尾市のサイトによりますと、堺県第95番小学校として、水越の薗光寺の本堂を仮校舎に開校されたとあります。明治六年(1873)から、明治十三年(1880)までこの地にありましたが、その後大竹に移転したのだそうです。北高安小学校跡(その1)も御参照して頂き...

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高井田駅開業記念碑

JR高井田駅前ロータリーの南側に「高井田駅開業記念碑」が建てられています。この記念碑は昭和六十年(1985)に建てられたもので、碑文には建設に至った経緯等が刻まれています。それで、高井田駅は年に一度か二度利用していますが、確かに柏原から河内堅上の駅間はかなり長いので、地域住民の方々にとっては念願の駅開設だったのでしょう。以前、私の知人が駅の近くまで通勤していた頃は高井田駅は無く、近鉄国分駅で下車し...

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高井田耕地竣工記念碑

高井田本通にある児童公園内に「高井田耕地竣工記念碑」が建てられています。この記念碑は皇紀二千六百年(昭和十五年)に建てられてもので、大きく立派な自然石が使われています。それで、事業内容について詳しい事は分かりませんでしたが、手持ち資料には「高井田村耕地整理組合」とあり、高井田小学校で起工式が行われ、奈良街道から森河内に至る125ヘクタールが耕地整理事業の対象となったそうです。高井田は大阪市と当時の...

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あけぼの橋

曙町を流れる長瀬川に「あけぼの橋」が架けられています。その橋の袂には「あけぼの橋」と刻まれた、昭和五十五年年(1980)に竣工を記念して、石碑が建てられています。おそらく、この小さな橋がそうかと思われますが、この辺りを長瀬川には小さな橋がいくつも架けられてています。しかし、橋名が表示されている橋は殆んどなく、あけぼの橋以外で橋名が確認出来るのは「れんごうはし」だけでした。それで、この様にほぼ人しか...

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東大阪都市計画西部土地区画整理事業竣工記念碑

布施公園内に「東大阪都市計画西部土地区画整理事業竣工記念碑」が建てられています。建立年は確認出来ませんでしたが、市長として「伏見さん」の名が記されていましたので、在任期間(昭和45年~57年)に建てられた事になります(私の世代では東大阪の市長と言えば、伏見さんでしょうか?)事業内容の詳細は分かりませんでしたが、東大阪市のホームページによりますと、昭和40年(1965)から昭和48年(1973)まで...

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大阪府立八尾南高校跡地

私の拙ブログ「河内彷徨」も開設してから数年経ち、取り上げるネタも徐々に少なくなってきました。まあ、あまり得意ではない(?)戦国時代の事や遺跡、古墳等も取り上げればカテゴリーが広がり、ネタも増えるのかも知れません。しかし、基本的に近世以降の石造物や河川水路等を主に取り上げて行く事を主旨に記事を更新してきましたので、これ以降も石造物を主に『同じ様なネタ』が続く事となりますが、ネタの続く限りブログを続け...

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柏村町の顕彰碑

柏村町にある、児童公園内に顕彰碑が建てられています。碑文によりますと、八尾市教育委員と委員長を務められた三好氏が、居宅跡を公園用地として寄贈されたとあります。住宅街にある公園としては普通の規模かと思いますが、住宅の敷地としてはかなり広いと思います。教育委員会に努められた方なので、地区の子供達への思いから公園用地として、寄贈されたかと思います。あと、玉串川沿いにも個人の方が寄贈された敷地が、公園とし...

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曙川北土地区画整理事業竣工記念碑

八尾木北にある公園内に「曙川北土地区画整理事業竣工記念碑」が建てられています。碑文によりますと、八尾市として最初の土地区画整理事業で、市域のほぼ中央に位置する62ヘクタールを昭和45年に着工し、昭和52年に竣工したそうです。この地域の市街化の促進を図る為、総工費17億円を投じて「東大阪中央線」をはじめ、総延長15キロメートルの道路網及び公園が整備されたそうです。尚、八尾市のホームページでこの事業につ...

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太田尋常小学校跡地

前回「三木本尋常小学校跡地」を取り上げましたが、その三木本尋常小学校は大正時代に「太田尋常小学校」と統合され「大正尋常高等小学校」となりました。現在、太田の学校跡地には「太田尋常小学校跡地」の石碑が建てられています。碑文には、明治七年(1874)に太田尋常小学校が設立され、大正十一年(1922)に三木本尋常小学校と合併し移転したとあります。それで、手持ち資料によりますと、明治七年十月(一説では十一...

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三木本尋常小学校跡地

木の本に「三木本尋常小学校跡地」の石碑が建てられています。碑文によりますと、明治六年(1873)に三木本尋常小学校が設立され、後の大正十一年(1922)に太田尋常小学校と合併し、大正尋常小学校(現大正小学校)と改称、移転したとあります。それで、手持ち資料で調べてみますと、明治六年六月に第九十五番小学設立とありました。あまり詳しい事は分かりませんでしたが、この地域の行政区画の変遷はやや複雑(?)で、...

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中高安小学校発祥之地

「光明寺」の境内に「中高安小学校発祥之地」と刻まれた石碑が建てられています。以前「中高安小学校跡」の石碑を取り上げましたが、残念ながらこの長い歴史のある小学校は現在閉校となっています。この石碑は跡碑と同様に創立百周年を記念して、昭和四十七年(1972)に建てられたもので、碑文には創立時の「堺縣服部川百三十六番小学校」とあり、インターネットにて詳しい沿革を知る事が出来ます。あと、手持ち資料によります...

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龍華寺跡

陽光園にある公立小学校の角地に「古蹟 龍華寺址」と刻まれた石碑が建てられています。「龍華寺」については、現地に八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、寺跡地は小学校及びその西側周辺と推定されているそうで、その南側が旧大和川の堤防跡となっています。天文二年(1533)に大和川が決壊した際、龍華寺は既に所在不明であったそうですが、氏神である「渋川神社」が流失し、家々の流...

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暗渠工事碑

上之島南町の住宅街に「暗渠工事」と刻まれた石碑が建てられ、水路が暗渠化された事が記されています。八尾市の説明碑と良く似た形状のもので、碑文にはこの場所が「河内國若江郡上之嶋村」から、その後「中河内郡三野郷村大字上之島」となったとあります。石碑は住宅街の中を通る狭い道路沿いに建てられていますが、その前を道路幅の4分の1程を占める暗渠が通っています。それで、かつてこの地が中河内郡三野郷村であった時代、...

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三野郷尋常高等小学校文教場跡地

上之島町南に「三野郷尋常高等小学校文教場跡地」の石碑が建てられています。碑文によりますと、明治二十年(1887)に上之島尋常小学校が開校され、その後は大正十四年(1925)から昭和三十年(1955)まで、三野郷尋常高等小学校文教場となったとあります(尋常小学校は大正十三年より)それで、尋常高等小学校と尋常小学校、高等小学校の違いの説明は省略させて頂きますが、碑文によりますと尋常小学校文教場となった...

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中野西同行会所地跡

中野に「中野西同行会所地跡」と刻まれた石碑が建てられています。平成二十六年(2014)に建てられた新しい石碑ですが「同行会所地」とは、どの様なものなのか?詳しい事は分りません。碑文に「浄土真宗本願寺派 浄福寺」とありますが、同行とありますので、中野の方で組織されている講的なものがあるのでしょうか?浄福寺をインターネットで調べてみますと、実在する寺院の様ですが「会所地」についても調べてみますと、町割...

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浅田末吉翁顕彰之碑

「枚岡神社」の境内に「浅田末吉翁顕彰之碑」が建てられています。建立の経緯については、裏面の碑文を御覧頂きたいと思いますが、浅田氏は私財を投じて境内の整備に尽力されたと記されています。それで、浅田氏は東大阪市内にある企業の創業者でもあり、私はその事を存じておりましたので、会社ホームページを拝見しますと、工場敷地内におまつりされている「八代龍王」についても説明がありました。ここで以前取り上げた、企業の...

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世界唯一護國三宝大荒神王発祥之地

郡川に「世界唯一護國三宝大荒神王発祥之地」と刻まれた標石が建てられています。インターネットで調べてみましたが、詳細は全く分かりませんでした。すぐ近くには「開祖」と刻まれた墓石と、題目が刻まれた碑が建てられていました。 取り敢えず、よく分かりませんでしたが…世界唯一とは?(於 八尾市)...

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野鳥塚

生駒山の中腹にある「慈光寺」の境内に「野鳥塚」が建てられています。昭和五十一年(1976)に東大阪野鳥の会によって建てられていますが、建立の経緯等の詳しい事は分りませんでした。慈光寺は昔からホトトギスの名所として知られ、慈光寺を案内する道標にも「ほととぎす名所」と刻まれ、河内名所図会にも記されています。それで、慈光寺の境内には「慈光寺の野鳥」と題したパネル写真が展示されていますが(?)野鳥の知識が...

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道界

「道界」と刻まれた標石がありました。生駒山の山中、上石切町の道路(?)沿いに建てられていましたが、普段目にするコンクリート製の境界抗ではなく、石柱に道界と刻まれています。石造の境界抗は珍しいので今回取り上げましたが、周辺の環境から推測すると、昭和初期以降の設置かと思われます。現在もこの境界抗は有効なのでしょうか?御覧の通り、かなり年季が入っております…結構山の中にありましたけど(於 東大阪市)...

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業平道

大県に「業平道」と刻まれた碑があります。碑には「ちはやぶる…」と歌も刻まれていますが、これは業平が詠んだものだそうで、元柏原市長の山西さんの書となっています。業平道については、太平寺に案内板がありましたので、そちらを御覧頂きたいと思います。それで、柏原はこれまで度々訪れていますが、業平道は部分的に歩いた事がある程度で、実際に何処を通っているのかよく知らないのですが「石神社」の近くにある案内板には、...

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恩智中町の句碑

「恩智神社」の鳥居近くにある公園内に句碑が建てられています。自然石を使用した句碑には「踊りぬ久 夜空にひびく 太鼓の奈 花女」と刻まれていますが、残念ながら私には句の意味が理解出来ません(-_-;)それで、裏面の碑文によりますと「南高安婦人会」を創立し、初代会長を務めた「乾ハナ」氏の地域新興発展の為に尽力された功績を称え、昭和三十四年(1959)に婦人会々員の方達により、この句碑は建てられたとあります。...

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東大阪開発土地区画整理事業竣工記念碑

長田東にある公園内に「東大阪開発土地区画整理事業竣工記念碑」が建てられています。この記念碑は、昭和四十八年(1973)に事業が竣工した記念に建てれたもので「建立のことば」として、事業内容やその経緯等が記されています。主な事業内容は道路、公園、下水道等の公共施設の整備で、対象地域220haの内、田畑が157ha、宅地28ha、道路水路が23haだったそうです。「トラックターミナル」「機械卸売団地」「文具流通...

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高井田西の紀功碑

高井田西に紀功碑が建てられています。詳しくは並んで建つ碑に説明が記されていますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、その説明によりますと、西野善七氏が高井田村の治水事業に功績があった事を称え、村の有志の方々により、明治四十二年(1909)に碑が建立されたとあります。それで、治水事業について詳しい事は分りませんでしたが、現在この碑の建つ周辺の地域は、東大阪市でも開けた地域であると思いますが、現状か...

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針塚

「都留弥神社」の境内に「塚碑」が建てられています。針供養の為に建てられたものだと思いますが、石造物は縫製関係の団体や裁縫具のメーカーによって寄進されている事が分ります。あと、玉垣に「布施市長 鈴木義仲」とありますので、鈴木市長が在任中の昭和26年から38年の間に寄進されたものかと思われます。それで「梅岩寺」の境内にも同じく、針塚が建てられています。こちらは、昭和30年代に建てられたもので、花立や線...

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竣工記念碑

中小阪にある児童公園内に「竣工記念」と刻まれた石碑が建てられています。記念碑と言うよりもモニュメントと言った感じですが、小さな文字で「大阪中央放送局」とありました。実は殆んど写真撮影のみで、碑文等は確認していませんので、建立年代も今の時点では不明で、裏面にはプレートがありますが、中央には取り外した跡(?)があります。それで「大阪中央放送局」をインターネットで調べてみますと、NHKの「旧大阪放送会館本...

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行政区画の推移

東石切町に「行政区画の推移」と刻まれた石碑が建てられています。この碑は平成十三年(2001)に建てられたもので、この地域の変遷が記されおり、裏面には「神並村字辻子」と刻まれています。碑の建つ場所が神並村の辻子と呼ばれる場所だったかと思われますが、周辺の小字名を調べますと「辻子」とあり、東を辻子谷(現在の上石切町)中を辻子中、西を辻子口(現在の東石切町)と碑に記されています。それで、表面にある「大戸...

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高井田西の題目碑

高井田西に題目碑が建てられています。「南無妙法蓮華経」と「玉猫大明神」「玉三大明神」と刻まれ、昭和六年(1931)に建てられたもので「西野妙遠納」とあります。詳しい事は全く分かりませんで、近隣の廃社、廃寺を調べてもその関連性は不明でした。元々、この場所に建てられたかも不明ですが、お塚も兼ねている様で「猫」の字が付くのは珍しいかと思います。何かの供養で建立されたのでしょうか?碑の前を通る道は昔からあ...

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飯田忠彦旧棲地址

本町にある「聞成坊」の北側の隅に「飯田忠彦旧棲地碑」が建てられています。碑には「飯田忠彦先生旧○○」と刻まれ下部が埋もれていますが、御覧の通り折損しており、アングルで補強されています。それで、飯田忠彦については碑と並んで八尾市の設置した説明碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、忠彦の没後の明治二年(1869)に有栖川宮が生前の功績を称え、遺著である野史を宮家蔵版として刊行する事となった...

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宝町の六字名号碑

恩智川の堤防沿いに六字名号碑が建てられています。建立理由は分かりませんが、いつ頃建てられたか不明ですと言いますか、これまで全く気が付きませんでした。碑の前の道は普段から通る道で、私のかかりつけの病院である「石○○喜病院」へ通院する際にも必ず通っていました。何か事故でもあったのでしょうか?小さな碑です(於 東大阪市)...