河内彷徨 ~郷土を見にゆく~

ナムダー

私の故郷「中河内」を見に行きます

本日更新した電車の記事に掲載する為、過去に撮影した写真を見直していますと、関西線のトンネルの横に昔のトンネルが写っている写真がありました。何処で撮影したのかはっきり思い出せませんが、以前「龍田古道」を歩いた際に撮影したものです。現在使用しているトンネルの横にレンガ造りのトンネルが見えますが、坑口はコンクリートで閉じられています。使用されなくなった理由は知りませんが、調べるとこのトンネルは「芝山トン...

鉄道 0

緑色の電車

ある日、スマホでニュースを見ていると、おおさか東線を走る緑色の電車が引退するとの事でした。この国鉄の雰囲気を残す通勤電車には、多分一度だけ乗車した事があると思いますが、私が中河内をうろうろする様になると、目にする事が多くなりました。しかし、どちらかと言うと、私は片町線の沿線で暮していましたので、片町線や環状線を走るオレンジ色の電車の方がお馴染みでした。私が小学生とか中学生の頃は、片町線と環状線がオ...

近頃、暑くなったり涼しくなったりと、体が気温の変化についていけてない様で、あまり調子は良くありませんので、一旦山歩きはお休みしています。と言う事で、体の調子が悪いながらも、本日は単車でちょっと近場をツーリングしてきました。取り合えず亀の瀬まで行き、小休止してから信貴山へ行きました。やはり標高があり、ええ感じで涼しかったので、とっくり湖でまた小休止しましたが、私は高所恐怖症なので吊り橋は渡りません(...

その他 0

聖良橋

「辻子谷」から分岐し「三味尾」へと続く道の途中に流れる谷川に「聖良橋」が架けられています。別に古い時代に架けられた石橋ではありませんが、普通にあるコンクリート製の小さな橋で、昭和四十一年(1966)に私の地元である、稲田の方が施主となり架けられたものです。因みに、辻子谷との分岐に建てられている「三味尾十三重塔」への参詣道の石標も同じ施主の方で、昭和四十一年と言えば東大阪市発足前の布施市の時代です(...

連休も明日で終わりですが、別に何処かへ出かけると言う事も無く、普段通りの休日を過ごしています。それで、最近は体調管理に気を付ける様になったからではありませんが、本日は病院へ診察と薬を貰いに行きました。「今日、病院やってるん?」と思いましたが、私の通っている病院は暦通りで、お盆休みとかでもやってますんで。その後、病院へ行った帰り際、久しぶりに石切さんの商店街の馴染みの店に買い物行き、徒歩でぶらぶらし...

樋門 0

八尺樋

「築留二番樋」に「八尺樋」の石銘板が保存されています。「山本樋」の記事と内容が重複するかと思いますが、八尺樋は築留から400m程上流「石川」との合流付近の右岸にあったそうで、現在は大和川の堤防に埋め込まれています。江戸時代の大和川付替え後、築留には樋門が設けられ「二番樋」「三番樋」は大和川から直接取水していますが「一番樋」は上流に設けられた「古白坂樋」「新白坂樋」「八尺樋」から、大和川右岸堤防沿い...

「万葉植物展示園」は、前回更新した「万葉の路」と同様のものかと思われますが、どこからどこまでがそうなのか?少々分かりません。それで、私は基本的に冬しか生駒山歩きをしませんので、今回掲載した写真は花の咲く、色鮮やかなものではありません…干からびたアジサイの花が写っています(-_-;)昔は夏でも歩いてたんですけどね。あんまりここ行かないんで(於 東大阪市)...

「龍田大社」は奈良県に鎮座していますが「龍田神社本宮跡」は柏原市雁多尾畑にあります。跡地についての説明は省略させて頂きますが、跡地には石碑が建てられ、祭壇状の石積みの上に磐座(?)があります。遠目に見た際には、お塚に見えたのですが、近くで確認すると小さめの切石とでも言いましょうか、普段生駒山を歩いている際に目にする様な石で、石で囲まれた場所は石をコンクリートで塗り固められ、石段とおぼしき所もありま...

本日は天気も良かったので、自転車に乗ってぶらぶらしてました。車の通行が少ない、私の定番である恩智川沿いを走っていますと、コイが沢山泳いでいるのが見えます。乗っ込みの季節となり、コイのはたきが始まっている様で、あちこっちでバシャバシャと音を立てています。因みに、とある風景で書きましたが「はたき」とは、コイの産卵行動の事で、私はこれが始まると「春やなぁ」と思います。それで、コイを眺めながら自転車を走ら...

その他 0

万葉の路

なるかわ園地に「万葉の路」と名付けられた、園内遊歩道があります。詳しい事は分かりませんが、江戸時代風の立札に万葉集の植物を読んだ歌が記されています。私、万葉集について殆ど知識がありませんが、立札を見ると作者不明の歌もある事をここで初めて知りました(-_-;)それで「府民の森 なるかわ園地」について、手持ち資料で調べてところ、昭和四十二年(1967)に公園計画が決定され、用地の買収に着手されたそうです。昭...

私は「辻子谷」を歩く際、必ずと言ってよい程「興法寺」にお参りします。ですので、参拝は徒歩でしか出来ないと思っていましたが、車でも参拝出来る事を知りました。実は「信貴生駒スカイライン」を利用すると、興法寺の上方から興法寺へと行く事が出来ます。それは、たまたま歩いた事のない道を歩いてみたところ、その道が信貴生駒スカイラインへと続く道で、スカイライン脇には駐車スペースが設けられていました。その駐車スペー...

昭和町に「隆光山 薬蓮寺」と刻まれた寺標があります。以前からこの場所の事が気になっていたのですが、この場所に薬蓮寺があったとの事です。廃寺となったのか?もしくは移転したのか?詳しい事は分かりませんが、現在マンションが建つこの場所には、寺標、卵塔、五輪塔等の石造物と鬼飾りが保存されています。それで、手持ち資料で調べてみますと、正徳六年(1716)摂津国東成郡深江村の久本寺檀家であった、深江屋仁兵衛と...

本日は天気も良かったので、母方の祖父母のお墓参りに行ってきました。客坊にある墓地にはいつも単車で行く様にしていますが(何せ墓地までの道がえげつない程きつい坂道ですので…)今日は自転車で行きました。勿論、途中で自転車を押して上がる事になりますが…それで、ここ最近は整体のおかげで体調も良くなったので、帰宅後休憩してから、資料購入の為に鶴橋の古書店まで自転車で軽くサイクリングしてきました。普段、人が多い「...

遊歩道 0

赤井緑道

「赤井緑道」はかつて赤井を流れていた水路を遊歩道として整備されたものです。この赤井緑道は他の水路跡遊歩道とは違い、ほぼ環状に整備された遊歩道で、かつてこの水路がこの様な流れであった事が良く分かるかと思います。しかし、当初私はこの場所に大きな池があり、その縁に沿って遊歩道が整備されたのか?もしくは池が埋め立てられ、後年遊歩道に整備されたのか?とも思いましたが、ここに池があった事実は確認していません。...

しばらくブログお休みさせて頂いてましたが、また今月から再開させて頂きます。それで、お休み中は山歩きや釣りに出掛けていましたが、お彼岸のお墓参りに行けなかったので、昨日天気も良かった事もあり、お墓参りに行きました。いつも、交野市にあるうちのお墓には、単車かバス電車を利用して行きますが、昨日は久しぶりに自転車で行ってみました。無事到着してお墓参りを済ませた後は、近くを流れる川沿いに咲く桜の木でひとり花...

久しぶりに平野屋新田会所へ行ってみました。と言っても、何の進展も無くこれまで通りでしたが…それで、船着場跡等の遺構は調査後、埋め戻されていますが「ちょっと見えへんかな?」と思い、銭屋川越しに見たのですが、当然の事ながら、見えませんでした(-_-;)あと、初めて知りましたが「平野屋新田会所跡」とフェンスに大きな看板がありましたけど…「もうちょっとやる事あるやろ?」と、大東市には会所取り壊し以前からごちゃごち...

「辻子谷」を上がって行くと、アスファルト舗装からコンクリート舗装へと変わり、その舗装が終わる場所に「良辨様の御墓所参詣道」と刻まれた碑が建てられ、この場所は「三味尾」への分岐となっています。因みに、この「三味尾十三重塔」への石標は、私の地元である稲田の方々が施主となっており、合併前の布施市の時代に建てられています。今回はこの場所から「興法寺」までの石仏となります。石標のすぐ側には、五十六番の文殊菩...

休日に日下辺りを歩いていますと、とある民家(?)の小さな庭に燈籠が三基ありました。これまで、寺社にある燈籠を中心に取り上げてきましたが、この燈籠はあまり見かけた事はありませんで、その種類もよく分かりません。特に両脇にある二基は竿が湾曲し、部分的に自然石が使われていますが、山燈籠でもない様な?そんな感じです。これは、庭に置く燈籠の形だと思いますが、これを庭に置く主の方の趣味と言うか風情と言うか「ちょ...