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六万寺町の道標

六万寺町に道標があります。この道標は「往生院」を案内する為に建てられたもので「是より東四丁 往生院道 厄除 觀世音菩薩 并ニ 親鸞聖人自作像」と刻まれていますが、年号等は確認出来ませんでした。それで、東高野街道(旧大阪外環状線)には「小楠公銅像案内碑」が建てられていますが、その後ろの植え込みの中に建てられています。この場所は度々通る場所ですが、先週たまたま往生院から西へ下った際、この道標(案内碑)...

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教興寺(大字)の道標

柏原市斎場の東側山中に道標が建てられています。各面には「梵字 左 さかい」「梵字 右 志き山 二十八丁」と刻まれていますが、年号等は確認出来ませんでした。それで、案内先と梵字(ベイ)から、この道標は信貴山案内の為に建てられたものと分かり、道標の建つ道は教興寺から信貴山へと続く道(信貴山越えの道)となっていますが、二十八丁は何処を起点としているのかは不明です。また、この道は平野から続く道とも合流して...

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相生町の道標(その3)

相生町の「奈良街道」と「八尾街道」との分岐点に道標が建てられています。この道標は大阪府によって建てられたもので「右 奈良街道 柏原停車場 左 八尾街道 八尾停車場」「奈良街道 平野 大阪」と刻まれ、年号等は確認出来ませんでしたが、明治時代に建てられたものと分かります。それで、表示は街道名を主にしてその下に案内先が刻まれていますが、当時大阪府が建てた道標は街道名を主に表示しており、道路行政の先鞭と察...

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平野(大字)の丁石

平野の山中、信貴山の参詣道に丁石が建てられています。「十三丁」と刻まれ、側面には建立者二名の名が刻まれていますが、何処を起点として十三丁としているかは不明です。それで、この道は「柏原道」と呼ばれていたそうで、法善寺から平野を通り「東高野街道」を横切る山越えの道となっています。現在、山越えの道は荒廃し、通行する人も殆んどいない様で、趣味としての山歩きとしてはあまり適さないかと思われます。それについて...

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黒谷(大字)の道標

高安信貴山道の「岩戸神社」と「梅岩寺」へ続く道との分岐点に道標が建てられています。「左 岩谷辨財天社 是より教興寺村へちかみち」と刻まれ、寛政八年(1796)の年号があります。それで、願主として「大坂難波新地 よし屋安兵衛」他四名の名が刻まれ、この道標は大坂市中の商人によって建てられた事が分かりますが、他面には「神主 服部」と刻まれています。「教興寺の道標」で記しておりますが、服部とは江戸時代に「...

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服部川(大字)の道標

高安山に道標が建てられています。「右 志き山」と刻まれていますが、年号等は確認出来ませんでした。この道標は高安山駅から北にある「開運橋」のすぐ東側に建てられているもので、橋の下を通る谷道は「高安城」の堀切りの遺構ではないかと考えられているのだそうです。かつては、この場所から東にある上連池を経て高安信貴山道に通じていたそうですが、現在は通行不能となっています(少しだけ歩いてみましたが、やはり先へは進...

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上石切町の道標(その4)

辻子谷に道標が建てられています。「左 氷室瀧」と刻まれていますが、年号等は確認しておりません。あと、西にあるお社のそばには「弘法大師氷室瀧 御行場 右へ突当り」と刻まれていますが、先の道標同様に年号等は確認しておりません。それで、氷室瀧について詳しい事は分りませんでしたが、生駒山には多くの瀧行場が存在します。生駒山の瀧行場を中心とした民間信仰は、明治以降から開かれたそうですが、瀧行場に於いて「瀧」...

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相生町の道標(その2)

相生町に道標が建てられています。各面には「左 八尾 右 柏原」「左 平野 右 八尾」「左 柏原 右 平野」と刻まれ、安政七年(1860)に建てられたものです。この道標は八尾街道沿いにある、植松墓地の入り口に建てられていますが、この場所は植松から続く道と八尾街道とが交差する三差路で、八尾・柏原・平野への分岐点となっていました。この道標が建てられた安政年間当時、既に八尾・柏原・平野では集落が発展し、明...

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太子堂の道標

太子堂に道標が建てられています。周囲をコンクリートで固められ、民家の角に殆んど埋まっている状態ですが、各面には「右」「右」「す」と刻まれています。それで、案内先について手持ち資料で調べてみますと、以前は「右 下勝」まで確認出来たそうで、それから推測しますと「右 下の太子 勝軍寺」と刻まれていたと思われます。あと、他面の「右」「す」について詳しい事は分りませんでしたが、御承知の様に「すぐ…」と案内先...

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神立の道標(その4)

「玉祖神社」の北側、農免道路沿いに道標が建てられています。「左 玉祖神社」と刻まれ、大正七年(1918)の年号がありました。それで、農免道路からは八尾はもとより大阪平野も一望出来る程見晴らしが良く、私の休憩ポイントとなっていますが、大正七年当時は当然の事ながらこの道路は建設されていませんでした。ですので、この道標は当初何処に建てらたのか?と言う事になります。この道標について詳しい事は分かりませんで...

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萱振町の道標(その2)

河内街道沿い「加津良神社」の前に道標があります。「右 若江 松原 野崎 京 左 天王寺」「左 八尾 平野」と刻まれ、年号等は確認出来ませんでしたが、河内街道沿いに建つ道標ですので、おそらく明治時代のものかと思われます。それで、東高野街道に建つ道標以外で案内先として「京都」が刻まれているのは、八尾市内ではこの道標一基だけだそうで、あと同じく「野崎」の表示も珍しく「松原」は私の自宅近くにある「暗越奈良...

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神立の道標(その3)

水呑みさんへ続く十三峠越えの道の途中、二基の小さな道標が建てられています。自然石に「左 かわちごえ」「十三峠 六万寺」とそれぞれ刻まれています。年号は確認していませんが、何方かが建てられたのでしょう(笑)この二基の道標は「十三峠道の道標と丁石」で取り上げた道標の両側に建てられているもので、私が今年の一月にこの道を歩いた際にはありませんでしたので、それ以降に建てられたのでしょう?あと、道標が指す「か...

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東豊浦町の道標(その7)

暗峠から生駒山頂へ続くハイキング道の途中に道標が建てられています。ここ最近の東大阪の道標の記事は強引に道標としている感がありますが(?)今回で東大阪の道標の記事は最終回となります。それで、この石標(!)には「名勝 髪切山慈光寺 この下すぐ」と刻まれ、裏面には「枚岡観光協会」とありました。いつ頃建てられたのかは確認していませんで、道標ではお馴染の「すぐ」と刻まれていますが、この道標に関しては「すぐそ...

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山本町の道標

「山本辻地蔵尊」の前に道標があります。「東 志ぎ山」と刻まれていますが、年号等は確認出来ませんでした。あと下部が折損し、本来の長さより短くなっています。それで、道標(地蔵尊)前を通る道は道標の記事でも記しましたが、東へ「おと越え」「立石越」の道に続き、東高野街道と交差する、当時から重要な道であったそうです。この道を東へ服部川へ行きますと、小学校に突き当たりその校門前に大窪から高安山を越える「おと越...

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出雲井町の道標(その2)

東大阪市内の道標も道路の傍らに建つものは、もうほとんど取り上げたかと思いますが、今回取り上げますのは近鉄枚岡駅のホームに建つ道標です。少々、無理矢理に道標として取り上げますが、私殆んど公共の交通機関を利用する事がありませんので(5、6年に一回電車に乗る程度ですが、ケーブルカーは最近何度か乗っております)この場所に道標がある事は全く知りませんでした。それで、いつも一緒に生駒山を歩くメンバーである、S...

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野崎の道標(その2)

野崎にある「専応寺」に道標があります。「太子堂道」「左 聖徳皇院 大坂道へ出」と刻まれ、寺川村の寄附とありますが、年号等は確認出来ません。かつて「野崎参り」は専応寺の太子堂にお参りしてから慈眼寺(野崎観音)へお参りしたそうで、太子堂(専応寺)から東高野街道沿いの燈籠の建つ、現在野崎観音の看板がある道との間に通ずる道があり、その角にこの道標は建てられていたそうです。しかし、現在その道は消滅しています...

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教興寺の道標(その5)

「梅岩寺」に道標があります。道標は墓地内にあり「左 服部和泉守之碑」「右 すぐ梅岩寺」と刻まれ、昭和十二年(1937)の年号があります。「服部和泉」とは垣内村の人で、江戸時代に「岩戸神社」の神主を務めた人物だったそうで、この道標は玉垣に囲まれた自然石の服部和泉の墓と伝えられている傍に建てられていますが、墓は以前ここより西下方にあり、道標も岩戸神社から梅岩寺への参道で墓地の入り口に建てられていたそう...

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国分西の道標

国分西の水路沿いの遊歩道に道標が建てられています。年号等は確認出来ませんでしたが「すぐ なら かうり山」「左 さかい 大坂」「右 穴むし 高田 ごせ」と刻まれています。それで、私は道標が指す案内先の「穴虫 大和高田 御所」には、あまり馴染みがありませんが、この道標は「田尻越新道」に建てられていたものと思われ、折損を補修した痕があります。田尻越えの道は、明治十三年(1880)に穴虫村の字追分から田尻...

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東本町の道標

「八尾街道」が東本町で突き当る場所に道標が建てられています。各面には「右 かしわら 信貴山 左 十三越 をうとう越」「右 ひらの 大坂」「左 八尾地蔵 ひらの 大坂」と刻まれ、年号等は確認出来ませんでしたが、通行人の為に地元の人達によって、江戸時代末期に建てられたものだそうです。それで、道標の案内先が示す通り、ここから右(南)へ行くと「八尾街道」「信貴山道」「奈良街道」へ続き、庄之内、刑部、教興寺...

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植松町の道標

植松町の公共施設の敷地内に道標が移設保存されています。文化十二年(1815)に建てられたこの道標には「右 大和 かしわら こくふ ひるめ」「左 八尾 平岡」と刻まれています。元は植松町7丁目の太子堂から植松に入る場所に建てられていたそうで、民家の改築の際に一時、山本球場に保管されていたそうですが、現在はこの場所に保存されています。この道標は植松通りを通り、植松墓地で「八尾街道」更に「奈良街道」を経...

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国分本町の道標

国分の旧村を通る「龍田越奈良街道」と「長尾街道」との分岐点に道標が建てられています。詳しくは柏原市の設置した説明板を御覧頂きたいと思いますが、刻まれている案内先は判読出来ませんで、説明板にその案内先が記されています。長尾街道は唯一、柏原市域の国分で山間部を通らなければならないそうで、国分村の「六軒」から「国分峠」を越えて関谷へと続いているので「関谷越」と呼ばれたそうです。それで、国分には親戚があり...

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上四条町の道標(その3)

「鳴川谷」の途中、生駒山の中腹に「神感寺」への案内の為に道標が建てられています。大きな自然石に「八代龍王神感寺」と矢印が刻まれ、昭和十四年(1939)に建てられたものです。台石には世話人の名が刻まれている様でしたが、詳しい事は分かりませんでした。あと、小さな石柱の道標には「奉納 八代龍王神感寺休息所」と刻まれ、側面には「是ヨリ五丁」とありますが、年号等は確認出来ませんでした。それで、神感寺は生駒山...

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上小阪の道標

上小阪に道標が建てられています。「左 平野御本山」「當村念仏寺」と刻まれていますので、融通念仏宗の本山である「大念佛寺」への案内の道標と分かりますが、年号等は確認出来ませんでした。それで私、市内を通る街道が何処を通っているのか?未だに把握しておりませんが、この場所は「十三街道」と「枝切街道」が公差している場所だそうです(知りませんでした…)実は枝切街道(小阪街道)は何処を通っているのか、よく知りま...

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志紀町南の道標

国道25線沿いにある「西村市郎衛門頌徳碑」のそばに道標があります。各面には「左 さかい道」「右 大阪」「信貴山」と刻まれていますが、年号は確認出来ませんでした。この道標は大阪外環状線が建設されるまで、国道25号線(奈良街道)から弓削に入る道の角に建てられていたそうですが、現在は西村市郎衛門碑のある大阪外環状線と国道25号線が立体交差するこの場所に移設されています。それで、この道標から北へ大阪、南へ...

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日下町の道標(その4)

東高野街道沿いにある小学校内の一角に道標があります。この道標は弘化二年(1845)に建てられたもので「左 のざ記ミち」「右 平野」「北 京や巴多 南 高野大ミ年 道」と刻まれています。それで、道標には数名の発起人の名が刻まれていますが、その中に「善根寺村 勘左ヱ門」とあります。私の自宅近くの吉田に道標があり、この道標にも「善根寺村 勘左ヱ門」と刻まれているのですが、これは同一人物で吉田の道標の記事...

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龍間の道標(その3)

龍間に「神道 鎮宅霊符神本部」と刻まれた社標があります。私、長らくこれは鎮宅霊符神社の社標と思っていましたが、向かって左側の面に「龍起山 龍間院 右一丁」と刻まれていましたので、今回道標として取り上げさせて頂きます(無理矢理ですが…)それで、龍間の字東谷にはその昔「龍間寺」と呼ばれる真言宗の寺院があったそうで、山号を「龍起山」とし、河内三十三所霊場の第四番で御詠歌もあったそうです。その龍間寺は明治...

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赤井の道標

赤井の古堤街道沿いにある「大峯堂」に道標があります。明治十八年(1885)に建てられたもので「左 大坂」「右 大峯山三十三度道 すみのどう のざき 中垣内 くさか ほし田 八はた 山しな 木づ ひらおか いこま 宝山寺 こほり山 なら いせ」と刻まれ「光明組」とありますので、講の人達によって建てられた事が分ります。大峰参りの参拝度数は他の道標や石碑でも良く見られる「三十三度」で、多く刻まれている案...

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国分東条町の道標

国分東条町に道標が建てられています。詳しくは柏原市の設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが「右ハ ひるめみち 左ハ ふじい だる満じミち」と刻まれ、寛保三年(1743)の年号があります。道標上部は蒲鉾型で石仏が彫られ、下部には孔があけられていますが、その理由は分かりません。あと、説明にもあります様に年号のある道標としては柏原市で最も古いものだそうで、元あった場所から移設され...

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野崎の道標(その1)

北河内の野崎に道標が建てられています。東高野街道沿いに建てられていますので、街道歩き等をされる方は御存知かと思いますが「龍間山不動尊之瀧 東従是十八丁」と刻まれ、大正十四年(1925)に講の方達によって建てられています。案内先からも分かります様に「龍間不動尊」への道案内の為に建てられたもので、手持ち資料によると、移動手段が徒歩の時代、龍間への往復路は古堤街道(中垣内越え)とこの東高野街道から龍間へ...

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恩智中町の道標(その4)

恩智神社参道に架かる「一ノ橋」の手前に道標が建てられています。明治三十四年(1901)に建てられたもので「☞ 信貴山 毘沙門天王」「宿坊 玉蔵院」と刻まれ、施主は大阪市中の人となっています。信貴山道は昔、谷川を南側に沿って総池を通っていたそうですが、明治二十年頃に神社の北側を通る現在の道が建設され、この道は「新道」と呼ばれているそうで、この道標は新道を案内する為に建てらたものだそうです。因みに、以...