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とある風景(その216)

今日は琵琶湖へ行く予定でしたが、はっきりしない天気でしたので、中止としました。

勿論、単車での移動ですが、帰路は信楽方面を山越えするつもりでしたので、雨が降ると危険ですので泣く泣く中止としました(基本、雨の時は乗らない事にしていますので)

それで、取りあえず信楽だけでもと思い、朝自宅を出発しましたが、先週とはうって変わって清滝峠を越えると肌寒く、上着をもう1枚用意すれば良かったと震えながら後悔してしまいました(-_-;)

その後、強風と寒さに耐えながら無事信楽に到着し、陶器店でお茶碗を購入、その後付近をぶらぶらしてから帰宅しました。

私は20代から30代の頃、定期的に信楽に陶器を買いに訪れていた事があり、今もお茶碗やお皿を愛用していますが、今回購入したお茶碗は厚手ではなく(陶器には詳しくありませんが、信楽焼きと言えば厚手のイメージがありますので…)薄手のお茶碗でした。

以前は厚手が多かった様に思うのですが、私が勝手にそう思い込んでいたのかも知れません(-.-)

それで、天気はいまいちでしたが、信楽へ続く道沿いを流れる川の水がほんと綺麗で、釣りしたいなと思いながら山道を軽快に走り、良い気分転換になりました(最近仕事が忙しく疲れ気味でしたので…)

写真はいつも休憩する木津川の堤防で曇り空です。

木津川の堤防にて

結局雨は降りませんでした(>_<)(於 京都府)

油伽陀佛羅地蔵尊

  • Day:2019.06.02 20:08
  • Cat:仏像
「油伽陀佛羅地蔵尊」は永和にあります。

お寺の外塀に埋め込まれた地蔵堂には木仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、以前はおまつりされていなかったと思いますが(?)いつ頃からおまつりされているのでしょうか?

油伽陀佛羅は例の「あぶら…」と読むのでしょうか?

油伽陀佛羅地蔵尊1

油伽陀佛羅地蔵尊2

油伽陀佛羅地蔵尊3

あぶらかだぶらでしょうか?(於 東大阪市)

国分町上水道竣工記念碑

  • Day:2019.06.02 20:05
  • Cat:石碑
玉手町に「国分町上水道竣工記念碑」が建てられています。

この記念碑は、昭和三十年(1955)に建てられたもので、碑文には上水道敷設の経緯が刻まれていますが、柏原市のホームページでは詳しい経緯が記載されていますので、そちらも御参照して頂きたいと思います。

それで、碑文と手持ち資料によりますと、国分町(当時)の水道建設は、昭和十五年頃に計画され、戦時中は資材使用制限等の理由で中止となり、戦後再び計画されたそうですが、結局実現しなかったそうです。

その後、継続事業として町営簡易水道の建設が許可され、昭和二十七年(1952)に起工、翌年の昭和二十八年(1953)に竣工し、円明町で給水が開始され、更に玉手、片山、国分地区にも給水地域が拡張されたのだそうです。

以上、簡単に説明させて頂きましたが、現在玉手町は閑静な住宅地となり、かつての「玉手山遊園地」も市立公園として整備されました。

幼少期に度々訪れた事があり、今も時折訪れる事もありますが、もあれから50年近く経っていると思うと「ほんま自分も歳とったなぁ」と思います。

国分町上水道竣工記念碑1

国分町上水道竣工記念碑2

国分町上水道竣工記念碑3

玉手の高台に水を引くのも大変だった事でしょう?(於 柏原市)

とある風景(その215)

実は今日、琵琶湖に行く予定でしたが、季節外れの暑さで中止にしました。

若い頃は何度も一周した琵琶湖ですが、やはり長時間の乗車は疲れますので、梅雨前に行く機会があれば行こうかと思います。

で、昨日もかなりの暑さでしたが、ちょっとだけ「亀の瀬」まで行ってみました。

あまりの暑さでとんぼ返りでしたが、最近護岸工事が行われた場所にかなりの砂が堆積しているのが見えました。

ここは私の休憩ポイントですので、度々訪れていますが、これほどはっきり堆積している砂を見たのは初めてでした(単に私がこれまで気が付かなかっただけかも知れませんが…)

土砂の流出は旧大和川の氾濫の原因であり、宝永年間に付替え(川違え)が行われています。

それで、この場所はかつて通船の境界で、大和からの「魚梁船」から「剣先船」へと荷継ぎが行われ、沿岸には「荷継問屋」が設けられていました。

あと、護岸工事の際に明治時代に建設された門樋遺構(堰、閘門)が発見されています。

亀の瀬の門樋遺構跡

5月やのに何でこない暑いねん!(於 柏原市)

日照地蔵尊

  • Day:2019.05.26 20:43
  • Cat:石仏
「日照地蔵尊」は木の本にあります。

地蔵堂内には、おそらく石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。

あと、並んで「神明大神」がまつられています。

こちらに関しても、詳しい事は分りませんでしたが、周囲は分譲住宅が建ち並んでいますので、もしかすると移されているかも知れませんが、私はこの土地の人間ではありませんので、そのあたりの事は分りません。

それで、この場所は度々飛行機を見に行く「八尾空港」の近くですが、たまたま自転車で行った際、狭い路地の奥に地蔵堂が見えました。

自転車でぶらぶらする際は、なるべく旧村を通る様に知るのですが、ここ最近多い単車での移動ではなく、たまには自転車でぶらぶらしないといけないなと、ちょっとだけ思いました(-_-;)

自転車での移動は、私の中河内探索の原点ですので。

日照地蔵尊1

日照地蔵尊2

清明大神1

清明大神2

清明大神3

日照地蔵尊3

木の本は寺社やお地蔵さまが結構多地区ですね(於 八尾市)

茅葺の家(その18)

東大阪市内に茅葺のお宅があります。

大和棟造り立派なお宅で、建築年代等の詳しい事は分りませんでしたが、東大阪市内では著名な方のお宅だそうです。

この宅の前はこれまで度々通っていますが、門から主屋へと通ずる通路には多くの木々や庭石が置かれ、一見郊外にある古民家の様にも見えます。

写真の柿木が何ともい雰囲気です。

それで、市街地にある茅葺のお宅は最近見かける事が少なくなってきましたが、取り壊しや建替えではなく、周囲にマンションや住宅が隣接、密集して建てられた事により、目立たなくなったのかも知れません。

ほんと、最近殆んど見かける事がなくなりました。

茅葺の家18-1

敷地が広いお宅です(於 東大阪市)

とある風景(その214)

今日は買い物に出掛けたついでに生駒山へと行ってみました。

今年の前半は殆んど山登りしていませんでしたので、久しぶりに生駒山へと足を運んだのですが、基本この時期山登りはしませんので、勿論単車に乗ってですが(-_-;)

単車だとらくらくセンターハウスまで行けますが、実は今回始めて徒歩以外で行きました。

今日は風が強かったので、平地よりかなり涼しく感じました。

途中にある休憩場所でも、結構良い眺めだったりします。

でも、ハルカスより標高は低いんでしょうね。

ほんま、ハルカスって高いビルです。

らくらく登山道にて

この場所って殆んど来ないんですけどね(於 東大阪市)

延幸地蔵尊

  • Day:2019.05.19 21:53
  • Cat:石仏
「延幸地蔵尊」は古町にあります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

あと、屋根は檜皮葺となっていました。

それで、最近は単車での移動が多いですが、このお地蔵様も単車で移動中に見えたので、後日改めて訪れました。

以前は自転車の移動が主でしたので、お地蔵様にめぐり合う事が多かったのですが、あえて捜すと言う事はしていませんでしたので、御縁があればお地蔵様が私を呼んで下さったものだと思う様にしています。

まだ、私を呼んで下さるお地蔵様はいらしゃるでしょうか?

延幸地蔵尊1

延幸地蔵尊2

延幸地蔵尊3

延幸地蔵尊4

近くは度々通る場所ですが単車で国道を走っていたので見えたのだと思います(於 柏原市)


無量寺境内

  • Day:2019.05.19 21:48
  • Cat:石碑
相生町に「無量寺境内」と刻まれた標石が建てられています。

年号等は確認出来ませんでしたので、いつの時代に建てられたものかは不明ですが、境内(?)には本堂等の寺院建築物はありません。

敷地内にある建物には「真宗大谷派 無量寺」とありますが、無住のお寺の様で地区で維持管理されているのでしょうか?

それで、無量寺は廃寺であるのか?手持ち資料で調べてみますと、廃寺とはなっていない様で、敷地の中央に木が植えられていますが、これは本堂等の建物が撤去された後に植えられたものなのでしょうか?

このお寺について程んど詳しい事は分りませんでしたが、以前「松谷御堂境内」「西境内」と刻まれたものを取り上げています。

その当時、寺社の敷地を標示する何らかの理由があったのか分かりませんが、江戸時代の年貢地、除地に関係があるのでしょうか?

こちらについても分かりませんでしたが。

無量寺境内1

無量寺境内2

かなり以前から気になっていましたので記事にしましたが(於 八尾市)

とある風景(その213)

今日は最近よく飛行機やヘリコプターを見に行く「八尾空港」で、先月ちょっと気になる店を見かけましたので、探索がてら行ってみました。

それで、先月見かけた時はカフェ(今風に…)かなと思ったのですが、帰宅後調べてみますと、そのお店は航空グッズを販売しているお店で、飛行機好きの私としては「これは絶対行かなあかん」と思い、今日行ってきました。

店内には航空グッズが所狭しと並べられ、どれもこれも欲しくなりましたが、取りあえずスケールモデル(車で言うとミニカーみたいなもの?)を購入しました。

その後は空港周辺をぶらぶらしながら飛行機の離着陸を見ていたところ、、敷地内に何か分かりませんが設備みたいなものがあり、八尾空港では初めて見ましたが、実は以前にも似た様なものを高安山と生駒山を結ぶ尾根で見た事がありました。

現在、撤去されいますが、あれ何なんでしょうね?

調べておりません(-_-;)

航空設備1

航空設備2

八尾空港標石

写真に見える山の稜線上にありました(於 八尾市)

能楽高安流発祥の地の碑

  • Day:2019.05.05 20:36
  • Cat:石碑
神立に「能楽高安流発祥の地の碑」が建てられています。

それで、能楽高安流について手持ち資料にも記述がなく、その他でも調べてみましたが、詳しい事は殆んど分りませんでした。

能楽に関しても殆んど知識がございませんが…

ですので碑文をそのまま引用させて頂きますと「能楽高安流の流祖は高安姓で、高安の住人、安土桃山時代、当玉祖神社の神官であった。平成二十九年、廃曲となっていた「高安(高安の女)」が八尾の地で復曲上演され、高安流能楽師も出演された。」とあります。

あと、この石碑は高安城の倉庫跡礎石が発見されて、四十年を記念して平成三十年に「高安城を探る会」によって建てられています。

一般の方が発見したと言う事も凄いですが、会が出版された刊行物を拝見すると、到底私にはまねの出来ない程、存在を信じ地道に探索活動されていたのが非常に良く分かります。

私も数回訪れていますが、よくまあこの場所で発見したものだと思います。

能楽高安流発祥の地の碑1

能楽高安流発祥の地の碑2

高安城倉庫跡礎石1

高安城倉庫跡礎石2

高安城倉庫跡礎石3

高安城倉庫跡礎石4

高安城倉庫跡礎石5

礎石とは関係ありませんが眺め良いです(於 八尾市)

水路の生き物(その15)

この季節になると、恩智川の浅瀬などでコイの産卵行動を見かけるようになります。

気温の上昇と共に水温が上がり、魚の活性も上がるのでしょう?冬の間は殆んど見かけなかった小魚の姿も見られる様になりました。

それで小魚と言えば、私の場合「モツゴ」を思い浮かべます。

モツゴはコイ科の魚で水の汚れに強い為、水路以外の色んな場所にも生息しています。

以前、東大阪市内のとある池で捕ったモツゴをモロコと一緒に飼育していましたが、東大阪市内の河川にはモロコも生息しています。

私は「第二寝屋川」でモロコを釣りましたが、このモロコは「タモロコ」と呼ばれ、この時期から秋くらいまで結構釣れたりします。

同じモロコでも琵琶湖では「ホンモロコ」が有名で、この小さな淡水魚は以外にも高級魚でして、養殖も行われている程、食用としては需要があります。

さすがに第二寝屋川で釣ったモロコは食べる気がしませんが、以前地方に釣りに行った際に釣ったモロコは、結構美味だった様に思います。

最近は殆んど釣りをしていませんが、また時間があれば釣りに行こうかと思い、道具の手入れと仕掛けは作って準備してあります。

でも最近めっきり釣具屋さんが減ってしまいました(-_-;)

尚、掲載している写真はピンボケのものもあり、あまりいい写真ではありませんが、2枚ともモツゴとタモロコが一緒に仲良く泳いでいます。

モツゴとタモロコ1

モツゴとタモロコ2

観賞魚もいいですが身近な魚を飼うのも楽しいものです(採集地 東大阪)

とある風景(その212)

本日は久しぶりに自転車で中河内探索へと行ってきました。

私は自転車の購入を機に中河内探索始めましたが、最近は殆んど単車での移動ばかりでしたので、原点に戻るではありませんが、久しぶりに自転車での移動となりました。

しかし、運動不足と気温の上昇でバテ気味でしたが(-_-;)

それで、自宅を出発し殆んど予定も立てず、先ず柏原へと向かいましたが、いつも出かける度にあるべきものが無くなったり、逆に新たなものが出来たりして、その風景や雰囲気が変わってしまう事があります。

それは大なり小なりありますが、今日一番驚いた事は、都塚にある「都留美嶌神社」の前に広がる田畑が殆んど姿を消し、商業施設が建設されていた事です。

この商業施設が建設されている事は知っていましたが、私の想像よりはるかに規模が大きく、更に隣接して宅地も造成されていましたので、以前の風景とは全く違う別の場所の様でした。

私は度々、田畑にある畦道を通っていましたが、新たに道路も敷かれた様で、私がこれまで撮影した周辺の風景も過去のものとなってしまいました。

それで、時代の流れにより消えてしまったものもありますが、逆に長い年月経ても残されているものも多くあります。

途中立ち寄った久宝寺寺内町は、かつて周囲を濠と土塁でめぐらされていたそうですが(現地の説明板による)その土塁と濠の一部が現在も残されています。

部分的ではありますが、300年前に土木工事によってつくられたものが、市街地の中で今も残されている事に驚いてしまいます。

しかし、それはこの土地で住む方々が受け継いできた、土地を守ろうとする気持ちの表れであろうと思いますし、この土地が周囲の場所とはまた違う環境であったのがその理由なかも知れません。

これからもそんな中河内の様々な場所を見に行こうと思います。

体力の続く限りですが…

久宝寺寺内町の土塁跡

見た目気が付きませんけど(於 八尾市)

旧国鉄龍華操車場跡の碑

  • Day:2019.05.04 21:51
  • Cat:鉄道
JR久宝寺駅に「旧国鉄龍華操車場跡の碑」が建てられています。

しかし、碑は無く(?)その代り「C57」の動輪が展示保存されています。

詳しくは、説明板が設置されていますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、この地にはかつて「竜華操車場」があり、元鉄道少年だった私も電気機関車やディーゼル機関車を見に足を運んだ思い出があります。

それで、この場所で当時蒸気機関車を見た記憶はありませんが、説明にもあります様にC57はかつて関西線で急行列車を牽引していたそうで、昭和時代の龍華を繋ぐ熱い思いをこの動輪に託し、この碑が建てられたとあります。

同じ昭和生まれであっても、世代により思い出は様々であろうかと思いますが、私の世代では蒸気機関車のその殆どが現役を退き、電気機関車やディーゼル機関車が主に運用されている時代でした。

ですので、当時の私の感覚では蒸気機関車は過去のものであり、それ程関心もありませんでした。

その後、月日が経ち大人になった際、現在は閉館した交通科学館を訪れ、かつて休日に駅等で撮影した鉄道車両が展示されているのを見ると、自分が歳を重ねたと言う実感と、懐かしい私の昭和時代を思い出してしまいました。

ですが、それが理由ではないのですが、最近蒸気機関車に興味を持ってしまいまして、自宅から日帰りで行く事が可能な場所であれば、保存車両を見に行く様になりました。

歳を取ると蒸気機関車の無骨な感じが気に入ったのかも知れません。

それで、撮影したC57の写真と「とある風景」に掲載した「D51」の運転室の写真を掲載させて頂きます。

旧国鉄龍華操車場跡の碑1

旧国鉄龍華操車場跡の碑2

旧国鉄龍華操車場跡の碑3

旧国鉄龍華操車場跡の碑4

旧国鉄龍華操車場跡の碑5

C57-1

C57-2

C57-3

C57-4

C57-5

D51-1

D51-2

D51-3

D51-4

SLに限らずこれからも保存車両見に行きます(於 八尾市・奈良県・京都府)


とある風景(その211)

長らく都合により、ブログの更新をお休みしていましたが、本日よりぼちぼち更新を再開していこうかと思います。

今年はこれまで殆んど山歩きへも行けませんでしたが、気が付くと暖かい季節となり、自宅から見える生駒山もすっかり新緑の景色となりました。

それで、今年のゴールデンウイークも仕事の都合で10連休とはなりませんでしたが、最近移動手段のメインとなっている単車で出かけてきました。

昨日は信楽まで食器でも買おうかと出かけてきましたが、何故か周辺道路は大渋滞(?)で、ちょっとうんざりしてしまいした。

せっかくここまで来たのにって感じで…

それで、今日は気を取り直し、北摂にある「竜仙峡」へ行ってみました。

竜仙峡へは15年程前に釣りに出かけた事があって、その時私が釣った「オイカワ」の中で一番大きなオイカワを釣ったのがこの場所です。

安威川沿いに駐車場があり、その前に以前食堂があったのですが、その食堂のあばちゃんにここで釣りをして良いのか尋ねたところ「雑魚くらいやったら鑑札買わんでもええよ」と言う事でしたので、釣りをさせてもらった事がありました。

一時間程釣りをして十分楽しむ事が出来ましたが、その後ここへ釣りをしに来る事はありませんでした。

それで今日、ほんと久しぶりに訪れますと、その食堂は無く、その代り食堂のあった場所には大きな道路橋が建設されていました。

それには理由があり「安威川ダム」建設に伴い、府道が付け替えれた為に道路橋が設置され、この辺りは現在旧府道は通行禁止となっていました。

ダムが完成すると、この場所は水没してしまうのでしょうか?

少々、寂しい気がしますが。

その後は、亀岡まで足を伸ばし市内を探索後、若い頃単車で走りによく行っていた、川沿いを通る林道へと行ってみました。

ここへも25年ぶりくらいに訪れましたが、今乗っている単車は未舗装の林道は走行出来ませんので、未舗装の手前まで行けるところまで行ってみました(もっと行きたかったのですが、転倒してしまいますので)

それで、若い頃は勿論、歴史や文化財等に興味もありませんので、只通るだけでしたが、今通ると林道に繋がる道の途中にある集落の入り口に道標が建てられていたり、お地蔵様がまつられている事に気が付きます。

道標の案内先には「山みち」とありましたので、当時は伐採用の林道だと思っていた道も、実は昔からある山越えの道だった事も今日知りました。

自分もこう言った事が分る様な歳になったんやと少々思いましたが、ほんま年取ると時間がたつのが早く感じます。

そんな事を思いながらこの場所を後にし、帰りはカーブの連続する山道をぶっ飛ばして帰りました。

ほんま、ええ歳こいて、しまいにこけますわ。

竜仙峡

中河内の人には安威川ダムって知らん人が多いかと思いますが(於 茨木市)

安養寺の地蔵尊

  • Day:2019.05.03 20:16
  • Cat:石仏
恩智にある「安養寺」の境内には多くの石仏がおまつりされています。

その中に道標を兼ねているお地蔵様があり、舟形光背の左右に「右〟八尾 玉造 すぐ北 天のち」と刻まれています。

別の場所から移されたものかと思われますが、私には案内先から何処に建てられていたか?推測出来ません。

年号等は確認出来ませんでしたので、いつの時代の道路状況か分かりませんが、現在の道路状況だとおおよそ「この辺りかな?」とは思いますが…

まあ、何らかの理由でこの場所へ移されたのでしょう?

あと、安養寺の裏山で「銅鐸」が出土しています。

安養寺の地蔵尊1

安養寺の地蔵尊2

安養寺の地蔵尊3

いつの時代のお地蔵様でしょうか?(於 八尾市)

大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑

  • Day:2019.05.03 20:12
  • Cat:石碑
円明町にある公園内に「大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑」が建てられています。

この記念碑は、昭和五十八年(1983)に建てられたものですが、柏原羽曳野中小企業団地について、詳しい事は分りませんでした(と言うかあまり調べておりません…)

企業団地内には、以前取引のあった会社もありましたが。

あと、記念碑と並んで柏原市が説明板を設置していますが、企業団地敷地内には「円明遺跡」があります。

詳しくは説明板を御覧頂きたいと思いますが、信じられない事に調査中、多数の土器が盗難にあったそうです。

誰がどの様な目的で持ち去るのでしょうか?

尚、とある風景(その200)に掲載している写真は、この場所から撮影したものです。

大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑1

大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑2

大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑3

大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑4

大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑5

大阪府柏原羽曳野中小企業団地竣工記念碑6

何処で古墓が出土したかは分かりません(於 柏原市)

とある風景(その210)

昨日は天気が良かったので、梅を見にぶらぶら行ってきました。

取りあえず信貴山まで行くと、あちらこちらで綺麗に花を咲かせていました。

その後、三郷から雁多尾畑を越えて高安山へと行きましたが、神立では沢山の梅の木が花を咲かせていました。

その中で「しだれ梅」とでも言うのでしょうか?見事な梅の木があり、その下には水仙が咲き、休憩がてらしばしその風景を眺めていました。

そろそろ、冬の終りも見え始めた感がします。

それで、例年は「枚岡梅林」で梅の花を見物するのが楽しみだったのですが、残念ながら現在はその梅の花を見る事が出来ません。

はやく、以前の様に梅の花が見る事が出来ればとは思うのですが、再生までは数年掛かるとの事です。

しかし、樹木にもウイルスが感染するって知りませんでした。

しだれ梅1

神立の梅1

二枚目の写真の梅の花に蜘蛛が隠れています(於 八尾市)

安堂町の地蔵尊(その2)

  • Day:2019.03.03 17:03
  • Cat:石仏
大和川の堤防に地蔵尊があります。

地蔵堂はなく、おそらくこの場所で起こった事故の供養の為に建立されたと思われます。

台石には建立者の名が刻まれている様ですが、国道の反対側から写真撮影しましたので、その他由来等についても確認はしておりません。

いつも、国道を通っていましたので、以前からある事には気が付いていました。

近くにも同様の地蔵尊が二体おまつりされています。

安堂町の地蔵尊2-1

安堂町の地蔵尊2-2

昨日写真撮影しました(於 柏原市)

高井田駅西拱渠

  • Day:2019.03.03 16:57
  • Cat:鉄道
手持ち資料を見ていますと、JR関西本線「高井田駅」の西側に、小さな鉄橋があると記されていました。

ですので「どんなもんか見に行ったろう」と言う事で足を運ぶと、その場所には小さな水路に小さな鉄橋が架けられていました。

小さいながらもちゃんとした鉄橋でしたが、手持ち資料によりますと、銘板には昭和九年(1934)とあるそうです。

この区間が開通したのは、明治二十三年(1890)で、複線化されたのが、大正十二年(1923)である事から、後に架け替えられた事になるとの事です。

それで、この鉄橋は長さが1m程あるそうで「トラフガーター橋」と呼ばれるものだそうで、先の通り構造的には立派な(?)鉄道橋となっています。

尚、タイトルの「高井田駅西拱渠」は正式名称ではないそうです。

中河内地域の他の路線や私鉄にもありそうな感じもしますが、近年では近鉄奈良線の様に高架化され、地上を走る路線区間も少なくなってきました。

それ故、最近は踏切も少なくなった気がします。

現在は自動ですが、昔は踏切に遮断機を上げ下げさせる人がいて、手動で行っていたのを思い出します。

実家近くの徳庵や布施、瓢箪山にあった踏切もそうだった様に思います。

高井田駅西拱渠1

高井田駅西拱渠2

高井田駅西拱渠3

水路は暗渠にならなかった様です(於 柏原市)

とある風景(その209)

本日は数年ぶりに北摂の「摂津峡」へと行ってきました。

摂津峡を流れる芥川には管理釣り場があり、以前はシーズンになるとよく釣行していましたが、今日はその偵察を兼ねて久しぶりの摂津峡行きとなりました。

それで、ここではニジマスが放流されていますが、エサ釣り、ルアー、フライとエリアが分れています。

私はルアーもやりますが、ここではもっぱらエサ釣りで、ウキ釣りとミャク釣りを水量や流れに合わせて使い分けていました。

しかし、もう随分長い間、ここで釣りをしていません(-_-;)

5月まで釣りが出来ますので、それまでに一度行けたらとは思ってますが…

写真は以前釣ったニジマスで、2匹とも50センチ近い大物(?)です。

摂津峡1

ニジマス

6月からはアユ釣りです(於 高槻市)

高萩翁功徳碑

  • Day:2019.02.24 21:30
  • Cat:石碑
都塚に「高萩翁功徳碑」が建てられています。

この碑は、大正七年(1918)に建てられたもので、碑文によりますと、高萩弥一郎氏は曙川の方で、明治二十九年(1896)に村長に選出されたとあります。

その後、長く村長を務められ、地元の自治の発達をはかり、教育を奨励し、道路の修治等を行い、あと綿作替わる菰菜栽培を奨励し、農家の副業を勧誘する等、地元に功績を残された記されています(多分…)

それで、明治期に河内木綿の栽培は衰退し、それに替わりこの地で菰菜栽培が行われた件については不明ですが、大正期には綿を見るのも珍しかったそうで、河内北部や南部では早々に姿を消し、中河内に綿作が集中したのだそうです(中河内では昭和初期まで見られたそうです)

しかし、綿が珍重されたので残った訳では無く、泉州の様に玉葱や甘蔗に転換する事が出来なかった事がその理由だそうで、この頃から大和川以南に比べて、現在の東大阪市域を中心とする中河内の農業の停滞が始まったと言われているそうです。

それ故に、農家の副業は生計立てる為に、かなり重要なものだったと思われます。

功徳碑の本題から、話がそれてしまいましたが、地元の方が高萩氏の功績を称え建てられたこの碑は立派なもので、寺社や公園等の人目につく場所に多く建てられたり、移設されている事が多いと思われるこの類の石碑の中では、珍しく(?)旧村内に建てられています。

高萩翁功徳碑1

高萩翁功徳碑2

近くには田畑が広がっています(於 八尾市)

船板塀

八尾市内に船板塀の蔵があります。

この蔵の前は以前から度々通っていましたが、船板が使用されている事に気が付いたのは二年程前です(15年前位から通っていましたが…)

このお宅は大和棟造りの立派なお宅で、現在は喫茶店(今風で言うとカフェですか…)を商店を営業されています。

カフェをされていると言いますと「あぁ」とお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、先週高安山から下って来た際、何かの良い匂い?がしたので、ちょっと休憩して行こうかと思いましたが、入らずに別の店でビールで一杯やりながら昼食をとり帰宅しました(アルコール類はなさそうだったので)

それで、船板塀について詳しい事は分りませんが、この宅の船板塀には「船釘」が残されています。

今年、ほぼ毎週このお宅の前を通っています。

船板塀7-1

船板塀7-2

船板塀7-3

船板塀7-4

船板塀7-5

船板塀7-6

船板塀7-7

今度は一度カフェに(於 八尾市)

とある風景(その208)

本日は久しぶりにサークルのメンバーと高安山へ歩きに行ってきました。

久しぶりのグループ行動(?)でしたので、楽しく会話しながらの山歩きとなりましたが、生駒縦走路を十三峠まで距離もそこそこに、水呑みさんにお参りしてから下山しました。

その後、瓢箪山の老舗お好み店で昼間から一杯やってから解散しました。

それで、先週に降った雪が日当たりの悪い場所に残っていましたが、今年は平野部も殆んど雪が降っていません。

これから、積もる程の雪が降るのでしょうか?

その際は生駒山に歩きに行きます。

もう2月になりましたけど。

生駒縦走路にて

生駒の尾根は雪が解けないくらいの寒さでした(於 八尾市?)

往生院の案内碑

  • Day:2019.02.03 21:14
  • Cat:道標
瓢箪山駅の構内に「往生院の案内碑」があります。

この案内碑は大正十四年(1925)に歌舞伎役者の中村雁治郎が建てたものだそうです。

それで、以前からこの碑がある事は知っていたのですが、瓢箪山駅の下りホームにあり、私は殆んど上り方面の電車しか利用しませんので、碑文や年号等の確認はこれまで一度もした事がありませんでした。

ですが、その上りホームからカメラのズームを使用して写真を撮影すると、小さな字で「大日本○○…」「○○十丁…」等の文字が読み取れました(?)

あと、往生院は拝観寺院ではありませんので、これまで一度も参拝した事はありませんが、近くには「往生院金堂跡」の史跡があります。

案内碑の小さな文字については、いずれ確認しようかと思いますが、近鉄奈良線の奈良方面行は殆んど利用する事がありませんので、その内に言う事で。

わざわざ、反対側のホームまで行くのも面倒ですので(-_-;)

往生院の案内碑1

往生院の史跡標石1

とりあえずカテゴリーは道標とさせて頂きます(於 東大阪市)

とある風景(その207)

今日は久しぶりに「信貴山」へ行って来ました。

と言っても単車でしたが、気温はかなり低く、やはりこの季節は歩く方が暖かい(?)と思います。

その後、立派な農道を走り「千光寺」へ行きましたが、門前には「水車」があります。

以前、写真を掲載した事があるかも知れませんが、実はこの水車は発電に使用されているとの事でした。

この場所は何度か訪れていますが、今日初めて気が付きました。

休憩中、たまたま通りがかったハイカーの方に少しお話しを伺い、この地域の情報を収集した後、今度は「くろんど池」へ行ってみました。

しかし、あまりの寒さと強風で早々に帰宅しました。

来週は久しぶりにグループで高安山へ行く予定です。

千光寺の水車1

千光寺の水車2

この場所は何故か結構暖かったです(於 奈良県)

恩覚寺跡

「恩覚寺跡」は恩智中町にあります。

恩覚寺は、大念仏寺の末寺であったそうですが、明治三十九年(1906)に廃寺となり、同じく恩智村にあり廃寺となった「来福寺」と合わせて「来恩寺」と改称し、現在に至っています。

寺域は東西十五間、南北九間あり、寛永年間に中興されたのだそうです。

現在、跡地は児童公園として整備されていますが、園内には地蔵尊がまつられ、その側に板碑と卵塔等があります。

卵塔がある事からも寺跡と推測する事が出来るかと思いますが、今回年号等確認しておりませんので、機会があれば確認しようと思います(お墓なので少々気が引けますが…)

あと、来福寺の跡地は不明ですが、同様に大念仏寺の末寺で東西八間、南北八間あり、本尊は阿弥陀如来だったそうです。

尚、来福寺の一角にある地蔵堂内には、古い時代のものと思われる石仏がまつられていますが、それらはどちらかの寺院の遺物なのでしょうか?

詳しい事は分りませんでした。

恩覚寺跡1

恩覚寺跡2

恩覚寺跡3

恩覚寺跡4

垣根で跡碑がよく見えませんでした(於 八尾市)

上野義雄顕彰之碑

  • Day:2019.01.27 20:35
  • Cat:石碑
東大阪商工会議所前に「上野義雄顕彰之碑」が建てられています。

上野氏については、顕彰碑横にある顕彰の記に詳しく記されていますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが(写真の文字が少々見辛いですが…)碑文にもあります様に、氏は東大阪商工会議所名誉会頭であり、東大阪市で最初の名誉市民となられています。

それで、商工会議所とはどの様な組織なのか?実は私も詳しくは知らないのですが(…)前身である「布施商工会議所」は、昭和十二年(1937)に当時の布施職業紹介所内に設置され、会員の条件として市内で継続して二年以上営業している事等が定められていたそうです。

しかし、昭和十八年(1943)に「商工経済会法」により解散となりましたが、その後再組織され、東大阪市成立後は「東大阪商工会議所」として、現在に至っているとの事です。

それで、私も東大阪市内で就労する東大阪市民ですが、昭和十二年の布施市(私の出身地です)の生産額が、当時の金額で30732991円だったそうで、その中で工産物が最も多いのですが、内訳に以外にも水産物が含まれていました。

当時、漁業が行われていたのか?または水産物の二次加工等であったのか?詳しい事は分りませんでした。

あと「商」については、昭和十三年当時、布施市内の店舗数が2432店だったそうです。

今は量販店や大型商業施設で買物する事が多くなりましたけど(-_-;)

上野義雄顕彰之碑1

上野義雄顕彰之碑2

上野義雄顕彰之碑3

碑がある事は御存知の方も多いと思います(於 東大阪市)


とある風景(その206)

さて、今年最初の「とある風景」ですが、本日軽く生駒山へ歩きに行ってきました。

今日は軽く歩く予定でしたので、枚岡公園周辺から摂河泉を経て南下し、客坊谷で下りました。

帰り際、久しぶりに瓢箪山の商店街を通って帰りましたが、飲食店にばかり目が行ってしまいます。

しかし、現在減量中ですので、そのまま帰宅しました(-_-;)

それで、生駒山は昨年の台風の影響で土砂崩れや落石、倒木の被害により、現在も通行禁止の場所があります。

度々足を運ぶ、郷土博物館周辺にある「山畑古墳」も倒木が多く、立入禁止となっている場所がありました。

あと、最近は単車で出掛ける事が多くなり、中河内以外にも足を運んでいますが、昨日は「蒸気機関車」を見に奈良まで行ってきました。

私は元鉄道少年でしたが、当時は電気機関車やディーゼル機関車が好きでした。

しかし、ふと蒸気機関車が見たくなり、昨日出掛けてきたのですが、ほんま鉄の塊って感じで、当時の蒸気機関車のイメージとは全く違うものでした。

あと、昨日初めて知ったのですが、運転室は吹きざらしで、小さな窓からしか前方が見えませんでした。

暑い時期、寒い時期、後ろに石炭を積み、ボイラーの側で運転するのは、さぞ過酷な事だったのでしょう?

当時の蒸気機関士の方は、ほんま凄いなと思いました。

また、探して見に行く予定です。

山畑古墳の倒木

D51

大きな木がへし折れていたり根っ子ごと倒れていました(於 東大阪市・奈良県)



恩覺地蔵尊

  • Day:2019.01.14 21:46
  • Cat:石仏
「恩覺地蔵尊」は恩智中町にあります。

吹き放ちの地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、地蔵尊のある場所は寺跡となっており、かつて「恩覚寺」と呼ばれる寺院があったそうです。

尚、恩覺寺については「神社仏閣跡」の記事として、取り上げ様と思います。

恩覺地蔵尊1

恩覺地蔵尊2

恩覺地蔵尊3

恩覺地蔵尊4

石仏は新しい時代のものかと思います(於 八尾市)