FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

とある風景(その210)

昨日は天気が良かったので、梅を見にぶらぶら行ってきました。

取りあえず信貴山まで行くと、あちらこちらで綺麗に花を咲かせていました。

その後、三郷から雁多尾畑を越えて高安山へと行きましたが、神立では沢山の梅の木が花を咲かせていました。

その中で「しだれ梅」とでも言うのでしょうか?見事な梅の木があり、その下には水仙が咲き、休憩がてらしばしその風景を眺めていました。

そろそろ、冬の終りも見え始めた感がします。

それで、例年は「枚岡梅林」で梅の花を見物するのが楽しみだったのですが、残念ながら現在はその梅の花を見る事が出来ません。

はやく、以前の様に梅の花が見る事が出来ればとは思うのですが、再生までは数年掛かるとの事です。

しかし、樹木にもウイルスが感染するって知りませんでした。

しだれ梅1

神立の梅1

二枚目の写真の梅の花に蜘蛛が隠れています(於 八尾市)
スポンサーサイト

安堂町の地蔵尊(その2)

  • Day:2019.03.03 17:03
  • Cat:石仏
大和川の堤防に地蔵尊があります。

地蔵堂はなく、おそらくこの場所で起こった事故の供養の為に建立されたと思われます。

台石には建立者の名が刻まれている様ですが、国道の反対側から写真撮影しましたので、その他由来等についても確認はしておりません。

いつも、国道を通っていましたので、以前からある事には気が付いていました。

近くにも同様の地蔵尊が二体おまつりされています。

安堂町の地蔵尊2-1

安堂町の地蔵尊2-2

昨日写真撮影しました(於 柏原市)

高井田駅西拱渠

  • Day:2019.03.03 16:57
  • Cat:鉄道
手持ち資料を見ていますと、JR関西本線「高井田駅」の西側に、小さな鉄橋があると記されていました。

ですので「どんなもんか見に行ったろう」と言う事で足を運ぶと、その場所には小さな水路に小さな鉄橋が架けられていました。

小さいながらもちゃんとした鉄橋でしたが、手持ち資料によりますと、銘板には昭和九年(1934)とあるそうです。

この区間が開通したのは、明治二十三年(1890)で、複線化されたのが、大正十二年(1923)である事から、後に架け替えられた事になるとの事です。

それで、この鉄橋は長さが1m程あるそうで「トラフガーター橋」と呼ばれるものだそうで、先の通り構造的には立派な(?)鉄道橋となっています。

尚、タイトルの「高井田駅西拱渠」は正式名称ではないそうです。

中河内地域の他の路線や私鉄にもありそうな感じもしますが、近年では近鉄奈良線の様に高架化され、地上を走る路線区間も少なくなってきました。

それ故、最近は踏切も少なくなった気がします。

現在は自動ですが、昔は踏切に遮断機を上げ下げさせる人がいて、手動で行っていたのを思い出します。

実家近くの徳庵や布施、瓢箪山にあった踏切もそうだった様に思います。

高井田駅西拱渠1

高井田駅西拱渠2

高井田駅西拱渠3

水路は暗渠にならなかった様です(於 柏原市)

とある風景(その209)

本日は数年ぶりに北摂の「摂津峡」へと行ってきました。

摂津峡を流れる芥川には管理釣り場があり、以前はシーズンになるとよく釣行していましたが、今日はその偵察を兼ねて久しぶりの摂津峡行きとなりました。

それで、ここではニジマスが放流されていますが、エサ釣り、ルアー、フライとエリアが分れています。

私はルアーもやりますが、ここではもっぱらエサ釣りで、ウキ釣りとミャク釣りを水量や流れに合わせて使い分けていました。

しかし、もう随分長い間、ここで釣りをしていません(-_-;)

5月まで釣りが出来ますので、それまでに一度行けたらとは思ってますが…

写真は以前釣ったニジマスで、2匹とも50センチ近い大物(?)です。

摂津峡1

ニジマス

6月からはアユ釣りです(於 高槻市)

高萩翁功徳碑

  • Day:2019.02.24 21:30
  • Cat:石碑
都塚に「高萩翁功徳碑」が建てられています。

この碑は、大正七年(1918)に建てられたもので、碑文によりますと、高萩弥一郎氏は曙川の方で、明治二十九年(1896)に村長に選出されたとあります。

その後、長く村長を務められ、地元の自治の発達をはかり、教育を奨励し、道路の修治等を行い、あと綿作替わる菰菜栽培を奨励し、農家の副業を勧誘する等、地元に功績を残された記されています(多分…)

それで、明治期に河内木綿の栽培は衰退し、それに替わりこの地で菰菜栽培が行われた件については不明ですが、大正期には綿を見るのも珍しかったそうで、河内北部や南部では早々に姿を消し、中河内に綿作が集中したのだそうです(中河内では昭和初期まで見られたそうです)

しかし、綿が珍重されたので残った訳では無く、泉州の様に玉葱や甘蔗に転換する事が出来なかった事がその理由だそうで、この頃から大和川以南に比べて、現在の東大阪市域を中心とする中河内の農業の停滞が始まったと言われているそうです。

それ故に、農家の副業は生計立てる為に、かなり重要なものだったと思われます。

功徳碑の本題から、話がそれてしまいましたが、地元の方が高萩氏の功績を称え建てられたこの碑は立派なもので、寺社や公園等の人目につく場所に多く建てられたり、移設されている事が多いと思われるこの類の石碑の中では、珍しく(?)旧村内に建てられています。

高萩翁功徳碑1

高萩翁功徳碑2

近くには田畑が広がっています(於 八尾市)

船板塀

八尾市内に船板塀の蔵があります。

この蔵の前は以前から度々通っていましたが、船板が使用されている事に気が付いたのは二年程前です(15年前位から通っていましたが…)

このお宅は大和棟造りの立派なお宅で、現在は喫茶店(今風で言うとカフェですか…)を商店を営業されています。

カフェをされていると言いますと「あぁ」とお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、先週高安山から下って来た際、何かの良い匂い?がしたので、ちょっと休憩して行こうかと思いましたが、入らずに別の店でビールで一杯やりながら昼食をとり帰宅しました(アルコール類はなさそうだったので)

それで、船板塀について詳しい事は分りませんが、この宅の船板塀には「船釘」が残されています。

今年、ほぼ毎週このお宅の前を通っています。

船板塀7-1

船板塀7-2

船板塀7-3

船板塀7-4

船板塀7-5

船板塀7-6

船板塀7-7

今度は一度カフェに(於 八尾市)

とある風景(その208)

本日は久しぶりにサークルのメンバーと高安山へ歩きに行ってきました。

久しぶりのグループ行動(?)でしたので、楽しく会話しながらの山歩きとなりましたが、生駒縦走路を十三峠まで距離もそこそこに、水呑みさんにお参りしてから下山しました。

その後、瓢箪山の老舗お好み店で昼間から一杯やってから解散しました。

それで、先週に降った雪が日当たりの悪い場所に残っていましたが、今年は平野部も殆んど雪が降っていません。

これから、積もる程の雪が降るのでしょうか?

その際は生駒山に歩きに行きます。

もう2月になりましたけど。

生駒縦走路にて

生駒の尾根は雪が解けないくらいの寒さでした(於 八尾市?)

往生院の案内碑

  • Day:2019.02.03 21:14
  • Cat:道標
瓢箪山駅の構内に「往生院の案内碑」があります。

この案内碑は大正十四年(1925)に歌舞伎役者の中村雁治郎が建てたものだそうです。

それで、以前からこの碑がある事は知っていたのですが、瓢箪山駅の下りホームにあり、私は殆んど上り方面の電車しか利用しませんので、碑文や年号等の確認はこれまで一度もした事がありませんでした。

ですが、その上りホームからカメラのズームを使用して写真を撮影すると、小さな字で「大日本○○…」「○○十丁…」等の文字が読み取れました(?)

あと、往生院は拝観寺院ではありませんので、これまで一度も参拝した事はありませんが、近くには「往生院金堂跡」の史跡があります。

案内碑の小さな文字については、いずれ確認しようかと思いますが、近鉄奈良線の奈良方面行は殆んど利用する事がありませんので、その内に言う事で。

わざわざ、反対側のホームまで行くのも面倒ですので(-_-;)

往生院の案内碑1

往生院の史跡標石1

とりあえずカテゴリーは道標とさせて頂きます(於 東大阪市)

とある風景(その207)

今日は久しぶりに「信貴山」へ行って来ました。

と言っても単車でしたが、気温はかなり低く、やはりこの季節は歩く方が暖かい(?)と思います。

その後、立派な農道を走り「千光寺」へ行きましたが、門前には「水車」があります。

以前、写真を掲載した事があるかも知れませんが、実はこの水車は発電に使用されているとの事でした。

この場所は何度か訪れていますが、今日初めて気が付きました。

休憩中、たまたま通りがかったハイカーの方に少しお話しを伺い、この地域の情報を収集した後、今度は「くろんど池」へ行ってみました。

しかし、あまりの寒さと強風で早々に帰宅しました。

来週は久しぶりにグループで高安山へ行く予定です。

千光寺の水車1

千光寺の水車2

この場所は何故か結構暖かったです(於 奈良県)

恩覚寺跡

「恩覚寺跡」は恩智中町にあります。

恩覚寺は、大念仏寺の末寺であったそうですが、明治三十九年(1906)に廃寺となり、同じく恩智村にあり廃寺となった「来福寺」と合わせて「来恩寺」と改称し、現在に至っています。

寺域は東西十五間、南北九間あり、寛永年間に中興されたのだそうです。

現在、跡地は児童公園として整備されていますが、園内には地蔵尊がまつられ、その側に板碑と卵塔等があります。

卵塔がある事からも寺跡と推測する事が出来るかと思いますが、今回年号等確認しておりませんので、機会があれば確認しようと思います(お墓なので少々気が引けますが…)

あと、来福寺の跡地は不明ですが、同様に大念仏寺の末寺で東西八間、南北八間あり、本尊は阿弥陀如来だったそうです。

尚、来福寺の一角にある地蔵堂内には、古い時代のものと思われる石仏がまつられていますが、それらはどちらかの寺院の遺物なのでしょうか?

詳しい事は分りませんでした。

恩覚寺跡1

恩覚寺跡2

恩覚寺跡3

垣根で跡碑がよく見えませんでした(於 八尾市)

上野義雄顕彰之碑

  • Day:2019.01.27 20:35
  • Cat:石碑
東大阪商工会議所前に「上野義雄顕彰之碑」が建てられています。

上野氏については、顕彰碑横にある顕彰の記に詳しく記されていますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが(写真の文字が少々見辛いですが…)碑文にもあります様に、氏は東大阪商工会議所名誉会頭であり、東大阪市で最初の名誉市民となられています。

それで、商工会議所とはどの様な組織なのか?実は私も詳しくは知らないのですが(…)前身である「布施商工会議所」は、昭和十二年(1937)に当時の布施職業紹介所内に設置され、会員の条件として市内で継続して二年以上営業している事等が定められていたそうです。

しかし、昭和十八年(1943)に「商工経済会法」により解散となりましたが、その後再組織され、東大阪市成立後は「東大阪商工会議所」として、現在に至っているとの事です。

それで、私も東大阪市内で就労する東大阪市民ですが、昭和十二年の布施市(私の出身地です)の生産額が、当時の金額で30732991円だったそうで、その中で工産物が最も多いのですが、内訳に以外にも水産物が含まれていました。

当時、漁業が行われていたのか?または水産物の二次加工等であったのか?詳しい事は分りませんでした。

あと「商」については、昭和十三年当時、布施市内の店舗数が2432店だったそうです。

今は量販店や大型商業施設で買物する事が多くなりましたけど(-_-;)

上野義雄顕彰之碑1

上野義雄顕彰之碑2

上野義雄顕彰之碑3

碑がある事は御存知の方も多いと思います(於 東大阪市)


とある風景(その206)

さて、今年最初の「とある風景」ですが、本日軽く生駒山へ歩きに行ってきました。

今日は軽く歩く予定でしたので、枚岡公園周辺から摂河泉を経て南下し、客坊谷で下りました。

帰り際、久しぶりに瓢箪山の商店街を通って帰りましたが、飲食店にばかり目が行ってしまいます。

しかし、現在減量中ですので、そのまま帰宅しました(-_-;)

それで、生駒山は昨年の台風の影響で土砂崩れや落石、倒木の被害により、現在も通行禁止の場所があります。

度々足を運ぶ、郷土博物館周辺にある「山畑古墳」も倒木が多く、立入禁止となっている場所がありました。

あと、最近は単車で出掛ける事が多くなり、中河内以外にも足を運んでいますが、昨日は「蒸気機関車」を見に奈良まで行ってきました。

私は元鉄道少年でしたが、当時は電気機関車やディーゼル機関車が好きでした。

しかし、ふと蒸気機関車が見たくなり、昨日出掛けてきたのですが、ほんま鉄の塊って感じで、当時の蒸気機関車のイメージとは全く違うものでした。

あと、昨日初めて知ったのですが、運転室は吹きざらしで、小さな窓からしか前方が見えませんでした。

暑い時期、寒い時期、後ろに石炭を積み、ボイラーの側で運転するのは、さぞ過酷な事だったのでしょう?

当時の蒸気機関士の方は、ほんま凄いなと思いました。

また、探して見に行く予定です。

山畑古墳の倒木

D51

大きな木がへし折れていたり根っ子ごと倒れていました(於 東大阪市・奈良県)



恩覺地蔵尊

  • Day:2019.01.14 21:46
  • Cat:石仏
「恩覺地蔵尊」は恩智中町にあります。

吹き放ちの地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、地蔵尊のある場所は寺跡となっており、かつて「恩覚寺」と呼ばれる寺院があったそうです。

尚、恩覺寺については「神社仏閣跡」の記事として、取り上げ様と思います。

恩覺地蔵尊1

恩覺地蔵尊2

恩覺地蔵尊3

恩覺地蔵尊4

石仏は新しい時代のものかと思います(於 八尾市)


皇太子殿下の記念碑

  • Day:2019.01.14 21:42
  • Cat:石碑
平成も今年で最後となり、新しい年号となりますが、今上天皇が皇太子であった時代に多くの記念碑が建てられていた事が分ります。

特に神社に多く見られ「皇太子殿下御成婚記念」等と刻まれていますが、御成婚の際の映像をテレビ等で拝見すると、最大なパレードが執り行われた事が分ります(私はまだ生まれていませんので…)

それで、これまで多くの記念碑を撮影しましたので、今回はその幾つかを掲載したいと思います。

新しい年号は、いつ発表されるのでしょうか?

私も「昭和」「平成」新しい年号と三つの時代を生きる事となりました。

皇太子殿下の記念碑1

皇太子殿下の記念碑2

皇太子殿下の記念碑3

皇太子殿下の記念碑4

皇太子殿下の記念碑5

皇太子殿下の記念碑6

皇太子殿下の記念碑7

皇太子殿下の記念碑8

皇太子殿下の記念碑9

皇太子殿下の記念碑10

皇太子殿下の記念碑11

皇太子殿下の記念碑12

皇太子殿下の記念碑13

皇太子殿下の記念碑14

皇太子殿下の記念碑15

ばあちゃんは明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きました(於 東大阪市・柏原市)



とある風景(その205)

本日は寒い中「法隆寺」まで行って来ました。

あと周辺をぶらぶらして「藤ノ木古墳」等を見学した後、柏原の峠、雁多尾畑を山越えして安堂まで出ました。

その後、お約束の(?)八尾空港へ自衛隊のヘリコプターを見に行きましたが、残念ながらヘリコプターは一機もありませんでした(-_-;)

しかし、あきらめて帰ろうかと思ったところ、赤いヘリコプターが着陸態勢に入りました。

赤いのでおそらく消防のヘリコプターだと思い、帰宅後写真を見てインターネットで調べてみますと、大阪市消防局航空隊の「なにわ号」だと言う事でした。

ここから被災地等に出動していたんですね。

それで、以前自宅上空を自衛隊の大型ヘリが飛行していましたので、ついでに写真を掲載させて頂きました。

下方から撮影したものですが、タンデムローターの大型機である事が分ります。

日本の国籍識別標が下部にもありました。

なにわ号

自衛隊の大型ヘリ

上手い事ハルカスが写ってました(於 八尾市)

宝くじ桜植栽地

  • Day:2018.12.16 21:14
  • Cat:石碑
雁多尾畑に「宝くじ桜植栽地」の石標が建てられています。

石標は「竜田古道の里山公園」内に建てられ、地元では桜の名所として知られている様です。

それで、この場所は私の休憩ポイントでして、先週と今週もこの場所で一服して休憩しました。

あと、宝くじ植栽について関心のある方は、インターネット等でお調べ頂きたいと思いますが、建立は「日本宝くじ協会」と「日本さくらの会」となっていました。

周辺はこの場所以外にも桜の植栽地があり、毎年綺麗な花を咲かせていますが、何故か写真がありませんでしたので(?)また春になったら写真を撮りに行って来ます。

近くには「龍田山伝承の地」と、ここで取り上げた道標とお地蔵様があります。

宝くじ桜植栽地1

宝くじ桜植栽地2

眺めも良く近くからPLタワーも見えます(於 柏原市)

とある風景(その204)

このところ山歩きはご無沙汰で、休日はもっぱら単車であちこち行ってます。

以前の単車より少しだけ排気量の大きい単車ですので、遠出はかなり楽になりました。

それで、若い頃は単車に乗ってあちこち行ってましたので、今思い出した様にそれら場所へ行ってるのですが、先月から今月にかけて、奈良や京都へ足を運んでいます。

先週は20年以上ぶりに単車で信楽方面へと行きましたが、大阪とはかなり温度差があり寒かったです(-_-;)

それで、毎週何処へ行こうかと思案していますが(はやく慣らし運転を終わらせたいので…)今日は小学生の頃一度だけ訪れた、京都にある「一休寺」へと行って来ました。

50年近く前に一度だけ訪れただけなので、境内の風景はかすかに記憶している程度でしたが「こんな感じやったかな?」と思いつつ、拝観させて頂きました。

それで、何故か境内には「キリシタン燈籠」がありましたが、その理由は分りません。

東大阪では「枚岡神社」や「鴻池新田会所」あと「東大阪郷土博物館」等にもキリシタン燈籠があります。

その後、一休寺(酬恩庵)を後にし、今度は藤井寺にある「道明寺」へ行きました。

その後は定番である、柏原の青谷、雁多尾畑方面をまわり、八尾の高安山の登山口まで下見(?)に行ってきました。

来週は山歩きしようかと思っていますが、多分単車でどっか行くかも知れません。

寒いですけど。

一休さん

一休寺のキリシタン燈籠

最近中河内そっちのけですが(於 京都府京田辺市)

長七地蔵尊

  • Day:2018.12.09 21:43
  • Cat:石仏
「長七地蔵尊」は長堂にあります。

地蔵堂内は石仏一体がまつられていますが、詳しい事は分りませんでした。

それで、線香立てに「延命地蔵尊」とありますので「長七延命地蔵尊」なのかも知れませんが、地蔵尊寄附者芳名録には、昭和四十八年(1973)建立と「長七地蔵尊」とありました。

あと、同じ長堂には「長八延命地蔵尊」があります。

長七地蔵尊1

長七地蔵尊2

長七地蔵尊3

長七地蔵尊4

長八延命地蔵尊と何か関わりがあるのでしょうか?(於 東大阪市)

百済橋の親柱

  • Day:2018.12.09 21:36
  • Cat:石橋
東山本町に「百済橋」の親柱が保存されています。

親柱には旧字で「百濟𣘺」と刻まれ、明治十六年(1883)の年号がありますが、年号の前には「維持」とあります。

側面には周旋人として平野の人の名と、背面には萬願寺村の人の名が刻まれていますが、この百済橋が何処に架けられていたかは不明です。

インターネットで調べてみますと、平野川に百済橋が架けられているそうですが、この親柱が移設されたかつての百済橋の親柱なのか?または、万願寺村内に流れていた井路川等に架けられていたものなのか?全く持って不明です。

周旋人が平野の人だと言う事が気になりますが。

親柱は大きく立派なものです。

あと、八尾にある「野上橋」に、これ何と言うのか?私知りませんが、珍しいので一緒に掲載させて頂きます。

多分、石造だと思いますので…

百済橋の親柱1

百済橋の親柱2

野上橋1

何故この場所に保存されているのか不思議です(於 八尾市)

とある風景(その203)

毎年この時期になると、生駒山へ歩きに行くのですが、実は今月単車を買い替えまして、今週の土日は単車でプチツーリング(?)へと行ってきました。

と言っても、いつも行く柏原南部、亀の瀬周辺ですが、今日は奈良の三郷町にあるお寺まで石造物を見に行って来ました。

ブログでは殆んど取り上げませんが、中河内以外にある石造物も時折、参考に見に行く事があります。

その後、八尾空港へ自衛隊のヘリコプターを見に行き帰宅しました。

それで、昨日は以前勤めていた市内ある会社近くまで行ってみました、その会社は淀川の河口にあり、昔は護岸にテトラ

ポットが積まれていましたが、現在は撤去され(?)昔の風景とは一変していました。

その後、以前から一度訪れてみようと思っていた「旧鴻池本店」へ行ってみました。

尚、東大阪ではお馴染の「鴻池家」とは全く無関係だそうです。

以上、週末の休日に単車でぶらぶらしましたが、ほんま男って何ぼになっても、車や単車買うと何や嬉しなってしまうもんです。

これで、人生最後の単車購入やと思います(-_-;)

新亀の瀬橋より

澪標

久しぶりに市内を走って怖かったです。田舎もんですわ(於 柏原市・大阪市)

北川大社

「北川大社」は黒谷に鎮座しています。

由緒等の詳しい事は分りませんが、地元の方に伺ったところ、個人の方が建立されたとの事でした。

以前、通りがかった際は確か畑(?)だった様に思いますが、鎮座地は住宅が建ち並ぶ高安山麓にあります。

それで、境内の石造物の年号を確認しますと、平成二十八年とありしたのでその頃に造営されたと思われ、伊勢神宮遥拝所、手水舎、弁財天等がまつられています。

あと「磐座への道」「福徳への道」の立札がありましたが、境内の隅にイノシシの罠(!)がありましたので、その道へ入るのはマムシ等が活動しなくなる秋以降、高安山歩きの下山時にでも入ってみようと思っています。

しかし、苦手なイノシシは冬でも活動していますが…

私が初めてイノシシと遭遇したのは高安山でした(-_-;)

北川大社1

北川大社2

北川大社3

北川大社4

北川大社5

北川大社6

北川大社7

北川大社8

北川大社9

北川大社10

北川大社11

北川大社12

イノシシの罠

社殿がありませんので磐座が御神体なのでしょうか?(於 八尾市)

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑

  • Day:2018.11.11 21:50
  • Cat:石碑
教興寺の児童公園内に「八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑」が建てられています。

詳しい事業内容は分りませんでしたが、八尾市のサイトに区画整理地区の範囲が示され、現地には住宅が建設され、また道路等も整備されています。

記念碑の建つ児童公園も区画整理事業に伴い整備されたと思われ、周辺は新興住宅地化としていますが、畑等もまだ残っています。

八尾東部、南部ではこの地区同様、区画整理事業が行われた地区が数カ所ある様です。

それで、ここ最近ネタ不足でこの類の石碑を多く取り上げていますが、ネタの尽きるまでブログを更新する所存でございます(-.-)

文章も短くなってきてますが。

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑1

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑2

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑3

八尾市教興寺土地区画整理事業竣工記念碑4

植え込みに隠れてしまってます(於 八尾市)

割竹形石棺蓋

玉手町にある「安福寺」に「割竹形石棺蓋」が保存されています。

詳しくは、柏原市が設置した説明板がありますので、そちらを御覧頂きたいと思いますが、その説明にもあります様に「玉手山三号墳」から出土したそうで、玉手山三号墳は江戸時代から安福寺の寺領だったそうです。

それで、覆屋内に保存された割竹形石棺蓋には盃状穴(?)が見られます。

あと、安福寺の参道には「安福寺横穴群」があり、府の史跡に指定されています。

現地の説明板によりますと、これら横穴は古墳時代後期のお墓だそうですが、大阪では柏原市にしか見られない珍しいものだそうです。

安福寺と隣接して鎮座する「伯太彦神社」へは、これまで度々訪れていますが、特に安福寺の池を配した山の斜面に広がる庭園を私気に入っていますので、一年を通して訪れています。

静かな場所です。

割竹形石棺蓋1

割竹形石棺蓋2

割竹形石棺蓋3

割竹形石棺蓋4

割竹形石棺蓋5

割竹形石棺蓋6

割竹形石棺蓋7

安福寺

安福寺横穴群1

玉手山横穴

高井田にも横穴があり公園になってます(於 柏原市)

とある風景(その202)

我が家の息子である、長男犬と次男犬が天国に逝って数年経ちましたが、時間があれば出来る限りお墓参りに行く様にしています。

それで、今日もバスに乗ってお墓参りに行って来ましたが、帰りはいつも歩いて自宅まで帰っています。

今日もぶらぶら歩きながら帰りましたが、その途中の善根寺で数年前から道路工事が行われていました。

それで、今年の夏頃に気が付いたのですが、実は道路工事ではなく、河川の開削工事だったようで、生駒山の車谷から流れて来る「大川」をどうも付替える様です。

川の流路変更は、最近の東大阪では珍しいかと思いますが「善根寺浜」と呼ばれた、旧大阪外環状線(東高野街道)より東(山側)で改修工事が行われています。

現在、大川は「津之元地蔵尊」の横を流れていますが、付替え後は埋立てられるのでしょうか?

詳しい事は分らないのですが、また見慣れた風景が無くなってしまうのでしょうか?

大川の改修工事

一部暗渠になっている様ですが(於 東大阪市)

常髙大明神

「常髙大明神」は足代北にあります。

由緒等の詳しい事は分りませんでしたが、稲荷神がまつられています。

それで、木製の燈籠が破損しており、何処の地区や個人の方がお世話されているかは分かりません。

あと、周囲をコンクリートのブロック塀とフェンスで囲まれていますが、ブロック塀に鳥居が描かれていたので、おまつりされている事に気が付きました。

布施の繁華街に近いので、最初は例の「小便するな!」かと思いましたが、この場所にお社があると言う意味でした。

でもやはり、小便するなと言う意味もあるんでしょう?

常髙大明神1

常髙大明神2

常髙大明神3

常髙大明神4

常髙大明神5

常髙大明神6

常髙大明神7

個人でおまつりされているかと思うのですが?(於 東大阪市)

竹渕東の歌碑

  • Day:2018.10.14 19:42
  • Cat:石碑
「平野川」沿いに歌碑が建てられています。

碑には「紅葉ばのながるゝ時は たけ河のふちのみどりも いろかはるらんと」刻まれ、私には歌の内容が分りませんが(…)碑文によりすと、往時の「竹渕川」の清流をここを訪れた事のある「凡河内躬恒」によって詠まれたのがこの和歌で「拾遺和歌集」に残されているとあります。

それで、凡河内躬恒は平安時代前期の歌人だそうですので、歌碑にもある様に千年以上前の平野川の様子を詠んだ歌と言う事になります。

その時代、平野川の流路が固定され、現在の流路とほぼ同様であったかのか?私には分かりませんが、清流と歌われています。

現在、平野川は鋼矢板やコンクリートによって護岸が整備されていますが、清流と歌われた当時の平野川は現状からは全く想像する事は出来ません。

あと、平野川が竹渕川と呼ばれていた事をこの歌碑によって初めて知りましたが、これ以外にも「了意川」と呼ばれていました。

これは御承知の様に、平野川に船運を運行しようとした「安井了意」に因んだものです。

それで、平野川は私の暮らす東大阪市域を流れていませんが、放出駅の西側を流れている、城東運河(平野川分水路)は、幼少期の頃から身近であったかも知れません。

私は片町沿線沿いで生まれ育ちましたので、平野川分水路に架けられている片町線の鉄橋から、いつもこの川を見ていましたので。

清流ではありませんでしたが(-_-;)

竹渕東の歌碑1

平野川の流れ1

平野川の流れ2

平野川分水路の流れ

城東運河も昔はやっぱりドブ川でした(於 八尾市・大阪市)

とある風景(201)

本日は「体育の日」でお休みでしたので、今年後半最初の生駒山歩きに行ってきました。

先ず、安全を祈願する為に聖天さんへお参りに行き、いつもの様にお参り後は歩いて自宅まで帰ります。

6月以来歩いていませんでしたので、結構きつかったのですが、何とか家まで辿り着きました。

それで、やはり先月の台風の影響で倒木や土砂崩れがありましたが、落石も多くありました。

この石が自分を直撃したらと思うと洒落になりません(-_-;)

当分、道を選んで歩く様にしようと思ってます。

帰りはこれもいつもの様に、石切商店街にある馴染みの店(飲食店ではありませんが…)で1時間程、喋りながら休憩させて貰い、体力が回復したので帰宅しました。

営業妨害になるかと思いましたが、お客さんはいつもより多かった(?)様に思います。

あと、今日は何故かマップ片手に歩く若い女の子が多かったのですが、聞くと石切神社で配布しているとの事でした。

石切は普段の休日でも占い等で来る女の子が多い場所ですが、基本じっちゃん、ばっちゃんの来る場所やと思ってます。

当然、私もじっちゃんになりつつある、おっさんですけど。

落石

各ハイキングコースは現在復旧中だそうです(於 奈良県)

長栄寺の地蔵尊

  • Day:2018.10.08 20:11
  • Cat:石仏
長栄寺に地蔵尊があります。

地蔵堂内には石仏一体がまつられていますが、よく見ますとお地蔵様では無い様で、錫杖は持たれていますが、槌(?)も持たれて牧師さんの様な衣裳を身に付けておられます。

実はそんな理由もあり、記事として更新するのを保留にしていたのですが、最近ネタ切れ状態気味ですので、今回取り上げました。

それで、石仏の詳細は不明ですが、このお宅の方が個人的におまつりされているかと思われます。

長栄寺の地蔵尊1

長栄寺の地蔵尊2

卍とありますが地蔵堂もちょと変わってます(於 東大阪市)

北高安小学校跡地(その2)

  • Day:2018.10.08 20:00
  • Cat:石碑
水越にある「薗光寺」の境内に「北高安小学校地」と刻まれた石碑が建てられています。

それで、同様の跡碑が大竹の児童公園内に建てられていますが、手持ち資料と八尾市のサイトによりますと、堺県第95番小学校として、水越の薗光寺の本堂を仮校舎に開校されたとあります。

明治六年(1873)から、明治十三年(1880)までこの地にありましたが、その後大竹に移転したのだそうです。

北高安小学校跡(その1)も御参照して頂きたいと思います。

北高安小学校跡地2-1

私の通った小学校もお寺が仮校舎だったそうです(於 八尾市)

とある風景(その200)

10月になり、かなり過ごし易くなりましたので、久しぶりに「東高野街道」から「龍田越え奈良街道」を通り、柏原へと行ってきました。

勿論、単車で行きましたが(?)久しぶりの柏原探索でした。

それで、いつもは高井田から青谷へと向かいますが、今日は少し寄り道して「玉手山」へ行ってみました。

玉手山周辺をぐるぐるしていたところ、公園があったので休憩して一服したのですが、この場所からの眺めが結構良くて、しばしその風景を眺めていました。

この場所に来たのは初めてでしたが、西名阪道路の向こう側に古墳が見えています。

羽曳野方面にも古墳が多く見えていましたが、写真に写る古墳はおそらく「応神天皇陵」だと思います。

応神天皇陵へは小学生の頃、遠足か何かで行ったと思いますが、10年前位に自転車でも行った事があります。

その数年前から、中河内探索を始めました。

今日は、峠から地すべり地帯を通り、雁多尾畑から青谷の山越えで安堂へと抜けました。

先月の台風による、小規模の土砂崩れ等が多くの場所で起こっていましたが、無事帰宅する事が出来ました。

中小企業団地4号公園の眺め

企業団地内にある公園でした(於 柏原市)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。