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とある風景(その219)
本日、数か月ぶりに生駒山へ行ってきました。ハイキング程度に軽く歩いただけですが、かなりきつかったです(ほぼ体力は半減していました…)それで、いつもの様に吉田川跡の堤防道を経て「暗越奈良街道」を歩いて行きますと「宝幢寺跡」に足場が組まれ、シートで覆われていました。昨年の大きな台風の被害により、建物の修理が行われていた様ですが、先月の台風でも建物が被害を受けたのでしょうか?以前より、屋根の修理は行われ...

旭ケ丘延命地蔵尊
旭ケ丘に「旭ケ丘延命地蔵尊」があります。地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分かりませんでした。それで、団地内等に地蔵尊がまつられている事がありますが、この府営住宅は、昭和五十一年(1976)に建設された様なので、その頃からおまつりされているのでしょうか?石仏は立像で新しい時代のものに見えます。石仏の記事しばらくお休みになります(於 柏原市)...

多門寺跡
横小路町に「多門寺跡」があります。詳しくは、現地に市の設置した説明版がありましたので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、説明によりますと、江戸時代中期頃まで一つの仏庵があり、廃絶したそうです。現在、民家の傍らに「歯神さん」として、祠内にまつられている自然石には「経塚楠開基多門寺」と刻まれている事から、楠木一族が建立した菩提寺だと言われているそうです。あと、かつてこの場所は村の北端にあたり、藪林だっ...

とある風景(その218)
本日は山歩き仲間の友人二人と「聖天さん」にお参りに行ってきました。いつもはお参り後、生駒山を越えて歩いて石切まで帰って来るのですが、今回は電車とケーブルカーを利用し、普通に(?)お参りに行ってきました。それで、生駒山も半年以上歩いていませんが、ケーブルの宝山寺から聖天さんまでの参道を数分歩いただけで、へとへとになってしまいました。ここ最近、仕事が忙しくて休日は家でいる事が多くなってしまい、体力も低...

山本町南の地蔵尊
山本町南に地蔵尊があります。コンクリート製の地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分かりませんでした。石仏は摩耗があり、古い時代のものに見えます。地蔵堂には水道も引かれていますので、昔からこの場所でまつられていたのでしょうか?一見すると自然石にも見えます(於 八尾市)...

トタン張りの家(その6)
これまで中河内に残る「トタン張りの家」を取り上げてきましたが、今回はトタンでは無く「銅葺の家」を取り上げようと思います。銅葺の屋根は社寺建造物等では見かける事がありますが、個人所有での民家ではそれ程多くはないかと思います。私、あまり詳しくはありませんが、腐食等の変色で黄緑に変色する様で判別も容易ですが、それ程その件数が少ないと言う事は、他の茅葺やトタン張りに比べると、葺替えでの費用がかさむからでし...

とある風景(その218)
今日は以前から計画していた「琵琶湖」までツーリングしてきました。実に単車で琵琶湖まで行くのは、約30年近くぶりでしたので、20代の頃と比べるとかなりきつかったですが(-_-;)それで、早朝自宅を出発し、途中一服したくなったので、琵琶湖の少し手前にある「逢坂山関跡」で休憩していると、突然雨が降り出しました。天気予報では晴れで、雨具を用意していなかったので、雨がやむまで一時間程、休憩していたところ、通り掛か...

南植松町の子安・水子地蔵尊
南植松町に「子安・水子地蔵尊」があります。地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分かりませんでした。それで、石仏は赤子を抱かれた地蔵菩薩座像で、時代の新しいものの様ですが、地蔵堂には古い木鼻があります。扉には南京錠が掛けられていましたので、かつて盗難等の理由で石仏が新たに建立されたのでしょうか?他の場所から移されたのかもしれませんが、詳しい事は分かりませんでした。児童公園内にありまし...

大阪緑の百選
私の稚拙なブログをご覧いただいている方々の中には「大阪緑の百選」と刻まれた、標石を目にされた事がある方がいらっしゃるかと思います。インターネットで調べますと「大阪府が選定している大阪府内の自然名所100か所」の事だそうで、中河内にも選定されている場所があります。詳しくは大阪府のホームページをご覧頂きたいと思いますが、私の暮らす東大阪市では「鴻池会所跡」「川中邸の屋敷林」「枚岡公園と梅林」「なるかわ園...

とある風景(その217)
ブログの更新も不定期となっていますが、そろそろネタが切れかかっております(-_-;)あと、実は先月パソコンが故障してしまい、修理せずに買い替えました。注文してから商品が届くまで3週間程かかり、以前と同じ環境に戻すのに時間がかかってしまいました。ですので、本日の記事は新しいパソコンで更新しております。それで、最近は暑さと天候不良で何処にも行ってませんが、先月盆休み中に今年2度目の「竜仙峡」へ行ってみました...

清水町の延命地蔵尊
清水町に延命地蔵尊があります。地蔵堂内には石仏一体、あと堂前に一体がまつられていますが、詳しい事は分かりませんでした。堂前の石仏は時代の新しいものに見えます。地蔵堂は大きめの覆屋に覆われています。何度か通った場所でしたがお地蔵様に気が付きませんでした(於 八尾市)...

楽音寺水利組合結成記念碑
楽音寺にある溜池の堰堤に「楽音寺水利組合結成記念碑」が建てられています。この記念碑は、昭和五十五年(1980)に建てられたものですが、楽音寺水利組合について詳しい事は分かりません。堰堤上にある、ため池の管理設備には「大池」「島池」とあります。それで、現在も八尾東部、高安山西麓には灌漑用のため池が存在していますが、手持ち資料に江戸時代後期と思われる絵図があり、それには村内には多くのため池が描かれてい...

平野屋新田会所跡(その14)
今日、早朝にお墓参りの帰り際、久しぶりに「平野屋新田会所跡」に立ち寄りました。これまで同様に殆ど状況は変わらずで、説明版が追加された程度でした。あと、市史跡指定講演会が催されたようですが、私的には会所なきあと、後の祭り的な感がします(申し訳ございませんが)しかし、かつてこの地に地域の重要な歴史的建造物があった事を後世に伝えると言う意味では、講演会等の開催も重要な事であるのだと思います。それで、会所...

長持石
豊浦谷に「長持石」と呼ばれる大きな石があります。暗越峠越え道の傍らにありますので、御存じの方も多いと思います。手持ち資料によりますと、長さ4.9m、高さ2.2mあるそうで、以前は道の北側にあったそうですが、かつて新道敷設の際に移動させたのか?それとも何らかの理由で落石したのでしょうか?あと、石の名は長持に因んでとの事ですが、長持とは?と思いインターネットで調べてみますと(実はどんなんやったかなぁと...

とある風景(その216)
今日は琵琶湖へ行く予定でしたが、はっきりしない天気でしたので、中止としました。勿論、単車での移動ですが、帰路は信楽方面を山越えするつもりでしたので、雨が降ると危険ですので泣く泣く中止としました(基本、雨の時は乗らない事にしていますので)それで、取りあえず信楽だけでもと思い、朝自宅を出発しましたが、先週とはうって変わって清滝峠を越えると肌寒く、上着をもう1枚用意すれば良かったと震えながら後悔してしま...

油伽陀佛羅地蔵尊
「油伽陀佛羅地蔵尊」は永和にあります。お寺の外塀に埋め込まれた地蔵堂には木仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。それで、以前はおまつりされていなかったと思いますが(?)いつ頃からおまつりされているのでしょうか?油伽陀佛羅は例の「あぶら…」と読むのでしょうか?あぶらかだぶらでしょうか?(於 東大阪市)...

国分町上水道竣工記念碑
玉手町に「国分町上水道竣工記念碑」が建てられています。この記念碑は、昭和三十年(1955)に建てられたもので、碑文には上水道敷設の経緯が刻まれていますが、柏原市のホームページでは詳しい経緯が記載されていますので、そちらも御参照して頂きたいと思います。それで、碑文と手持ち資料によりますと、国分町(当時)の水道建設は、昭和十五年頃に計画され、戦時中は資材使用制限等の理由で中止となり、戦後再び計画された...

とある風景(その215)
実は今日、琵琶湖に行く予定でしたが、季節外れの暑さで中止にしました。若い頃は何度も一周した琵琶湖ですが、やはり長時間の乗車は疲れますので、梅雨前に行く機会があれば行こうかと思います。で、昨日もかなりの暑さでしたが、ちょっとだけ「亀の瀬」まで行ってみました。あまりの暑さでとんぼ返りでしたが、最近護岸工事が行われた場所にかなりの砂が堆積しているのが見えました。ここは私の休憩ポイントですので、度々訪れて...

日照地蔵尊
「日照地蔵尊」は木の本にあります。地蔵堂内には、おそらく石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。あと、並んで「神明大神」がまつられています。こちらに関しても、詳しい事は分りませんでしたが、周囲は分譲住宅が建ち並んでいますので、もしかすると移されているかも知れませんが、私はこの土地の人間ではありませんので、そのあたりの事は分りません。それで、この場所は度々飛行機を見に行く「八尾空...

茅葺の家(その18)
東大阪市内に茅葺のお宅があります。大和棟造り立派なお宅で、建築年代等の詳しい事は分りませんでしたが、東大阪市内では著名な方のお宅だそうです。この宅の前はこれまで度々通っていますが、門から主屋へと通ずる通路には多くの木々や庭石が置かれ、一見郊外にある古民家の様にも見えます。写真の柿木が何ともい雰囲気です。それで、市街地にある茅葺のお宅は最近見かける事が少なくなってきましたが、取り壊しや建替えではなく...

とある風景(その214)
今日は買い物に出掛けたついでに生駒山へと行ってみました。今年の前半は殆んど山登りしていませんでしたので、久しぶりに生駒山へと足を運んだのですが、基本この時期山登りはしませんので、勿論単車に乗ってですが(-_-;)単車だとらくらくセンターハウスまで行けますが、実は今回始めて徒歩以外で行きました。今日は風が強かったので、平地よりかなり涼しく感じました。途中にある休憩場所でも、結構良い眺めだったりします。でも...

延幸地蔵尊
「延幸地蔵尊」は古町にあります。地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。あと、屋根は檜皮葺となっていました。それで、最近は単車での移動が多いですが、このお地蔵様も単車で移動中に見えたので、後日改めて訪れました。以前は自転車の移動が主でしたので、お地蔵様にめぐり合う事が多かったのですが、あえて捜すと言う事はしていませんでしたので、御縁があればお地蔵様が私を呼んで下さった...

無量寺境内
相生町に「無量寺境内」と刻まれた標石が建てられています。年号等は確認出来ませんでしたので、いつの時代に建てられたものかは不明ですが、境内(?)には本堂等の寺院建築物はありません。敷地内にある建物には「真宗大谷派 無量寺」とありますが、無住のお寺の様で地区で維持管理されているのでしょうか?それで、無量寺は廃寺であるのか?手持ち資料で調べてみますと、廃寺とはなっていない様で、敷地の中央に木が植えられて...

とある風景(その213)
今日は最近よく飛行機やヘリコプターを見に行く「八尾空港」で、先月ちょっと気になる店を見かけましたので、探索がてら行ってみました。それで、先月見かけた時はカフェ(今風に…)かなと思ったのですが、帰宅後調べてみますと、そのお店は航空グッズを販売しているお店で、飛行機好きの私としては「これは絶対行かなあかん」と思い、今日行ってきました。店内には航空グッズが所狭しと並べられ、どれもこれも欲しくなりましたが...

能楽高安流発祥の地の碑
神立に「能楽高安流発祥の地の碑」が建てられています。それで、能楽高安流について手持ち資料にも記述がなく、その他でも調べてみましたが、詳しい事は殆んど分りませんでした。能楽に関しても殆んど知識がございませんが…ですので碑文をそのまま引用させて頂きますと「能楽高安流の流祖は高安姓で、高安の住人、安土桃山時代、当玉祖神社の神官であった。平成二十九年、廃曲となっていた「高安(高安の女)」が八尾の地で復曲上...

水路の生き物(その15)
この季節になると、恩智川の浅瀬などでコイの産卵行動を見かけるようになります。気温の上昇と共に水温が上がり、魚の活性も上がるのでしょう?冬の間は殆んど見かけなかった小魚の姿も見られる様になりました。それで小魚と言えば、私の場合「モツゴ」を思い浮かべます。モツゴはコイ科の魚で水の汚れに強い為、水路以外の色んな場所にも生息しています。以前、東大阪市内のとある池で捕ったモツゴをモロコと一緒に飼育していまし...

とある風景(その212)
本日は久しぶりに自転車で中河内探索へと行ってきました。私は自転車の購入を機に中河内探索始めましたが、最近は殆んど単車での移動ばかりでしたので、原点に戻るではありませんが、久しぶりに自転車での移動となりました。しかし、運動不足と気温の上昇でバテ気味でしたが(-_-;)それで、自宅を出発し殆んど予定も立てず、先ず柏原へと向かいましたが、いつも出かける度にあるべきものが無くなったり、逆に新たなものが出来たりし...

旧国鉄龍華操車場跡の碑
JR久宝寺駅に「旧国鉄龍華操車場跡の碑」が建てられています。しかし、碑は無く(?)その代り「C57」の動輪が展示保存されています。詳しくは、説明板が設置されていますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、この地にはかつて「竜華操車場」があり、元鉄道少年だった私も電気機関車やディーゼル機関車を見に足を運んだ思い出があります。それで、この場所で当時蒸気機関車を見た記憶はありませんが、説明にもあります様...

とある風景(その211)
長らく都合により、ブログの更新をお休みしていましたが、本日よりぼちぼち更新を再開していこうかと思います。今年はこれまで殆んど山歩きへも行けませんでしたが、気が付くと暖かい季節となり、自宅から見える生駒山もすっかり新緑の景色となりました。それで、今年のゴールデンウイークも仕事の都合で10連休とはなりませんでしたが、最近移動手段のメインとなっている単車で出かけてきました。昨日は信楽まで食器でも買おうか...

安養寺の地蔵尊
恩智にある「安養寺」の境内には多くの石仏がおまつりされています。その中に道標を兼ねているお地蔵様があり、舟形光背の左右に「右〟八尾 玉造 すぐ北 天のち」と刻まれています。別の場所から移されたものかと思われますが、私には案内先から何処に建てられていたか?推測出来ません。年号等は確認出来ませんでしたので、いつの時代の道路状況か分かりませんが、現在の道路状況だとおおよそ「この辺りかな?」とは思いますが...

とある風景(その219)

本日、数か月ぶりに生駒山へ行ってきました。

ハイキング程度に軽く歩いただけですが、かなりきつかったです(ほぼ体力は半減していました…)

それで、いつもの様に吉田川跡の堤防道を経て「暗越奈良街道」を歩いて行きますと「宝幢寺跡」に足場が組まれ、シートで覆われていました。

昨年の大きな台風の被害により、建物の修理が行われていた様ですが、先月の台風でも建物が被害を受けたのでしょうか?

以前より、屋根の修理は行われていた様ですが。

あと、昨日は京都にある、お茶の産地「和束」へ行ってきました。

ここ最近、定期的に訪れている場所で、20代の頃から訪れています。

昨日はイベントが催されていた様で、多くの人で賑わっていました。

それで、いつも山間を流れる川沿いの道を単車で走るのが楽しみなのですが、今回初めて和束地区の石造物を少し見て回りました。

これまで石造物を見て回る事は全く無かったのですが、意外に思ったのが「愛宕燈籠」が建てられていた事でした。

数基見たのですが、この地区では愛宕信仰があったのでしょうか?

たまには立ち止まって、訪れた土地の歴史に触れるのも良いかもしれません。

いつも、単車に乗るのが楽しみで、突っ走ってますので(-_-;)

宝幢寺跡地蔵堂の修理

この歳になって単車に乗れる事はある意味幸せな事です(於 東大阪市)

旭ケ丘延命地蔵尊

旭ケ丘に「旭ケ丘延命地蔵尊」があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分かりませんでした。

それで、団地内等に地蔵尊がまつられている事がありますが、この府営住宅は、昭和五十一年(1976)に建設された様なので、その頃からおまつりされているのでしょうか?

石仏は立像で新しい時代のものに見えます。

旭ケ丘延命地蔵尊1

旭ケ丘延命地蔵尊2

旭ケ丘延命地蔵尊3

石仏の記事しばらくお休みになります(於 柏原市)

多門寺跡

横小路町に「多門寺跡」があります。

詳しくは、現地に市の設置した説明版がありましたので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、説明によりますと、江戸時代中期頃まで一つの仏庵があり、廃絶したそうです。

現在、民家の傍らに「歯神さん」として、祠内にまつられている自然石には「経塚楠開基多門寺」と刻まれている事から、楠木一族が建立した菩提寺だと言われているそうです。

あと、かつてこの場所は村の北端にあたり、藪林だったそうですが、地元の言い伝えによりますと、かつて祠の近くに井戸があり、その井戸の中からこの石が見つかったそうで、歯痛にご利益があると言われていたそうです。

私の自宅近くの吉田にも「歯神さん」がありましたが、同様に歯痛に御利益がある言い伝えられています。

それで、この場所より更に東方、横小路墓地一帯は「浄土寺谷」と呼ばれ、かつて「浄土寺」と呼ばれた寺院があったそうです。

多門寺跡1

多門寺跡2

多門寺跡3

地元の方にお話しを伺いました(於 東大阪市)

とある風景(その218)

本日は山歩き仲間の友人二人と「聖天さん」にお参りに行ってきました。

いつもはお参り後、生駒山を越えて歩いて石切まで帰って来るのですが、今回は電車とケーブルカーを利用し、普通に(?)お参りに行ってきました。

それで、生駒山も半年以上歩いていませんが、ケーブルの宝山寺から聖天さんまでの参道を数分歩いただけで、へとへとになってしまいました。

ここ最近、仕事が忙しくて休日は家でいる事が多くなってしまい、体力も低下気味です。

お参り後、石切参道商店街へ昼食と買物を兼ねて行きましたが、馴染みの店に行く毎に「兄ちゃん肥えたな」と言われてしまいました。

山歩き以外は殆ど運動もせず、間食大好きの私は、過去最高の体重で肥えたおっさんの様相を呈していますが、ほんま冬からは山歩かなあかんなと、つくづく思ったのでした(-_-;)

やはり、体重が増えると体の負担が増えますし、何よりちょっと動いただけでも、しんどいですから。

それで、今日は石切さんのお祭りだったそうで、境内には地区の太鼓台が宮入していました。

馴染みの店の女将さんによると、今回は「令和」最初の秋祭りと言う事で、例年より盛大に行われたと言う事でした。

石切神社の秋祭り

今日は結構暑かったです(於 東大阪市)

山本町南の地蔵尊

山本町南に地蔵尊があります。

コンクリート製の地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分かりませんでした。

石仏は摩耗があり、古い時代のものに見えます。

地蔵堂には水道も引かれていますので、昔からこの場所でまつられていたのでしょうか?

山本町南の地蔵尊1

山本町南の地蔵尊2

一見すると自然石にも見えます(於 八尾市)

トタン張りの家(その6)

これまで中河内に残る「トタン張りの家」を取り上げてきましたが、今回はトタンでは無く「銅葺の家」を取り上げようと思います。

銅葺の屋根は社寺建造物等では見かける事がありますが、個人所有での民家ではそれ程多くはないかと思います。

私、あまり詳しくはありませんが、腐食等の変色で黄緑に変色する様で判別も容易ですが、それ程その件数が少ないと言う事は、他の茅葺やトタン張りに比べると、葺替えでの費用がかさむからでしょうか?

それで、当初私は黄緑色に塗装されたトタン張りと思っていたのですが、その理由は実際に黄緑色に塗装されたトタン張りのお宅を見た事があったからです。

確かに塗装されたお宅は屋根に艶があり、銅葺とは少々違う感じがします。

今回取り上げたお宅を最後にそれ以降、銅葺のお宅は見た事がありません。

やはり、その数は非常に少ないと言う事になるのでしょう?

銅葺の家1

銅葺の家2

トタン張りの家6-1

カテゴリーはトタン張りの家にさせて頂きます(於 東大阪市・八尾市)

とある風景(その218)

今日は以前から計画していた「琵琶湖」までツーリングしてきました。

実に単車で琵琶湖まで行くのは、約30年近くぶりでしたので、20代の頃と比べるとかなりきつかったですが(-_-;)

それで、早朝自宅を出発し、途中一服したくなったので、琵琶湖の少し手前にある「逢坂山関跡」で休憩していると、突然雨が降り出しました。

天気予報では晴れで、雨具を用意していなかったので、雨がやむまで一時間程、休憩していたところ、通り掛かりのジョギング姿の同世代らしき方が話かけてこられました。

不通にジョギングされていると思ったので、何処まで行かれるのですかと尋ねたところ、驚いた事に東京まで行くとの事でした(!)

その方によりますと、出身は京都なのですが、現在東京在住で、長期休暇を利用して今回の挑戦となったそうです。

その後、雨も上がり、挨拶を交わしてそれぞれの目的地と出発しました。

私は今回、近江八幡まで行く予定でしたので、さっそく走り出したのですが、今日の琵琶湖は凄い風が吹き、横風にあおられながらも、無事近江八幡に辿り着きましたが、風が吹くと山と同様に体感温度が下がりますので、少々震える中、今回のメインである「琵琶湖博物館」へと急ぎました。

博物館の観覧は非常に楽しみにしていましたし、私は淡水魚が好きなので、淡水魚の水族展示室では珍しい生体(天然記念物の生体等)も飼育されていますので、非常に楽しかったです。

その他は琵琶湖の歴史等を少々(?)学びましたが、木造船の展示は興味深かったです。

それで、今日は雨が上がった後はよく晴れましたが、ふと見ると山の麓に「虹のカーテン」が見えました。

理由は分かりませんが、こんな虹を見たのは生まれて初めてで、琵琶湖では蜃気楼も見えるそうです。

今日の琵琶湖は大きな白波がたち、海の様に時化ていました。

その後、トラブルもなく無事帰宅しました。

年に一度は行きたいですが、乗車時間が長くなると体力的にきついです…

館内からの眺め

琵琶湖の虹

中河内の探索もやってます(於 滋賀県)

南植松町の子安・水子地蔵尊

南植松町に「子安・水子地蔵尊」があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分かりませんでした。

それで、石仏は赤子を抱かれた地蔵菩薩座像で、時代の新しいものの様ですが、地蔵堂には古い木鼻があります。

扉には南京錠が掛けられていましたので、かつて盗難等の理由で石仏が新たに建立されたのでしょうか?

他の場所から移されたのかもしれませんが、詳しい事は分かりませんでした。

南植松町の子安・水子地蔵尊1

南植松町の子安・水子地蔵尊2

南植松町の子安・水子地蔵尊3

南植松町の子安・水子地蔵尊4

南植松町の子安・水子地蔵尊5

南植松町の子安・水子地蔵尊6

児童公園内にありました(於 八尾市)

大阪緑の百選

私の稚拙なブログをご覧いただいている方々の中には「大阪緑の百選」と刻まれた、標石を目にされた事がある方がいらっしゃるかと思います。

インターネットで調べますと「大阪府が選定している大阪府内の自然名所100か所」の事だそうで、中河内にも選定されている場所があります。

詳しくは大阪府のホームページをご覧頂きたいと思いますが、私の暮らす東大阪市では「鴻池会所跡」「川中邸の屋敷林」「枚岡公園と梅林」「なるかわ園地と芝生広場」が選出されています。

あと、中河内地区では「生駒の山なみ」「玉串川の桜」「久宝寺緑地」「高尾山山麓の森」が選出されています。

どの場所も私にはお馴染みの場所なのですが、とりわけ生駒山歩きが好きな私には、生駒山や高尾山が選出されているのは嬉しい事ですが、自然名所と言えば、ほぼ生駒山地しかない(?)のかと思います(-_-;)

それで、自宅近くにある、川中さんの屋敷林は、実は私にとって一番身近だったりするのですが、選出場所の中で唯一、個人の所有となっており、一般見学は出来ません。

時折、市政だよりに屋敷林に保全活動の参加募集の記事を見かけますが、活動日がいつも平日となっています。

一度「中に入ってみたいな」とは思いますが、普段から不通に自転車等で通り掛かる事が多く、夏でも屋敷林の周囲は涼しくて、夜間には屋敷林から外へ、イタチか何か分かりませんが、小動物が飛び出してくる事もあります。

最初はネコだと思っていたのですが、これまで何度も目撃しています。

他にも多くの生き物が生息しているのでしょう?

それで、枚岡梅林も選出されていますが、残念な事に梅の木はウイルス感染により伐採されています。

最近、梅林を訪れていませんので、現状は分かりませんが、私の思い出の場所である枚岡梅林が、はやく以前の様に沢山の梅の花を咲かせてくれるよう願っています。

枚岡に行って梅林が無いと寂しいですね。

大阪みどりの百選・玉串川の桜1

大阪みどりの百選・玉串川の桜2

とりあえず写真は玉串川の桜がありましたので(於 八尾市)

とある風景(その217)

ブログの更新も不定期となっていますが、そろそろネタが切れかかっております(-_-;)

あと、実は先月パソコンが故障してしまい、修理せずに買い替えました。

注文してから商品が届くまで3週間程かかり、以前と同じ環境に戻すのに時間がかかってしまいました。

ですので、本日の記事は新しいパソコンで更新しております。

それで、最近は暑さと天候不良で何処にも行ってませんが、先月盆休み中に今年2度目の「竜仙峡」へ行ってみました。

山間部ですので、かなり涼しかったのですが、今回は魚がいるかの確認も兼ねてましたので、ゆっくり観察すると、結構な数の「オイカワ」が泳いでいました。

秋に鑑札を購入し、ゆっくり釣りが出来たらなと思っています。

あと、写真には大きなコンクリート橋が写っていますが、安威川ダムが完成するとこの場所はダムの底に沈んでしまうのでしょうか?

以前は川沿いの道を通って来ていましたが、現在はこの橋を含めた自動車専用道の様な立派な道路が建設されています。

ええとこなんですけどね。

竜仙峡にて

ここで初めて釣りをしたのが懐かしいです(於 茨木市)

清水町の延命地蔵尊

清水町に延命地蔵尊があります。

地蔵堂内には石仏一体、あと堂前に一体がまつられていますが、詳しい事は分かりませんでした。

堂前の石仏は時代の新しいものに見えます。

地蔵堂は大きめの覆屋に覆われています。

清水町の延命地蔵尊1

清水町の延命地蔵尊2

清水町の延命地蔵尊3

清水町の延命地蔵尊4

何度か通った場所でしたがお地蔵様に気が付きませんでした(於 八尾市)

楽音寺水利組合結成記念碑

楽音寺にある溜池の堰堤に「楽音寺水利組合結成記念碑」が建てられています。

この記念碑は、昭和五十五年(1980)に建てられたものですが、楽音寺水利組合について詳しい事は分かりません。

堰堤上にある、ため池の管理設備には「大池」「島池」とあります。

それで、現在も八尾東部、高安山西麓には灌漑用のため池が存在していますが、手持ち資料に江戸時代後期と思われる絵図があり、それには村内には多くのため池が描かれています。

当時は「熊野神社」の鎮座地周辺の標高のある場所まで、溜池が設けられていた様です。

以上、詳しい事は殆ど分かりませんでしたが、以前私の先輩がこの池でバス釣りをして、怒られた事があったそうです。

灌漑用の溜池にまで、外来魚である「ブラックバス」が違法放流されている事は問題ですが、以前「心合寺山古墳」の近くにある、3m四方の小さな溜池に大きなブラックバスが泳いでいて、びっくりした事がります。

周辺はかつて絶滅危惧種である「ニッポンバラタナゴ」の生息地であったそうで、私も以前この場所で生息していた個体を見た事があります。

溜池の減少はこれまで生息していた生物等にも影響があるんでしょう。

本題からそれてしまいましたが…

楽音寺水利組合結成記念碑1

楽音寺水利組合結成記念碑2

楽音寺水利組合結成記念碑3

楽音寺水利組合結成記念碑4

楽音寺水利組合結成記念碑5

楽音寺水利組合結成記念碑6

楽音寺水利組合結成記念碑7

まだバスいてるんでしょうか?(於 八尾市)

平野屋新田会所跡(その14)

今日、早朝にお墓参りの帰り際、久しぶりに「平野屋新田会所跡」に立ち寄りました。

これまで同様に殆ど状況は変わらずで、説明版が追加された程度でした。

あと、市史跡指定講演会が催されたようですが、私的には会所なきあと、後の祭り的な感がします(申し訳ございませんが)

しかし、かつてこの地に地域の重要な歴史的建造物があった事を後世に伝えると言う意味では、講演会等の開催も重要な事であるのだと思います。

それで、会所の遺構保存(現状のままで保存でしょうか?)も本格的に進んでいませんが(?)隣接して鎮座している「座摩神社」近くに、以前自治会の建物前にあった地蔵堂が、地車小屋横に移されていました。

地蔵堂前には「感謝の碑」が建てられ、碑文によりますと、会所所有者であった高松家から地蔵堂の移設に際して敷地が寄付されたそうです。

周辺は住宅建設が進み、地蔵堂横にも住宅が建設中でした。

これからもこれまで同様、定期的に訪れるつもりです。

平野屋新田会所跡14-1

平野屋新田会所跡14-2

平野屋新田会所跡14-3

平野屋新田会所14-4

平野屋新田会所跡14-5

平野屋新田会所跡14-6

平野屋新田会所跡14-7

平野屋新田会所跡14-8

平野屋新田会所跡14-9

平野屋新田会所跡14-10

平野屋新田会所跡14-11

平野屋新田会所跡14-12

写真に写っている歌碑もそのままでした(於 大東市)



長持石

豊浦谷に「長持石」と呼ばれる大きな石があります。

暗越峠越え道の傍らにありますので、御存じの方も多いと思います。

手持ち資料によりますと、長さ4.9m、高さ2.2mあるそうで、以前は道の北側にあったそうですが、かつて新道敷設の際に移動させたのか?それとも何らかの理由で落石したのでしょうか?

あと、石の名は長持に因んでとの事ですが、長持とは?と思いインターネットで調べてみますと(実はどんなんやったかなぁと分かりませんでしたので…)なるほど言われてみれば似てはいます。

以前、御厚意で個人所有の長持ちを拝見した事がありますが、実物はこの石よりかなり小さいものでした。

それで、この長持石と「もくげ石」「おんば石」を枚岡三石と呼ぶそうで、写真撮影はしていませんが、もくげ石は以前見た事があり、長持石から東にある観音寺境内にあります(拝見するには観音寺の住居域にあるので許可が必要かと思います)

残るおんば石は、豊浦渓谷にあるらしく、以前探しに行った事がありますが、似た様な巨石が幾つかあり、どれがおんば石なのか分かりませんでした。

長持石は生駒山歩きの際の休憩ポイントとなっています。

実は私、暗越道は苦手で下りの際だけですなんですが(-_-;)

長持石1

長持石2

長持石3

長持石4

長持石5

長持石6

長持石7

長持石8

長持石9

何故長持って呼ぶんでしょうかね?(於 東大阪市) 

とある風景(その216)

今日は琵琶湖へ行く予定でしたが、はっきりしない天気でしたので、中止としました。

勿論、単車での移動ですが、帰路は信楽方面を山越えするつもりでしたので、雨が降ると危険ですので泣く泣く中止としました(基本、雨の時は乗らない事にしていますので)

それで、取りあえず信楽だけでもと思い、朝自宅を出発しましたが、先週とはうって変わって清滝峠を越えると肌寒く、上着をもう1枚用意すれば良かったと震えながら後悔してしまいました(-_-;)

その後、強風と寒さに耐えながら無事信楽に到着し、陶器店でお茶碗を購入、その後付近をぶらぶらしてから帰宅しました。

私は20代から30代の頃、定期的に信楽に陶器を買いに訪れていた事があり、今もお茶碗やお皿を愛用していますが、今回購入したお茶碗は厚手ではなく(陶器には詳しくありませんが、信楽焼きと言えば厚手のイメージがありますので…)薄手のお茶碗でした。

以前は厚手が多かった様に思うのですが、私が勝手にそう思い込んでいたのかも知れません(-.-)

それで、天気はいまいちでしたが、信楽へ続く道沿いを流れる川の水がほんと綺麗で、釣りしたいなと思いながら山道を軽快に走り、良い気分転換になりました(最近仕事が忙しく疲れ気味でしたので…)

写真はいつも休憩する木津川の堤防で曇り空です。

木津川の堤防にて

結局雨は降りませんでした(>_<)(於 京都府)

油伽陀佛羅地蔵尊

「油伽陀佛羅地蔵尊」は永和にあります。

お寺の外塀に埋め込まれた地蔵堂には木仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、以前はおまつりされていなかったと思いますが(?)いつ頃からおまつりされているのでしょうか?

油伽陀佛羅は例の「あぶら…」と読むのでしょうか?

油伽陀佛羅地蔵尊1

油伽陀佛羅地蔵尊2

油伽陀佛羅地蔵尊3

あぶらかだぶらでしょうか?(於 東大阪市)

国分町上水道竣工記念碑

玉手町に「国分町上水道竣工記念碑」が建てられています。

この記念碑は、昭和三十年(1955)に建てられたもので、碑文には上水道敷設の経緯が刻まれていますが、柏原市のホームページでは詳しい経緯が記載されていますので、そちらも御参照して頂きたいと思います。

それで、碑文と手持ち資料によりますと、国分町(当時)の水道建設は、昭和十五年頃に計画され、戦時中は資材使用制限等の理由で中止となり、戦後再び計画されたそうですが、結局実現しなかったそうです。

その後、継続事業として町営簡易水道の建設が許可され、昭和二十七年(1952)に起工、翌年の昭和二十八年(1953)に竣工し、円明町で給水が開始され、更に玉手、片山、国分地区にも給水地域が拡張されたのだそうです。

以上、簡単に説明させて頂きましたが、現在玉手町は閑静な住宅地となり、かつての「玉手山遊園地」も市立公園として整備されました。

幼少期に度々訪れた事があり、今も時折訪れる事もありますが、もあれから50年近く経っていると思うと「ほんま自分も歳とったなぁ」と思います。

国分町上水道竣工記念碑1

国分町上水道竣工記念碑2

国分町上水道竣工記念碑3

玉手の高台に水を引くのも大変だった事でしょう?(於 柏原市)

とある風景(その215)

実は今日、琵琶湖に行く予定でしたが、季節外れの暑さで中止にしました。

若い頃は何度も一周した琵琶湖ですが、やはり長時間の乗車は疲れますので、梅雨前に行く機会があれば行こうかと思います。

で、昨日もかなりの暑さでしたが、ちょっとだけ「亀の瀬」まで行ってみました。

あまりの暑さでとんぼ返りでしたが、最近護岸工事が行われた場所にかなりの砂が堆積しているのが見えました。

ここは私の休憩ポイントですので、度々訪れていますが、これほどはっきり堆積している砂を見たのは初めてでした(単に私がこれまで気が付かなかっただけかも知れませんが…)

土砂の流出は旧大和川の氾濫の原因であり、宝永年間に付替え(川違え)が行われています。

それで、この場所はかつて通船の境界で、大和からの「魚梁船」から「剣先船」へと荷継ぎが行われ、沿岸には「荷継問屋」が設けられていました。

あと、護岸工事の際に明治時代に建設された門樋遺構(堰、閘門)が発見されています。

亀の瀬の門樋遺構跡

5月やのに何でこない暑いねん!(於 柏原市)

日照地蔵尊

「日照地蔵尊」は木の本にあります。

地蔵堂内には、おそらく石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。

あと、並んで「神明大神」がまつられています。

こちらに関しても、詳しい事は分りませんでしたが、周囲は分譲住宅が建ち並んでいますので、もしかすると移されているかも知れませんが、私はこの土地の人間ではありませんので、そのあたりの事は分りません。

それで、この場所は度々飛行機を見に行く「八尾空港」の近くですが、たまたま自転車で行った際、狭い路地の奥に地蔵堂が見えました。

自転車でぶらぶらする際は、なるべく旧村を通る様に知るのですが、ここ最近多い単車での移動ではなく、たまには自転車でぶらぶらしないといけないなと、ちょっとだけ思いました(-_-;)

自転車での移動は、私の中河内探索の原点ですので。

日照地蔵尊1

日照地蔵尊2

清明大神1

清明大神2

清明大神3

日照地蔵尊3

木の本は寺社やお地蔵さまが結構多地区ですね(於 八尾市)

茅葺の家(その18)

東大阪市内に茅葺のお宅があります。

大和棟造り立派なお宅で、建築年代等の詳しい事は分りませんでしたが、東大阪市内では著名な方のお宅だそうです。

この宅の前はこれまで度々通っていますが、門から主屋へと通ずる通路には多くの木々や庭石が置かれ、一見郊外にある古民家の様にも見えます。

写真の柿木が何ともい雰囲気です。

それで、市街地にある茅葺のお宅は最近見かける事が少なくなってきましたが、取り壊しや建替えではなく、周囲にマンションや住宅が隣接、密集して建てられた事により、目立たなくなったのかも知れません。

ほんと、最近殆んど見かける事がなくなりました。

茅葺の家18-1

敷地が広いお宅です(於 東大阪市)

とある風景(その214)

今日は買い物に出掛けたついでに生駒山へと行ってみました。

今年の前半は殆んど山登りしていませんでしたので、久しぶりに生駒山へと足を運んだのですが、基本この時期山登りはしませんので、勿論単車に乗ってですが(-_-;)

単車だとらくらくセンターハウスまで行けますが、実は今回始めて徒歩以外で行きました。

今日は風が強かったので、平地よりかなり涼しく感じました。

途中にある休憩場所でも、結構良い眺めだったりします。

でも、ハルカスより標高は低いんでしょうね。

ほんま、ハルカスって高いビルです。

らくらく登山道にて

この場所って殆んど来ないんですけどね(於 東大阪市)

延幸地蔵尊

「延幸地蔵尊」は古町にあります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

あと、屋根は檜皮葺となっていました。

それで、最近は単車での移動が多いですが、このお地蔵様も単車で移動中に見えたので、後日改めて訪れました。

以前は自転車の移動が主でしたので、お地蔵様にめぐり合う事が多かったのですが、あえて捜すと言う事はしていませんでしたので、御縁があればお地蔵様が私を呼んで下さったものだと思う様にしています。

まだ、私を呼んで下さるお地蔵様はいらしゃるでしょうか?

延幸地蔵尊1

延幸地蔵尊2

延幸地蔵尊3

延幸地蔵尊4

近くは度々通る場所ですが単車で国道を走っていたので見えたのだと思います(於 柏原市)


無量寺境内

相生町に「無量寺境内」と刻まれた標石が建てられています。

年号等は確認出来ませんでしたので、いつの時代に建てられたものかは不明ですが、境内(?)には本堂等の寺院建築物はありません。

敷地内にある建物には「真宗大谷派 無量寺」とありますが、無住のお寺の様で地区で維持管理されているのでしょうか?

それで、無量寺は廃寺であるのか?手持ち資料で調べてみますと、廃寺とはなっていない様で、敷地の中央に木が植えられていますが、これは本堂等の建物が撤去された後に植えられたものなのでしょうか?

このお寺について程んど詳しい事は分りませんでしたが、以前「松谷御堂境内」「西境内」と刻まれたものを取り上げています。

その当時、寺社の敷地を標示する何らかの理由があったのか分かりませんが、江戸時代の年貢地、除地に関係があるのでしょうか?

こちらについても分かりませんでしたが。

無量寺境内1

無量寺境内2

かなり以前から気になっていましたので記事にしましたが(於 八尾市)

とある風景(その213)

今日は最近よく飛行機やヘリコプターを見に行く「八尾空港」で、先月ちょっと気になる店を見かけましたので、探索がてら行ってみました。

それで、先月見かけた時はカフェ(今風に…)かなと思ったのですが、帰宅後調べてみますと、そのお店は航空グッズを販売しているお店で、飛行機好きの私としては「これは絶対行かなあかん」と思い、今日行ってきました。

店内には航空グッズが所狭しと並べられ、どれもこれも欲しくなりましたが、取りあえずスケールモデル(車で言うとミニカーみたいなもの?)を購入しました。

その後は空港周辺をぶらぶらしながら飛行機の離着陸を見ていたところ、、敷地内に何か分かりませんが設備みたいなものがあり、八尾空港では初めて見ましたが、実は以前にも似た様なものを高安山と生駒山を結ぶ尾根で見た事がありました。

現在、撤去されいますが、あれ何なんでしょうね?

調べておりません(-_-;)

航空設備1

航空設備2

八尾空港標石

写真に見える山の稜線上にありました(於 八尾市)

能楽高安流発祥の地の碑

神立に「能楽高安流発祥の地の碑」が建てられています。

それで、能楽高安流について手持ち資料にも記述がなく、その他でも調べてみましたが、詳しい事は殆んど分りませんでした。

能楽に関しても殆んど知識がございませんが…

ですので碑文をそのまま引用させて頂きますと「能楽高安流の流祖は高安姓で、高安の住人、安土桃山時代、当玉祖神社の神官であった。平成二十九年、廃曲となっていた「高安(高安の女)」が八尾の地で復曲上演され、高安流能楽師も出演された。」とあります。

あと、この石碑は高安城の倉庫跡礎石が発見されて、四十年を記念して平成三十年に「高安城を探る会」によって建てられています。

一般の方が発見したと言う事も凄いですが、会が出版された刊行物を拝見すると、到底私にはまねの出来ない程、存在を信じ地道に探索活動されていたのが非常に良く分かります。

私も数回訪れていますが、よくまあこの場所で発見したものだと思います。

能楽高安流発祥の地の碑1

能楽高安流発祥の地の碑2

高安城倉庫跡礎石1

高安城倉庫跡礎石2

高安城倉庫跡礎石3

高安城倉庫跡礎石4

高安城倉庫跡礎石5

礎石とは関係ありませんが眺め良いです(於 八尾市)

水路の生き物(その15)

この季節になると、恩智川の浅瀬などでコイの産卵行動を見かけるようになります。

気温の上昇と共に水温が上がり、魚の活性も上がるのでしょう?冬の間は殆んど見かけなかった小魚の姿も見られる様になりました。

それで小魚と言えば、私の場合「モツゴ」を思い浮かべます。

モツゴはコイ科の魚で水の汚れに強い為、水路以外の色んな場所にも生息しています。

以前、東大阪市内のとある池で捕ったモツゴをモロコと一緒に飼育していましたが、東大阪市内の河川にはモロコも生息しています。

私は「第二寝屋川」でモロコを釣りましたが、このモロコは「タモロコ」と呼ばれ、この時期から秋くらいまで結構釣れたりします。

同じモロコでも琵琶湖では「ホンモロコ」が有名で、この小さな淡水魚は以外にも高級魚でして、養殖も行われている程、食用としては需要があります。

さすがに第二寝屋川で釣ったモロコは食べる気がしませんが、以前地方に釣りに行った際に釣ったモロコは、結構美味だった様に思います。

最近は殆んど釣りをしていませんが、また時間があれば釣りに行こうかと思い、道具の手入れと仕掛けは作って準備してあります。

でも最近めっきり釣具屋さんが減ってしまいました(-_-;)

尚、掲載している写真はピンボケのものもあり、あまりいい写真ではありませんが、2枚ともモツゴとタモロコが一緒に仲良く泳いでいます。

モツゴとタモロコ1

モツゴとタモロコ2

観賞魚もいいですが身近な魚を飼うのも楽しいものです(採集地 東大阪)

とある風景(その212)

本日は久しぶりに自転車で中河内探索へと行ってきました。

私は自転車の購入を機に中河内探索始めましたが、最近は殆んど単車での移動ばかりでしたので、原点に戻るではありませんが、久しぶりに自転車での移動となりました。

しかし、運動不足と気温の上昇でバテ気味でしたが(-_-;)

それで、自宅を出発し殆んど予定も立てず、先ず柏原へと向かいましたが、いつも出かける度にあるべきものが無くなったり、逆に新たなものが出来たりして、その風景や雰囲気が変わってしまう事があります。

それは大なり小なりありますが、今日一番驚いた事は、都塚にある「都留美嶌神社」の前に広がる田畑が殆んど姿を消し、商業施設が建設されていた事です。

この商業施設が建設されている事は知っていましたが、私の想像よりはるかに規模が大きく、更に隣接して宅地も造成されていましたので、以前の風景とは全く違う別の場所の様でした。

私は度々、田畑にある畦道を通っていましたが、新たに道路も敷かれた様で、私がこれまで撮影した周辺の風景も過去のものとなってしまいました。

それで、時代の流れにより消えてしまったものもありますが、逆に長い年月経ても残されているものも多くあります。

途中立ち寄った久宝寺寺内町は、かつて周囲を濠と土塁でめぐらされていたそうですが(現地の説明板による)その土塁と濠の一部が現在も残されています。

部分的ではありますが、300年前に土木工事によってつくられたものが、市街地の中で今も残されている事に驚いてしまいます。

しかし、それはこの土地で住む方々が受け継いできた、土地を守ろうとする気持ちの表れであろうと思いますし、この土地が周囲の場所とはまた違う環境であったのがその理由なかも知れません。

これからもそんな中河内の様々な場所を見に行こうと思います。

体力の続く限りですが…

久宝寺寺内町の土塁跡

見た目気が付きませんけど(於 八尾市)

旧国鉄龍華操車場跡の碑

JR久宝寺駅に「旧国鉄龍華操車場跡の碑」が建てられています。

しかし、碑は無く(?)その代り「C57」の動輪が展示保存されています。

詳しくは、説明板が設置されていますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、この地にはかつて「竜華操車場」があり、元鉄道少年だった私も電気機関車やディーゼル機関車を見に足を運んだ思い出があります。

それで、この場所で当時蒸気機関車を見た記憶はありませんが、説明にもあります様にC57はかつて関西線で急行列車を牽引していたそうで、昭和時代の龍華を繋ぐ熱い思いをこの動輪に託し、この碑が建てられたとあります。

同じ昭和生まれであっても、世代により思い出は様々であろうかと思いますが、私の世代では蒸気機関車のその殆どが現役を退き、電気機関車やディーゼル機関車が主に運用されている時代でした。

ですので、当時の私の感覚では蒸気機関車は過去のものであり、それ程関心もありませんでした。

その後、月日が経ち大人になった際、現在は閉館した交通科学館を訪れ、かつて休日に駅等で撮影した鉄道車両が展示されているのを見ると、自分が歳を重ねたと言う実感と、懐かしい私の昭和時代を思い出してしまいました。

ですが、それが理由ではないのですが、最近蒸気機関車に興味を持ってしまいまして、自宅から日帰りで行く事が可能な場所であれば、保存車両を見に行く様になりました。

歳を取ると蒸気機関車の無骨な感じが気に入ったのかも知れません。

それで、撮影したC57の写真と「とある風景」に掲載した「D51」の運転室の写真を掲載させて頂きます。

旧国鉄龍華操車場跡の碑1

旧国鉄龍華操車場跡の碑2

旧国鉄龍華操車場跡の碑3

旧国鉄龍華操車場跡の碑4

旧国鉄龍華操車場跡の碑5

C57-1

C57-2

C57-3

C57-4

C57-5

D51-1

D51-2

D51-3

D51-4

SLに限らずこれからも保存車両見に行きます(於 八尾市・奈良県・京都府)


とある風景(その211)

長らく都合により、ブログの更新をお休みしていましたが、本日よりぼちぼち更新を再開していこうかと思います。

今年はこれまで殆んど山歩きへも行けませんでしたが、気が付くと暖かい季節となり、自宅から見える生駒山もすっかり新緑の景色となりました。

それで、今年のゴールデンウイークも仕事の都合で10連休とはなりませんでしたが、最近移動手段のメインとなっている単車で出かけてきました。

昨日は信楽まで食器でも買おうかと出かけてきましたが、何故か周辺道路は大渋滞(?)で、ちょっとうんざりしてしまいした。

せっかくここまで来たのにって感じで…

それで、今日は気を取り直し、北摂にある「竜仙峡」へ行ってみました。

竜仙峡へは15年程前に釣りに出かけた事があって、その時私が釣った「オイカワ」の中で一番大きなオイカワを釣ったのがこの場所です。

安威川沿いに駐車場があり、その前に以前食堂があったのですが、その食堂のあばちゃんにここで釣りをして良いのか尋ねたところ「雑魚くらいやったら鑑札買わんでもええよ」と言う事でしたので、釣りをさせてもらった事がありました。

一時間程釣りをして十分楽しむ事が出来ましたが、その後ここへ釣りをしに来る事はありませんでした。

それで今日、ほんと久しぶりに訪れますと、その食堂は無く、その代り食堂のあった場所には大きな道路橋が建設されていました。

それには理由があり「安威川ダム」建設に伴い、府道が付け替えれた為に道路橋が設置され、この辺りは現在旧府道は通行禁止となっていました。

ダムが完成すると、この場所は水没してしまうのでしょうか?

少々、寂しい気がしますが。

その後は、亀岡まで足を伸ばし市内を探索後、若い頃単車で走りによく行っていた、川沿いを通る林道へと行ってみました。

ここへも25年ぶりくらいに訪れましたが、今乗っている単車は未舗装の林道は走行出来ませんので、未舗装の手前まで行けるところまで行ってみました(もっと行きたかったのですが、転倒してしまいますので)

それで、若い頃は勿論、歴史や文化財等に興味もありませんので、只通るだけでしたが、今通ると林道に繋がる道の途中にある集落の入り口に道標が建てられていたり、お地蔵様がまつられている事に気が付きます。

道標の案内先には「山みち」とありましたので、当時は伐採用の林道だと思っていた道も、実は昔からある山越えの道だった事も今日知りました。

自分もこう言った事が分る様な歳になったんやと少々思いましたが、ほんま年取ると時間がたつのが早く感じます。

そんな事を思いながらこの場所を後にし、帰りはカーブの連続する山道をぶっ飛ばして帰りました。

ほんま、ええ歳こいて、しまいにこけますわ。

竜仙峡

中河内の人には安威川ダムって知らん人が多いかと思いますが(於 茨木市)

安養寺の地蔵尊

恩智にある「安養寺」の境内には多くの石仏がおまつりされています。

その中に道標を兼ねているお地蔵様があり、舟形光背の左右に「右〟八尾 玉造 すぐ北 天のち」と刻まれています。

別の場所から移されたものかと思われますが、私には案内先から何処に建てられていたか?推測出来ません。

年号等は確認出来ませんでしたので、いつの時代の道路状況か分かりませんが、現在の道路状況だとおおよそ「この辺りかな?」とは思いますが…

まあ、何らかの理由でこの場所へ移されたのでしょう?

あと、安養寺の裏山で「銅鐸」が出土しています。

安養寺の地蔵尊1

安養寺の地蔵尊2

安養寺の地蔵尊3

いつの時代のお地蔵様でしょうか?(於 八尾市)