とある風景(その138)

ある日、自宅近くのマンションの外壁に「郷土の誇り 中甚兵衛 1639年 生誕の地」「⇦ 旧今米村」とありました。これまで全く気が付きませんでしたが、この看板はかなり大きなものです。しかし、郷土の偉人である中甚兵衛翁について、地元でも御存知ではない方の方が多いのではないでしょうか?私はたまたま知っていましたが…今米の村中は普段から普通に通っていますが、夏の夜に屋敷林の前を通るとかなり涼しく感じます。し...

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亀井町の延命地蔵尊

亀井町に「延命地蔵尊」があります。地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。それで、地蔵堂には地元の方が奉納された釣鐘(梵鐘)がつるされています。鰐口ではなく、釣鐘がつるされているのは珍しいかと思います。25号線沿いにありました(於 八尾市)...

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与謝蕪村句碑

新喜多に「与謝蕪村句碑」があります。詳しくは東大阪市の設置した説明板がありましたので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、句碑は個人の方が保存していたものを東大阪市に寄贈された際、この場所に移設されたそうです。一基には句と口をあけて鳴く蛙三匹が描かれ、別の一基には「蕪村翁句碑」と刻まれています。あと、同様に個人の方が保存されていた「新喜多橋の親柱」も移設保存されています。私のいとこが通っていた中学校...

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陸軍航空隊 第十一飛行師団司令部跡

志紀町西にある児童公園内に「陸軍航空隊 第十一飛行師団司令部跡」の石碑が建てられています。この記念碑は終戦七十周年にあたり、司令部の中核施設であった作戦室の置かれたこの公園内に、平成二十七年に建てられたとありました。第十一飛行師団について裏面の碑文によりますと、近畿・中部・中四国の東部を含む広域管内を敵襲から守る防空専門の戦闘機隊であったそうで、戦況が攻勢から守勢に転じた以降は、全軍が特攻作戦を指...

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矢作神社

「矢作神社」は南本町に鎮座しています。由緒等の詳しい事は、境内に八尾市の設置した説明碑と由来が記された石碑がありますので、そちらを御覧頂きたいと思います。それで、境内には多くの石造物がありますが、その中でも燈籠が多く、鳥居の側にある竿に「八幡宮」と刻まれた一対のものが、寛政十一年(1799)注連縄柱の前、基礎に「宮講中」と刻まれた一対のものが、天保五年(1834)摂社前にある竿に「應神天皇 牛頭天...

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横沼町の廃地蔵堂

横沼町に廃地蔵堂があります。既に仏像はまつられていませんで、地蔵堂には板が張られています。仏像の所在は不明ですが、線香立てが残されていました。仏像が移された経緯が気になります。ここでも、石仏がまつられていない地蔵堂を取り上げてはいますが。とりあえずカテゴリーは仏像とさせて頂きます(於 東大阪市)...

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中野の廃祠

中野に廃祠があります。大きな銀杏の木の下に祠がまつられていますが、詳しい事は分りません。以前、お祓いをしたので廃棄しますと張り紙がしてありましたが、現在は剥がれてしまっています。それで、祠の横を通る道は「旧河内街道」で、私の通勤路でもあります。張り紙に気が付き、もう数年経ちますが、祠はそのままにされています。銀杏の木の神様でしょうか?(於 東大阪市)...

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額田神社跡

「額田神社」は額田大仲日子命を祭神とし「額田大明神」とも呼ばれていたそうですが、明治五年(1872)に「枚岡神社」の境内末社である「天神地祇社」に合祀されています。鎮座地は額田寺の東側、額田会館がある場所が跡地だそうですが、神社だった名残は現在全くありません。それで、額田には額田神社以外に応神天皇の妃であり、額田大仲日子命の母である「高木之入日姫命」をまつる「高木社」あと「棟高大明神」「高佐美社」...

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旧軍人恩給相談所

昨年、十三峠へと歩きに行く途中「旧軍人恩給相談所」と書かれた表示板がありました。全く調べずに記事を書いておりますので、詳しい事は分りませんが、このお宅が相談窓口をされているのでしょうか?現在も恩給を受給されている方もいらっしゃるかと思いますが、相談される方はいらっしゃるのでしょうか?私の祖父は従軍していないので、恩給を受給していたと言う話は聞いていませんが、祖父が大阪砲兵工廠に勤務していたので、民...

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相生町の道標(その2)

相生町に道標が建てられています。各面には「左 八尾 右 柏原」「左 平野 右 八尾」「左 柏原 右 平野」と刻まれ、安政七年(1860)に建てられたものです。この道標は八尾街道沿いにある、植松墓地の入り口に建てられていますが、この場所は植松から続く道と八尾街道とが交差する三差路で、八尾・柏原・平野への分岐点となっていました。この道標が建てられた安政年間当時、既に八尾・柏原・平野では集落が発展し、明...

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暗峠の道路標識

最近、インターネットのとあるサイトで「暗峠にある道路標識」が紹介されていました。実はその時点でその道路標識は撤去されていましたが、通行車両の最大幅が1.3m制限の道路標識との事でした。それで早速、私がこれまで暗峠を訪れた際に撮影した写真を確認しますと、確かに道路標識が写っていました。興味のある方はインターネットでお調べ頂きたいと思いますが、実際には幅1.3m以下の車は現在、存在しないそうで(?)何...

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とある風景(その137)

今日は早朝の涼しい時間に自宅を出発して、信貴山へ行ってきました。と言っても、夏のお供である単車に乗ってですが、取りあえず久しぶりに久宝寺寺内町に立ち寄り、青谷から「竜田古道」を通り、信貴山へと向かいました。その後、鳴川にある「千光寺」を訪れ、暗峠を越えて自宅へと戻りました。こう書くと、ぶらりと行った感じに思えますが、ほんまにそんな感じです(笑)今日は久しぶりに山へ行きましたが、山道はかなり涼しかっ...

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みちのく地蔵尊

「みちのく地蔵尊」は高井田中にあります。小さな地蔵堂には石仏がまつられている様に見えましたが、きちんと確認する事が出来ませんでした。おそらく(?)石仏がまつられているかと思いますが、この地蔵尊は個人の方がおまつりされている様です。「みちのく」の名の由来は、どんな由来なのでしょうか?カテゴリーは石仏とさせて頂きます(於 東大阪市)...

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東本町の稲荷社

東本町に「稲荷社」があります。由緒等の詳しい事は全く分かりませんでしたが、実のところ稲荷社かどうかも分かりません(…)鎮座地は「長柄神社跡」のすぐ北に隣接してあります。それで、石造物に関しては竿の部分に「㊎ 常夜燈」と刻まれた、明治二年(1869)の年号がある金毘羅燈籠一基があり、同じく線香立てにも「㊎」と刻まれています。あと、百度石と自然石(?)と不動明王がまつられています。詳しい事は分らないの...

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抜塚

大窪にある「来迎寺」の墓地内に「抜塚」があります。御覧の通り、本来は古墳だそうで「大窪・山畑7号墳」と名付けられていますが、完全な状態ではありませんで、通り抜ける事が出来る様になっています。それが、抜塚の名の由来だそうですが、寺地にあるので通り抜ける事で御利益がある等、地元信仰の対象となっているのかと思い調べてみましたが、詳しい事は分りませんでした。それで、私のブログでは古墳や遺跡を取り上げる事は...

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旭町地蔵尊

「旭町地蔵尊」は旭町にあります。地蔵堂内には石仏一体がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。それで、この辺りは結構土地勘があるのですが、ここに地蔵尊があると最近気がつきました。もうこちら(東大阪東部)で暮らす様になって、二十年以上になります。石仏が新しいのでここ数年内におまつりされたのでしょうか?...

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伯太姫神社

「伯太姫神社」は円明町に鎮座しています。由緒等の説明は省略させて頂きますが、明治四十年(1907)に「誉田神社」に合祀され、終戦後の昭和二十一年(1946)に村人の総意により、元の鎮座地に復社しています。あと「白山権現」とも称された、式内社となっています。それで、境内の石造物に関して年号が確認出来たものは参道石段沿いに建つ燈籠に、天保十四年(1843)の年号がありましたが、文字の彫が浅い事と風化も...

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信貴山電鉄

数年前、北河内在住の「たのけのあむら」氏のブログにコメントさせて頂いた際、かつて高安山に電車が走っていたと御教示頂きました。私、元鉄道少年でしたので、非常に興味を持ちました。それで、これまで約十年間、公共の交通機関を全く利用せずに徒歩と自転車で中河内探索を続けて来ましたが、寄る年波には勝てず、最近は電車やバスあと単車も使用しています(^^)そんな理由で、これまで一度も歩く機会が無かった高安山へも足を伸...

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とある風景(その136)

最近、暑い時期のお供である単車で短時間だけ中河内探索をしています。と言う訳で、久しぶりに青谷から峠方面へと出かけてみましたが、何ぼ山手でもさすがに暑い時期は暑かったです(>_...

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福万寺町の標石

福万寺町に「山本」と刻まれた標石があります。詳しい事は全く分かりませんでしたので、毎度の様にあれこれと推測してみたいと思いますが、先ずこの標石が建てられている場所に関してです。場所的には福万寺町と山本町北との境界に建てられていますが、道路が境界となっており、その道路沿いに標石が建てられています。道路は旧玉串川の右岸堤防跡で、御承知の様に山本町北は旧玉串川を新田開発した「山本新田」と呼ばれる開墾地に...

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龍樹菩薩

「龍樹菩薩」は山本町北の玉串川沿いにあります。堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。それで、石仏は巳さん(?)を抱いておられますが、菩薩と言う以外に詳しい事は分りませんで、御真言は「おん あさば そわか」とありました。あと石標には「交通安全」とありますが、堂前の道は近鉄の路線バスも通る交通量の多い道路です。石仏は基本「○○地蔵尊」として記事を更新していますが、今回は「龍樹...

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上四条町の祠

上四条町に祠があります。御覧の様に祠の扉は閉ざされ、鍵が掛けられています。祠内には神様がまつられているのか?それとも仏像がまつられているのか?全くもって不明です。長年気になっていますが、別に調べると言う事もしておりません(…)いつもこの場所を通る度にこの祠の事を思い出し、見に行ってはいますが、いつも扉は閉ざされています。とりあえずカテゴリーは神社仏閣とさせて頂きます(於 東大阪市)...

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歯石

大蓮東の府道沿いに「歯石」があります。台石にある由来によると、かつて六万寺に「歯塚」があり、その内の一個と記されています。それで、現在の六万寺町一丁目付近にあった「歯塚」について手持ち資料で調べてみましたが、それに関する記述は見当たりませんでした。あと、六万寺町一丁目には「往生院」や「十二社権現寺」があり、歯石との関連性も不明ですが、六万寺には「六万寺古墳群」があり、塚はその古墳の一部では?とも思...

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とある風景(その135)

もう夏来ました。セミ鳴いてます。生駒山を歩くのも先週で一旦終了して、秋まで歩きません。と言う事で、単車でどっか涼しいとこへ行こうと思い、昨日「水神宮」へ行ってきました。ここはこの時期なると毎年一回は涼みに行きますが、やっぱりここだけが涼しいて、なんぼ単車でも道中は暑いです。それで、今日は自転車で地元東大阪のお地蔵さんまわりしましたが、やっぱり暑かったです。結局、どっちも暑いちゅう事で…まだこれから...

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高井田元町の地蔵尊(その3)

高井田元町に地蔵尊があります。地蔵堂内の仏像は御覧の様に確認出来ませんでしたので、詳しい事は分りません。ですので、今回は「仏像」とさせて頂きたいと思います。地蔵盆の際にでも訪れると良いかも知れません。この電気ええわ(於 東大阪市)...

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田辺春日神社

田辺に「春日神社」が鎮座しています。由緒等の説明は省略させて頂きますが、国分村の枝郷である「田辺」の氏神で、明治40年(1907)に「岩井稲荷神社」を合祀しているとの事です。それで、境内の石造物に関して年号が確認出来たものは、鳥居が元禄十五年(1702)の造立で、これは「赤穂浪士討ち入り」のあった年となります。拝殿前の狛犬は、弘化四年(1847)年号がありますが、燈籠は昭和十八年(1943)の戦時...

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長瀬川(その15)

これは最近気が付いた事なのですが、以前JR志紀駅の東側付近を流れる長瀬川では、護岸から水を放水(?)していました。最近は全く見ていませんが、中止となったのでしょうか?それ自体にどんな理由があったのかも分かりませんが、噴水の様な親水施設的なものだったのか?水の吹出口は現在も残っています。それで、過去に撮影した写真を探してみますと、2枚だけありましたが、この写真は私が人生で生まれて初めて購入した『デジ...

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とある風景(その134)

本日は昨年に引き続き生駒山の「あじさい園」にアジサイを見に行ってきました。雨天決行の予定でしたが、幸い雨も降らずこの時期にしては気温もそれ程高くなかったので、快適な山歩きだったと言いたいところですが、暑いのが苦手な私は汗だくとなりました(>_...

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中石切町の地蔵尊(その3)

中石切町に地蔵尊があります。地蔵堂内には石仏一体と弘法大師像がまつられていましたが、詳しい事は分りませんでした。それで、石仏は欠損している様で状態は確認出来ませんでしたが、前掛けが辻子谷の石仏に奉納されているのを度々見かけます「生駒西麓自然と歴史の散歩道を創る会」の奉納となっていました。平野部でも前掛けを奉納されているのでしょうか?お大師様は木造です(於 東大阪市)...

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桜屋クリーニング

これまで、トタン張りのお宅を取り上げさせて頂いておりますが、その中で私が勝手に「桜屋クリーニング工場」と呼ぶ一軒のお宅があります。その「桜屋クリーニング」の方も気にはなっていましたが、別に調べると言う事もしませんでした。それで、ある日歩いていますと「デラックス 桜屋 クリーニング」と書かれた看板を見付けました。かなり古い看板の様に見受けましたが、桜屋さんは現在も営業されているのでしょうか?まだ調べ...

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